スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

NHK杯テレビ将棋トーナメント&標準的解釈

2021-03-22 19:01:22 | 将棋
 昨日放映された第70回NHK杯テレビ将棋トーナメント。対戦成績は稲葉陽八段が2勝,斎藤慎太郎八段が3勝。
 振駒で稲葉八段の先手となり角換り。先手が9筋の位を取って銀の態度を保留している間に後手の斎藤八段が腰掛銀から先攻する将棋に。終盤まで熱戦が繰り広げられました。
                                        
 後手が飛車取りに角を打った局面。ここは本当は☖5八角と打っておいた方が得だったかもしれません。
 第1図で解説されてされていたのは☗3三銀と打つ手で,仮に☖同桂☗同歩成☖同金☗2三歩☖同金☗3五桂のように進むのなら厳しそうです。また,☗4三銀と打ち込み☖同歩☗同桂成と進めるのも有力だったと思われます。
 実戦の指し手は☗2四飛と王手で飛車を逃げる手。ただこの手は敗着になり得る手だったかもしれません。
 後手は☖2三歩の一手で先手も☗2六飛と逃げるほかありません。
                                        
 ここで☖3五銀と打ったのが敗着。☗3三銀☖同桂☗同歩成☖同金☗同金☖同玉とすべて清算した後,☗4三金☖同歩☗同桂成☖同玉に☗2三飛成が厳しく,先手の勝ちになりました。第1図では☖2五銀と打っておけば,むしろ後手が有望だったかもしれません。
 稲葉八段が優勝。2013年度の銀河戦以来となる2度目の棋戦優勝を果たしました。

 神の観念idea Deiに関する考察はこれで終了とします。柏葉の論文の内容に目を向け直します。
 柏葉は論文の中で,第二部定理八系でいわれている神の無限な観念を,どう解釈すればよいかということ,とくにそれを無限知性intellectus infinitusと同一視してよいのかということを念入りに探求しています。柏葉によれば,この部分の神の無限な観念を無限知性と同一視することは,『エチカ』を読解する場合の主流な解釈です。柏葉はこの解釈を標準的解釈と命名し,この標準的解釈に疑義を呈しています。というか,論文の中では標準的解釈は失敗しているといわれていますので,標準的解釈とは別の解釈の必要性を訴えていることになります。
 論文の内容に立ち入る前に,僕から次の点をいっておきます。
 論考の対象となっているのは第二部定理八系であり,これは第二部定理八の系Corollariumですから,当然ながら第二部定理八からの帰結事項であるといえます。第二部定理八でも神の無限な観念といういい方がされていて,同じいい方が系でもされているのですから,第二部定理八の神の無限な観念と第二部定理八系の神の無限な観念は,同じものであると解するべきであるでしょう。
 第二部定理八の冒頭は,存在しない個物res singularisないしは様態modiの観念,となっています。これは柏葉の論文の表題である「存在しないものの存在論」に合致したいい方です。ですが第二部定理八系では,存在しないものの観念といういい方は一切ありません。むしろそうした観念の対象ideatumとなっているものは,神の属性attributumの中に包容されている限りにおいてのみ存在する,といわれていて,限定的ないい方であるといえるでしょうが,存在するものとして規定されています。定理Propositioと系との関係から,これらふたつは同じもののことをいっていると解する必要があります。ですから第二部定理八の冒頭でいわれている存在しないものというのは,現実的に存在しないものという意味であって,神の属性の中に包容されている限りでは存在するといわれなければならないもののことです。こうしたものが,現実的に存在するようになる,あるいはかつては現実的に存在した,というように解するべきか否かは,柏葉の論文の内容と関係します。
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