浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ノーサイド

2010-06-30 21:52:18 | スポーツ
もし息子が生まれたらやらせたいスポーツはラグビーかアイスホッケー。なんたって男が一番かっこよく見えるスポーツだと思うんだもの。

もちろんサッカーもいいけど僕の気質として「多くの人と違うことやるのがいい」ってあるからやっぱり日本では(サッカーや野球に比べると)マイナーなラグビーとかアイスホッケーいいねぇ。

父親がやってたから、ってこともあるかも知れないけどラグビーかなり好きなんだよね。

ラグビーのどこが一番好きかというともちろんいろいろあるけど「ノーサイド」という言葉で終わるとこってのは好きだなぁ。

普通、スポーツというのはだいたい「ゲームセット」で終わる、つまり「ゲームが終わった」という意味ね。

でもラグビーは違う、「ノーサイド」で終わる。つまり「味方サイドも敵サイドも無くなって」終わる。これって素敵なことだと思いませんか?

人生というゲームはいつまでも続く、でも時にサイドなんて無くなってしまう。いや、むしろサイドなんて元から無いのかも知れない。

日本対パラグアイ戦、最後のPKが決まりパラグアイの勝利が決まった瞬間。

パラグアイのバルデスという選手が駒野のところに駆け寄った。泣きじゃくる彼を抱きしめ何かを言っているようだった。何を言ったかは分からない、スペイン語だから言われた駒野も分かってないかも知れない。でも駒野は確かに何度か頷いていた。



少なくとも僕にとってはこのシーンが今のところワールドカップ南アフリカ大会で最も美しいシーンだったと思う。

サッカーだって時に「ノーサイド」で終わることはあるんだ。



【追記】
あきさんが言ってたけど、このときバルデスは駒野にこう言ったらしい。

「お前が外したゴールは俺がスペインゴールにぶちこんでやる」
(ちなみにスペインは次の対戦相手)

そして、試合後の松井(駒野と同い年で仲良し)のコメント。

「ちょっと残念でしたけど、駒野を今日、酒に誘って死ぬまで飲ませたいと思います。」

サッカー選手の精神はなんて美しいんだろう。

いや、もっとも美しいのはサッカーというスポーツそのものなのかも知れない。

彼は十分走った。

2010-06-30 01:47:21 | スポーツ
オシムの発言で僕が一番好きな言葉。

試合後のインタビューで記者から聞かれた。

「後半45分にディフェンダーがシュートを外しましたね」

オシムは言った。

「人は誰だってミスをする。それよりもなぜあなたは後半45分にディフェンダーの彼がゴール前まで走りこんでいたことを評価しないのか?」

その通り。

人は誰だってミスをする。人生なんてミスだらけだ。

PKなんて運みたいなもの。

あのロベルト・バッジョだってワールドカップの決勝でPKを外した。

イタリアの絶対的エースのバッジョがPKを外したとき、相手キーパーのタファレルはバッジョに言った。

「それでもあなたは偉大だ」

PKを外した選手が120分どれだけ走っていたか、懸命にボールを追っていたか僕は知っている。

いま僕が言えることは只ひとつ。

Good game.

うん、いいゲームだった。

大丈夫、連立方程式だって役立つよ

2010-06-29 00:24:07 | 日記
僕の財布の中にしばらくANAの売店で使える商品券が入ってたんです、2000円分の。

飛行機の座席アップグレードしたときに急だったんで「申し訳ございませんが機内食がご用意出来ませんのでこちらを」ってもらったの。

はっきり言ってこっちとしては大変申し訳ないけど美味しくも無い(というのはさすがに失礼か、口に合うとは限らない)機内食を無理くり出されるよりは2,000円のタダ券のほうがいい。お土産に使えるしね。

わーい、と思ってんたんだけどついつい使うの忘れてて「あー使っちゃわないとなぁー」と思ってんですよ。

その商品券には「発行日:APRIL 22」、「発効日より90日間有効」と書いてあったのね。

で、6月28日に空港のANAショップでその券出したのよ。

そしたらレジの人がまず、APRILがわかんない感じ。カレンダーめくって確かめる、4月と分かる、そのうえ4月22日に90日間足したら何日になるかわかんない感じで電卓取り出したんだけどわかんなくて、電話で問い合わせて、、と結構大変な目に。「ああ、面倒な券出しちゃって申し訳ないなぁ」という気持ちとともに「大丈夫かいな」と思ったよね、さすがに。


訳あって僕いまは教育関係の仕事をしています。(どのツラ下げてこのツラ下げて)

そこで「おいおい大丈夫かいな」と思うことは多い。自分のことはあえて棚に上げさせて頂いてね。

たとえば先日見かけた高校1年生なんて「2割引」と「40パーセントオフ」のどっちがお徳かわかってなかった。

村上春樹の小説で、

「そのレジの女性はマネージャーに確認しなければ水曜の次に何曜日が来るのかすら解らなそうだった」

って感じの一節があったと思うけど、ほんとそんな感じで不安になる。

勉強ってさ、僕だって大してしてないけど出来れば中学生の内容、いやいやせめて小学校で習う内容くらいは分かってないと生きてくの大変だと思うんだよね。

「学校の勉強なんて何の役に立つ?」って僕だって学生の頃思ってたけどこの年になって(今年で25歳)その疑問には「大丈夫!役立つ!」と答えられる。

まずね、「こんなの何の役に立つんだろう、って思うことを人(先生とか)から強制させられて、やる」って経験が非常に役立つ。

だって仕事してたらそんなことばっかりじゃん!(笑)

お客さんや上司に言われて「え~こんなの意味あるの~?」って思うことをやらなきゃいけないことが多々あるよね。そういうときに凹まないように学校で訓練しといたほうがいいと思う。

一番役に立ちそうもない「数学」だって役立つよ。個人的には僕は数学が世界で一番役立つ学問だと思ってるし。

たとえば二次方程式なんてさ、中学生の頃「なんじゃこれ」って思ってたけどやっぱり役立つ。

二次方程式を解く必要なんて大人になってそうそう無いけど、そういう「考え方」をしなければ行けない場合って結構ある。

連立方程式ってたとえば、
--
5x+y=11
3x+y=7
--
で、xとyを求めよ、ってやつね。

「加減法」か「代入法」で解くんだけど、これって
---
A店は売り上げが上がってる。
B店は儲かってない。
さぁどうにかせい
---
と言われたときと似てる。

A店の要素を分解していって(これも因数分解に近い)「これが成功のポイントじゃないかな」ってのをB店に代入してさ。


あと「鶴亀算」とかってやらなかった?

「ツルとカメがあわせて8匹、足の数があわせて26本であるとき、ツルとカメは何匹(何羽)いるか。ただしツルの足は2本、カメの足は4本である。」

とか。

鶴亀トンボ算ってのもあった。

「ツルと亀とトンボがいます。頭の個数が合計30個、足の数が118本あり、トンボの頭が亀の頭の2倍よりも2個多いとき、ツルの頭が何個ありますか。」

とかね。

こんなの子供の頃「つーか目で見て数えろよ!」とか「鶴と亀とトンボだ同時にいるってどんな状況よ!」って思ったけど。

あと

「蛇口からは毎時2Lの水が出る、100Lの水槽があるが、穴が開いていて毎秒100CCもれる、水槽には何分後に水がたまるか?」とか。

こっちも「そんな水槽使うなよ!」って思うけどさ。

こういうのがどういう時に役立つかというとたとえばテロリストから「そこに3L入るボトルと5L入るボトルがある。正確に4L測って秤に乗せないと爆弾が爆発する」って指示を受ける、、、ってのはまぁブルース・ウィリスだけだけど(この間、TV放送してましたね)。

話戻すけど、やっぱりこういう「文章題を式にしていく」ってのって論理的思考の訓練でやってない人は上達しない。

僕なんでか小学校6年の時通ってた塾が私立受験コースでこういうの死ぬほどやった。残念ながら数学は中3くらいであきらめてしまったけどその経験ってすごく役に立ってると思う。

だいたいさ、大人になったら「問題を出してくれる」ってほうが少ないじゃん。

「誰も何もわからない。でもお前どうにかしろ」って。

人生ってほとんどそういうもんでしょ?

恋愛だってそうだよ。「女性が怒ってる。でも聞いても『別に』としか答えてくれない。さぁどうしよう」とかさ。

そういう時って自分で「問題」作って自分で解くしかない。誰も答えは教えてくれない、つーか答えなんて無いかもしれない、でも解こうとしないと解けない。

世界ってそういうもの。

そんな世界で生きていこうとしたらまず「勉強」するしかないと思うんだよなぁ。

僕の考えだけどね、「勉強して学習しないと学問にはならない」。

どういうことかと言うと「勉強」は「強いられて勉める」、つまり「無理やりやれと言われてやる」、そして「学習」は「学んで習う」、つまり人に習う、ってこと。

ある程度それらの訓練をするとやっと「学問」、つまり「学んで問う」ことが出来る。「あれ?こういう場合はどうなるのかな?」と自分の中で「問い」が生まれる。

そうなってくると楽しいんだよね~。世の中の有象無象がすべて自分にとっての「問題」になってそれを解く楽しみが無尽蔵に生まれてくる。

その楽しさを味わうためにも面倒でつらいかも知れないけど勉強したほうがいいと思うなぁ。

やっと読み終えましたよ…

2010-06-27 18:30:01 | 村上春樹
やっぱりバイキング料理はオリジナリティが重要ですね。

飲み放題のコーヒーにアイスを入れてみるなんてのはまだまだ初心者で、そばに天ぷら乗っけて天ぷらそばにしてみるとか刺身をご飯に乗っけて適当に海鮮丼作ってみるとか。

はい、温泉行ってきました。でもまぁその話はまったく関係ない。

やっと読み終わったんです。

1Q84 BOOK 31Q84 BOOK 3

別に読み終えたくなかったわけじゃないんですけどね。

もちろん、発売日前に予約して発売日には届くようにamazonに手配していた。

でもねぇ、なんつーか「Book2で終わったはずじゃん、それに何を付け加えるの?」とは思ってたんだけど、うーん、なんというかそういう批判精神があって読まなかったわけでもないんだけど、、、ま、いろいろ思うところはあるね。

発売日に届いてちょっと詠んでみたけど「え?この人の話から始まるの?」と思って「そう言えば前までってどんな話だっけ?」と忘れてて最初の数ページ読んでほっといた。

そこから約2ヶ月経って再度読み始めて2、3日かそこらで読み終えた。

僕の非常に個人的な、偏見に満ちた感想を言うのであれば「うん、よかった」の一言。

物語としてもきっちり決着が着いたし、そこに至るまでのストーリーもよかった。そしてもちろんのこと村上春樹の語り口(乃至は文体)もいつもどおりすばらしかった。

とても深い(社会学的に、宗教学的に)読み方も出来るし、すごく単純な「ガール・ミーツ・ボーイ」ストーリーとも読める。

やっぱり何はともあれ2つの章がクロスしかけるところはドキドキした。

たぶん誰しも寒いベランダに座って公園の滑り台に誰かが来るのをじっと見ているものなかのかも知れない。

でもなぁ、こういう本が何百万部も売れちゃうのはやっぱりよく分かんないよな。

久々でもいいもんはいい

2010-06-22 21:49:24 | 音楽
カップヌードルのCMでセルフパロディしているみたいですが。

Virtual Insanity


たぶん大学時代だったけどこのPV観たときは衝撃的だったよなぁ。

「え?どう撮ってんの?」って感じで。

現代はCG全盛の時代なんでどんな映像見ても「どうせCGでしょ」って思ってしまって「単純に映像で驚く」ってことはなくなった。

でもまだこの時代にはまだそういう衝撃が生きてた。「え?これ実写!?どうやって撮ってるの?」ってね。ある意味、楽しい時代だったと思うな。

しかも曲名が「Virtual Insanity(仮想的狂気、って感じですかね)」、「バーチャル」っていう言葉が新鮮な時代だったわけです。

今となっては「バーチャル」って言葉も古臭いというか少し気恥ずかしい時代になってしまった。

こないだちょっとしたカンファレンスに出たんだけどそのテーマが「バーチャルとリアルの融合」で「いまさら~?」と思ったんだけどね。

ジャミロクワイも当時は「アシッド・ジャズ」全盛でよく聞いたけど最近はあんまり名前も聞かなくなってしまった。

でもいいもんはいいね。

そうそう話は変わるけど、ずっとiPodに入れっぱなしだったけど最近聞いたらよかった曲。

Studio Apartment 「Life From The Sun」


「ヴァイオリン入ってる曲は名曲が多い」というのはドッピオさんの名言だね。イントロからこの曲もヴァイオリンで始まる。

この曲は特に女性ヴォーカルの声がいいね。

いっつも「うーん、素晴らしいなぁ」と思ってしまうのは、4:20あたりの「Heaven」のところ。

あと7:22からのヴァイオリンソロもいい。

いい感じに力が抜けてていいですね。初夏に合う歌なんですわ。

聞いてると上野公園あたり行って芝生の上でビール飲みたくなるね。ああ、よく冷えた白ワインもいいね。

残酷で、そして理不尽で、時に人生を思わせるもの。

2010-06-22 01:18:56 | スポーツ
最近、ちょこちょこ走ってますよ。ええ、いちおうジョギングサークル「ハシレナクテモ」の部長ですから。

それまで「ジョギングなんて何が楽しいんだろう」と思ってた僕がひょんなことから走り出したのは2007年、だから3年前、ってことになるのかな。

その年の春夏はほんとアホみたいに走ってて一番走った月なんて合計100キロ走ってた。もうね、ジョギングが趣味の人はご理解いただけると思うけど中毒になってくるんだよね。

そこからだらだらと走り続けて、2年前くらいに十二指腸潰瘍で入院してからジョギング熱がちょっと冷めたかな。そのころ正直ほら、ジョギングっつーか生きてくので精一杯だったしさー。

で、体調も回復してまぁ昔ほどじゃないけど時間のある限りはね、極力走ってます。

こないだよね3のmixi日記にコメントもしたけど、走ってるとすごく「時間」を気にするようになってくる。

走り始めた当初って自分が何分走ったか、なんてぜんぜん気にしてなくて息の続く限り適当に走ってたんだけど、そのうちやっぱり「自分は何キロを何分で走っているのか?」ってことが気になってくるんだよね。

ついついLAPを測れる腕時計買っちゃったりしてね。

それで思うんだけど本当にランニングタイムというのは残酷で理不尽なもの。

僕はだいたい距離と時間を測るのは皇居をジョギングするときが多い。(近所を走るときは距離なんて測ってない)

皇居は約5キロなんだけど、調子いいときで僕は1周34分。すいませんね、遅くて。

で、疲れてて終盤歩いたりしても40分は切るくらい。

まずねここが理不尽だと思うんですよ。一生懸命走って息を切らして34分、適当に楽して40分、というのが。

もし「楽したらタイムが倍」というなら納得もいく。一生懸命走るのに比べて、最後歩くのって体感で言ったら倍くらい楽でしょ。でも時間はちょっとしか変わらない。

更に理不尽なのは、「とにかく今日は34分を切ろう」と思って一生懸命、いつも一生懸命で34分なのにそれに加えて一生懸命走るとする。

これ、ご理解いただけると思うけど、自分の「一生懸命」から更にがんばるってさー、もう地獄ですよ。

自分が学生だったときも、学校で教えてたときも、そして今の仕事でも思っていることがある。

「30点しか取れない人に倍の60点取らせるのは結構簡単。やれば出来る。でも90点取っている人に100点取らせるのはかなり難しい。」

あ、これあくまで高校か大学くらいまでの受験勉強の話ね。大人になってからの勉強は「二次曲線である」というのが僕の持論だけどそれはまだ今度。

受験勉強で言えば、残された時間のことを考えなければ(たとえば受験まであと1ヶ月、とかじゃなければ)僕は人に勉強教えていたとき、今30点でもまぁ60点くらい、少なくとも平均点取らせる自信はあった。特に高校受験はね。ああいうのって基本的には「やりゃ出来る」、っていう物だから。

日頃がんばってない人、あるいはがんばり方が分からない、がんばり方が見当はずれになっちゃってる、って人をちゃんとがんばらせればまぁまぁ平均点くらい取るようになれる。

でもね、いつも90点の人を100点取らせる、というのはすごく難しい。90点取る人って日頃からがんばってるわけだから。がんばってる上に更にがんばらせる、ってのは大変なんだよね。ついつい「90点取れるんだから後10点なんて簡単に取れるじゃん」と思いがちだけど違うんだよね~。

そうそう、そう嫌つんくも同じようなこと言ってた。「誰だって65点は取れる。でも100点取るのは才能。だから65点を集めてモーニング娘。を作った」って。

話飛んできたんでジョギングの話に戻すけど、34分を切ろうと思っていつもの一生懸命に更に加えてがんばるとするでしょ。その努力たるやいつもの倍くらいの感覚ですよ。

そしてタイムを見る。

33分30秒、だったりするわけ。

「あれだけがんばってたったの30秒かよ!」とぶち切れそうになるんですよ。努力の量で言えばいつもの倍、だからはっきり言ってタイムなんて半分になってくれよ、って思う。

これがねー本当に残酷で理不尽だと思う。

すごく手を抜いて、いつもの半分の努力、でもタイムは4分多いだけ。

でもいつもの倍くらい(のつもりの)努力しても30秒しか縮まらない。

なにさ!

でもね~これが人生だと思うんだよね~。

手を抜いても結果は大して変わらない。でも自己ベストを更新しようと思えばとんでもない努力が必要。

どっちを選ぶか、ってことですね。

走ることって学ぶこと多いんだよなぁ。

何か冷たいモノください

2010-06-20 23:19:22 | 食べ物
いやー、暑いですなぁ、と思ってたら雨が降ったりでちょっと「どうしたらいいのさ!」って天気が続いてますね。

こないだね、大阪行ってたんだけどやっぱり大阪は蒸す。そしてそこから福井に行ったんですよ。

福井もねー、「北陸」っつーから涼しいのかと毎回思うけど、夏はそんなことないよね。

福井も金沢も新潟も夏は暑い。なんでだろう?山があって盆地だからですかね?

福井鉄道の福井駅のベンチに誰か座ってる。

近づいてみると恐竜。

こういうの嫌いじゃないです。

えーっとなんで福井は恐竜なんだっけな?化石が見つかったんだっけ?そういえば世界三大恐竜博物館は福井と中国とカナダにあるんだよな。カナダ!?(←昔、はやった)

そいで福井と言えば恐竜とソースカツ丼。

群馬が発祥という話もあって、群馬出身の人ともめた覚えがあるけど。ま、ソースカツ丼の発祥地なんて誰も興味ないですわ。なーんてこと言うとまたもめる。

めちゃくちゃ暑い福井の駅前でご飯食べようと思ったらソースカツ丼屋があったんで食べましたよ、と。

ソースカツ丼って単にご飯にカツ乗っけてソースかけただけでしょ、と思うけどこのソースが一風変わっててスパイシーで旨いよ。

旨いよ、ええ、確かに旨いんだけどね、揚げたてのカツも熱いしご飯も熱いし味噌汁も熱い。こんな30度超えている陽気の中で食うもんじゃないね。

なんか冷たいモノ食べたいなぁーと思ってオプションのマヨネーズ追加。


えーっとと言うわけでワールドカップ。

はっきり言うけど体によくないね。寝不足になるし日本が予選突破できるのか気が気じゃないしドッピオさんはグラタンひっくり返すし。

オランダ戦後オシムのコメント。

「日本の皆さん、ここから学んでください、これが『ものに出来る試合をものに出来なかった試合』です。」

なるほどねぇ。

確かに試合内容はどうあれ(単純なゲーム、としてみれば大して面白味の無い試合だった。もし僕が日本人でもオランダ人でも無ければ途中でチャンネルを変えてたと思う)、あのオランダにワールドカップで0-1で負けた、というのは僕はすごいことだと思う。

でも、結論としては日本はこの試合から勝ち点を1点も得ていない。それがひとつの真実。

予選で戦う3試合のうち2試合目がオランダだった、ということに感謝しなければいけないのかも知れないね。初戦か最終戦で戦ってたらまた結果はわからなかったと思うから。

とはいえ、予選突破の可能性が、可能性だけ言うのであればかなり多目に残されているのも事実。

うーん、また眠れませんなぁ。

With or without you、あるいはハリネズミのジレンマ

2010-06-20 01:59:33 | 音楽
前も書いたような気がするけど、もし誰かが「君を生まれ変わらせてあげよう、ただし歌手限定」と言われたらサザンの桑田かクィーンのフレディか、U2のボノだなぁ。

マイケル・ジャクソンはほら、普通にしてるだけでぐったり疲れそうだし。

U2は今となっては数少ない「アルバムでたら買う」っていうバンドですね、ほらダウンロードじゃなくて、って意味ね。

で、こないだU2の代表作「with or without you」を聞いてたんです。

U2 「With Or Without You」


この曲非常にいい歌なんだけどよくよく聞くと難解でようわからんなぁと思ってた。

で、電車の中で暇だったんで「よしこりゃいっちょちゃんと考えてみよう」と辞書をひきひき聞いてみた。

そしたらね、すごいことに気づいたんですよ、2つの面で。

これがその曲と歌詞。


----------------------------
See the stone set in your eyes
See the thorn twist in your side
I wait for you

見ろよ、君の瞳の中の石を
見ろよ、君側にある不安を
僕は君を待ってる

Sleight of hand and twist of fate
On a bed of nails she makes me wait
And I wait without you

ごまかしや運命のいたずら
釘のベッドの上で、彼女は僕を待たせてる
そして、僕は待っている 君なしで

With or without you
With or without you
君がいようといなかろうと
君がいようといなかろうと

Through the storm we reach the shore
You give it all but I want more
And I'm waiting for you
嵐を越えて僕らは岸に着く
君はすべてを差し出してくれるけど、僕はもっと求めるんだ
そして、僕は今も君を待っている

With or without you
With or without you
I can't live
With or without you
君がいようといなかろうと
君がいようといなかろうと
僕は生きられないんだ
君がいようといなかろうと

And you give yourself away
And you give yourself away
And you give
And you give
And you give yourself away

そして、君はすべてをさらけだしてしまう
そして、君は
そして、君はすべてをさらけだしてしまう

My hands are tied
My body bruised, she's got me with
Nothing to win and
Nothing left to lose
僕の手は縛られてる
瑕だらけの僕の体を 彼女は手に入れる
勝ち取るものなんてないし、
失うものすら何もない僕を

(拙訳、いつもどおりかなり意訳)
------------------------------

まず一つ目の点でこの歌詞はすごい。それは「ラブソング」としての面。

「君がいようといなかろうと 僕は生きていけない」というのは、お互いに共にいれば傷つけあってしまうし、いなければ淋しくて生きていけない、という意味なんだろう。

「彼女がすべてを与えてくれても」「僕はもっと求めてしまう」という際限のない欲求、そしてその代償に相手に自分が与えることが出来るのは「勝ち取るものも、失うものもない瑕だらけでがんじがらめになった自分」だけ。このむなしさ。

非常にせつないラブソングで「ハリネズミのジレンマ」って話を思い出す。

ハリネズミのカップルはお互い離れていると寂しくて生きていけない。でもお互いを暖め合おうと思って近づくとお互いの針でお互いを傷つけあってしまう。近づきたくても近づけない、そして離れると生きられない。

これは単なるたとえ話でしかないけど、人間の関係ってそういうものだと思いませんか?

そして2つ目。作詞したボノの出生を考えるとこの曲が単なるラブソングに聞こえなくなる。

ボノはアイルランドの出身。アイルランドと言えば(僕もあまり詳しくないけど)イギリスとの紛争や、カトリックとプロテスタントの紛争が盛んにあるところ。現在は違うかもしれないけど、ちょっと前結構テロとかあったんじゃないかな。

隣国イギリスとの戦いはそれこそ「君がいたら生きられない」ということだろうし、その反面「君がいなければ生きられない」という地理的および歴史的関係もある。

そう考えるとこの歌詞の「僕」はアイルランドだろうし、「彼女」はイギリスのことなのかも知れない、イギリスの象徴と言えばクィーンだろうからね。

すると「彼女が手に入れる」ものが「瑕だらけの僕」ってのもうーんよくわかりますね。

ふかーい歌詞だなぁ。

ここで食っとかないと、って自分は関係ないけどね。

2010-06-17 00:54:40 | スポーツ
ああ、よかったなぁ。。。

勝ちましたね、日本。対カメルーン戦。



今回は日本のいいところが出た試合だったなぁ。

個人個人の能力においてはスピードも技術も身体能力も何一つ相手チームに勝ってはいなかった。

だけども勝った。

うーん、いいですねぇ。

たぶん日本サッカーの良さって「くそ真面目」ってことだと思うんですよね。くそ真面目に守る、くそ真面目にボールを追う、くそ真面目に何度もゴール前にクロスを上げる、、、

相手チームが「おいおい、いくら勝負とは言えもうちょっと試合を楽しもうぜ…」って呆れるくらいくそ真面目、ってのが日本サッカーの特長だと思う。

こういう試合運びが伝統になればワールドサッカーにおいても結構特色あるいいチームになると思う。

そういう試合が見ていて楽しいか、と言われるとちょっと疑問だけど、まぁいいじゃないですか。

面白い試合するチームが勝つわけじゃない、勝つことが面白いんだもの。

関係ないけど23時からのゲームなんで、家に帰って一人で見ていた。時々ドッピオさんにメールしたりしながら。

久々に家で一人なのに「おい!」とか「そこ!!」とか「頼む頼む頼む…」とか騒いでましたね。

で、ハーフタイム中になんだかお腹減ってラーメン作って食べて、デザートにアイス食べたりしていた。

もう一人の友人からも「私もカップラーメン食べましたよ」とメール。

そしたらドッピオさんから

「緊迫しているゲームだと腹減るね。自分関係ないのに『ここで食っとかないと』みたいな」

とメール。

な~る。さすが巨神兵ドッピオさん。

ということで日本がいるE組の現時点での結果はこんな感じ。

1位:オランダ・勝点3、得失点2
2位:日本・勝点3、得失点1
3位:カメルーン・勝点0、得失点-1
4位:デンマーク・勝点0、得失点-2

本当につくづくサッカーにおける「勝てば勝点3、引き分けは1、負けは0」「勝点が同じなら得失点上のほうが上位」というシステムはドキドキするしよく出来たルールだと思う。

これからのオランダ戦とデンマーク戦でどうなると予選突破できるのか、なんてことをシミュレートしていると夜も眠れませんね。


ぐーzzz

13文字

2010-06-15 23:16:29 | 
もうこのブログを書いて6年にもなるわけです。

なんとまぁ。

毎回思ったことを書いているんだけど、結構タイトルにはこだわってる。

タイトルのつけ方は2パターンあって、まずタイトルを決めて書き出す場合と文章を書いた後に「この文章にはこのタイトルだな」とつけるパターン。

個人的にうん、いいタイトルだな、と思ってるのは、

違う、あれはあの人じゃない。

とか、

ただ歩いてたって楽しいよ、結構

とか、

月寒中央通のロング・グッドバイ

とかですかねぇ。


特に「月寒中央通のロング・グッドバイ」はかなり気に入っていて、いつか書けるものならこのタイトルで月寒中央通を舞台にしたちょっとハードな小説なんて書けたらいいなぁ、とすら思ってる。

こういうタイトルってキャッチ・コピーの技術とはまた違うし、結構独特なものなんだよね。

特別な技術、とまでは思わないけどある程度の技術は必要な気がする。

仕事でよく(とてもよく)Eメールを使ってるけど、Eメールのタイトルなんかでも残念ながら技術の有る無しは出るなぁと思うね。

ぱっと見て「あ、このメールは見ないと」と思うメールもあれば「なんのこっちゃ」と思うメールもある。

Eメールのタイトルのつけ方をどうすればいいのか、と思っても書いてあるのは「内容が分かりやすいように」「簡潔に」なんて一般論ばっかりで「じゃあどうやったら簡潔で分かりやすいの書けるのさ」ってことはいまいち分からないんだよね。

そう思ってたら、ちょっと参考になる本読みました。
ヤフー・トピックスの作り方 (光文社新書)ヤフー・トピックスの作り方 (光文社新書)
タイトルどおり、ヤフー・トピックスというヤフーのページ開いたら出てるニュースを編集している人の本。

ヤフー・トピックスのタイトルはすべて「13文字以内」と決まってるらしい。それが何でかというと「人が一瞬で理解できるのは9~13文字」なんだってさ。へー。

じゃあ数あるニュースをどう13文字に入れ込むか、って技術が大変興味深いよ。

怒ってるかも知れないときに

2010-06-14 23:09:04 | 日記
映画話で始めるけど今日のテーマは男女問題なんです。

『ヘルボーイ2:ゴールデンアーミー』という映画がありましてね。
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ヘルボーイという映画の第二弾なんですが、主人公は魔界から来たヘルボーイ。


真ん中の赤いのがヘルボーイ。

こんな格好しているけど赤ちゃんの頃からアメリカ人の博士に育てられたんでアメリカ文化大好き。チョコバーも好きだしビールも好きというヒーロー。

彼の相棒が「エイブ」という水棲人。(上の写真の左)

「ヘルボーイ1」ではヘルボーイが昔から好きだった「リズ」(上の写真の右、結構、いやかなり可愛い)という女性とうまい事行ってめでたしめでたし、という話。

それが2では相棒のエイブがある女性に恋に落ちる。

エイブは非常に頭が良くて今まで恋愛なんて非合理なものに関心は無かったんだけどある女性と出会ってしまって、今まで非合理で否定していた「恋」を知る。

一方、ヘルボーイはうまく行ってるはずのリズに怒られてばかり。

リズは感情が高ぶると発火能力が生まれてしまう人なのでヘルボーイに対して怒ると(部屋片付けなさいよ!、とかなんだけどね)まさに漫画的に部屋ががんがん燃えてしまうので結構大変。

彼女がなんか怒ってる感じなんで、ヘルボーイはふてくされてビールがぶ飲みしようとする。冷蔵庫のビールあさってるととエイブの部屋からあまったるいラブソングが聞こえる。

いつもなら理性的なエイブは音楽なんて聴かないのに。。。

部屋に入ってエイブに話を聞いてみると、どうやら彼は恋をしている様子。

いいじゃんいいじゃん、話聞かせろよ、とエイブにビールを勧める。と、共にヘルボーイも悩みを打ち明ける。

「どうも彼女が怒ってるみたいなんだよね」と。

エイブは言う。「だったら彼女に何で怒ってるのか聞いてみればいいだけでは?」

ヘルボーイは答える。

「女ってのは、怒ってるときに何で怒ってるのか聞くと更に怒るんだよ」

うーん、ヘルボーイいいこと言った。

ラブ・ランゲージ

2010-06-12 13:21:00 | 日記
「ラブ・ランゲージ」という言葉があるんですってよ、奥様、知ってました?

えーっとね、「その人が愛を感じる言語」って感じの意味らしい。

言語といいつつ「ノンバーバル・ランゲージ」、つまり「ことば」以外も含んでるけど。

「ラブ・ランゲージ」は5つあって、

・言葉
・共有する時間
・モノ(≒プレゼント)
・仕える心、サービス
・スキンシップ

だそうです。

つまり人によって愛を感じる優先順位が違う、ということ。

ある人はパートナーからどれだけ「愛している」という言葉をもらっても相手がちゃんと同じ時間を過ごしてくれないと愛を感じられない。

つまり、この人にとってのラブ・ランゲージの優先順位は「1:時間、2:言葉」ということになる。

うーむ、なるほど。

よくあるいざこざでさ、「俺はこれだけお前のためにサービスしてるじゃないか!」「でも、一言も好きだって言ってくれてないじゃない!」なんて行き違いは世の中にあるね。

これを理解してるかしてないかによって結構いろいろ変わってくる気がするなぁ。

こういうの聞くとまず思うのは「じゃ自分はどうなんだろう?」ということと「じゃああの人はどうなんだろう?」ということだよね。(あれ?順番逆?)

たぶん、たーぶんだけど、僕は順位をつけるとすると、

1、言葉
2、時間
3、スキンシップ
4、サービス
5、モノ

結構、何事も言語的に理解する性質だと思うのでやっぱり嬉しいのは言葉だなぁ。プレゼントも嬉しいけど、それより「今回のプレゼントは2人でゆっくり過ごす時間」なんて言われたほうが嬉しいかもなぁ。

この概念さ、「5つに優先順位がある」ということなのでちょっと勇気がわいてくるね。
たとえば「スキンシップでなければ愛を感じない」なんて言われてしまうと遠距離カップルなんて絶対難しいわけじゃないですか。

それが「優先順位がある」ということなら、「スキンシップが取れない分、言葉を多めにしよう」とか考えられるものね。「仕事で忙しくて時間を一緒に過ごせないからたまにプレゼントしよう」とかね。

さて、あなたはどうです?

たまにきず

2010-06-10 21:52:40 | 日記
「たまにきず」って言葉を目にして、思考が暴走しました。

「たまにきず」って言葉だけど、普通、「あの人基本的にいい人なんだけどたまーにダメなところあるのよね~」って言う意味だと思っちゃうよね。

でも実は違うんです。

「たまにきず」という言葉を漢字で書くと実は「玉に瑕」で、×「偶に(ときたま、まれに)瑕」は間違いなんです。

「玉」は本来は「宝石、貴石」で「完璧に素晴らしいもの」という意味。

つまり「玉に瑕」は「本来、完璧に美しいものに少し瑕があって残念な様」ということなんですね。

だから「彼女はこういうところが玉に瑕だよね」という言葉の裏にはその人を基本的には「玉」、完璧に素晴らしいものだと思っている、という意味がある。

こういうのを「言葉にはしてないけど含んだ意味」ということで「含意」と言います。この含意に関する「会話の法則」というのもかなり面白いんだけど今回は割愛。

うーん、勉強になりますねぇ。

それで思い出したのが将棋。

将棋というと「王」と「玉」があるよね。

そもそも将棋って「王様」がいて「歩兵」がいる、戦争ゲームだと思うかも知れない。

そうすると「王」が基本でそれと区別つけるために「玉」を作った、と思うかも知れない。

こういう関係を言語学的には「有標(marked)/無標(unmarked)」と言います。

つまり言葉の基本は何も標がついてないものがあって、それと区別するために標がついた言葉が生まれる、というもの。

たとえば、「電話(無標)」という言葉があって持ち運べるようになると「携帯電話(有標)」という言葉が生まれる。つまり、「電話」という無標の言葉に「携帯」と言う「標」をつけて区別するということ。「ガンダム」という言葉があってそれの派生として「Zガンダム」という言葉が生まれたようにね。

こんな感じ。

この「有標/無標」に関しては大学の頃、言語学の授業で初めて「言語学っておもしろーい」と思ったんでよく覚えている。

更にこの関係の面白いのが「有標の単語が無標で通じるようになると無標だった言葉に標が必要になる」ということ。これは僕のオリジナルな理論だけど。

どういうことかというと現代では「電話」と言えば概ね携帯電話のことを意味してる。そうなるともともと無標だった「電話」つまり家庭用電話には「家用の」という意味の標をつけないと通じなくなってしまう。まぁ「いえでん(家電)」とかって言葉がそうですね。

これ面白いでしょ。

特に面白いのはガンダム。ガンダムは当然最初はオリジナルのガンダムしかなかったわけだけど「Z」だの「百式」だのいろいろ出てくると元の「ガンダム」を表すのに「ガンダム」では通じなくなって「ファースト」だの「無印」だの言わなきゃいけなくなってしまった。

で、将棋の話に戻る。

将棋は「王」が基本、と考えるとまぁ戦争のゲームかな、と思ってしまう。そうすると「歩」は「歩兵かな」と説明が出来るんだけど、それ以外が一気に説明できない。金って何?角ってなに?ってね。

でも「玉」が基本と考えるとそれが全部説明出来るんです。

将棋はメインの「玉」つまり貴重な宝石。

玉の次に大事なのが「金」これはこのまま金塊、次に「銀」、それから「香」は「香料」、これだって昔は貴重だった。「桂」は「肉桂」つまりニッキ、シナモン。これも貴重なもの。

そしてそれらを守るのは「飛」これは飛べるので竜、と、「角」これは角を持ったサイ、という猛獣。

その前に「歩」、歩兵がいる。

つまり将棋は貴重品の奪い合いなんだよね。(ま、色々ある説のうちのひとつなんだけど)

それで両方、「玉」だと区別がつかないので片方は「点」を落として「王」にした、と。

だから将棋においては「玉」が無標で「王」が有標ということになる。

面白いですねぇ。

まぁ、僕はこういう話をしだすと止まらないのが玉に瑕。

(自分で言うな)

スーツ問題

2010-06-09 21:12:23 | 日記
仕事の時はスーツを着ています。

当たり前じゃないか、と思うかも知れないけどスーツじゃない仕事だってたくさんあるからね。

半分冗談半分本気で言うんだけど僕、スーツが似合います。スーツにネクタイ、という格好が自分で言うのもなんだけど似合うと思う。

よく言うんだけどそれは僕がその格好好きだからだと思うんだよね。

昔からスーツにあこがれていた。

僕の父はスーツを着る仕事じゃなかった。子供の頃からあんまりスーツを着た大人を見たこと無かったから、その反動というのもあるかも知れないね。

僕の好みはきわめてシンプルなダークブルーのスーツ。スーツってやっぱり一種の「没個性的ビジネスファッション」だろうと思うから、あまりデコラティブなものは好きではないんだよね。その分、ネクタイにこだわったりして。

スーツを日常的に着る人だと分かっていただけると思うんだけど、なかなか「これ!」というスーツには出会えないものです。

既製品を買ったりするとどうにもサイズがジャストフィットしなかったりだとか、どうにも一部分が心地よくなかったりとか。北海道弁にすごく便利な言葉があって「いずい」と言うんだけどね。

だいたい持ってるスーツはというと、まず明らかに冬用が2着。これは夏には暑過ぎるし春秋でもちょっとマッチしない感じ。

春秋冬まぁオッケーというのが4着。

そして真夏用が2着。

うろ覚えだけど。

数えてみるとなんとまぁ8着もある、ということになりますね。

これが多いのか少ないのかはよく分からない。少ない人なんかは1シーズン2着で回してる人もいるだろうし、中には毎日替えてるという人もいるだろう。

これだけ持っててもやっぱりお気に入りというか1軍と2軍、という感じに分かれていく。

最近の一軍はこの前の春先に仕立てたオーダースーツ2着。

オーダースーツなんて贅沢だろーと思ってたけど最近安いからね。

いいじゃないですか、仕事がんばってるんだから仕事のためのスーツに贅沢して何が悪いのさ!

そのスーツもね、春秋モノとは言え最近は結構暑い。

つーことでそろそろ新しいスーツが欲しいなー、と思ってる。

そうやってるとスーツが増えていくんだよな。

サッカー話とゴッドファーザー話をからめて話そうと思ってたら勝敗論になって収拾つかず

2010-06-08 00:40:34 | 日記
僕の仕事はまぁ知ってる人は知ってるだろうけど色々やってるんだけど人前で研修講師をやることもある。

結構前の話だけどこんな話をしたことがある。

「勝ち方、というのには2通りあります。競馬を思い浮かべてもらえば分かりますがスタートからぶっちぎって一位で最終コーナーを回り一位でゴールする勝ち方。この勝ち方は美しいしかっこいいですが本当に実力がないと出来ません。

じゃあ実力が無いけど勝ちたい、というときにはどうすればいいか?

まずは一位の馬のうしろにぴったりとつける。一位の馬を風除けにし走り方を盗みゴール前で一歩だけ一位の前に出る、そういう勝ち方もあります。」

僕の話って結構思いつきで、思いつきでその場を何とかする、というのは得意なんでこれも思い付きで喋ってた。

だけど後にこの話聞いてくれてた人が仕事で素晴らしい業績を上げたときに「研修講師のshowさんのあの話は参考になりました」と言ってくれて嬉しかった覚えがある。

すべてにおいて僕はそうだと思ってるんだよね。

人には全員無限の可能性がある、と信じているけど実力はまちまち、残念ながら勝負の時点で実力が劣っている場合ってのも往々にして、いや多くの人の多くの場合そういうことのほうが多い。

でも実力が劣った人が勝てないか、というとそうじゃないから人生は面白いんじゃないですか。

ローマ時代だってザマの会戦では実力に劣ったスキピオが勝った。信長の桶狭間の戦いだってそうでしょ。

こういう事例は枚挙にいとまが無い。

こういう話から勝敗論、について考えてみる。

勝ち負け、というと「人生に勝ったも負けたもないじゃないか」と思うかも知れないけど、僕はそれはなんだか偽善だなぁ、と思う。

なんかね、「お金なんてどうでもいいんだよ」という言葉と同じくらいすごく欺瞞を感じる。「そんなこと言うんだったらあなたが持ってるお金全部誰かに上げれば?」と思いません?

人生に勝ち負けなんかない、だからこそ「自分にとっての勝ちとは何か?」という定義が大事になると思う。

何においても一番大事なのは「勝ち(目的、と言い替えてもいいけど)を定義すること」。

たとえば戦争で言えば「この戦いは味方が一人でも生き延びれば勝ちだ」とか「とにかく相手のボスを倒せば勝ちだ」とか、そういう「定義」がまずあるはず。勝ちを定義するとゴールが決まる、そして戦略が決まり戦術が決まる。それに向けて準備するからこそ、知恵が生まれて勝ちの可能性が高まる。

往々にして定義が出来ない人が負けていくんだよね。「国民全員玉砕してもいい、敵を倒すんだ」なんて目的で戦争やってたら誰も頭使わないし、そもそも誰もハッピーになれない。

勝ちの定義は人それぞれ。それについては僕は誰かの「勝ち」の定義を否定するつもりもない、そもそもそんな権利も無いしね。

「金いっぱい稼げば俺はいいんだ」という人もいるでしょう、「権力こそがすべてだ」と言う人だっていたっていい、「健康に長生きさえ出来ればいい」だっていい、色んな人がいて世界は面白い。

でも高い確率で言えるのはただ「勝ちたい」とだけ言っている人は残念ながら勝てないだろうなぁ、ということ。

「幸せになりたい」だけじゃあ幸せになれねーでゲスヨ。だって「じゃああなたにとっての『幸せ』の定義って何さ?」ということになっちゃうもん。

だから、ここまでのところをまとめると、

1、人生に勝ち負けなんて無い。
2、だからこそ自分なりの勝ちの定義をする必要がある。

と、言うこと。

つーことで次にはじゃあ「どう勝つか」という話だけど、それは深くなるんでまた別の機会に。