スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

NARグランプリ&目標

2019-01-21 19:29:03 | 地方競馬
 昨年のNARグランプリの競走馬部門は16日に発表されました。
                                
 年度代表馬は船橋のキタサンミカヅキプラチナカップ,アフター5スター賞,東京盃に優勝。昨年は地方馬による大レース制覇なく,その中で中央に遠征してJBCスプリントとカペラステークスで3着に入ったこの馬が選出されるのは妥当なところ。部門別では4歳以上最優秀牡馬と最優秀短距離馬。27日の根岸ステークスに出走を予定しているようです。現状はこの路線が、地方馬が中央馬に対して最も戦える路線になっています。
 2歳最優秀牡馬は北海道のイグナシオドーロ。北海道重賞のブリーダーズゴールドジュニアカップに優勝。北海道2歳優駿は記録上は2着ですが,実際に先着していたのはこちらであったという点が評価に影響したのだろうと思います。現在は川崎に移籍しています。2019年2月28日に,記録上もこちらが優勝と変更になりました。
 2歳最優秀牝馬は大井のアークヴィグラス。北海道重賞のフルールカップ,リリーカップを連勝後にエーデルワイス賞を制覇。南関東に転入してローレル賞,東京2歳優駿牝馬も優勝して現時点で5連勝中。文句なしでしょう。
 3歳最優秀牡馬は大井のクリスタルシルバーマイルグランプリを優勝。この部門はどの馬が選出されるか予測もできなかったのですが,ジャパンダートダービーで4着になったのが高く評価されたようです。ただ,もしマイルグランプリを勝っていなければ未勝利でしたから,別の馬の選出になったと思われ,この馬にとっては価値ある勝利になりました。
 3歳最優秀牝馬は川崎のゴールドパテック。この馬もロジータ記念のトライアルレースを勝っただけ。関東オークスで2着になったのが評価されました。地区重賞も勝っていない馬の選出は珍しいのではないでしょうか。
 4歳以上最優秀牝馬は高知のディアマルコ。佐賀ヴィーナスカップ,兵庫サマークイーン賞,秋桜賞と,佐賀,兵庫,名古屋の地区重賞を制覇。能力だけならこの馬より上という馬もいるのですが,実績からはこの馬の選出となるでしょう。
 最優秀ターフ馬は北海道のハッピーグリン。盛岡のオーロカップに優勝。JRAで500万と1000万を勝ち,オープンでも4着と3着。ジャパンカップも一桁着順で,相対的評価からはこの馬が断然ということになります。
 ダートグレード競走特別賞馬はユニコーンステークス,ジャパンダートダービー,南部杯,チャンピオンズカップを勝ったルヴァンスレーヴ。地方競馬だけの実績だとケイティブレイブでもおかしくないのですが,より強い馬が選ばれたという意味では僕は歓迎します。
 ばんえいはこのブログでは扱っていないので割愛。昨年1月に死亡したサウスヴィグラスが特別表彰馬に選出されました。現役当時も地方で活躍しましたし,種牡馬として数多くの活躍馬を残した功績を合わせての受賞です。

 スピノザは政治論を構築する上でも国家論を構築する上でも,その基礎に自身の哲学を置いています。ですから,すべての人間が理性ratioに従って生活するようになることは,理想ではあったとしても,第四部定理四系から,あくまでも理想であり,非現実的であるとみなしていました。だから第五部定理四二備考では,このような理想が実現することは稀であるという主旨のことがいわれているのです。このために次善の策として,あたかもすべての人間が理性に従っているかのような社会societasの構築を目指したのだと思います。いい換えればそれは,現実主義的な政治論でありまた国家論であったといっていいのではないでしょうか。
 このような現実主義がはっきりみてとれるのが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』です。スピノザはその中で,新約聖書を称揚しています。聖書の教えに従うというのは,聖書への服従obedientiaであり,受動passioです。スピノザが道徳律として目指す能動actioとは正反対です。ですが聖書の教えに従っている限り,人間はあたかも理性に従っているかのように生活することができるとスピノザは確信していました。コレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaに記述され,『破門の哲学』でも紹介されている,スぺイクHendrik van der Spyckの妻に対するエピソードも,おそらくはスピノザの本心であったのだと思います。
 したがって,哲学を離れて現実をみるなら,必ずしも自然の秩序ordo naturaeから脱して知性の秩序に入ることだけが人間にとっての目標となるわけではなく,知性の秩序が齎す結果effectusから程遠い自然の秩序を脱し,知性の秩序から生じる結果に近似した自然の秩序へ移行することも,人間にとっての目標となり得ることになります。つまり同じ自然の秩序でも,ある様式から別の様式へと移行することが,あるいは他者を移行させることが,ひとつの目標となり得るのです。ただし,これが目標となり得るのは,自然の秩序を脱して知性の秩序へ入ることが,非現実的であったからです。よって,ある自然の秩序の様式から別の様式へ移行することが,同じように非現実的であったとしたら,それは目標とはなり得ません。むしろこうした移行は,自然の秩序から知性の秩序への移行より容易になされ得るのでなければなりません。
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