浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

The book of the year 2011

2011-12-31 20:33:49 | 
大晦日です。

しかしまぁ今年は色々ありましたなぁ。ほんとにどう振り返っても「色々あった」としか思えない。今年についての正直な感想は「色々あった…、ほんとーに色々あった…、うん、色々あったなぁ」というところです。

つーことで個人的 The book of the year2011ということで今年僕が読んだ本のベスト1。本に順位をつけることなんて何の意味もないじゃないかと思うところもあるけど、まぁ何となくね。

ちなみに過去5回はこちら。(書名はその年の1位)
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The book of the year2010
「hon-nin列伝 セキララなオンナたち」

The book of the year2009
「1Q84」

The book of the year2008
「イノセント・ゲリラの祝祭」

The book of the year2007
「ローマ人の物語」

The book of the year2006
「終末のフール」
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さーて今年はどんな本を読んだんだっけな。
まずはエントリー作品から。

朝日新聞教育チーム
岩波書店
発売日:2011-10-29

まぁ仕事がら読んだんだけど、すごい本だったね。この本に描かれている先生たちの激務、悲惨な状況はほんとどうにかしなきゃいけないんじゃないかと思う。



釜石に思い入れがあるのでついつい涙。



ちょっと事情があって副業で個人事業始めたので基礎知識の為に読んだ。



まーこの人は大当たりしてますね。企画って難しく考えずとも仕事の仕方論として面白かった。


海堂 尊
朝日新聞出版
発売日:2011-12-07

「チーム・バチスタ」の人の一連のシリーズの最新作。もうなんか初見の人はとっつきづらくなっちゃってるけど僕は結構すき。速水先生出てくるしね。



村上春樹の新刊で今年読んだのはこれだけだと思う。このシリーズ読んでるとしっかり脳みその筋肉がほぐれてく感じがあっていいよ。



ジョジョの奇妙な冒険の新シリーズ。僕がこの話すると同年代の人からは大体「まだやってるの?」と驚かれる。ええ、やってますよ。なんとまぁ単行本通巻105巻目。舞台は第四部の杜王町に戻り、これまたほんとワクワクするんですよ。たぶんどうあれ僕はこの漫画が続いている限り読み続けるんだろうなぁ。


内田 樹
角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2010-12-25

まぁこれも仕事がらみといえば仕事がらみ。この人の教育論には僕は概ね賛成する。基本思想は「教育には急激な変化はそぐわない。誰も責任が取れないから。惰性的に修正していくことしか出来ない」。確かにその通りではある。だから某西のほうの市長の政策は危険といえば危険。どうなるんだろうねぇ。急激な変化には当然抜け漏れが付き物になる。となるとそこが僕みたいなビジネスとして教育に携わっている人にとってはチャンスが生まれることになる。だからと言ってねぇ。




さて、今年のThe book of the yearは。。。







「ロンドン・デイズ」

第三舞台主宰の鴻上尚史が演出法・演劇の指導法を学ぶため、イギリスに留学した1997年をつづったエッセイ。これは僕は2つの視点で面白かった。

一つ目は、英語を母語としない人がいかに英語を学び、海外文化になじんでいくか、というサバイバル方法として。もちろん鴻上尚史のことだから真っ当に英語を学びなじむなんて愚直なことはしない。いかに抜け目無くなじんでいくか、という方法が一つのサバイバル方法として面白い。
これから分かることは本当に英国においては「意見を言う」ということが大事なんだなぁと言うこと。意見を言うために人は存在しており、逆に言うと意見の無いものは存在しないとみなされる、ということがよく分かる。
鴻上尚史が一つの単語が分からない故に何も出来なくなりあせる、というシーンがたびたび出てくるけどこのあせりはよく分かるよなぁ。

二つ目は、その演劇学校における指導方法。演劇と言うのは肉体表現であるわけでその肉体表現をいかに再現性のあるものにするか、そのための指導方法、つまりメソッドが確立されていることがよく分かった。日本ではこういう指導方法が確立されているかどうかは分からない。(たぶんまぁあるんだろうな) もしこのメソッドが俳優志望の人向けでは無く普通の人、あるいは普通の子供たちにも教えられるようになればもっと我々は表現力豊かになるような気がする。



なんだかこう振り返ってみると今年はフィクション作品をあまり読まなかった年のような気がする。あれだけ大きな衝撃的事件の後では普通のフィクションに気持ちが向かなかった、、という考えは考えすぎかも知れない。でも影響が無いわけでもないような気がする。


と、言うわけで今年も色々あった。色々な本を読み、色々なところにいき、色々な人にあった。うれしい出会いも悲しい別れもあった。(なんだか陳腐な決まり文句だけど)

プラスがあればマイナスがある。

「からくりサーカス」という作品に「人生と言うゲームの場では誰しも何かしらのコインを賭けなくてはいけない」という台詞がある。

それにしても今年我々が支払ったコインは多すぎやしなかっただろうか、とも思う。

誰に言うでもなくふと思うしか僕には出来ないけど。

数年前から僕のブログは大晦日最後の言葉は同じ言葉で締めくくっているけど、今年ほど心からすべての人にこの言葉通りあって欲しい、と思う年は無い。

とにかく皆さん、今年もお疲れ様でした、色々とありがとうございました。

来年も理力があなたと共にあるように。
(May the force be with you.)

見てれば見慣れるという話

2011-12-24 19:21:16 | 日記
クリスマスですねー。

今年はイブ、クリスマス、次の日と連休でいいカレンダーですね。

僕はこの三連休ずっと仕事です。別にまぁいんだけど。

今日はスカイツリーの話。

なんだかよう知らんけど浅草のほうにタワーが出来るらしい、という話を聞いてもう数年、スカイツリーもほぼ完成した。

最初は「まった訳の分からんもんを」と思ってたんだよね。地デジ化?しらねーよ、って感じですよ。だってうちテレビ見れないんだもの。(ブラウン管のテレビはあるけどアンテナを繋いでない。ワールドカップとかの時は繋ぐ)

だいたい名前もさー、スカイツリーって決まったときはがっくりですよ。第二東京タワーでいいじゃん、と思ってた。

形もなんかパッとしないしね。東京タワーのようなシンプルな美しさが無い。


だけど見慣れると愛着が沸いてきたね。(単純)

会社からも浅草の道端からもよく見えるんで見慣れた。

念のため言っとくとスカイツリーって浅草からは結構離れてます。2キロくらい。でもまぁ地元と言っても差し支えない。

昨日今日限定なようなんだけどライトアップされてます。

ちょっと見づらい写真で申し訳ないけど。

これまた「ちょっと微妙な明るさだなー、もっと派手にいけばいいのに」と今は思っているんだけど、そのうち「この地味目な感じがいいよね」と言っていると思うね。

だいたいのものは見てれば見慣れる、という話。

行きはシュウマイ、帰りは餃子

2011-12-22 00:29:37 | 食べ物
駅弁は好きです。

でも東京-大阪間の新幹線に乗る時、僕はほとんど駅弁を買わない。

だってさー、JR東日本の駅に売ってる駅弁はほとんど高い上にたいして美味しくないんだもの。だいたい弁当なのに1000円くらいするってどういうことさ。

駅構内で弁当売ってるのがNREというJR系の会社だけってのがよくないんだよなー。なんで独禁法に問われないんだろ。

東北に行く時は上野駅から新幹線に乗る。上野駅の中央改札前にはちょっと高級めなスーパーがあって(トマト1個250円くらいするすかしたスーパー)、それでもそこは二段になったカレーだとか、海老カツの巻き寿司なんかが売ってる。普通にスーパーの惣菜コーナーで売ってたらお高めだけど、駅内の弁当に比べたら手ごろなのでそこで買って乗り込んだりする。軽いものなら、そのスーパーの隣のパン屋でパンかサンドイッチを買うって手もある。タイミングがよければ焼きたてパンがゲット出来る、そんな場合、大宮着く前に食べきっちゃいますよ。とにかく上野から新幹線に乗り込むには食べ物には困らない。

でも東京駅はさー、食うもんないんでゲスよ。そりゃ地下街とか行けばいろいろあるんだろうけどそんな時間もないし。

どうしても何か弁当を買って大阪行の新幹線に乗り込まなきゃいけない時は僕は崎陽軒のシウマイ弁当一択。700円くらいとお手頃だしもちろんシュウマイは美味い。

なんか書いてて腹立って来たけど「弁当が700円でお手頃」ってなんかおかしいよねぇ。僕が都知事になったら真っ先にこれを議会で話し合って即変えるんだけどな。

今回の大阪出張も行きはちょうど昼時に新幹線で、着いても時間がなさそうだったからシウマイ弁当食べた。新横浜を通過するあたりで食べきる感じがいいね。


一方、大阪から帰りの新幹線は食べ物の選択肢は充実してる。新大阪は売店が豊富だから。なんなら名古屋で途中下車してホームのきしめんというコペルニクス的転回もあり得る。

(名古屋によく出張してた時、いろんなところできしめん食べたけど結局、名古屋駅ホームのが一番美味い)

新大阪で買い込むものの中でもベストなのはなんと言っても551の豚まんです。間違いない。少しにおいが気になるけど金曜夜の上りの新幹線なんてみんな豚まんにビールだもん、こちらも気にしない。

今回は仕事も巧く行ったしなんたって忘年会シーズンだし金曜の夜だし、ということで豚まんに加えて餃子も買い込んでみた。

ああ、もうオレどうなってもいい、、って感じ。

二人旅だったらね、豚まん二個いり、餃子1セット(10個いり)、シュウマイ1セットなんかを買ってワイワイって感じで帰ったら最高。3人だったらこれにちまきをプラスなんてことが考えられてそうなったらもう満漢全席ですよ。

こういうののために働いているんだ

2011-12-15 23:30:08 | 仕事
僕の仕事の一つは、全世界的に売れているビジネス書の内容を中学校や高校に広めていくこと。

その本の内容は大人でも結構心に響くことが多いので、それを平易な言葉にして学校では道徳や総合学習の授業でやってもらう。子供だと素直にその話を取り入れられる場合が多いからね。

このビジネスを始めたのは5、6年前だったと思うんだけど、そのとき、当時のうちの会長と飲んでてこんな話をしていた。

僕「これを学んだ子供たちが大人になってウチの会社に入ってくれたらいいですよねー」
会長「そんなことは一切考えてないよ(笑)、もしこれを学んだ子供たち全人口の10%とか20%とか増えていったら日本は良くなると思う」

まぁ僕の思考が小さくてさーせんね、って感じだけどさ。


こないだ、ふとしたことで知り合った大学1年生と話していました。彼の大学はトップの私立大学。で、色々話していたら、「中三のとき、その授業受けてましたよ!」と言われてまーびっくり。

彼曰く、すごい面白い授業で受けて人生を変わった、とのこと。

大学に入ってとりあえずはだらだらしていたんだけど、そのときのことを思い出し、改めて自分の目標である「教師になる」ということを思い出し、今は教育関係のNPOでボランティアをしているとのこと。

うれしいなぁ。

こういうののために僕は働いているんだもの。

ギャンブルについて、あるいは申し分ないように見える人生について

2011-12-13 00:18:34 | 日記
僕はほとんどギャンブルをしない。

競馬は、最後に競馬場に行ったのが大学時代のばバイトに札幌競馬場に行った時。馬券買ったのもほんと覚えてないくらい昔。浅草で一度買ったことがあるかな。
(ブログに書いてたな、と思って探したらあった。こういうときブログって便利。)

パチンコはたぶん、5年前くらいに函館で行ったのが最後。それもパチンコがしたかったわけじゃなくて、仕事の空き時間にすごく寒くて、そこ以外に寒さを凌ぐ場所がパチンコ屋しかなかったから。東京在住の人には分からないと思うけど、地方都市には「風の当たらない場所がパチンコ屋しかない」駅前ってあるんだよ。

麻雀は3、4年に一度付き合いでやる。だいたい負ける。麻雀に不真面目に取り組んでいるんだもの、勝つわけが無い。

宝くじ(これはギャンブルじゃないけど)もほとんど買ったことがない。

というように別にギャンブルを憎んでいるわけではないんだけどどうも僕はギャンブルに親しまないで生きてきた。

ちょっとしたゲーム、例えば「今度のワールドカップでどこが勝つだろう」とかそういう予想は嫌いではないんだけどね。


ギャンブルはしないけど「ギャンブル」という要素は好きです。だからギャンブルが描かれている漫画や小説はよく読む。有名どころだと漫画「カイジ」、ジョジョにだってギャンブル要素がたまに出てきたりする。小説だと「麻雀放浪記」が代表かな。そういう作品に描かれる「ギャンブルにまつわる人間心理」は非常に興味深い。

だからギャンブルをよくやる人と会うと「なぜギャンブルが好きなのか」という話を聞くことがある。決して「なんで、ギャンブルなんてものをやるの?」と非難したいわけではなく、その人がギャンブルのどこに価値を見出しているのか、ということに興味があるから。

もちろん回答の多くは「お金が欲しい」ということになる。それは僕にとってはまぁ予想の範囲内なんだけど、時に「へぇ、なるほどねぇ」と思う回答が聞ける場合がある。

最近聞いた回答の中で面白かったのは「自分の予想が裏切られることが楽しい」というもの。

競馬について、その人が言うには「色々情報仕入れて親のレースも見て、色々予想して『これが来る』と確信めいたものが出来るけど、最後の最後でそれが裏切られる。その裏切られ方が想像以上であればあるほど感動する。これほどまでに自分の思い通りにならないものがあるのか、と思う」とのこと。

なるほどねぇ。

その気持ちは僕も仕事においてよく分かる。悪い方向に予想が裏切られることはもちろん残念だけど、そういう場合だって「ああ、こういうことも起こりうるのか」と思う。良い方向に予想が裏切られるとそれはそれでうれしい。

そういう「予想を裏切られる」、という体験がいい割合で含まれていないと日々の生活ってあまり楽しくないよね。すべてが予想通りだったらつまらないじゃないですか。


そう考えるとさ、つい先日、大きな会社の社長が子会社から何億も融資を受けてそれをカジノで使い切っちゃったという事件があった。

その人の行ったことがいい悪い、ということは置いておいて、その人の気持ちも分からないでもない。

その人は大会社の三代目として生まれて子供の頃から英才教育を受けた。将来は会社を継ぐ使命が物心ついた頃からあった。その使命通りに生きてきたんだろう。で、傍から見ると予想通りの人生のように見える。
大学は東大法学部。こういうパターンだと一般人からすると勉強できなくて適当な私学に裏口入学(非常に意地悪な連想だけどさ)と想像するんだけど、東大だもんねぇ。頭も良く、努力もしたんだろう。

そして親の会社に入社してすぐ幹部に。報道を聞く限りちゃんとしたビジネスマンだったよう。

傍から見ると「予想通りの順風満帆な、申し分ない人生」に見える。

その当人が「自分の思い通りに行かないこと」、つまりギャンブルにはまるのもそりゃそうだよな、と思わなくも無い。


そう考えると僕がギャンブルやらないのって仕事で十分予想を裏切られているから、なのかも知れないね。もちろん人生だって申し分はたくさんあるしさ。

最大の名

2011-12-10 01:52:40 | 日記
どこかできちんと話そうと思っていたんだけど、今回は大ネタです。

興味ない人は本当に興味がないと思う。だけど、とても面白い話なのでお暇なときにぜひどうぞ。この話を「あ、おもしろいね」と思っていただける人とはぜひお酒を飲みたい。

なんの話かというと大大大落語家、三遊亭圓朝(えんちょう)の話。



一大ロマンだし、ミステリーもあるし、日本語史でもあるのでまぁごゆっくりどうぞ。僕もゆっくり書いてきますから。

落語というものが生まれたのはそもそも今から400年前、戦国時代末期。この頃は「面白い話をする」という一点のみが落語の特徴でした。ですから、演者は扮装をしていたり、時に楽器で音楽を鳴らしたり。

そうやって発展してきた落語界に登場したのが三遊亭圓朝、今からだいたい100年ほど前の人。


この人が行った数々の革新のうち、まず大きいのは「素話(すばなし)」というスタイルを確立させたこと。

天才圓朝は師匠に習い、それまでの落語(つまり立ち上がったり、扮装したり、音楽を鳴らしたり)に飽きて、「最小限で無限を表現する」ということを始めた。

最小限の演者(一人)、最小限の動き(座ってるだけ)、最小限の衣装(着物だけ)、最小限の小道具(手ぬぐいと扇子だけ)、最小限の舞台装置(座布団だけ)で無限の空間を表現するという「素話」というスタイルを始めた。

これって今のいわゆる「落語」のスタイル、ということ。つまり現在の落語のスタイルは圓朝が作った、と言える。

加えて、彼はたくさんの作品を残した。

今は古典となっている「芝浜」「文七元結」「怪談牡丹灯篭」「真景累ケ淵」、などなど落語史に残る作品は彼のオリジナル作品。これらは落語においてはいわゆる「大ネタ」というやつで落語家の中でも真打が独演会なんかでやるネタになっている。つまり、実力の無い人はなかなかやらない、というか出来ない。そもそもそれらを巧くやるには技術がいるし、実力が無い人がそんな大ネタをやったら師匠や周りの人に「実力も無いくせに」と怒られちゃうから。

加えてこれらの作品は落語だけじゃなくて歌舞伎になったり、様々な文学作品の下敷きになったりと多くの分野で参考にされている。

直近で言うと村上春樹のベストセラー「1Q84」は「真景累ケ淵」を下敷きにしている。(と、本人がインタビューで答えている)

そしてこの圓朝は日本語の歴史にも大きな影響を与えている。

圓朝が生きていた幕末から明治初期はまだ日本語は「書き言葉」と「話し言葉」に別れていた。

書き言葉というのは例えばこんなの。

「石炭をば早や積み果てつ。中等室の卓のほとりはいと靜にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり」(舞姫/森鴎外)

昔の古典なんかに出てくる文章だね。昔の小説や文章はこのような「書き言葉」で書かれていた。

そんな中、圓朝は「速記」ということを始めた。これは自分の落語を弟子にその場で話している通りに記録させ、文章にさせること。当然、落語をそのまま記録させたので話し言葉で書かれている。それを新聞で連載させ、なかなか寄席に来られない人たちにも自分の落語を読ませるようにした。

これを見ていたのが二葉亭四迷という作家。

彼は「落語でこのようにしているんだから、小説も読みづらい書き言葉ではなく話し言葉で書かれるべきだ」と考え「浮雲」という小説を書いた。これが日本で初めて、話し言葉で書かれた小説となる。

この作品は「言文一致」という運動に発展し、それ以降、多くの「話し言葉」での小説が書かれるようになった。その言文一致運動の結果が夏目漱石の「我輩は猫である」ということになる。

つまり、圓朝が「速記」ということをしなければ言文一致運動は無く、ならば夏目漱石も出なかった。夏目漱石が出なかったということはその弟子の芥川龍之介も出なかったわけで日本文学は大きく変わっていたはず。

つまり圓朝という人は落語界だけでなく日本文学界にも大きな影響を与えている大きな人なんです。

いかがなものでしょうか。

三遊亭圓朝という人がどれくらい大きな人がご理解いただけたと思います。

さて、一般に落語家の名前(名跡)というのは弟子弟子に受け継がれていくもの。最近だと林家こぶ平が「林家正蔵」を襲名したし、来年くらいに桂三枝が「桂文枝」を襲名することになっている。だから、この三遊亭圓朝という名跡も誰かが継いでいてもおかしくない。

だけど三遊亭圓朝は初代圓朝死後、現在まで約100年、誰も継いでいない。

これが落語界最大のミステリー。

三遊亭圓朝の名は、本人死後、藤浦家という家が保管をしている。代々の藤浦家当主が「誰に継がせるか、あるいは継がせないか」ということを決定する。

(なぜ藤浦家がこの名跡を管理しているかというと圓朝が生きているときに当時の藤浦家当主が経済的に援助したからとのこと。)

三遊亭圓朝の死から約20年後、三遊亭圓右(えんう)という人に襲名の話があった。この圓右という人は別名「名人圓右」というくらいで大層上手な落語家だった。しかし襲名が決まったものの、正式に襲名する前に亡くなってしまった。よって「幻の圓朝」と呼ばれることになる。

それ以降、圓朝の名は誰にも継がれていない。

なぜかというと余りにも圓朝の名前が大きすぎるため。

落語界においては神様のようなものなので、よっぽどの人で無いと継げない。

圓朝の名を継ぐにはどうやら3つの条件があるらしい。

それは、「1、集客能力がある=つまり人気が高い」「2、創作能力がある=古典だけでなく自ら新しい落語を創ることが出来る」「3、襲名のために必要なお金を払える=一説には数千万とのこと」。

圓朝の名を狙った多くの落語家がこの3つの条件をクリアすることが出来なかった。

一番、最近で動いたのは6代目三遊亭圓生、戦後に活躍し昭和の大名人といわれた落語家の時。

この人は死ぬ直前まで、場合によっては死ぬベッドの上まで「圓朝の名前をくれ」といい続けていたらしいけどなれなかった。

その理由は上の3つの条件のうち「創作能力がある」をクリア出来なかったから。

…というのは建前で性格が悪くて敵が多かったから、という話もあるそう。

(確かに圓生は見るからに性格悪そうなんだよなぁ。でも悪い人の出てくる噺をするとハマリ役。ちなみにいうとこの「三遊亭圓生」という名跡を現在、少なくとも3人の落語家が争っていてちょっともめている。)

更に時代を下るとその圓生とともに落語四天王と呼ばれた桂文楽が「圓朝の名を継げるのはこいつだけ」と同じく四天王の1人古今亭志ん生に告げた。


八代目桂文楽、別名「黒門町」


五代目古今亭志ん生

この「こいつ」と言うのが古今亭志ん朝、名人志ん生の実の息子。


別名「矢来町」

この人は平成になってからも活躍していたし亡くなったのは2001年と最近の人なのでもしかすると見覚えのある人もいるかもしれない。

名人志ん生の息子という血統、芸は天下一品、人気は抜群、人柄も良い、とすべてが揃った落語家だった。更に言うと師匠(つまり父、志ん生)の師匠の師匠が圓朝と一門的にも繋がっている。

しかしながらそれだけ将来を嘱望され、落語家としてここからが円熟期という63歳で病没。

もしいま生きていたら73歳。圓朝を継いでいたかどうかは分からないけどもしかすると父の名「志ん生」を継いでいたかも知れない。

立川談志が志ん朝に「志ん生を継げよ」と言ったエピソードはまるで落語の人情話な感じでいいよ。動画あります。


(志ん朝が亡くなった時の談志のインタビュー)

と、このように大名人圓朝の名は初代圓朝以降、正式は誰にも継がれることなく残っている。

しかし、1997年頃、実は藤浦家からある落語家に「圓朝を継がないか」という話があった、ということが最近わかった。

これまたすごい話なんだけどそれは長くなるのでまた今度。

かばんについて

2011-12-06 21:18:28 | 日記
鞄の話します。

僕にとっては仕事でよく外出するし出張もするんで鞄はすっごく大事。もちろんデザインもいいに越したことは無いけどとにかく機能性が大事。

僕が大事にしている機能性をざっと上げるとこうなる。

1、収納力があること。

→パソコンを持ち歩いているし、様々な資料だとか文房具だとかを持ち歩くので収納力は必須。そもそも僕はお客さんに対して「あ、その資料はちょっと用意してなくて…後で送ります」ということだけは絶対に言いたくないと思っている。そんなビジネスマン駄目でしょ。なもんだから資料が多くなる。だからよくある薄いブリーフケースじゃ駄目なんだよね。

2、肩にかけられること、かけやすいこと。

→たくさん入れると当然荷物が重くなる。それを手に持つのはしんどいからぜひ肩にかけたい。軽い鞄でも両手を空けたいので肩にかけたい。だから肩紐がつけられるものがいい。

3、収納スペースが2つに分かれていること。

→お客さんの前で資料を出したりする。その時にたとえば着替えとかが見えちゃうとかっこ悪いでしょ。だから書類入れスペース、着替え入れスペースが分かれていたほうがいい。ということでゼロハリなんかのアタッシュケースは却下。あれはがばっと開けないといけないからね。


こういうのね。見た目はかっこいいんだけどなー。

4、小物入れがある。

→携帯とかちょっとしたものを入れるポケットがあること。僕が持ち歩いている携帯2つ、財布だけでもスーツのポケットに入れるとかさばってしまう。だから鞄を持って歩いているときはこういう小物を鞄に入れる。そして頻繁に取り出す。だから取り出しやすい小物入れがついていないといけない。ということでこれまたアタッシュケースが却下。小物を出し入れするためにガバッと開けなきゃいけないからね。
僕は一度、アタッシュケースを使っていたことがあったけど、この「ガバッと開ける」というのが結構しんどいのよ。テーブルの上であればまだいいけど、道端で立っていて片手で電話かけながら、なんて場合だととても面倒。一本足で立って、片膝にアタッシュケースを載せて、なんてことになっちゃう。

5、キャリーケース(つまりコロコロ)の場合、ひっぱりやすいこと。

→車輪がよく回り、持ち手が持ちやすいほうがいい。ここで4輪にするか2輪にするかという問題が発生する。僕は両方とも使ってみたけど、結局「2輪がいい」という結論に至った。
使いやすく転がりやすいのはもちろん4輪なんだけど、4輪でも少し傾けて引っ張って2輪だけ使うシーンがある。そうするとその2輪と使わない2輪それぞれの磨り減り方が変わってきて4輪で使うときにがたついてしまうことがある。よって2輪が僕はベスト。
(書いてて思うけど細かいことにうるさいなぁ、我ながら)

6、価格がそんなに高くない。

→そりゃたくさんお金払えばいいもの買えるに決まってますけどさー。無制限にお金があるわけじゃーねーんですよ。(なぜか投げやり)

だいたいこのくらいの条件で鞄を探している。で、合う鞄というのはなかなかない。

今、主に仕事で使っている鞄は4つ。

1、ブリーフケース

薄いブリーフケース。たぶんタケオキクチ。これはあまり使わない。あまり入らないからね。パソコンと少しの書類と名刺入れと筆箱入れたらもういっぱい、ってくらいだもの。
たまに外回りがなくて会社行って帰るだけ、って時に使うだけ。

2、ナイロンバック

これがメイン。この話は後でします。

3、キャリーケースその1

メインの2。B4くらいのサイズ。アウトレットで買ったエースという日本の歴史あるバッグブランドの「ワールドトラベラー」というラインのもの。実はエースの本社はウチから歩いてすぐなので親近感を持ってます。A4より少し大きい書類がたっぷり入る。1、2泊の出張ならこれでOK。泊りがない時でも資料がたくさんあるときには使ってる。セミナーなんかで一人分の資料がA4で5枚、それを30人分、とか言われても入る。しかもコロコロだから持ち運びもしんどくない。
収納スペースが2つに分かれているので着替えとかを入れていても資料を出す時それを見せずに済む。

4、キャリーケースその2

縦長のキャリーケース。このタイプはほんと今までいろいろ苦労した。あるとき、たぶん名古屋だったと思うけど20日くらいの出張の頭くらいに壊れた、4輪のものだったんだけど、車輪の一個がぷらんぷらんと取れかけている状態になってしまった。こういうコロコロって車輪が壊れたら本当に邪魔で仕方がないのよ。持ち手が持ちやすいわけではないし、肩にかけられるわけでもない。
本当にどうしようも無いので名古屋駅の地下街で新しいキャリーケースを買いましたよ。もちろん壊れたものはその店に引き取ってもらった。こんな感じで緊急措置的に買ったし安物だったこともあってそれもまたすぐ壊れた。本当にキャリーケースでは今まで苦労をしてきましたよ。

その苦労の結果が今のもの。3泊以上の出張だとだいたいこれ。このキャリーケースには様々な秘密が詰まっていて、普通のとは違う。暇があったらこの話します。


で、今の問題はメインのナイロンバック。

これがね~本当に僕の理想の鞄なんですよ。まず収納力があることと収納スペースが2つに分かれているのがいい。そして2つの収納スペースの間にスキマがある。


ここ。

これがすごーく便利。チャックとかついていないからさっと小物を入れられるし、たとえば書類なんかを入れておいたら鞄を開けずに出すことが出来る。飲みかけのペットボトルだって入れられないこともない。

いつどこで買ったかはもう忘れちゃったんだけど、たぶん10年くらい愛用している。

買ったのは札幌のどこかだったと思うし、そんなに高くないはず。

とにかくこのバックがメインなんだけど、長年愛用してきただけあってやっぱりかなりヘタってきている。

前面のポケットのチャックは2つあったんだけど1つは完全に開かなくなった。

この鞄は荷物が少ないときは周辺のチャックを閉めておいて、多くなってきたらそのチャックを開けるとマチが広がり、収納力がアップする、という特徴があった。でもそのチャックが今は壊れてしまったのでずっと収納力が多いまま。

ショルダーストラップも完全に破けてしまったのでハンズで適当なものを買って付け替えた。

このあたりはまぁ我慢できるんだけど、そもそもそ隅や底が磨り減って穴が開くほぼ寸前というのはいかんともしがたい。見栄えもあまりよくない。

だから同じようなバックが欲しいんだけど何せまずこれと同じ鞄が見つからない。まぁどこで買ったかも覚えていないし、ブランド物でもないからね。

もしこれと同じものの新品がどこかで売っているのであれば3つほど買って「一生これでいい」と言いたいくらい。

まぁ無いものねだりをしていても仕方がないので新しい鞄を探していた。

これが、ちょうどいいのが無くて無くて。

そんなとき、ネットを探していたらTUMIの鞄を見つけた。TUMIってのは結構人気でビジネスマンが持ってるブランド。いいのは分かってるんだけど高いので手が出ないんだよなぁ、と思ってました。

僕がほしいサイズのナイロンのショルダーバックでも7、8万、ちょっとキャリーケースになっちゃうと10万は余裕で超える。

なかなか日頃使い用には買えないなぁと思ってたんです。

そしたらね、いまやっすいのね。

日本のデパートとかの正規販売店で買ったらそりゃ定価なんだけど、ネットで直輸入のものを探せば60%オフとかになってる。円高の影響だろうね。

そのくらいならまぁ予算内なのでいろいろ悩んだ結果、買いました。

定価72,000円が28,000円。60%オフ。うれしいなぁ。

これだけ安いなんて本物なのかな、という疑いもあったんだけど、購入証明書もあるし、トレーサー日リティシステムというTUMIの登録も出来るので疑いはとりあえず晴れた。

さー、これは長く使い倒しますよ。

汁マイドNo.68

2011-12-03 00:36:19 | 食べ物
思わず汁話が続きます。

スーパーに寄ったら豚バラブロックが半額で思わずガッツポーズ。嬉しい!

豚バラブロックったら角煮と弥生時代から決まってる。

いつもは醤油味だけど今回はこないだの塩味あっさり牛スジ煮込みが美味しかったので塩味にしてみました。



汁マイドNo.68

昆布だししっかり効かせて生姜とニンニクの風味で。

お土産に頂いた柚子胡椒でいただきます。

こんなの、美味しくない訳がない。美味い美味い美味いよ~。

生姜とニンニク効いててあったまるし。

もちろんこの汁をこれからフル活用。

まずは汁伸ばして醤油味にしてラーメンにしてチャーシュー替りに肉も載せるでしょー、角煮を刻んでチャーハンでしょー、カレールーと炒めた野菜入れてカレーでしょー、その汁を出汁で炒めてカレーうどんで〆ますか。

3日は食えるね。