浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

Firewoks

2010-07-31 16:08:25 | 
台東区浅草に住んでもう5年くらいになるのかな。

浅草の夏と言えばなんたって隅田川の花火大会です。

うちのアパートは屋上があって、洗濯物干したりしながら「あー、ここから花火見えるのかなぁー」と考えたりする。

角度的には見えてもおかしくないんだけど決して高い場所では無いんで見えないかも知れないし。。

うちのアパートの屋上から花火を見たことはないんだよね。

だいたい花火大会の日に(地元にいるなら)、昔だったら会社の屋上が開放されてたんでそこで見たり、友達の家で見たり。去年の友達の家はまさに打ち上げ場所の真向かいで最高にダイナミックだった。

花火の日はさすがに混むので、めちゃめちゃに混んだ道路を眼下に眺めながら屋上でゆったり「ビールうまいねー」なんて言っているのはやっぱり地元民の特権ですよ。

恋人と一緒に見れたらそりゃ最高だけどそういう経験は一回しかない。(さーせんね、どうも)

今年は会社の人と「うちの屋上で花火見ません?いや、見えるかどうかは僕もわかんないんですけど」という無責任な誘い方をしてたんだけど、みんな出張で都合が悪そうで結局一人。

ま、一人で「本当にうちの屋上から花火は見えるのか」という疑問を解決するために家の屋上から見てみようと思ってます。

そんな土曜日、7月31日。

リピータビリティ?それって美味しいの?

2010-07-30 21:10:23 | 食べ物
科学においてもっとも重要なことは「リピータビリティ」つまり「再現性」。再現出来ないのであればそれは科学的に実証されたことにならない。

同条件下で同じ実験をしたときに同じ結果が再現されること、これこそが科学的に証明された、ということになる。

料理は好きだけどそういう意味では僕の料理は科学では無い、再現性が無いから。
よっぽどのことが無い限り分量を量ることって無く、基本的に適当。

ということで今回も再現不可能なカレーを作る。

いっつもは市販のカレールゥを使ってカレーを作るけど、たまに「あー、スパイシーなカレーが食べたいな」って時にはスパイスからカレーを作る。

なぜかうちの近所にインド食材直輸入店があってそこで買い込んだスパイスがたっぷりあるからね。

まず鶏挽肉をニンニクとショウガのみじん切りとともに炒める。ほんとはタマネギを飴色に炒めたやつあるとベストなんだけど今日はタマネギがないので割愛。

そこにガラムマサラ、ターメリック、カルダモン、チリペッパー、シナモン、クミンなんかを投入。分量なんて量らない。最初は量ってたけどもう適当。このへんが再現不能なとこだな。

部屋中がなんかアジアンなにおいで充満してくる。

そこにざく切りにしたトマト、それと安かったひよこ豆を投入。ちょっと煮込んだら塩で味を調えて完了。スパイスだけでカレーを作るとき味を調える塩はとっても重要。

こういうことやってると「本格的ですね」とか言われるけど実は違う。スパイスでカレーを作るのは早くて簡単だから(あ、もちろん旨いから)。10分くらいで出来ちゃうんだもん。

合わせるご飯はサフランライス。ついでにキャベツもあったんでベーコンとコンソメ味の煮浸し作る。


あー、やっぱ夏はカレーですなぁ。

そうか、、

2010-07-29 21:46:08 | 
最近、本の話ばっかりだけどなんでかと言うとパソコン買い換えてDVDドライブついてないのにしたのね。

だもんだから、出張で出てるとDVDが見られない。なんで本ばっかり読むことになる。

家にいるときはDVDも見てるんだけどね~。

つーことで今日も本の話。


金魚は一匹で金魚鉢で飼うよりも、金魚鉢にオスメスのつがいを入れて飼った方が長生きする。

更に言うと、そのつがいのオスを殺してもメスは生き続ける。

でもつがいのうち、メスを殺すとオスは弱って死んでしまう。

そんな実験結果があったと思う。

(こういう話、僕はそもそも事実関係を間違えて記憶してたりするし、たまに事実よりおもしろいように喋る傾向があるのであんまり信用しないでほしいけど)

この実験結果が僕の記憶違いかどうかは定かではないけど、これって「そりゃそうだろうなぁ」と納得できるものじゃないですか?

個人的な意見だけど、オスって遺伝子的にはぜったいに不完全で、すごく弱い生き物だと思う。もちろん人間のオスもね。

その弱い人間のオスが、弱いからこそ論理や力で武装をしてきた、というのが人類史だと僕は思ってます。

この本を読んでそういうことを思い出した。

そうか、もう君はいないのかそうか、もう君はいないのか

城山三郎、という作家がいてその作家はかなり硬派な経済小説を書く人。

その人が奥さんに先立たれた後、その思い出を綴った手記。

奥さんとの出会い、奥さんとの生活、そして別れまでが書かれている。

多くの男に取って愛した人に先立たれる、と言うのは常に心の底にある「恐怖」の一つだと思う。もちろんそれは女性に取っても「旦那さんに先立たれる」ということで変わりはないんだろうけど、男の僕の気持ちとしては「いや、奥さんに先立たれた男性のほうがつらいんじゃないかな」と思ってしまう。(偏見だったらすいませんね)

タイトルがいいよね。

「そうか、もう君はいないのか」

作者は奥さんが亡くなった後、何度もこの言葉を口ずさんだんだろう。

桜を見れば「ああ、桜がきれいだね、、、そうか、、、」、冬になって雪が降れば「今日は雪だね、、、そうか、、、」、なにかおいしい物を食べたら「これ美味しいなぁ、、、そうか、、、」と。

もちろん僕は結婚したことがないから奥さんに先立たれたことはないけど、それでもすごく好きだった人と別れた後にそういう気持ちになったことはある。僕の気持ちなんて奥さんを亡くした人に取ってみれば取るに足りないものだけどさ。

その人と一緒に行った場所にふとたどり着いて「ああ、もうあの人はいないんだな」と思ったり。


本の中で作者の奥さんと言うのは非常にチャーミングに描かれてる。

でも僕は思うんだけどその奥さんが殊更チャーミングだったわけじゃないと思うんだよね。

どんな女性もある一面においては非常にチャーミングじゃないですか。そして奥さんを失った後に、作者に残っている思い出は、奥さんのチャーミングな部分だけだったんじゃないか、と思う。

作者は昭和一桁生まれの人で、海軍にもいたからいわゆる「日本男児」でマッチョと言えばマッチョなんだろうけど、それでも心の中には奥さんのチャーミングな面だけを記憶している、というロマンティックさがあるんだね。

そういう面においては男性ってすべてロマンチストなんじゃないかと思うね。

辺境にて

2010-07-28 18:51:11 | 
「朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。」

友達が遠くからやってきたら楽しいなぁーってことですな。

こういうパターンだといくらでもできそうだね。

「夏の暑い日にカレー食べる。亦楽しからずや。」とかね。

もうちょっとアカデミックに行くなら

「朋有り本を薦めてくれる。亦楽しからずや。」

なんてどう?

友人から本を薦められるってのは楽しいもんだからね。

まったくほんと夏休みってのは本がばんばん出版されてたまりません。

京極夏彦の「西巷説百物語」はそっこーゲットしちゃったし、塩野七生の「十字軍物語」もこれまた分厚い4巻シリーズで出そうでよだれがとまらんちん。

そんな中、先日お会いしたむめもさんから「内田樹はいい!」と強くおすすめされました。

(えーっとたぶん内田樹だったよなぁ、うろ覚えなんだけど、たぶん)

元々気になってたんで新神戸の駅の書店でゲットしてみました。

日本辺境論 (新潮新書)日本辺境論

「ゴミ掃除」は足下のゴミを拾い集めることから始めるように雑多な事象を集めることから始めてる日本文化論。

論理としては、とにかく日本人は「他国と比較する」ことでしか日本を語れない、ということ。

この論理は非常に納得できる。

だってね、明治維新だって「西欧列国に負けてはいけないだからなんとかしないと」と他国の比較で始まった。

そもそも「こういう国にしよう」という理念をたとえばアメリカは持ってる。なぜならアメリカはイギリスから反発した人々が海を渡って作った国だから。

言うなれば国より先にイデオロギーというか思想があった。

でも日本は違うよね。思想なんて言葉が出来るより前に人がいて生活をしていた。

そんな普通の生活をしている中で「そもそもあなたの国は何を目的にしてるんだ?」って言われても困ってしまう。

困ってしまう、と言い続けていてもこの国際社会の中では生きていけない。だからなんらかのイデオロギーや主張を無理くりにでも作り出さなくてはいけない。

そうなった時に我々日本人は「他国との比較」でしか語れないんだよね。

たとえば「経済成長率第二位の国として…」とか「アジアの中の一国として…」とか。

僕はそれを悪いことだとは全く思わない。だって言うなれば「生まれ」が違うんだもの。

これね、本当に良書で読んだ後には自分の知識が少ないながらも「学問」をし出したくなる。

つまり「問う」ってこと。

「アメリカとは違うのは分かった。じゃあイギリスはどうなんだろうか?」とかね。

本当はすっごくいろいろ考えたことがあって書きたいんだけど今はちょっと酔ってるから割愛。バーのマスターが異常に井筒監督に似てておもしろかったのさ~♪

俺が言うぞ、ダメなもんはダメって

2010-07-26 02:35:45 | 
あんまり味噌ラーメンって食べないけど三日月軒の味噌ラーメンはおいしかったなぁ、とかMy angels(友人の子供たち)は相変わらずかわいかったとか、なぜかモデルルームを2軒見てやっぱり家を買うなら札幌だよなぁと思ったとかいろいろあった札幌出張だけど、その話はまた今度にして今日は本の話。

なんたって札幌駅のすばらしいところは本屋さんの多いところだよね。

駅ビルに立派な本屋が二つあるし、駅の隣にはかなり立派な紀伊国屋書店がある。こんなに書店が充実した駅ってあんまり無いんじゃないかな。幸せだよね、札幌に住む本好きの方々は。

ネットで本を買うようになってずいぶん経つけどやっぱりちゃんとした本屋に行って新刊を物色してるとアドレナリンがぼーぼー出てくるね。

つーことでざくざくと本を買ってしまったうちの一冊。

ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)ドキュメント高校中退―いま、貧困がうまれる場所 (ちくま新書 809)

こう見えて仕事が教育関係なんです。(どの面下げてこの面下げて)

だからってわけじゃないんだけど、こういう本も読みます。

読んでもうほんと衝撃的と言うか「うむーーー」とうならざるを得ないと言うか。

もちろん高校を中退する人には様々理由があって、高校中退自体が悪いこととは僕は思わない。でもこの本で紹介されている高校中退者のインタビューはほんとうにうならざるを得ない。

やる気はあるのに高校中退というだけで「どうせバイトもすぐやめるんでしょ」と思われバイト先が見つからない、という人。子供の頃から親に虐待を受け一切期待されず高校に入り、高校の入学金も親は支払ってくれず、GWに退学するために必要な手数料を自らバイトして学校に持って行った、というのが初めての登校という人。。。

データを盲信するつもりは無いけど親の年収の低さと中退率が比例しているデータ。

通っている高校の偏差値が下がるほど生徒が「自分は親に期待されていない」と答える比率が上がるというデータ。それは結果として無気力に繋がり、授業について行けないという結果になり、更に勉強する意欲を奪っていく。そのスパイラルの結果は「中退」に繋がっていく。

もう本当に「どうすればいいんだろう?僕に何が出来るんだろう?」と思えてくる。

この本の中に例として少しだけ「面倒な生徒は早くやめさせたほうがいい」と言っている先生も出てくる。

仕事柄、学校の先生とも話をするけど断言してもいいけど僕が会っている先生たちの中でそんな先生は一人もいない。例外なくどの先生も「生徒たちをちゃんと教えたい、生徒たちの可能性を広げたい」と心から考えていつも(かなり大変に、忙しく)仕事をしている。

でも、この現実を変えられない。

生徒は僕らから見ればほんと取るに足らない(もちろん本人に取っては大きいんだろうけど)理由で高校をやめていく。

そして知識や教養が無いまま社会に出て行く。立派な知識が必要だと言っているんじゃない、たとえば九九とか、生活に必要な書類を書くこととか、避妊とかそういう知識。

そして多くの人が、本当に残念ながらこの社会の中で貧困に落ちていく。

印象的な言葉がある。

「貧困というのは『選択肢が狭まる』こと」

どうすりゃいいんだ?

少なくとも大多数の人が18歳の時に無限ではなくてもせめていくつかの選択肢とともに社会に出て行けるようになるには。

もちろん親も悪いだろう。それもそうだけど文科省もなんとかしてくれよ。みんな真っ当に教育受けて、頭のいい人たちのはずじゃないか。

僕の声なんて世界に取っては小さいけど僕は言い続けるぞ、自分のことは棚に上げまくって。

「勉強はしなきゃダメだ!理由なんてない、ダメなもんはダメなんだ!」

連載漫画なみに

2010-07-24 11:58:01 | 
僕にとっては「出たらすぐ買う」作家の一人、海堂尊。「チームバチスタの栄光」の人。

新刊出てました。
海堂 尊
講談社
発売日:2010-07-16



しっかしまぁこの人よう出しますな。2010年だけで「マドンナ・ヴェルデ」に続いて新作2作目。

よーっしゃどんとこい。

ほんとこの人の多作ぶりはどっかの誰かさんに見習ってほしいもんですわ。「鵺の碑」まだすか、京極夏彦。

この人、ほんとすごいのは全部の作品、登場人物や舞台が同じ世界なんだよね。なもんだから「あ、この人がこんなところで」という発見があって楽しいやね。

そういう「サーガもの」好きだし。

今回のは「ブラックペアン1988」という「チームバチスタ」の過去の話のシリーズ。このシリーズの主人公の世良先生はこのサーガの中でもかなり好きだなぁ。現在は極北市にいるはずでその話の続き早く書いてほしいけど。

登場人物は紋切り型だし台詞もくさいところあるけど、もういいの。はっきり言ってだらだらと「ジョジョ」読み続けてるようなもんだしね。

ちなみに「チームバチスタ」のあの人出てきてニヤリとします。

たぶんこの人もう「このシリーズずっと書き続ける」と決めちゃってるんでこの作品だけで話し終わらせるつもりなんてさらさらないんだろうね。この作品の話も「終わってないじゃん」という感じ。ずっと読んでる僕なんかは「ああ、続くんだろうなあ」と思えていいけどいきなりこれ読んだらようわからんだろうなぁ。

少なくとも「チームバチスタ」「ジェネラルルージュ」それと「ブラックペアン」読んでから読むのがおすすめです。

IQレベルを下げるもの

2010-07-21 23:33:22 | 仕事
あんまり会社のデスクにいることは少ないけどたまにいることもある。

会社のデスクで何やってるかと言うとクリッ、いや仕事してますってば。

僕の仕事はパソコンに向かってやることが多いので、パソコンで資料作ったりクリッ、いやパソコン見ながら電話したり。

結構前から僕、こう思ってた。

「パソコンで集中しようと思って仕事してるときにEメールソフトとか開いていると集中出来ないなぁ」

なんか乗ってきたなぁーって時にEメールの着信があるとついつい見ちゃうでしょう?最近のパソコンだとメール着信がタスクバーに表示されるから。

ついつい作業を中断して新着メールをチェックしたらたいした内容じゃなくてがっかり、、とかね。

なので極力パソコンで作業するときにはメールソフトは立ち上げないようにしてます。その作業がネット繋がなくても出来るものだったらLAN線抜いたりもしてる。

ルディー和子というマーケッター(たぶん)の人のブログでそういう話が出てた。

曰く、人間というのは「目新しい情報があったらそれを確認せずにはいられない」んだって。

これはこれはもう原始時代からの人間の習性だそうです。

つまり新しい情報に敏感な原始人のほうが、たとえば「あそこにマンモスがいる!」とかそういうのにすぐ対応出来て食べ物を得られる確率が高い。そういう原始人だけが生き残り、進化し現代人になったんだってさ。

新しい情報をチェックする、ってのは脳からドーパミンも出るらしいよ、つまり「快感」のひとつ、ということ。

「これ、俺しかまだ知らない!」とかそういう情報を知ることってのは快感なんだね、やっぱり。

だけどパソコンのEメールにおいては実験の結果、こんなことも分かったんだって。

「ロンドン大学が、ヒューレットパッカードの依頼によって調査研究したところ、仕事をしているときeメールやケータイ電話がかかってきて気が散ると、IQレベルが10ポイント落ちることがわかりました。大麻を吸ってハイな状態なときにはIQが4ポイント落ちます。eメールの悪影響は、ドラッグより2倍も高いのです!」

はわわわ、、すごい話や。。。

ということは逆に考えると脳をフル回転させたかったらメールだの携帯電話だのは全部オフにしとけばいいってことだよね。

こいよりすきなもの

2010-07-20 22:45:07 | 食べ物
札幌の暮らしが長かったし出張の関係でいろいろ行くんでいろいろおいしいものは食べてきた。決して高い物を食べてる、ってことは無いけど、ほら、手頃な値段で旨いもの探すのは僕の(数少ない)特技のひとつだし。

それでも、どこで食べても「いや、これは実家のほうが旨いな」と思うものがいくつかある。

まず一つは米。母親の実家がお米を作ってるので子供の頃からずっとこの米を食べてきた。茨城ってあんまり知られてないけど米どころなんだよね。僕が食べ慣れてるってこともあるかも知れないけどとにかく実家の米は旨い。

それから餅。これはいろんな人に食べていただいているのでご理解いただけると思うけど。とにかく旨いんですわ。

あとは秋刀魚と鰯。実家の近くに千葉の銚子という有名な漁港があって。ほら、昔社会科で習いませんでした?そのあたりは寒流と暖流が交わる潮目というところで魚がおいしい、とかさ。

最後に鰻。

実家のすぐ近くに利根川って川があるんで結構、川魚も旨いんだよね、うちの実家のほうは。鯉だの鮒だの(こいっこだーのー♪ふなっこだーのー♪)も採れるんだけど僕はあんまり好きじゃない。結構、お祝いの席とかで出たりするんだけどやっぱちょっと泥臭いしね。

つーことでやっぱ鯉より鰻ですよ。

昔、子供の頃って夏、母親が料理が面倒になると川沿いのいつもの鰻屋さんに行って買ってきてそれで晩ご飯、ってことが多かった。なんで僕の中では鰻ってあんまり高級なものじゃなくて時には「え~~また鰻~?」って思うこともあるくらい普通の食べ物だった。鰻って結構高めな食べ物だ、ってことを知ったのは大人になってからだと思う。

母親が鰻を買いに行くのは子供の頃から結構好きで、ちょこちょこついて行った。

いつもの鰻屋さんに行って「鰻四尾ね」とか母親が注文すると、鰻屋さんが「あいよー」みたいな感じで生きてる鰻をさばいてくれる。

このさばきかたを見てるのが子供心に楽しかったんです。

ぬるぬるした鰻をまな板において、慣れた手つきで鰻の頭に錐みたいなものを「どすん」と刺して、それを出刃包丁ですーっと裂いて。。。
飽きもせずずっと見てた。母親はこんなの見てられないので別のところで買い物を済ませて終わった頃にまた鰻を取りに来る。

さばいた鰻を白焼きにしてもらって、それを持って帰る。

家ではグリルでもう一度あっためる程度に焼き直してタレをかけてうな丼。母親としては手間の無い夕食。

とにかくさ、このタレが旨いんだよね。

子供の頃、僕の妹二人は鰻があんまり好きじゃなかったんで、父母と僕はうな丼、妹はタレのみ丼とか食べてた。

不思議な物でこのタレだけだとあんまりおいしくない。やっぱり焼いた鰻を一回このタレに漬けて、鰻の脂が混じったタレが最高に旨いね。

大人になってお酒を飲むようになってから鰻は白焼きも好きになった。

僕はたぶん世界でも10本の指に入るくらいのワサビ好きで、お寿司屋さんでも締めはワサビ巻きをお願いするくらいだけど、とにかく鰻の白焼きとワサビは合う。どんなお刺身だってそりゃワサビはおいしいんだけどなんたってワサビを楽しむには鰻の白焼きですよ。

熱々の鰻の白焼きにワサビをたっぷりつけてキンキンに冷えた日本酒でやっつける、なんてこれは確実に夏の楽しみの一つだよね。

浅草でそれを楽しむなら鳥小(という店)だよなぁ。ここはとにかく安いし旨い。冬の鳥すきもいいんだけど夏に行けばやっぱりここで鰻の白焼きだな。こういうところで鰻食べるとやっぱり鰻って高級料理じゃないんじゃない?と思ってしまう。

ということで夏になるとやっぱり鰻が食べたくなって実家から送ってもらう。

まずは白焼きで。

ちなみに右にあるのは岩手の親戚からいただいた塩ウニ。これまた冷酒と死ぬほど合う。

そしてうな丼。

ありがたいことにタレもたっぷりある。

うちの近所のその鰻屋さん特製のタレ。

鰻の白焼き(と、塩ウニ)をあてに冷酒をぎゃんぎゃん飲んで、〆にうな丼をわっさわっさ食べてると「ああ、夏だな-」と思えて、夏もまぁいいじゃん、暑いけど、と思えるね。

ハッピー・バースデイ

2010-07-19 17:38:37 | 村上春樹
夏ですな。

ありがたいことに三連休なんで料理したり洗濯したりジョギングしたりプール行ったり、その隣の野球場でやってる中学生の野球の試合見たりしてるけど今日は本の話。

『考える人』って雑誌で村上春樹ロングインタビューやってました。



ご存じの人もいるだろうけど村上春樹はなかなかインタビューを受けない。その村上春樹がなんとまぁ2泊3日にわたって約100ページくらいインタビューを受けてるわけで、これはかなり貴重。僕の知ってる限り最長のインタビューなんじゃないかな。

話は今までの作品からもちろん最新作『1Q84 BOOK3』まで渡ってる。

しかしまぁ天吾の話のベースに真景累ヶ淵があったなんてねぇ、びっくりしました。

インタビュー読んでると「『羊…』のときは…」だの「『納屋を焼く』では…」だの昔の作品のことも言及されてて、そういうの読んでると「どうだったっけかな?」と気になって本棚から過去の作品をひっぱり出してくることになる。

つって読んでるのはぜんぜん関係ない村上春樹の訳書だったりするわけだけど。

つーことで「バースデイ・ストーリーズ」を読み返してます。

バースデイ・ストーリーズバースデイ・ストーリーズ
(僕の持ってるのはこのハードカバーだけどちょっと安めのペーパーバックのも出てます。)

これね、村上春樹が「バースデイに関する短編」というテーマで現代アメリカの短編を集めて訳したものなんだけど、非常にいいんだよね。

とにかく1編目の『ムーア人』が最強にいい。

主人公が最後に手にしているものが短編を通じて自分の目の前にもしっかり手が触れられるくらい現れてくるような気がしてくる。

村上春樹が訳した短編を全部読んでるわけじゃないんだけど、もし「これ!」という一編を選べと言われたら迷わずこれを選ぶな。

最後に村上春樹自身の書き下ろしの短編も入ってる。

それがある女性の二十歳の誕生日の話なんで、もし機会があれば二十歳の誕生日を迎える女性にこの本をプレゼントしたいな、と思い続けてるんだけどなかなかそういう機会は無いね。

アウトプットが前提

2010-07-17 00:38:35 | 日記
ちまちまと簿記の勉強をしているわけだけど、やっぱり効率のいい勉強法、というのは「アウトプットを前提にしたもの」だと思うんですよね、個人的に。

たとえばさ、ボクシングを練習するにしてもただ単にサンドバッグを叩いているのと、相手を想定して相手の動きに合わせるイメージを持ってサンドバッグを叩くのではぜんぜん効果が変わってくる。

サッカーのシュート練習もただ単にボール蹴る、ってのと相手DFがボールを取りに来ることを想定してシュート練習する、ってのでは試合でのゴール確率だって変わる。

勉強もおんなじ。

人前で説明することが多い仕事柄だからなのか元々の生まれつきなのか、僕は常に何かを勉強(インプット)する時に、極力アウトプットするイメージを持ちながらやるようにしてます。

これって全然自分の理解度が違うよ、まじでまじで。

どういうことかというと「これを人にどう説明しようか?」と考えながら勉強してみる、ってこと。

「Teaching is Leaning(=教えることは学ぶこと)」の言葉じゃないけど、自分がスカッと人に説明出来ないって言うことは自分の理解に曖昧なことがあるってことだし、逆に人にスカッと説明出来れば十分理解出来ている、ということ。

僕は常にこれを意識しています、本当。

意識的に「アウトプットの場をたくさん持つ」ようにしてるもの。

たとえば会社の同僚と電車に乗ってる時とか酒飲んでる時とかに「こないだ為替手形って勉強したんだけどさ、それってさ…」と説明してみる。

ここ最近は会った同僚だいたいに「未収金と売掛金って違うんだよー」って話ばっかりしてるし。

そんなの聞かされるのたまったものじゃない、と思う?

そりゃそうだろうね、大丈夫、僕だってそれくらい分かってる。

興味無い人にそんなの話しても楽しんでくれない、普通はね。

そこをどうやっておもしろがってもらうように話すか、ってのことが大事なんだよね。それを考えているとやっぱり自分の知識量や理解度のチェックになる。

相手がぜんぜん知らないことひどい時にはまったく興味すら無いことを説明して相手に「なるほどね~」と言ってもらったらそりゃもうそんなの自分にとっちゃ完璧に理解した、ってことですよ。

あと、ブログの存在も大きいよ。

映画でも小説をブログに書く時ってかなり自分の思考の整理になる。

ローマ人列伝だってあれだけ書いてると僕の中でローマ史というものがスカッと頭に入った。

そういう感じでインプットしているとまず第一に勉強するときの「ノートの取り方」が変わる。僕がイメージしているのはノートは「黒板(ま、ホワイトボードでもいいけど)」ということ。自分が人に説明しながら黒板に書いていくとしたらどう書いてくかな、と思いつつ書いてる。

ただノートにメモってるだけ、と、そうやって人に説明するような感じでノートにまとめていくのとではそりゃもちろん効果性はぜんぜん違う。

とにかくアウトプット重視ってのは大事ね。

「学ぶ(インプットする)場」ってのは結構世の中にあるじゃないですか。学校とか塾とか。

でも「教える(アウトプットする)場」ってあまり無いのよね、専門家とか先生じゃないと。

「簡易アウトプット場」なんてあったらいいと思うなぁ。

たとえばね、とりあえずでもいいから何でも学んだことを模擬的に教えられる場。

あまり自分も理解してないだろうからぐだぐだになるだろうけどいいじゃん、模擬なんだから。それで「あー自分あんまり理解出来ていないなぁ」と分かるだけでも価値あると思うな。

学校とか塾とかでもそういう場をもっと多く生徒に与えるようにするといいよね。

愛してる、って言葉じゃ足りないから

2010-07-13 21:51:10 | DVD、映画
ワールドカップ終わっちゃいましたね…。(遠い目) ああ、楽しい一ヶ月だったなあ。毎日毎日「お、今日イタリア戦あるじゃん」だの「よっしゃニュージーランドの試合も観てやるか」だの「え!?オランダとブラジルやるの!?」とか思って生きる日々って幸せだったなぁ。

つーことでワールドカップも終わったことだしテレビのアンテナ線抜いてこれからまたしばらくテレビtとは距離を置く日常に戻る。

テレビあるとついつい観ちゃうからね。

何しているかというと平日夜は本読んだり音楽聞いたりビール飲んだり、休日はDVD観たりビール飲んだり。

映画のDVDは結構観てますよ。

こう見えてミュージカル映画好きなんです。

ミュージカル映画、ってよりも「突然歌いだす」というシーンがある映画が好きなんですよね~。

ミュージカル映画といえば例えば「マンマ・ミーヤ」←好き

突然歌いだすシーンがある映画といえば例えば「ブルース・ブラザーズ」←神

ま、とにかくこんな感じの映画あたりが好き、とご理解ください。

でもね、ミュージカル、って言うとさアレルギーかと思うほど嫌う人もいる。

曰く「ららら~♪あなたを愛してます~♪なんて歌う人、現実にいるか!?」と。

あのね、僭越ながら言わせていただきますけどね、

現実にいる人の映画なんて誰が見たいんだ!このすっとこどっこい!

僕らの住んでる世界は人を好きになっても、「愛してる」と言葉でしか表現できない不自由な世界なんですよ。そりゃ僕らだって人を好きになってその気持ちをいきなり歌ってもいい、って世界に住んでたらミュージカル映画なんて見ませんよ。でもそれが出来ないから、愛してるって言葉だけじゃ足りないから歌うんじゃないのさ!せめて映画の中でだけはそういうロマンティックなシーンが見たいじゃない!そりゃ僕だってね、フレディ・マーキュリーくらい声出たら愛の告白は歌でしますよ。やっぱ歌うなら『I was born to love you』だな。

ま、実際に歌で愛の告白する人がいたらそれはそれで困ったもんなんだけどね。(昔、元気が出るテレビの企画であったよね、ありゃ確かに困った。)

つーことで非現実でもって現実を表現するのが映画。それでよし。

「ダークナイト」を見返して、やっぱりヒース・レジャーはすごいな、と思ったんだよね。

うわ、もうかっこよすぎ!!

すごかったよなぁ、ネタばれになるから書かないけど×××のかっこしたジョーカーが××を爆破して出てくるとこ。そもそもギャングの会議に出る冒頭のシーンが最高にすごかったね、あの鉛筆マジック。「ジャジャーン!」って最高にひどくてクール。

あ、ちなみに留置所でのバットマンとの会話のシーンは「ヒート」を参考にしてるらしいです。うん、言われてみれば。

有名な漫画の有名な悪役を、更には名優ジャック・ニコルソンがやってる役をこれほどまでにしっかり自分のものとして演じられる、ってのは本当にすごいよ。

ヒース・レジャーという俳優のことは僕はもともとほとんど知らなくてダークナイトでジョーカーをやった直後に亡くなった、ということくらい。なんと28歳で亡くなりました、合掌。

やっぱり「ダークナイト」を観ると「ああ、この人の演技をもっと観たかった」と思うよね。

と、言うことで「ヒース・レジャーの恋のからさわぎ」を観ました。

ヒース・レジャーの恋のからさわぎ [DVD]ヒース・レジャーの恋のからさわぎ [DVD]

ヒース・レジャーのハリウッドデビュー作だそうです。高校生役やってます。いま見返してみると「こんなさわやかな高校生が後にジョーカーに…」って感慨深いものがあります。

話としては、転校生が学校のマドンナに一目惚れするけど、そのマドンナのお父さんが厳しい。じゃあお姉さんも男とつきあえば許してくれるだろう。でもお姉さんは超堅物。ってことで学校の変わり者(これがヒース・レジャー)にお姉さんを落としてもらうようお願いする、ってこと。

シェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」を下敷きにしているそうですよ。

だから堅物のお姉さんの名前はカトリーナ。

だったら日本語タイトルも「ヒース・レジャーのじゃじゃ馬ならし」にすればよかったのにね。

正直映画としては前半ぐだぐだだし、お姉さんの気持ちの変化もご都合的なんで「どうかな~」って感じ。

筋もね、「じゃじゃ馬ならし」のストーリーって、主人公がいて、マドンナがいて姉がいて変わり者がいて更に主人公にだまされて変わり者を雇うスポンサーがいて、って結構複雑だから「あれ?この人なんだっけ?」と思っちゃう。

でもねぇ、ヒース・レジャーがカトリーナを振り向かせるためのシーンがいいんだ!

もし映画館で観てたら「うーん、どうかな~」って思ってたところにいきなりこのシーンが来て飛び上がってただろうね。

ヒース・レジャーはグラウンドでサッカーやってるお姉さんに内緒で、ブラスバンド部を買収し放送室をジャック、そして「CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU(君の瞳に恋してる)」を歌うんです。

しかしさー、「CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU.」直訳すると「君から目が離せない」を「君の瞳に恋してる」って邦題にした人、天才ね。



キャー!!ステキ!!!こんなん僕でも落ちる!!抱かれてもいい!!

いいよ~、こういうの。

しかしほんとこんな好青年が後にジョーカーになるなんて…。


※字幕入ってない動画だったので歌詞。

---
You're just too good to be true.
Can't take my eyes off of you.
You'd be like heaven to touch.

信じられないくらいきれいだよ
君から目が離せないんだ
まるで天国にいるみたいだ

Oh wanna hold you so much.
At long last love has arrived.
And I thank God I'm alive.

君をぐっと抱きしめたいよ
ずっと探してやっと見つけたんだ
神に感謝したいくらいだ

You're just too good to be true.
Can't take my eyes off of you.

信じられないくらいきれいだから
君から目が離せないんだ

I love you baby, and if it' s quite alright.
I need you baby, to warm the lonely nights

愛してるんだ、かまわないだろ?
君が必要なんだ、寂しい夜を暖めるために

I love you baby, trust in me when I say.
Oh pretty baby, don't bring me down, I pray

愛してるんだ、どうか信じてくれよ
ベイビー、どうかがっかりさせないでくれよ

Oh pretty baby, now that I found you, stay
And let me love you, baby, let me love you,

ベイビー、やっと見つけた、一緒にいてくれよ
ベイビー、好きになってもいいだろ?

(拙訳、かなり意訳)
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で、映画のほうだけど、1回目はなめて観てたんで「筋ようわからんなぁ」と思ってた。

何回か観直して(この歌のシーンを観るために)たら、やっと筋分かってそしたら「よう出来た映画だなぁ」と思ったね。

これどう考えても元々下書きになってるシェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」の構造がよくできてるんだよね。

一目惚れした女の子をどうにか落とそうとする主人公、その相手の女の子、その姉、それを落とそうとする男、何も知らず金で男をけしかけて姉を落とさせようとする男、それら辺を裏で操る男、、、といろんな登場人物がいてそれが絡まって、、という構造がすばらしい。

すげーな、シェイクスピア。英語科出てるくせにシェイクスピアはあんまり読んで来なかったけどちょっと見直した。

英語科のくせにシェイクスピアを読んでない理由は怠惰じゃなくて僕の中では明確な理由があってさ。

一応英語科の中でも「語学・文学」コースだったんでシェイクスピアの授業もあったんだよね。

でも僕はどうもピンと来てなかった。

だってね、英語の授業で読むシェイクスピアって戯曲、つまりは「台本」なわけだよね。シェイクスピアは演劇を作ろうと思って戯曲を書いていたわけで、それで戯曲だけ取り出して云々するのってどうも僕は違うなぁと思ってたんだよね。

それってなんかさ、麻婆豆腐を語るのに豆腐だけちんたら語ってるようなもんでしょ。そりゃ豆腐も大事だけど一番大事なのは麻婆豆腐じゃないですか。

戯曲って演劇の一要素(もちろん大事な要素だけど)でしかないんじゃないかなぁ、と生意気に思っててね。

でもテネシー・ウィリアムズの戯曲は好きで結構読んでたんだけど。なんのこっちゃ。

最終学歴じゃなくて最新学歴

2010-07-11 20:56:14 | 日記
3年ほど前に「若返りのスイッチ」の話をした。

若返りのスイッチというのは脳には「老いを予防する」スイッチがあって、それは、「毎日の運動」「人を愛すること」「理にかなった食事」「参加すること」だそうです。

3年前にその話をしたときにも「年々何かに誘われることって少なくなって行ってだからこそ誘われたら断らないで参加したいもんですなぁ」って話だったんだけど、これまた3年経って誘われることは少なくなった。

たとえば仕事帰りに「飲みにいこうか」ってこと自体すごく少なくなったもの。

決して僕が仲間はずれにされてるわけじゃなくて(たぶん。あれ?大丈夫だよな?)そもそもみんな飲みに行かなくなったんだよね。

昔、うちの会社ってみんな若くて独身ばっかりだったから頻繁に飲みに行ってたんだけどやっぱり既婚者も増えたし。

つーことで僕なんか昼ぐらいから目処つけて「今日飲みに行かない?」と誘いまくることになる。

飲み会だけに限らずまぁ誰も誘ってくれないなら自ら動け、って話ですな。

で、じゃあ最近僕は自ら動いてるか、というとそりゃもちろん仕事では動きまくってるわけだけど、その他の動きはどうも停滞している気がする。

30歳になった年から「よし、年々ひとつ趣味を増やしてこう」と思ってジョギング、イタリア語、サックス、エスペラント語なんて始めてみたりしたけど今年は考えてみると何も始めてない。

うーん、今年も半年過ぎてこりゃいかん。

なんか「勉強」したい欲がムラムラとわき上がってきたのでおもむろに今年は簿記の資格取ることにしました。

べ、別に誰かの影響受けたからじゃないんだからね!(ツンデレ)

資格が即物的に役立つわけじゃないけど「資格取る」ってゴール設定しないと絶対勉強なんてしないもん。イタリア語やってた時もイタリア語検定をゴールにしてたし。

前々からそういう会計関係は勉強しなきゃなぁと思ってたんだよね。それにちょうどこないだ社内で会計基準の話とかしててあまりにもみんなグダグダで。。。

こりゃチームに一人くらいそういう会計的なことをしっかり分かる人間がいないとまずい、と思って誰か取ってよ、ってぶつぶつ言ってみたけど誰も乗ってこないので「あー、わかった俺が取る」と逆切れ気味にサービスカウンターにクロスカウンター。

それにまぁ先日の空港での出来事(Aprilが分からなかった店員さん)の話もあって「やっぱ僕も勉強しないとなぁ」と思って。

こないだ学習に関するある催しに参加してある人がこんな風に言っていたの。

「最終学歴、という言葉を日本から無くしたいと思っています。我々は学び続けます。大事なことは『最新学歴』、もっとも最近、何を学んだか、ということです。」

うん、こりゃごもっともないい言葉だね。

たぶん人間はいつまで経っても「学ぶこと」「遊ぶこと」「愛すること」は止められない。

つーことで勉強します。

思い立ったら早いのでまず何冊か本発注しました。何か始めるときにまず本を読む、というのが僕の習性だから。

あとさ、イタリア語やってた時も思ったけどやっぱネット便利ね。ちょこちょこした解説とか過去問だとネットで観られる。

今年中に2級取れたらいいなぁ。

さーて、試験日はいつだ?? 始めるのはいいけど大事なことを忘れてる、ってのも僕の習性ではあるんだけど。

酷い、本当に酷い(笑)

2010-07-09 21:19:30 | DVD、映画
先週の話だけど金曜の夜にドッピオさんにメールして「明日のまなーい?」と誘ったんですよ。

ドッピオさんも次の日休みだったようで快諾。「んじゃあ男二人で昼過ぎから酒飲んでぐだぐだになろうぜ」なんてメールやり取りして、朝起きたら「やっぱ今日やめない?」とドッピオさんからメール。

ん?何でだろうな?と思ったら、

「雨降りそうだし」

だって。

あんたはカメハメハ大王の子供か!(笑)

まー、長い付き合いなんでどーでもいいんですが。

昼過ぎから飲もうと思ってたから午前中にジョギングも家事も終わってたし、暇になっちゃったので映画観てきました。

ハングオーバー」ってやつ。

アメリカはじめいろんなところでは大人気だったのに日本ではなぜか映画公開の予定が立ってなくて「公開しろ!」とずいぶんネットでは話題になってた。

筋としては結婚直前の花婿がいて友達がバチェラー・パーティ(直訳すると独身貴族パーティかな)をやる、っていう話。

洋画とか向こうのドラマではよく出てくるけどこのバチェラー・パーティってつまりは結婚直前の男とその友達だけで最後にハメはずそうぜ、って飲み会みたい。そのパーティにストリッパー呼んだりするのが映画だと定番ですね。

その映画ではせっかくなんでと男4人でラスベガスに行って、ちょっとリッチなホテルに泊まりまずは乾杯。。。


で、突然場面は次の日の朝。

みんなエライ二日酔い。誰も記憶が無い。部屋はぐちゃぐちゃ。

正にこんな感じ。

一人は前歯が無くなってる。なぜか部屋に赤ん坊がいる。バスルームを開けたらなぜかトラ(!)がいる!

しかも花婿がいない!

結婚式直前なのに!昨日何があったんだ??とりあえず花婿を捜さないと、、ってとこから始まる。

いやー笑った笑った。

僕もささやかだけど大学時代にハメをはずして記憶を無くしたことがごくたまに、いや数回、いや結構たくさんあるんで気持ちはよーく分かる。

こういう時ってさ、ひとつひとつ事実が分かってくんだよね。

「いやーなんか口の周りが甘いなぁ」
「あ、showさん昨日あんまん食べてましたよ」
「え?あんまん?」
「それからラーメンも食べてました」
「え?ラーメン!?」
「そうそう、よね3に大通公園でパワーボム食らってましたよ」
「え!?パワーボム?大通公園で!?あー、だからなんか肩痛いのか~」

みたいなね。

正にそんな感じの映画。

乾杯してから何があったのか、というのは映画が進むにつれ判明していって最後エンドクレジットですべての謎が解けるんだけどいやー、酷い(笑)

我々の大学時代の飲み会も次の日みんな会ったら「いや~昨日はひどかったね~(笑)」ってのが合言葉だったけど正にそんな感じ。

そうそう、ヒロイン役(一応)でヘザー・グラハム出てました。

この人ほんと変わんないね。「殺したいほどアイラブユー」とか「ツインピークス」なんてもう20年前なんだけどぜんぜん変わんない。

やっといたほうがいいこと

2010-07-09 01:22:46 | 仕事
7月ですなぁ。

実は(ってほどでもないけど)6月末で半期決算が終わり7月第一週ってぽっかりちょっと楽になった。

こういう時、僕は僕のパソコンに「いつかやる」ってフォルダがあるんでそこの中身とか観てみる。

ここには「あー、いつかやれたらいいなぁ。別に急ぎじゃないんだけどなぁ」ってものをぽこぽこ放り込んでるので、「お、そうそうこれやっとこ」とちまちまやってます。

個人的な意見だけどね、仕事を四つに分けるとさ、こうなると思うんだよね。

1,やらなきゃいけないこと
2,やっといたほうがいいこと
3,やらなくてもいいこと
4,やっちゃいけないこと

あまり1と4では差がつかない。やらなきゃいけないことはさすがにみんなやるし、やっちゃいけないこともみんなやらない。新入社員とかはね、それよくわかって無くてやっちゃいけないことやって怒られたりするけど、それもまぁかわいいじゃない。

で、「出来る人」と「そうじゃない人」の差って3と4でつく。

出来る人ってみんなが「あー、それやっといたほうがいいよね、そりゃもちろん」ってことをちまちまやるし、そうでない人って「あーそれ別にやんなくてもいいんだけどなぁ」ってことを一生懸命やってる。

と、思ってるんだけどどうでしょうか。

3はたとえばお客さんとこ行った時に近くのお客さんのところにちょっと顔出しとく、とか、初めて会ったお客さんには後で一筆お礼状送っとくとか。

4はたとえば別に誰も求めてもいない資料を自己満足で作っちゃう、とか。まじめな人に多いね。

僕はいまちょっと手が空いてるんで「やっといたほうがいいこと」を見つけてやってます。「やらなくてもいいこと」は元からやらない、面倒くさがりだから。

そう考えるとプライベートでもそうでさ。

やんなきゃいけないことというのはもちろん仕事自体だけど、「やっといたほうがいいんだよなぁ」ってこといっぱいありません?たとえば勉強とか。

勉強したほうがいいこととか勉強したいことなんかいっぱいあるんだよね。

何か始めようかな。

股って言葉の正しい使い方

2010-07-07 22:05:30 | 
僕にとってはまぁとにかく「出たら買う」って作家の一人、伊坂幸太郎。

今年前半は「うーん、どうにもそそられる小説がないなぁ」と生意気にも思ってたんだけどここに来て海堂尊も7月と9月に新刊出るらしいし京極夏彦の百物語シリーズの新刊も出るらしいし今からジュルルとよだれが止まらない状態になりましたね。

つーことで伊坂幸太郎の新刊も出ましたよ。


装丁がきれいな小説です。

これ元々は「郵便小説」というスタイルで書いてたんですって。当選した50人にだけ毎月短編小説が届く、という企画。

ずいぶん素敵なことを考えるねぇ。

朝起きて家のポストを開けたら伊坂幸太郎の、しかも全国で50人しか読めない短編小説が届いてる、なんてそりゃハッピーなことじゃないですか。

主人公はある女性に付き添われて恋人に別れを告げなければいけない星野という男性。付き添っている女性というのが体もとても大きい上に言葉遣いも荒いしとにかく乱暴、名前は繭美。

繭美は星野を<あのバス>に乗せるために連れて行こうとしている。<あのバス>というのがどういうものでその行き先がどこなのか?なぜ星野は<あのバス>に乗らなくてはいけないのか?は少なくとも小説内では描かれない。

とにかく<あのバス>に乗ってどこかに連れて行かれる前に彼は恋人に別れを告げることを希望する。そして恋人を訪ねる。

ここで問題が一つ、いや5つくらいかな、ある。

彼が別れを告げなければいけない恋人は5人いる。

なんと彼は五股をかけてたんだよね。いやー、まいったまいった。

(関係ないけどさ、相手が二人だったら股は一つになるから二股って二股じゃなくて「一股」が言葉としては正しいと思うんだけど。はい、関係ないね)

五股なんて言ったら「さいてー」って感じだろうけど星野のキャラクターは決して嫌な感じではない。「うーん、たぶん彼は目の前の女性にベストを尽くしていたら、結果としてワーストな結果になっちゃったんだろうな」とすら思える。

それぞれの短編が、星野と恋人との出会いの思い出(過去)、別れを告げ(現在)、その後日談(未来)、という流れになってる。

さすがもう「名手」とも言える伊坂幸太郎、会話もおもしろいしその後日談もいちいちほんわかとさせる。

そしてとにもかくにも星野はすべての女性に別れを告げる。

読んでてふと思い出したのがこの漢詩。

【勧酒】
  勧君金屈巵 満酌不須辞
  花発多風雨 人生足別離
(井伏鱒二訳)
  この盃を受けてくれ
  どうぞなみなみつがしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ

そうなんだよなぁ、人は皆いつかすべてに別れを告げていく。(最終的には死ぬわけだから)

でもさ「さよならだけが人生だ」って断言されると「おう、そうだよ、だからどーした。とりあえずまぁ飲もうや」って前向きになれるね。なんつーかそういう小説。

ああ、そうそう井伏鱒二を思い出したのはこの小説、太宰治の「グッド・バイ」にインスパイアされたんだって。そっちは読んでないけどね、僕。