昔々、どれくらい昔かと言うと歴史がまだ生まれる前。
「約束の地」とされたカナンに君臨した神がいた。名をバアル(主、の意味)。バアル・ゼブル(気高き主)と呼ばれ雷鳴と慈雨の神とされた。
しかし、後の世では邪教神とされバアル・ゼブルをもじってバアル・ゼブブ(蝿の主、ベルゼバブ)と呼び「悪魔の王」とされるようになった。
(後の世のバアル・ゼブブ)
これはまだバアルが「蝿の主」ではなく「気高き主」と呼ばれた時代の話。
舞台はカルタゴ。紀元前800年頃に建国された北アフリカのこの国は共和政ローマがイタリア半島を支配した頃にはその海軍力を持って地中海の覇者となりつつあった。
(当時のカルタゴの領土)
海賊顔負けの軍事力で地中海の各都市を手中に収め、また以前からの交易力で財を成しつつあった。
その力と対抗しつつあったのが当時はまだまだ弱小の新興国に過ぎなかったローマ。
ローマにとってみると正にカルタゴ領シチリア島は長靴の前の石。ローマ人が「マーレ・ノストゥルム」(我らの海)と呼ぶ地中海を本当に彼らのものにするためにはどう考えてもシチリア島を押さえているカルタゴが邪魔。当時は「カルタゴ人でなければ地中海で手も洗えない」と言われたほどだった。
広大の海の中にあるひとつの島シチリア。
大国カルタゴと新興国ローマの1世紀に渡る戦争はまずこの島の覇権争いから始まる。
これらの戦争は「ポエニ戦争」と呼ばれていますが、まず紀元前264年、後に「第一次ポエニ戦争」と呼ばれるものが勃発します。
シチリア島は地中海内では大き目の島とは言え、あくまで島であり、対岸同士のカルタゴとローマの戦いですから多くは海上戦になることが必至。そして海上戦であれば負け知らずのカルタゴ。誰もがカルタゴ有利の予想をしていました。
しかしここでローマの「勝てばよかろう主義」が功を奏します。
余談ですが未だにローマ人はサッカーでも「勝てばよかろう主義」。綺麗なサッカーをやるつもりなどまるでなく、なんとか1点取ったら後は守りきればよい、という戦法。僕は個人的に嫌いじゃありません。
海上戦では明らかに不利な自分たちが海上戦で勝つにはどうすればいいか。「そうだ、船を繋いで陸続きにしてしまえばいいではないか!」どこかで聞いたような戦法ですがその戦法を取ることにします。
彼らが考えた装置は「カラス装置」と呼ばれるもの。
まるでカラスが餌をついばむかのような装置を自船に装着し、カルタゴ船に近寄っては甲板にその装置をぶつけ船と船を繋いでしまう、というもの。
海に生き船と共に育ったカルタゴ人にとっては船とは自らの誇りであり、その船にそんな不恰好なものをくくりつけるローマ人の気が知れませんでした。
しかし相手は勝てばよかローマ人、この装置と持ち前の白兵戦の強さで並み居るカルタゴ海軍を撃破し続けます。
戦線ではローマの「カラス」の前に多くの船が沈没し、遠く離れた本国では戦争反対の一派が政権を握り、無敵を誇ったカルタゴ海軍はこのポエニ戦争で初めて敗北を知ることになります。
ローマ、カルタゴ間においてカルタゴに圧倒的不利な講和条約を結ぶことで第一次ポエニ戦争は終結を迎えます。
講和条約にはカルタゴはローマに対して多大な賠償金を支払う、という条約もありました。
ここで賠償金の代わりに支払われなくなったのが傭兵たちへの給与。カルタゴ軍のほとんどは職業的傭兵によって構成されており、彼らは国を守る、ということよりもその賃金のために命をかけていたのでした。
しかし、カルタゴ本国はローマに賠償金を支払わなければいけなくなってしまったため、傭兵への賃金を拒否します。当然、それに怒った傭兵たち、内乱を起こします。
カルタゴ本国はある将軍にその鎮圧を命じます。先の戦争では傭兵軍の隊長として傭兵を率いていた彼らが今度は部下たちを敵として戦わなければいけません。それもすべて祖国のため。
この両名の活躍によってなんとか傭兵内乱は鎮圧されるものの実は更に悪い出来事が待っていました。この乱に乗じたローマ軍がなんとコルシカ島とサルデーニャ島まで治めてしまったのです。
第一次ポエニ戦争前までは地中海はカルタゴ人のものでした。しかし今となっては地中海にある大きな3つの島がローマのものとなり、更には多大な賠償金を支払う必要があるのでカルタゴは軍備の再編成もままなりません。
傭兵内乱をおさめた将軍。傭兵内乱制圧によりその武名は高く北アフリカに轟きますが、しかし彼の心の中にはローマ戦での敗北と、部下であった傭兵たちを殺したわだかまりが闇のように広がっています。
彼は打倒ローマを誓い、対ローマに温厚戦略を取るカルタゴ本国から距離を置くべくヒスパニア(現スペイン)に向かいます。
彼はカルタゴの支配が手薄なここでカルタゴ・ノヴァ(新カルタゴ)という一種の独立国の建国を計画し軍備を整えローマへの復讐の準備を行います。
ある日、彼はまだ幼い自分の子供を伴って神殿へ向かいます。
そして神バアルに誓います。
「我が家族名バルカは雷光の意。我が身を雷光として必ずローマを倒す。そして我が子の名は『主、バアルが愛するもの』の意。たとえ我が身は滅びても我が子がバアルの力を借りて必ずローマを倒す。」
まだ幼きこの子の名は「バアルが愛するもの」、そして先祖から受け継いだ家族名バルカは「雷光」の意。
そう、彼の名はハンニバル・バルカ。
…to be continued...
「約束の地」とされたカナンに君臨した神がいた。名をバアル(主、の意味)。バアル・ゼブル(気高き主)と呼ばれ雷鳴と慈雨の神とされた。
しかし、後の世では邪教神とされバアル・ゼブルをもじってバアル・ゼブブ(蝿の主、ベルゼバブ)と呼び「悪魔の王」とされるようになった。
(後の世のバアル・ゼブブ)
これはまだバアルが「蝿の主」ではなく「気高き主」と呼ばれた時代の話。
舞台はカルタゴ。紀元前800年頃に建国された北アフリカのこの国は共和政ローマがイタリア半島を支配した頃にはその海軍力を持って地中海の覇者となりつつあった。
(当時のカルタゴの領土)
海賊顔負けの軍事力で地中海の各都市を手中に収め、また以前からの交易力で財を成しつつあった。
その力と対抗しつつあったのが当時はまだまだ弱小の新興国に過ぎなかったローマ。
ローマにとってみると正にカルタゴ領シチリア島は長靴の前の石。ローマ人が「マーレ・ノストゥルム」(我らの海)と呼ぶ地中海を本当に彼らのものにするためにはどう考えてもシチリア島を押さえているカルタゴが邪魔。当時は「カルタゴ人でなければ地中海で手も洗えない」と言われたほどだった。
広大の海の中にあるひとつの島シチリア。
大国カルタゴと新興国ローマの1世紀に渡る戦争はまずこの島の覇権争いから始まる。
これらの戦争は「ポエニ戦争」と呼ばれていますが、まず紀元前264年、後に「第一次ポエニ戦争」と呼ばれるものが勃発します。
シチリア島は地中海内では大き目の島とは言え、あくまで島であり、対岸同士のカルタゴとローマの戦いですから多くは海上戦になることが必至。そして海上戦であれば負け知らずのカルタゴ。誰もがカルタゴ有利の予想をしていました。
しかしここでローマの「勝てばよかろう主義」が功を奏します。
余談ですが未だにローマ人はサッカーでも「勝てばよかろう主義」。綺麗なサッカーをやるつもりなどまるでなく、なんとか1点取ったら後は守りきればよい、という戦法。僕は個人的に嫌いじゃありません。
海上戦では明らかに不利な自分たちが海上戦で勝つにはどうすればいいか。「そうだ、船を繋いで陸続きにしてしまえばいいではないか!」どこかで聞いたような戦法ですがその戦法を取ることにします。
彼らが考えた装置は「カラス装置」と呼ばれるもの。
まるでカラスが餌をついばむかのような装置を自船に装着し、カルタゴ船に近寄っては甲板にその装置をぶつけ船と船を繋いでしまう、というもの。
海に生き船と共に育ったカルタゴ人にとっては船とは自らの誇りであり、その船にそんな不恰好なものをくくりつけるローマ人の気が知れませんでした。
しかし相手は勝てばよかローマ人、この装置と持ち前の白兵戦の強さで並み居るカルタゴ海軍を撃破し続けます。
戦線ではローマの「カラス」の前に多くの船が沈没し、遠く離れた本国では戦争反対の一派が政権を握り、無敵を誇ったカルタゴ海軍はこのポエニ戦争で初めて敗北を知ることになります。
ローマ、カルタゴ間においてカルタゴに圧倒的不利な講和条約を結ぶことで第一次ポエニ戦争は終結を迎えます。
講和条約にはカルタゴはローマに対して多大な賠償金を支払う、という条約もありました。
ここで賠償金の代わりに支払われなくなったのが傭兵たちへの給与。カルタゴ軍のほとんどは職業的傭兵によって構成されており、彼らは国を守る、ということよりもその賃金のために命をかけていたのでした。
しかし、カルタゴ本国はローマに賠償金を支払わなければいけなくなってしまったため、傭兵への賃金を拒否します。当然、それに怒った傭兵たち、内乱を起こします。
カルタゴ本国はある将軍にその鎮圧を命じます。先の戦争では傭兵軍の隊長として傭兵を率いていた彼らが今度は部下たちを敵として戦わなければいけません。それもすべて祖国のため。
この両名の活躍によってなんとか傭兵内乱は鎮圧されるものの実は更に悪い出来事が待っていました。この乱に乗じたローマ軍がなんとコルシカ島とサルデーニャ島まで治めてしまったのです。
第一次ポエニ戦争前までは地中海はカルタゴ人のものでした。しかし今となっては地中海にある大きな3つの島がローマのものとなり、更には多大な賠償金を支払う必要があるのでカルタゴは軍備の再編成もままなりません。
傭兵内乱をおさめた将軍。傭兵内乱制圧によりその武名は高く北アフリカに轟きますが、しかし彼の心の中にはローマ戦での敗北と、部下であった傭兵たちを殺したわだかまりが闇のように広がっています。
彼は打倒ローマを誓い、対ローマに温厚戦略を取るカルタゴ本国から距離を置くべくヒスパニア(現スペイン)に向かいます。
彼はカルタゴの支配が手薄なここでカルタゴ・ノヴァ(新カルタゴ)という一種の独立国の建国を計画し軍備を整えローマへの復讐の準備を行います。
ある日、彼はまだ幼い自分の子供を伴って神殿へ向かいます。
そして神バアルに誓います。
「我が家族名バルカは雷光の意。我が身を雷光として必ずローマを倒す。そして我が子の名は『主、バアルが愛するもの』の意。たとえ我が身は滅びても我が子がバアルの力を借りて必ずローマを倒す。」
まだ幼きこの子の名は「バアルが愛するもの」、そして先祖から受け継いだ家族名バルカは「雷光」の意。
そう、彼の名はハンニバル・バルカ。
…to be continued...