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スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

女流王位戦&交友関係

2025-06-13 15:38:26 | 将棋
 樫野俱楽部で指された昨日の第36期女流王位戦五番勝負第四局。
 福間香奈女流王位の先手で5筋位取り中飛車。後手の伊藤沙恵女流四段は雁木に構えました。
                       
 先手が4八の飛車を寄ったところですが,この手が悪手でこれ以降は苦しいという先手の感想が残っています。しかしこの図はそこまで先手が苦しいようには思えないので,僕は不思議な感想という気がしました。
 後手は☖5六歩と突きました。ごく自然な手という気がしますが,もしかしたら先手はうっかりしていたのかもしれません。6分ほど考えて☗同金と取りました。
 ここは☗3九角と逃げる手も有力だったと思います。先手から☗8五桂の狙いが残っていますので,☖5五銀でも☖3六歩でもそう簡単に攻め合い負けをするような局面とは思えません。
 ☗同金の場合は☖5五歩が継続手。ここで☗7五角と取っていきましたがこれが最大の疑問手だったような気がします。ここは☗7六歩と打ち,☖5六歩なら☗7五歩,☖同銀なら☗6六金として,駒損をしないように指せばまだ難解な形勢であったのではないでしょうか。
 伊藤女流四段が勝って2勝2敗。第五局は25日に指される予定です。

 デカルト主義者であったグレフィウスohann Georg Graeviusと,デカルトRené Descartesの哲学を否定しようとしたスピノザは,思想的には一致していなかったのは間違いありません。とりわけ,スピノザが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』において,聖書は真理veritasを教えているのではなく服従obedientiaを教えているのだと指摘している点は重要で,当時のデカルト主義者にとっては,この説は著しく受容し難いものでした。だから同じようにデカルト主義者であったフェルトホイゼンLambert van Velthuysenは,『神学・政治論』をかなり正確に解釈した上で,スピノザのことを無神論者であると非難するに至ったのです。このような見解opinioは,グレフィウスにとっても同様であったと思われます。
 だからといって友人としても付き合わないというような態度をスピノザが取ったということはありません。それはシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesから借りていた大事な文書をグレフィウスに対して又貸ししたということが何よりの証拠であるといえます。また,上野がいうように,『神学・政治論』がオランダ語に訳されようとしているということをスピノザに教えたのがグレフィウスであったとすれば,それはスピノザの身の安全を考慮した上での忠告であったと考えるほかありません。スピノザがその動きを阻止するようにイエレスJarig Jellesに求めたのは,自身の身の安全を第一としたからだとしか考えられないからです。これはあくまでも上野の,あるいはメインスマの考え方であって,史実と確定できるわけではありませんが,グレフィウスのスピノザに対する態度もまたスピノザがグレフィウスに対してとったものと同様であったと思われます。そうでなければスピノザの態度を説明することができないからです。そしてたぶん,スピノザとフェルトホイゼンの関係もこれと似たようなものであったのでしょう。
 スピノザはブレイエンベルフWillem van Blyenburgに対しては絶縁とも受け取れる書簡二十七を送っています。だからスピノザはだれとでも交友関係を保とうとしていたわけではありません。ただフェルトホイゼンやグレフィウスはスピノザがいうところの独断論者dogmaticiであるのに対し,ブレイエンベルフは懐疑論者scepticiでした。そこの差がスピノザにとっては大きかったのだろうと僕は思います。

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