スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典ダイオライト記念&第二部定理四

2021-03-18 19:04:06 | 地方競馬
 昨晩の第66回ダイオライト記念
 好発はエルディクラージュでしたが,内から上がってきたアナザートゥルースを先に行かせ2番手に。3番手のダノンファラオ,4番手のリンゾウチャネル,5番手のマスターフェンサーまでが一団の競馬。10馬身くらい開いてトーセンブル。5馬身差でナムラアラシ。1馬身差でコウエイワンマン。1馬身差でドリームリヴァール。4馬身差でスパークルメノウという隊列。最初の1000mは64秒0のミドルペース。
 2周目の向正面でエルディクラージュがアナザートゥルースに並び掛けていったところでペースアップ。3番手はリンゾウチャネルとダノンファラオの併走で,マスターフェンサーは押しながら何とか5番手を追走。一旦は巻き返して再び単独の先頭に立ったアナザートゥルースでしたが,最終コーナーでエルディクラージュがまた並び掛け,少し前に出ました。直線に入ったところで3番手との差は4馬身くらいに。直線に入ってエルディクラージュがアナザートゥルースを完全に振り切りましたが,一旦は離されたダノンファラオが外からまた脚を伸ばし,エルディクラージュを差し切って優勝。一旦先頭のエルディクラージュが1馬身半差で2着。逃げたアナザートゥルースが1馬身半差で3着。
                                   
 優勝したダノンファラオ浦和記念以来の勝利で重賞3勝目。このレースはマスターフェンサーのの力が上位で,負けられないくらいの相手関係と思っていたのですが,2周目の向正面でペースアップしたときに追走に汲々となり,直線に入ったところでは早々に一杯。敗因が何であったのかは不明ですが,能力を出し切ることができませんでした。上位に入った3頭は能力的には2番手グループで差はそんなになく,その中で最後に脚を使うことになったダノンファラオが展開的に有利になったといったところでしょう。現状ではトップクラスとは差があると思いますが,まだ成長の余地を残しているようなレースぶりであったようには見受けられました。
 騎乗した川田将雅騎手は第64回以来2年ぶりのダイオライト記念2勝目。管理している矢作芳人調教師はダイオライト記念初勝利。

 神の観念idea Deiには多様な解釈が可能ですし,またそれを求められているのだとしかいいようがないとないと結論しておきます。
 神の観念の解釈には,第二部定義三のほかに,さらに求められる条件があります。それが第二部定理四です。
 「無限に多くのものが無限に多くの仕方で生じてくる神の観念はただ唯一でしかありえない」。
 この定理Propositioは,神の観念について多様な解釈が要求されているという結論に反するように思われます。実際にその通りかもしれません。ただ一方で,必ずしも反しないという見方も可能だと思われますので,その場合についての説明だけしておきます。
 この定理は,第一部定理三〇第一部定理一四系一を援用して証明されています。つまり,知性intellectusが認識するcognoscereのは神の属性attributumとその変状affectioだけであって,神は唯一であるから,無限に多くのinfinitaものが無限に多くの仕方で生じる神の観念は唯一であるといっているのです。なお,第一部定理三〇は,知性が無限infinitumである場合でも有限finitumである場合でも成立する定理ですが,スピノザはこちらの定理の論証Demonstratioの冒頭では無限知性intellectus infinitusだけを主語に置いています。これは,無限に多くのものが無限に多くの仕方で生じるということは,無限知性だけが認識できるのであり,有限の知性たとえば人間の精神mens humanaにはそれを認識することが不可能であるとスピノザが前提しているからかもしれません。するとこの場合は,人間の精神のうちにある神の観念については言及されていないということになりますから,多様な解釈についてはほとんど影響を与えていないといえます。そもそも畠中の区分が有効であるというのは,人間の精神のうちにある神の観念と,神のうちにある神の観念が異なっている,あるいは人間の精神のうちにある神の観念は神のうちにある神の観念の一部であるからなのであって,神の観念のうちにある神の観念についてだけがこの定理の中で言及されているのだとしたら,それはただ人間の精神が有限であることの限界のゆえに,神の観念は多様な解釈が可能であるという結論が出てくるといえばよいのであり,いい換えればこの結論が,人間の精神が有限であることの限界の地点を表していることになるでしょう。
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