スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

狂犬&カオスとコスモス

2019-01-26 19:00:09 | NOAH
 『外国人レスラー最強列伝』の第9章は狂犬といわれたディック・マードックです。
                                     
 僕は知らなかったのですが,マードックは1968年2月に日本プロレスに参戦したのが初来日。そして1971年11月,1972年3月と,日本プロレスに3度も参戦していたそうです。1972年は馬場が全日本プロレスを旗揚げした年。そして1973年6月には国際プロレスにも参戦していたそうです。
 同じ年の10月に全日本プロレスで仕事をするようになりました。このことは知っていましたが僕はマードックの全日本プロレスでの試合内容はよく知りません。ただ,ジャンボ・鶴田を破ってUNの王者になっていますので,それなりの評価は受けていたものと思います。そして1981年からは新日本プロレスで試合をするようになりました。僕のプロレスキャリアが始まってすぐ,世界最強タッグ決定リーグ戦へのハンセンの乱入があったのですが,直前までハンセンは新日本プロレスのMSGタッグリーグ戦に出場していて,そのときにハンセンのパートナーを務めていたのがマードックです。ですから僕にとってマードックは新日本プロレスの外国人レスラーです。
 門馬はマードックが全日本で試合をするようになったのは馬場がプロモーターとして評価していたからだといっています。シングルの王者になっていますから,これは嘘ではないと思います。しかし一方で,馬場はマードックに対しては辛辣な評価もしています。馬場によればマードックという選手は,ファイトマネーに見合った仕事しかしないタイプで,プロレスラーとしての向上心に欠けていたとのことです。門馬の記述の中にも,マードックは気を入れたらいい試合をするけれどちゃらんぽらんな性格であるという主旨の馬場の発言がありますので,こちらの評価もまた嘘でもないのでしょう。ただ全日本を裏切って新日本に移籍した選手への評価ですから,いくらかのバイアスは必要かもしれません。

 当人にとっては無秩序であると感じられても,実際にはそこには秩序ordoがあるのだということは,その無秩序が秩序付けられていくことによってはっきりと分かります。再び同じ例を用いたとしましょう。
 この人がまた同じ観光地を観光したとしましょう。今度は初見のときと違い過去の経験がありますから,この人は単に感じたことを第二部定理一七の様式で知覚するだけでなく,第二部定理一八の様式で想起することもあるでしょう。そしてそのような経験を何度か重ねていくうちに,その観光地においてどこを訪問し,どこを訪問先から除外するべきかということを理解していくようになります。これは明らかに無秩序な表象imaginatioとして感じられていたものを,秩序立てて表象していく営為であるといえるでしょう。これは一例ですが,たとえばこのような方法でこの人が自分の表象像imaginesを秩序立てていく,ある特定の思惟作用と関連付けていくことによって,何の関連性もなくただ表象だけをしている場合も,実際にはそこに何らかの秩序があった,自分には理解できなかったとしても,確かに秩序はあったのだということが理解できるでしょう。確かに僕たちは,カオス的なものをコスモス的なものにすることを秩序立てるというのですが,コスモス的なものができることによって,カオス的なものもまた秩序であるということは理解できるのです。
 ただしここでも注意しなければならないのは,カオス的なものがコスモス的なものになったからといって,それは自然の秩序ordo naturaeの様式が移行したと断定できるわけではないということです。上述の例は様式が移行しているといえると僕は考えますが,カオス的なものがコスモス的なものになること自体を自然の秩序の様式の移行であると僕がいっているわけではないということには注意してください。あるコスモス的なものが別のコスモス的なものになる場合も同様で,それは自然の秩序の様式の移行の場合もあるでしょうが,そうではない場合もあるでしょう。
 実際に僕たちがどのように自然の秩序を秩序としてみなしていくようになるのかということは,スピノザが表象の動揺について説明している部分が参考になります。
コメント
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