スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

鳳凰賞典レース&原理の例外

2019-01-07 19:13:32 | 競輪
 立川記念の決勝。並びは鈴木‐河村の関東,桐山‐大塚の南関東,竹内‐浅井の中部,稲垣‐中野の近畿で清水は単騎。
 前受けをしていた竹内を稲垣が叩きにいったのが残り3周のバック。竹内がやや車を下げたのでバックの出口で稲垣が誘導の後ろに。このラインに鈴木が続きました。竹内は後ろまでは下げずに3番手のインで鈴木と併走。ホームで浅井の後ろにいた桐山がホームで上昇。清水はこのラインには続かず浅井の後ろに。桐山が稲垣を叩くと鈴木がスイッチ。バックに入ってから発進していくと稲垣も仕掛け,先に桐山を叩いた鈴木の前に出て打鐘。ここから竹内の巻き返し。清水まで連れてホームで稲垣を叩きました。清水の後ろには桐山がスイッチ。後方からの巻き返しはなく,最終コーナーで桐山がインを突いたものの前には出られず,前3人での直線勝負。早めに踏んで大外から前のふたりを差した清水が優勝。番手の浅井は4分の3車身差の2着。逃げた竹内が1車身半差で3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は昨年11月の防府記念以来の優勝で記念競輪2勝目。ここは単騎での戦いになりましたが,脚力だけでいえば浅井が勝つか清水が勝つかというメンバー構成でしたから,好位置を確保できれば優勝の目もあるだろうと考えていました。竹内の先行になったので展開的には浅井の方が有利でしたが,やはり浅井も無碍に早い段階から踏んでいくというわけにもいかなかったのでしょう。ですからこのラインの3番手を取れたのが大きな勝因になったといえそうです。中国地区は有力選手が少ないため,今日のようにラインができないケースも他地区の選手より増えるのかもしれませんが,脚力でそれを補うことが可能な筈ですから,今年は昨年以上の活躍を期待してよいものと思います。

 自分の食に関する観念idea,自分の睡眠に関する観念,自分の排泄に関する観念が発生する原理はこの通りですが,厳密にいうなら第二部定理一二が絶対的な意味で原理を説明するわけではありません。これは次のような事情によります。
                                
 食に関する観念,あるいは食に対する欲望cupiditasである食欲の場合で説明するのがもっとも簡潔だと思いますので,まずこの例で示しましょう。僕たちは食欲という同じことばで表現される欲望であっても,その感じ方は大まかにいうと二種類に分類するのが一般的です。ひとつはたとえば飢餓状態における食欲であり,もうひとつは美味しそうなものを表象したときに感じる食欲です。前者は分かりやすくいえば腹が減っているときでなければ感じない食欲ですが,後者はそれとは異なり,必ずしも腹が減っていなくても感じる場合がある食欲です。たぶんこれら二種類の食欲があるということは,ほとんどの人が経験的に知っているのではないかと思います。
 これを表象imaginatioのあり方として説明すれば,前者の食欲は第二部定理一二により,かつそれのみによって説明されなければなりません。しかし後者の食欲は,美味しそうなものという外部の物体corpusの表象像imagoなしにあり得ないことが明白なので,第二部定理一七なしには,あるいは第二部定理一七系なしにはあることができない食欲です。もう少し別のことばでいえば,前者は何でもいいからとにかく何かを食べたいという食欲であり,後者はある特定のものを食べたいという食欲です。実際に腹が減っているときは,目の前に食べ物があろうとなかろうと関係なく腹が減っているのですから,この食欲は食物の表象像があるかないかと関係なく湧く食欲です。後者はある特定のものを食べたいという食欲なのですから,その特定のものの観念すなわち表象像なしにはあることができない食欲なのです。
 これらが別の食欲であるということは,第三部定理五六から明らかです。この定理PropositioはAに対する食欲とBに対する食欲は,同じ食欲でも別の食欲であることを示します。なのでラーメンに対する食欲とカレーに対する食欲は別の食欲です。よって何でもいいという食欲もまた別の食欲なのです。
コメント
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