スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

岡田美術館杯女流名人戦&困難と容易

2019-01-22 18:56:43 | 将棋
 20日に岡田美術館で指された第45期女流名人戦五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流名人が11勝,伊藤沙恵女流二段が3勝。
 岡田美術館館長による振駒で伊藤二段の先手。里見名人の5筋位取り中飛車に先手が右の金銀を盛り上げていくという趣向に。中盤のやり取りで差がついた将棋だったのではないでしょうか。
                                     
 銀冠を目指した後手に対して先手が2八の飛車を浮いた局面。この手はたぶん疑問手で,☗1六歩と指すのがよかったのではないかと思います。
 後手はここで☖4四歩と突き☗同歩☖同角と交換。飛車取りなので☗2八飛と逃げました。このままだと2筋を突破されるので後手も☖3三角と受けました。
 今度は先手から☗3五歩と突き☖同歩に再び☗2六飛。後手はここで長考して☖3二飛と寄りました。
 先手は☗3五銀と取り後手は☖3四歩と角の頭を受けました。☗同銀は☖4四角で飛車銀両取り。受けるには☗3六飛しかありませんが☖3五歩で駒損が確定。なので☗4六銀と引きました。後手は今度は☖4二飛と4筋へ。
                                     
 この手順で先手が困っているようです。☖4五歩と打たれてはいけないので相手の打ちたいところに打てと☗4五歩ですが,☖4四歩と合わせられ☗同歩☖同角がまた飛車取り。☗2八飛と逃げたところで今度は2筋を放棄して☖3三桂と跳ねる手が大きく,ここからの攻め合いは後手に分がありました。
 里見名人が先勝。第二局は27日です。

 現実的に存在する人間が自然の秩序ordo naturaeを脱して知性の秩序に入り,理性ratioに従って生活していくということは第五部定理四二備考で示されているように稀です。それが稀にしか生じないのは,現実的に存在している人間にとってそれがとても困難だからと解してよいでしょう。これと比較するなら,ある自然の秩序を脱して他の自然の秩序へと移行することは容易です。第四部定理三三はそのことを意味することができると僕は考えるconcipereのです。なぜならこの定理Propositioによれば,現実的に存在する人間は受動passioという感情affectusに従属する限り,いい換えれば自然の秩序に従っている限りでは,同一の人間であっても不安定であるといっています。この不安定ということの意味は,ある単独の自然の秩序の様式に従っていることは少なく,あの秩序の様式からこの秩序の様式へ,またかの秩序の様式へと次つぎに移ろいでゆくということだと解せるからです。すなわち現実的に存在する人間は,受動に属している限り,自分が意図しているところと無関係に,自動的に自然の秩序の様式を移行しているのです。ですからこの移行が容易であることは,少なくともこのことから明らかでしょう。
 ただし,これは自動的に移行しているのですから,本来的な意味においては困難であるとか容易であるというのとは違います。というのは僕たちはある事柄を意識した上で,それをなすことが困難であるといったり容易であるといったりするのだからです。意図せざるところでなしていることは,僕たちが困難であるとか容易であるとか判断する対象にならないといわなければならないでしょう。よって実際には,意図的にある自然の秩序の様式から別の自然の秩序の様式へと移行することが,自然の秩序から知性の秩序へと移行することよりも容易であるといえるのかということを検証しなければなりません。
 これを検証するために必要なのは,僕たちがいかにしてある様式から別の様式へと移行するのかということです。もし意図的にこの移行をなす場合には,前もってその移行の方法を知っておかなければならず,方法を知るためにはその仕組みがどうなっているのかを知っておかねばならないからです。
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