浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

土曜の仕事論

2011-01-31 18:37:18 | 仕事
昔、外国の人と話していて「どの曜日が好き?」って聞かれた。(イタリア語のレッスンだったわけだけど)

んで僕はもちろん「日曜日!」と即答してから「あ、やっぱり土曜日かなー。休みだし更にまた明日も休み、というワクワク感がね。あなたもそうでしょ?」みたいな話をした。

そしたら相手から「うーん、私はカトリックだから子供の頃は日曜は教会に行く日で休みじゃなかったんだよね」と言われて、ああ、そうかー、と納得した覚えがある。

今は誰でもサラリーマンでも土日休みが結構一般的になりつつある。(もちろんサービス業の方は休みが平日だったりするだろうけど、いったん置かしていただいて)

土日休みになったのって考えてみると最近の話ですよね。

少なくとも僕が小学校の頃は土曜日は学校だった。午前中で終わりだったけど。

サラリーマンの人とかも80年代くらいじゃないかな~週休2日制になったのは。

その後、学校が完全週5日制になったんだよね。

今は「週5日制」とは言っても決して景気のいい時代じゃないから「土曜も仕事だよ」ってのはよく聞くし、そりゃ僕だってたまに土曜出勤することだってある。

特に今の会社に入った直後(ああ、なんともう10年前ですよ)の頃には会社が忙しかったこともあったし、僕も仕事に不慣れで土曜日出ないと終わらない、ということもありよく土曜日仕事してた。

個人的には土曜出勤ってそんなに嫌いじゃない。

そりゃ今後、永遠に土曜日は働け、って言われたら嫌だけど、たまに土曜日出てみたりすると逆に気分も変わる。

僕の仕事ってのは大体相手がいるものなので土曜日にお客さんと会う、ということはあまり無い。

土曜日になにやるか、というと、
・次週の先取りの仕事
→やっとくと次の週が楽になる、という部類の仕事。こういうのばっかりだといんだけど。
・前週の残りの仕事
→ダメなパターンだね。なんかいろんなことがたまっちゃってそれ片付けないと、みたいな感じ。
・会議とか研修とか
→メンバー全員が飛び回ってたりしているとみんなで顔付き合わせて話せるのが土曜しかない、ということになるから。
・一般消費者向けイベント
→休みの日じゃないと集められないから。
って感じになる。

イベントはまた別だけどそれ以外はだいたいみんな日頃のスーツとは違って私服で着てOK、みたいな感じになって、特に作業ばっかりの日だとあまり人のいないオフィスで電話もかかって来ないんで能率が良かったりする。

土曜の昼前くらいにのんびりと私服で出社すると同じく仕事たまってる人が来てたりして。

ちょっとダベッてちょっと仕事して「んじゃせっかく土曜日なんでいつもと違うところでランチしましょうか」なんて少し遠目の店でランチ食べたりなんかして。

昔、札幌営業所だった頃は「天気もいいしデパ地下で弁当買って大通公園で食べようか」なんて言って男4人くらいで大通ランチしてたりしたもんです。

話の分かるマネージャーがこっそり人数分缶ビール買ってくれてたりし…たことなんかはまぁ無いです。あるわけないじゃないですか。まぁあったかな(笑)

札幌時代はみんな若くて(20代前半)、独身が多かったし更に言うと恋人もいなかったりして休みの土曜日なんて言っても「あー、家にいても暇だから会社行くか」なんて雰囲気があってそれはそれで楽しかった。

それから幾年かが流れて現代に至るわけだけど、今となっては明らかに土曜出勤が減った。

理由はもちろんいくつかあるけど、単純に「会社に余裕が出来たのね~」ってことじゃあない。(だったらいいけど)

まずネット環境の進化。ずいぶん年を取ったような言い草になるけど当時、自宅では電話回線でインターネットに接続していた。それって普通のことだったよ。で、それだと重いデータをダウンロードするには時間がかかるから「じゃあ会社行ってやったほうが早いや」と思って出社していた、ってことがある。

現代になってしまうと自宅の通信速度は会社とそう大して変わらない。会議にしたって今はネット会議なんかもあるわけだから「わざわざ会社で集まって会議しなくてもネット会議でいいんじゃない」と思うことだってあるよね。

それから既婚者が多くなって土曜日は家族サービスしないと、、って人が増えたってのもあるし、土曜日に無理して出社して月曜に疲れてるくらいなら土日しっかり休んで月曜からフル回転してよ、ってところもあるしね。

ということで土曜日出勤ってのは以前に比べると減った。

もちろんそれはそれで何よりいいことだと思う。

やっぱり週に2日休みだと、一日はちょっとどこか出かけてアクティブな日で、もう一日はゆっくりして、、って生活が出来るものね。

とはいえ、人生の一期間に「土曜も日曜もないわ!仕事仕事だわ!」って言うのがあって僕個人としては「あれはあれで色々学ぶことがあったな」とは思う。

土日休むためにいかに平日の仕事を段取りよくするか、という考え方も身についたし、そもそも「うん、十分休んで体力と気力を回復させるってのも仕事の一つだな」とも思えるし。

これから年度末に向けて土曜出勤が増える人も多いかも知れないけど呉々も体壊さないようにしてくださいねー。

さよならで三つ

2011-01-24 19:12:31 | 日記
実は最近さよならを言うことが多い。

仕事変わるから引き継ぎでたくさん、プライベートで一つ。

「さよなら」というと僕が思い出すのは三つ。

一つは、

「さよならを言うことは少しだけ死ぬことだ」
"To say goodbye is to die a little."


これはレイモンド・チャンドラー著「ロング・グッドバイ」の主人公フィリップ・マーロウの名台詞。

これって年々この気持ちが分かってくような気がして切ない。

厭世的になってるわけじゃないんだけど、もうどう考えても僕のこれからの人生で出会える人ってのは有限になっている。
もっと子供の頃だとそれから出会う人って永遠にも思えるくらい大勢な気がしていたんだ。友達100人出来るかな♪なんて歌ってね。
でもこれからは決して無限の人々に出会うわけじゃない。もちろん子供の頃からそうだったわけだけど子供の頃はそれに気づいてなかっただけ。

そう気づいた後には、誰かにさよならを言う度に自分の大事な体の一部がもがれるような、削り取られるよう、そんな感じがして、それこそ「少しだけ死ぬ」って感覚はよくわかる。

もう一つ「さよなら」は「勧酒」という漢詩を井伏鱒二が訳した文。

---
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

---

さよならだけが人生、と言われるとそれは身も蓋もなく寂しいけれど事実なんだから仕方がない。誰だって最後には「死」でもってすべてとさよならしなければいけないんだからね。だからこそ、今はなみなみと盃に酒を満たせばいいと思う。


そして3つ目は、山口百恵が歌ってた「さよならの向こう側」って歌。

リアルタイムで山口百恵がこの歌を歌って引退した時には僕はまだ小さかったからあまり記憶に無いけど、それでも成長してTVでこの時の模様が出るたび思ったことは「ああ、この人は本当に愛して愛して仕方がないことに決別しようとしているんだな」ということ。

「決別」、つまり「決めて別れる」ってことね。

さよならを言わない方法だってあったかも知れない。なんとなく時が流れていくままにして曖昧にする方法だってあったかも知れない。
でもこの人は自らさよならを言うことを決めて、それは苦しいだろうし辛いだろうけど、別れて行ったんだろう、と観ながら思った。


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何億光年 輝く星にも 寿命があると
教えてくれたのは あなたでした
季節ごとに咲く 一輪の花に 無限の命
知らせてくれたのも あなたでした
Last song for you, last song for you
約束なしの お別れです
Last song for you, last song for you
今度はいつとは言えません

あなたの燃える手 あなたの口づけ
あなたのぬくもり あなたのすべてを
きっと 私 忘れません
後姿 みないで下さい
Thank you for your kindness
Thank you for your tenderness
Thank you for your smile
Thank you for your love
Thank you for your everything
さよならのかわりに

眠れないほどに 思い惑う日々 熱い言葉で
支えてくれたのは あなたでした
時として一人 くじけそうになる 心に夢を
与えてくれたのも あなたでした
Last song for you, last song for you
涙をかくし お別れです
Last song for you, last song for you
いつものようにさり気なく

あなたの呼びかけ あなたの喝采
あなたのやさしさ あなたのすべてを
きっと 私 忘れません
後姿 みないでゆきます

Thank you for your kindness
Thank you for your tenderness
Thank you for your smile
Thank you for your love
Thank you for your everything
さよならのかわりに
さよならのかわりに
さよならのかわりに
---

本州ではね

2011-01-21 11:07:49 | 食べ物
「うまい餃子よりまずい餃子のほうが好き」って言ってる人がいましてね。

「なにアホなこと言ってるんだ」と思われるかも知れないけどまぁ聞いてください。

僕も餃子大好きなんだけど僕が好きな餃子ってのは決して高級なものじゃない。ほら、よくちょっと高級な中華料理屋なんかに行くと肉だのエビだのがぎっしり詰まった餃子があるでしょ?

僕はああいうのよりもっと力を抜いて、「キャベツがたっぷり余ってるんで今日は餃子~♪」みたいな感じで作られた餃子のほうが好きだなぁ。

真っ二つにした時の断面図がこう→(_)なってる餃子あるでしょ?具だくさんな。こういうのはつまりまぁ「うまい餃子」ですよ。もちろんこういうのはこういうので旨いんだけど日曜の真っ昼間からビール飲みたくなって…なんて時はこういう餃子だと「うーん、違うんだよなぁ」と思っちゃう。

やっぱりそういう時はジャンクな、普通に断面図が△←こんな感じな、適度に力抜けてるような餃子がいいいよね。

最近なんでか「やっぱり餃子って美味しいなぁ」と思ってしまって先週なんて結局4回餃子を食べた。

火曜日の夜と水曜の昼は王将、土曜の昼に天下一品で、そして日曜の昼に浅草の「餃子のおうさま」で。

どれもいい感じで力が抜けてて旨い。

んで結局僕は王将の餃子が一番好きかも知れないなぁ、本州ではね。


王将の餃子。

もちろん本州外も含めるのであればベストは「みよしの」。

特にみよしのの餃子カレーだと焼きたてじゃなくて作り置きのいい感じに力が抜けたカレーで素晴らしい。

んー餃子食べたい。

食べ物には早い

2011-01-15 13:47:09 | 食べ物
もうほとぼりも冷めたんでちょっと書きましょか。

タイガーマスクについて。

いや、嘘です。

がっかりおせちについて。

年末に「ネットで注文したおせちが見た目と違う」という話題になってテレビでも取り上げられてた。

まぁネット系のちょっと話題になりかけてたサービスを使った話だったんで仕事に関わりが無いわけでもないので少しだけ関心もってました。

そもそも僕はあんまりおせちを食べない。

たとえば今年の僕の実家でのご飯はこんな感じ。

父親の地元から送って来たホタテ(貝付のを開けたの)、塩ウニ、いくら、たらこ。それに日本酒。そのあと茨城のご飯。あと祖母の家でついたお餅。

もうこれだけありゃわざわざおせちは入らないですわ。

そもそもおせちってさ、どーにもおかずにも酒のツマミにもならんじゃないですか。

栗きんとん、黒豆あたりはありゃスィーツですよね。伊達巻きももうちょっとしょっぱければご飯食べられるけどね。なますは酒のツマミになるけどそればっかり食べててもねぇ。。。

というわけであんまりおせちに思い入れがない。

あれって昔は「いつも忙しいお母さんが三が日くらい料理しなくてもいいように」って出来たものでしょ?

今だったら料理しなくてもさっと食えるものなんていくらでもあるしね。

伝統としておせちを大事にしてます、という人を僕は否定しないけど「じゃあ別に買わないで作ればいいんじゃない?」とも思う。

で、今回の出来事で思ったのは「日本人は食べ物関係だと動き早いなぁ」ということ。

昔あった汚染米、毒餃子の事件にせよ、とにかく「食べ物が悪いことになってる」という出来事が起こった時の日本人の怒りや悲しみはちょっと他の物と比較出来ないくらいなんじゃないかと思う。

お役所の動きだって速いしね。

何せ「食べ物の恨みは恐ろしい」って言い方があるくらいだからね。

諸外国はこういうのどうなんだろう?

たとえば日本語だと「刑務所に入る」という言葉の暗喩が「臭い飯を食う」になるわけだけど、他の言語でもこういう言い回しってあるのかね?

大きいんだけど使わないと思うなぁ。

2011-01-12 18:59:15 | 日記
家で飲むのはビールとか焼酎とかワインが多い。

だから、そのためのグラスもあったりするんだけど結構割っちゃうんだよね。ちょうどお気に入りだったワイングラスを割ってしまったので欲しいなぁと思ってた。

で、こないだ隅田川沿いをジョギングしてたら小さなガラス屋さんが出来てるのを見つけた。アウトレットと書いてあるんで観てみたらやすかったんだよね~。

まずワイングラス。これは1200円くらいが300円かな。

それからオンザロック用のグラス。これは1000円が200円。


安いねぇ。

どちらもよくみると気泡が入っている。それがアウトレットの所以かも知れないけど僕にとっちゃ「まぁこれも味じゃん」と思える。

んで、1000円分くらいしか買ってないのにお年賀ということで花瓶もらった。

結構大きい。

花を自分のために買うことなんてあんまり無いんだよなぁ。

ヒーロー論だけでも読み応えあるよ

2011-01-07 21:05:32 | 
いやー年始早々いい本読んだわ~。

街場のアメリカ論 (文春文庫)街場のアメリカ論 (文春文庫)

この人のは「街場のメディア論」も面白かったし「下流志向」「日本辺境論」も面白かった。

んで、このアメリカ論は更に興味深いね。

何を主題にしているかと言うと日米の比較論。

その中でも「ちょっとこれは!」と思った日米のヒーロー像の違いについてのところを書いときます。

アメリカのヒーロー像、特にアメコミのヒーロー像は固定のパターンがある。スーパーマンにせよバットマンにせよスパイダーマンにせよ。

そのパターンの代表的なものは「変身する、しかし変身前の正体は誰にもばれていない」「そのヒーロー活動が決して市民に好まれてはいない」あたり。

これは特にバットマンに非常に当てはまるね。(映画「ダークナイト」ではバットマンは街を守るためとは言え警察から追われる立場になっている。)

で、このパターンとは何を象徴しているのか?

これはつまり「国際社会におけるアメリカの態度」ということになる。

ヒーローは街を良くするために体を張って戦う。でもそれは誰も感謝してくれない。むしろ街の人々からは「ヒーローが暴れると街が壊れる」とか迷惑がられたりする。俺の気も知らないで…。俺がいないと街はもっとめちゃくちゃじゃないか。。。もっと感謝しろよ。

これはアメリカ人が国際社会に対して感じている気持ちである。

一方、日本における特徴的ヒーロー像とはどういうものか?

それは鉄人28号から始まりガンダムを経てエヴァンゲリオンに続いた「巨大ロボット」の系譜。

これらの特徴は「強いのは巨大ロボット」「そのロボットは前時代の英知を結集して作られた」「ロボットは意志を持たないが故に操縦者により善悪どちらにもなり得る」「しかし、それを操縦出来るのは作った前時代人(大人)ではなく『子供』だけである」というもの。

これから分かることな何か?

これは第二次世界大戦を経た日本人の反省と希望。

つまり使い方次第で善悪どちらにもなる、意志を持たない巨大ロボットは「軍隊」「兵器」ということになる。

これを前時代の人間達は使い方を間違え、戦争を引き起こしてしまった。

その反省を踏まえ、これからの人々、つまり子供たちの世代、には正しい使い方をして欲しい。

これが日本のヒーロー物に込められているメッセージである。

うーむ、なるほどなぁ。


そう考えると、更にも一方の日本のヒーローのロールモデル、仮面ライダーやウルトラマンはどうなるのか?とも思う。

ウルトラマンが仏教の影響を受けている(M78星雲≑涅槃、ウルトラマンの顔≑アルカイックスマイル、、、)というのはまぁ色々なところで書かれていることだからいいとして、仮面ライダーはどうなんだろうね。

僕は仮面ライダーの特徴は「本人は望まずに」ヒーローになってしまったということだと思う。

タイトルの所で、主人公がショッカーに羽交い締めにされながら「やめろ~!」と言っているのは非常に特徴的だよね。

アメコミのヒーローはもちろん事故の結果、超人になったということはあったとしても、最終的には自己のトラウマのため、自ら望んでヒーローになる。でも仮面ライダーは違う。

そもそも自分が「改造人間である」というトラウマはショッカーにより作られたものであり、そのトラウマを克服するためにショッカー自体と戦う。

うーん、これは日本における個人と組織、そしてその家庭で形成される人格あるいはトラウマの克服についてのストーリーであるような気がするなぁ。

なんでも無いことをこうやって無意味に深読みしていくのって楽しいんだもの。

つまりヒーローというのは人の憧れであり、憧れであるということは大衆がなりたいと思っている姿の具現でもある。

ということは各時代のヒーローを研究していけばその時代の人々の「望み」が見えてくるんじゃないかと思う。更に言えば日米の比較を(この本はあくまで入門書だから)より深く行えば非常に意味あることなんじゃないかと思う。

これって文学的にもマーケティング的にも非常に重要な研究だと思うんだけど、これを網羅的に行っている人はいないのかな?

例えば「黄金バット」という髑髏、黒マント、シルクハット、という明らかに悪役的なイメージのヒーローは何を象徴していたのか?月光仮面はなぜ顔全体を隠していたのか?

誰か研究してないかな~。

別名パンダ

2011-01-05 00:27:03 | 食べ物
なんたって去年一年間で最も衝撃を受けたのは「黄ぃそば」(きぃそば)の存在です。

去年、よく大阪に行くようになって発見したんです。

まぁ簡単に言ってしまうと駅の立ち食いそば屋にあるメニューなんだけど、関西風のだし汁の中に湯がいたラーメンを入れて食す、というコペルニクス的発想に基づく新メン。

肉が乗ってるのはこの時、僕がお腹減ってたからトッピングでお願いしただけで本当は油揚げ、ネギ、天かすの3つの具で非常にシンプルなものなんです。

ほら、麺は中華メン。

初めてこれ食べた時は関西の底力を改めて感じた、、いや「おい、関西!こういうの隠してちゃダメでしょー!」と怒りたくなったね。

この黄ぃそば、僕の行動範囲の中では阿倍野橋駅の立ち食いそば屋でしか観たこと無いけど、かといってその店だけにしかない、って訳じゃないみたい。

ネットで調べてみると別名「パンダそば」とも言われているそう。まぁ、きつね、タヌキ、に続いて中華メンを使ってるから、らしいんだけど。

これがね~ラーメンほどこってりしておらず、かといってそば・うどんよりは何となく食べ応えがあって旨いんだよね~。

かけつゆにもなんというか中華メン独特の小麦の感じの香りが移っててさ。

最近、自宅でもどうにかして食べられないかと思ってチャレンジ中です。

ま、チャレンジ中と言ってもスープはお湯沸かしてそこに白だしで味付けて完成。買ってきた中華メン茹でてそこにその汁かけて、具に刻んだ油揚、ネギ、天かす載せればそれなりに旨いもの出来るんだけどね(レシピを説明しようと思うと文が長くなる)。

中華メンは出来れば細麺がいい。極細麺だとどうも気分が出ないんだけど、太麺はNG。そして縮れてる黄色っぽいのがいい。ネギも出来れば関西風の青いネギがいい。
そうそう、メンは出来れば腰が少し無くなるゆるゆるな感じで茹でた方が立ち食い気分が出る。

いろんな人にこの黄ぃそばの話してるけどどーも誰も乗ってきてくれない。でもね、ほんとーにオイシんだから。