彼は大学の同期。一時期一緒に住んでた。奥さんも仲良し。奥さんが逆プロポーズした瞬間にも僕いたしね。札幌に居たときは毎週日曜日彼らの家でご飯食べてた。いやー日曜の夜に一人でご飯って寂しいじゃん。
その奥さんが言うには旦那は「ありがとう」という言葉をなかなか言わないらしい。そう言えば僕もその旦那と付き合い長いけど「ありがとう」と言う言葉はあんま聴いたことないなぁーと思ってた。まぁ、彼と僕の関係で言うと僕がありがとうという場面の方がたくさんあった、ということもあるけどね。そもそも一緒に住んでたのだって僕が居候してたわけだし。わはは。
奥さんが言うには「当然ここは『ありがとう』って言われるだろうな、というシーンでその言葉がないと『アレ?』と思う。その『アレ?』が積み重なるとストレスになる」ということを非常にあっけらかんと(そういう人なので)言ってた。旦那は「いやいや、それは…」と弁解しようとしていたけど、客観的に審議するとこの時点で旦那さんはい、負けー。
こういうのはね、旦那さんも感謝してないわけじゃないだろうし、だいたい感謝の気持ちがない人なんていないからね、でも判断基準は言うか言わないかなんだよねー。
「いっつも感謝してるよ!してないわけないじゃん!」と後で必死になってもだめなんだよね。それより常に「ありがとう」と言ってないと。考えてみるとウチの両親は常にありがとうありがとうと言ってるもんね。
ウチの家訓は「ありがとうとご馳走様を最高の笑顔で言えれば食いっぱぐれない」ってことでして。
昔、金ないときにいろんな人がご飯食べさせてくれたけど、「おいしそうに食べる」「残さず食べる」「最高の笑顔でご馳走様と言う」ってのは一種のエンターテイメントだと思ってましたからね。だから友達のお母さんとかに好かれる。「ほんとshowくんは何でも食べるのねー、気持ちいいわ」と。僕もほめられると弱いんで更においしそうに食べるわけです。で、寝ちゃったりしてね。起きてまた食べてそういう動物みたいな若者が珍しがられてたんでしょうな。しかしまぁただおいしいものおいしく食ってるだけで喜ばれるなんて幸せだよねー。そういう仕事ないもんかね。(あ、彦麻呂とか石塚のポジションか、これ)
いや、実際さー、僕らの両親世代の人が作ってくれるご飯っておいしいんだよね。バランスとか彩りとかも考えてくれちゃったくらいにして。結構贅沢、というか心の贅沢な人たちが多いじゃないですか、ああいう年代の人たちって。なんて言うか皿なんかもこだわってたり。そういうご飯大好きです。
むめもさんちなんかによく行ってご飯食べさせてもらってたけどおいしかったもんね。(美味しいしお母さんおもろいし) 水餃子とかバーベキューとか。ここの家庭はいっつも美味しいもの食べさせてくれた。うーん、そう考えたらむめもさんちのバーベキューに今年は行きたいなー。
そうそう、ドッピオさんちもたまに行くといろんなもの出してくれたな。マドモアゼル唯先生んちも一杯出してくれたなー、そういえば。家で腹いっぱい焼肉食べさせてもらった後に親父さんに連れ出されてバーでピザ二枚とか食わしてくれたもんな。
うーん、考えてみるとなんか食べさせてもらったことって結構覚えてるな、俺。
今回は「ありがとう、って大事」という話しようと思ったんだけど、やっぱり「ご馳走様」も大事だな、と思ってきた。おいしい物を好きな人と食べる、ってこと以上の幸せないね。
こないだも大多福行ってご飯食べてたら目の前の女性は「おいしいおいしい」って食べてくれるし、周り見回したらみんな鍋囲んでおでんつつきながら笑顔なんでほんと幸せになりましたよ。
「鍋」という文化のある国に生まれてよかった、とすら思うもんね。昔、札幌にいたとき日曜日は友達夫妻の家でご飯食べてた、って言ったけどあの時もやっぱり幸せだったもの。なんつーことはない普通の豚バラしゃぶしゃぶですけどね。ビール飲んで豚バラをゴマだれで食べて四方山話して。とりあえず鍋か焼肉囲めばいろんなこと解決すると思うんだよな。だから一回鍋食いに来いよ、ブッシュ、プーチン、正日よ。