キャラメルポップコーン食べ過ぎてどーもすいません。だっておいしんだもの人間だもの。映画観てるとときって、目や耳は働いているんだけど口が暇だからついつい食べちゃいますなぁ。
キャラメルポップコーンって映画館以外ではあんまり食べないけど、食べると美味しくないですか?やめられないとまらない。でもさ、すごく嫌なのがキャラメルポップコーンの底のほうにポップしてないポップコーン(って表現でいいのかな?つまりはまぁ固いやつ)があってそれかんじゃうと固くてやだよね。映画館ってくらいから最後残ったやつがーっと飲もうとするとよくそうなる。僕だけ?
つーことで今回も映画館で観てまいりました「シャッター・アイランド」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/49/8eb6bcdbedbe737be4e95f82158d84af.jpg)
マーティン・スコセッシ監督レオナルド・ディカプリオ主演で「ミスティック・リバー」の原作者の小説を映画化、だってさ。
マーティン・スコセッシ監督といえば有名なのは「タクシー・ドライバー」、それと僕らが大好きな「グッド・フェローズ」ですね。
今回の話は、
精神を病んだ犯罪者だけが収容される刑務所のある孤島、シャッター・アイランド。そこにやってきた捜査官(ディカプリオ)。しかしこの島にはある秘密があった。。。
ってことだそうです。
映画『シャッター アイランド』予告編(90秒)
えっとねー、最初から「この映画には謎があります。見逃さないように」とわざわざご丁寧に目の錯覚を利用した映像なんかも作って(これは日本側が作ったんだと思う)説明してくれるんだけど、正直「んなことわかっとるわ!」と思うね。どんな映画だって多かれ少なかれ謎があってそれを知りたいから観に行くわけでしょうに。
で、結局この映画の「謎」が最後分かるわけだけど、…そんなに重大な謎かなぁ?映画のオチとしては良くあるでしょ。ミステリィ小説としてもよくある。これを「史上最大の謎」とか本気で思うんであればその人は「ミステリィ小説なんて読んだこと無いんじゃないの?」と思うね。
じゃあ落ちがよくあるから駄作かと言うと僕は決してそんなことないと思う。
少なくともスコセッシ&ディカプリオコンビの前作「ディパーテッド」よりは数段面白かった。
この映画で一番面白かった部分は(僕は)「自分が真実だと思っていることが実はぜんぶ虚構だったら」ということだと思う。
「すべての世界が5分前に作られた、と仮定しても何も矛盾は生まれない」ということはよく言われているけど「もしすべての世界が虚構だったら?」ということは古来から色んな人が考えたことだよね。それに対するひとつの回答が「すべてが虚構だったとしても『虚構かも知れない』と考える自分は確実に居る。」と言う思想が『我思う、故に我有り』と言うデカルトの言葉だよね。
でもね、それすら本当なんだろうか?
今後、技術が進んでバーチャル・リアリティ(って言葉ももう懐かしいな)で人生を体験出来るかも知れない。脳に直接刺激を与えることで体験していないことも体験した、と感じられるかも知れない。そんな技術が進んでも我々は今いる現実は確かに現実だ、と言い続けられるんだろうか?それでもまだ『我思う、故に我有り』と言い続けられるんだろうか?
この論争は70年代くらいのSF小説でさんざん語られた話だよね。えーっと何だっけ、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とか。
そのいわば古典的な恐怖のテーマをベースにしているんで、この映画は非常に古典的な話だと思う。確信は無いけどたびたび古典的恐怖映画ヒッチコックを彷彿とさせるシーンもあったし。観ながら「ああ、古典的だなぁ」と思ったもの。決して「古臭い」という意味ではなくて。
あとはすべてが(一応)明かされた後での最後のディカプリオのせりふね。見た瞬間には「あー、そうですか」と僕は思ったけど後で考えてみると実はすごい選択をしていることを示唆しているのかも知れないな、と思ってます。
故にこの映画はミステリィ映画としてではなく非常に古典的な恐怖映画として観たほうがいいと思います。「途中のヒントを見逃さないように」とか(余計なお世話で)言われるけど普通に見てたら気づかないし。公式サイトで見終わった人用にヒントが出てるんだけど、「そんなん言い方次第やんけ!」と思うものばっかり。
そんな分かりづらいある意味後付けのヒント探しに一生懸命になるよりもヒントをまぁ一種のサブリミナルだと思ってしまって映画に身をゆだねてしまったほうが楽しめますよ。
キャラメルポップコーンって映画館以外ではあんまり食べないけど、食べると美味しくないですか?やめられないとまらない。でもさ、すごく嫌なのがキャラメルポップコーンの底のほうにポップしてないポップコーン(って表現でいいのかな?つまりはまぁ固いやつ)があってそれかんじゃうと固くてやだよね。映画館ってくらいから最後残ったやつがーっと飲もうとするとよくそうなる。僕だけ?
つーことで今回も映画館で観てまいりました「シャッター・アイランド」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/49/8eb6bcdbedbe737be4e95f82158d84af.jpg)
マーティン・スコセッシ監督レオナルド・ディカプリオ主演で「ミスティック・リバー」の原作者の小説を映画化、だってさ。
マーティン・スコセッシ監督といえば有名なのは「タクシー・ドライバー」、それと僕らが大好きな「グッド・フェローズ」ですね。
今回の話は、
精神を病んだ犯罪者だけが収容される刑務所のある孤島、シャッター・アイランド。そこにやってきた捜査官(ディカプリオ)。しかしこの島にはある秘密があった。。。
ってことだそうです。
映画『シャッター アイランド』予告編(90秒)
えっとねー、最初から「この映画には謎があります。見逃さないように」とわざわざご丁寧に目の錯覚を利用した映像なんかも作って(これは日本側が作ったんだと思う)説明してくれるんだけど、正直「んなことわかっとるわ!」と思うね。どんな映画だって多かれ少なかれ謎があってそれを知りたいから観に行くわけでしょうに。
で、結局この映画の「謎」が最後分かるわけだけど、…そんなに重大な謎かなぁ?映画のオチとしては良くあるでしょ。ミステリィ小説としてもよくある。これを「史上最大の謎」とか本気で思うんであればその人は「ミステリィ小説なんて読んだこと無いんじゃないの?」と思うね。
じゃあ落ちがよくあるから駄作かと言うと僕は決してそんなことないと思う。
少なくともスコセッシ&ディカプリオコンビの前作「ディパーテッド」よりは数段面白かった。
この映画で一番面白かった部分は(僕は)「自分が真実だと思っていることが実はぜんぶ虚構だったら」ということだと思う。
「すべての世界が5分前に作られた、と仮定しても何も矛盾は生まれない」ということはよく言われているけど「もしすべての世界が虚構だったら?」ということは古来から色んな人が考えたことだよね。それに対するひとつの回答が「すべてが虚構だったとしても『虚構かも知れない』と考える自分は確実に居る。」と言う思想が『我思う、故に我有り』と言うデカルトの言葉だよね。
でもね、それすら本当なんだろうか?
今後、技術が進んでバーチャル・リアリティ(って言葉ももう懐かしいな)で人生を体験出来るかも知れない。脳に直接刺激を与えることで体験していないことも体験した、と感じられるかも知れない。そんな技術が進んでも我々は今いる現実は確かに現実だ、と言い続けられるんだろうか?それでもまだ『我思う、故に我有り』と言い続けられるんだろうか?
この論争は70年代くらいのSF小説でさんざん語られた話だよね。えーっと何だっけ、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とか。
そのいわば古典的な恐怖のテーマをベースにしているんで、この映画は非常に古典的な話だと思う。確信は無いけどたびたび古典的恐怖映画ヒッチコックを彷彿とさせるシーンもあったし。観ながら「ああ、古典的だなぁ」と思ったもの。決して「古臭い」という意味ではなくて。
あとはすべてが(一応)明かされた後での最後のディカプリオのせりふね。見た瞬間には「あー、そうですか」と僕は思ったけど後で考えてみると実はすごい選択をしていることを示唆しているのかも知れないな、と思ってます。
故にこの映画はミステリィ映画としてではなく非常に古典的な恐怖映画として観たほうがいいと思います。「途中のヒントを見逃さないように」とか(余計なお世話で)言われるけど普通に見てたら気づかないし。公式サイトで見終わった人用にヒントが出てるんだけど、「そんなん言い方次第やんけ!」と思うものばっかり。
そんな分かりづらいある意味後付けのヒント探しに一生懸命になるよりもヒントをまぁ一種のサブリミナルだと思ってしまって映画に身をゆだねてしまったほうが楽しめますよ。