スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&秩序から秩序への移行

2019-01-29 19:00:50 | 将棋
 27日に出雲文化伝承館で指された第45期女流名人戦五番勝負第二局。
 里見香奈女流名人の先手で中飛車,伊藤沙恵女流二段が三間飛車の相振飛車でしたが,後手がすぐに3筋の歩を交換したのをみて,先手が居飛車に戻して押さえ込みを狙う展開になりました。先手が早めに左の銀を進出させているので,後手の指し方は軽率であったのかもしれません。
                                      
 後手が銀を上がったところ。後手から交換した3筋を後手だけが受けているので失敗にも思えますが,先手も中飛車から居飛車に戻しているので,致命的なものではなかったと思います。
 ここで先手は☗3五歩と合わせていきました。☖同歩☗同銀は2筋を突破されてしまうので☖4二角。先手は☗3四歩と取り込み☖同銀に☗5五銀と出ていきました。
 後手は長考して☖5四歩と突いたのですが,これは☗4四銀☖6四角のときに☗4六角と出られ,☖同角☗同歩で角交換。そこで☖4二飛と寄る手に対して☗6六角と打たれて大きな差をつけられてしまいました。
                                      
 長考したところで☖4三銀と受けると☗2四歩と突かれてやはり後手が悪いようですが,どちらかならそちらの順を甘受するべきだったのではないかと思います。この後,先手は6六に打った角を取らせて攻め合ったのですが,それは危険で差が詰まりました。ただはっきりと逆転したというところまではいっていなかったようです。
 里見名人が連勝。第三局は来月10日です。

 これでトイレトレーニングがなぜ自然の秩序ordo naturaeと関係しているのかも理解できたと思います。すなわちトイレトレーニングとは,無秩序という自然の秩序の下に自分の精神mensのうちに生じていた自分の身体corpusに関するある状態についての表象像imagoを,それとは別の表象像と関連させることによって,秩序として意識可能な自然の秩序の下へと移行させる訓練なのです。つまり,僕たちにとってトイレトレーニングというのは,自然の秩序の様式を移行させることを求められているのだと僕は考えるのです。
 ここでは無秩序から秩序として意識づけることが可能な秩序への移行を説明しました。これはトイレトレーニングがそういう訓練であるからです。ですが,スピノザの哲学の下では,すでに確定している自然の秩序の様式を,それとは別の自然の秩序へと移行させることも,人間にとって有益である場合があります。これはすでに説明したように,現実的に存在する人間は受動passioを免れることができないため,理性ratioに従って生きていくことと同じように,受動という状態に隷属したままであっても,あたかも理性に従って生活しているかのような状態で生きていくことも目標となり得るからです。よって,理性に従った生活からはおおよそかけ離れた自然の秩序の様式の下に事物を表象している人間が,その基となっている表象像をその秩序とは別の観念ideaと関連付けることによって,理性に従っているかのように表象像を連結させられるのであれば,人間にとってそれは有益であるということになるのです。つまり,Aの表象像からBの表象像へ,そしてCの表象像へと移行してくことが理性に従った生活とは程遠いとき,もしAの表象像をXの表象像と関連させられるなら,XからはYという表象像が発生し,これは理性に従っているのと同じ行動を産出するということであれば,この人間にとってAの表象像をXの表象像と意図的に関連させていくことは目標となり得ますし,その人間以外の人間が,その人間に対してAを表象すればBでなくXを表象するように仕向けていくこともまた目標となり得るのです。新約聖書はスピノザにとってそういう書物だったといえるのではないでしょうか。
コメント
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