スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天龍の雑感⑨&実例

2021-03-12 19:16:53 | NOAH
 天龍の雑感⑧の最後のところで示した,日本テレビから全日本プロレスの社長が送り込まれたことには,ある狙いがありました。それはリング上の主役すなわちトップを,馬場からジャンボ・鶴田に交代しようということでした。馬場は会長になったわけですが,要はこれは棚上げのようなものだったので,これは馬場にとっては本意ではなかったのです。馬場は後に社長に復帰しますが,おそらく全日本プロレス時代の馬場にとって,この時期は最も辛かった,あるいは屈辱的な時期であったろうと推測します。
 天龍自身はこの時期はそれほど高いポジションにあったわけでなく,また実際にリング上のエースは鶴田であるという認識だったので,このことには違和感を感じなかったし何とも思わなかったそうです。ただそのことを馬場が面白く感じていなかったのは確かであると天龍は語っています。松根がプッシュしようとした鶴田やブッカーとして起用した佐藤昭雄,またジュニアの王者になった大仁田厚などは日本テレビに抱え込まれたレスラーと天龍はいい,天龍自身はそうではなかったので,この時期は馬場と天龍が話をすることも多く,馬場は意外なほどに天龍のいうことをきいてくれたのだそうです。ザ・グレート・カブキとかグレート・小鹿などもこちらのグループだったと天龍は語っています。
 もしこのときに鶴田が大きな包容力をみせて,全選手を取りまとめようとすれば,状況は変化しただろうといっています。ですが鶴田はそうしませんでした。これは天龍は語っていませんが,おそらくそれには理由があって,鶴田はそもそもリング上のトップには立っても,会社の社長になろうという気がなかったから,社内をまとめようという気もなかったのです。ですから鶴田はこの時期も,リング上ではきちんと仕事をしていましたが,会社のこと,とくにマッチメークなどに関しては自分では口出しせず,佐藤に任せていたようです。おそらくこの点は,日本テレビにとっても誤算だったのではないかと推測されます。

 第二部定理七が意味しているのは,観念idemと観念対象ideatumの秩序と連結ordo, et connexioが一致しているということです。もちろんこれは,真の観念idea veraすなわち十全な観念idea adaequataの場合なのであり,逆にいえば,ある観念が真でありまた十全であるためには,第二部定理七が示す条件を満たしていなければならないということです。そしてこのことは,観念がどのような知性intellectusのうちにある場合であっても妥当します。
                                   
 そこで上述の条件を基に,第一部定義一を例材に考察します。ここではその本性essentiaが存在existentiamを含むものが自己原因causam suiと定義されていますので,本性が存在を含むものをある知性が概念したとします。このときこの知性は,そうしたもの,定義Definitioの命名に従えば,自己原因が永遠aeterunusであるということを同時に認識します。それ自身の存在がその本性に含まれているということを十全に概念するconcipereなら,そのものが存在しないと考えるconcipereことはできないからです。存在しないと考えることができないなら,そのものは必然的にnecessario,いい換えれば永遠から永遠に渡って存在することになるということを,その知性は同時に認識するcognoscereことになるでしょう。
 こうしたことは,有限なfinitum知性によって概念されることが可能です。このことは論理的に説明せずとも,確かに僕たちの知性がこのことを十全に認識している,あるいは認識することができるということから明白でしょう。そして僕たちの精神mensというのは,第五部定理二三を満たす条件でない限りは有限finitumであり,永遠ではなく持続するdurareものです。つまり人間の知性のうちに自己原因といわれているものの十全な観念があるということは,持続するものの知性のうちに永遠なるaeternusものの十全な観念があるということであり,よってこの十全な観念は,持続する知性のうちにあるのですから,同様に持続するものです。すなわち,その知性の持続duratioが終焉するときにはそれと同時に現実的存在を停止するものです。よって,観念対象が永遠なものである観念が持続するものであるということは可能です。可能であるというより,ここで示したことから現実的にあるというべきでしょう。観念自体は持続するものであっても,永遠である観念対象と観念の秩序と連結は一致しているからです。
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