スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

小鹿の雑感⑧&身体的技術の習得

2019-01-12 19:01:28 | NOAH
 小鹿の雑感⑦でロッキー・羽田のことが語られた後,伊藤正男,プリンス・トンガ,百田義浩と百田光男の兄弟のことも語られているのですが,この部分は短いので割愛します。この4選手のうち伊藤のことは僕は知りません。
 小鹿は馬場が百田兄弟を全日本に入団させたのは力道山の後継者であることをアピールしたかったからだという主旨のことを言っています。天龍は百田家と日本プロレスの選手を引き受けた上で,日本テレビで放映されることが重要だったのだと言っています。馬場と日本テレビの関係は特殊なもので,必ずしも馬場が一方的に日本テレビでの放映を望んだわけではなく,日本テレビもプロレス中継を継続していくために馬場を必要としたという側面もあったのは事実でしょうが,馬場が全日本プロレスを設立する決心をしたのは,日本テレビでの放映が確約されてたからなのは確かな筈で,天龍の言っていることにも一理あるでしょう。ただ,仮にそれがなくても馬場は日本プロレスを退団したのは間違いないと僕は思います。
 小鹿は,馬場は日本プロレスの悪しき面を変革したい気持ちがあったと言っています。日本プロレスは力道山が設立し,絶対的なエースとして君臨した団体でした。力道山は大相撲を廃業してプロレスラーに転向しましたので,日本プロレスには相撲界のしきたりのようなものが色濃く残っていたようです。野球を断念してプロレス界に入った馬場には,そのしきたりが肌に合わなかった面があったのは間違いありません。これは馬場自身が示唆していることでもあります。そして実際に全日本プロレスは,で示したように,少なくとも1976年までは馬場以外の選手には付き人がいませんでした。それは馬場が付き人制度は派閥を作るからダメだと言っていたと天龍は証言していて,これは真実味があるのですが,そもそも付き人という制度を馬場が嫌っていたという可能性もあるのかもしれません。馬場の小橋への指導からみる限り,馬場は付き人に対して,おそらく力道山ならしていたであろう無茶な要求をするようなことはなかったと思われますので,こちらの可能性の方も否定はできないと思います。

 身体的機能の習得という意味での学習について,思惟的作用も必要とされているということは,トイレトレーニングのように,第二部定理一二と関係する場合にだけ妥当するわけではありません。第二部定理一七とか第二部定理一九のみによって説明されなければならない身体的機能の習得の場合にも同様です。
                                
 たとえばある楽器の演奏技術を習得するということは,確かに身体的機能の習得であるといえるのですが,これは第二部定理一二とは何の関係ももちません。楽器が演奏できようができまいが,身体corpusの現実的存在は同じように維持されるからです。いい換えれば,何らかの楽器が演奏できないということは,僕たちの身体の「中に起こること」ではありません。ですが,楽器を演奏するということは,単にその楽器から何でもいいから音を出せればよいというものではありません。もちろん,音を出すことがそれ自体で困難であるという楽器は存在するのであり,その場合は音を出すということ自体が演奏の第一歩になることは間違いありません。けれどもそれは演奏とはいえません。演奏というのは決まった旋律に則して音を出すということを意味するからです。したがってこの旋律の観念ideaというのは演奏することよりも本性naturaの上で「先立つ」形であるのでなければなりませんが,それは身体がある,あるいは楽器があるといわれるような意味で,知性intellectusの外に形相的にformaliterあるのではありません。知性のうちに客観的にobjectiveあるのです。
 この場合と同じように,ある道具を使用するという場合も,その道具を使用する目的あるいは方法といったものが前もって知性のうちにあるのでなければ,僕たちは正しい意味でその道具を使用したことにはなりません。たとえば包丁は調理のために食材を切る道具であって,それが正しいとされる使用法です。包丁で俎板を叩けば音が出ますが,そのような楽器の一種として包丁を用いる技術を習得したとしても,それは包丁という道具を正しい意味で使用する技術を習得したとはいえないでしょう。ですから何であれ,道具を使用する技術を習得するためには,その道具の正しい使用法というのを知っているのでなければならないのです。
コメント
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