浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

えんむすび

2009-01-31 13:59:20 | 日記
最近仕事で島根に行くことが多いんだけど、島根、出雲の出雲大社はどうやら縁結びの神様らしいね。

去年、出張で出雲に行ったときに夕方少し時間があったので足を伸ばしておまいりしてきた。

ほら、僕、鹿島の生まれだからそりゃ出雲にもご挨拶しとかないとなー、と思って。

夕方に行ったので暗くて良くわからなかったけど。

そのおかげかどうか最近、出会う人に島根出身の人が多い。

島根出身の人たちって僕が「島根は仕事でよく行きますよ」と言うと「ええ!あんなところまで!」と大きく驚いてくれるような気がする。

これがたとえば福岡だったりすると「あ、仕事で行かれたんですか」ともちろん話のネタに喜んでくれるんだけど、島根の人々と比べるとね。

島根の人はどうも「ああ、あんなところまでわざわざ仕事で…大変でしたね」とねぎらってもくれる。

更にこれはお世辞じゃなくて僕は島根が好きなんだけど、そういうと更に喜んでくれる。

あとの話のネタとしては「しじみ汁食べましたよ」「割子そばも」「宍道湖の夕日はまだ見てないんですよー」「特急やくもは異常に揺れますよね」あたりで1時間は盛り上がれる。

特急やくもは僕の中の揺れランキング一位。(ちなみにスキマ風ナンバーワンは郡山-会津若松間)

本当にいいところなんだよね~、島根は。

食べ物は旨い、人はいい。

住んでもいいかな、とおもっとるよ。

縁結び、ってのもそりゃ男女の縁も大事なんだけど、友人としての縁も大事ですからね。

「人間の贅沢で最も最上のものは人間関係の贅沢である」って何かで読んだ。

名前の話

2009-01-29 18:52:55 | 日記
最近、ほんとに思うことは「名前、というのは人格形成に大きな影響を与えているのではないか」ということね。

まず苗字ですが、これにより「出席番号順」というものがついてまわりますね。

こないだ飲みながら話してて思ったんだけど「阿部」さんとか「青木」さんとか「相沢」さんって人はほぼ高い確率で出席番号が一番なんですよね。

つまり新学期になって「じゃー、自己紹介。えーと出席番号一番の、相沢から」みたいな感じで宿命的に「トップバッター」。

とりあえず出席番号一番だから暫定的に一学期の学級委員やれ、と言われる場合もあるだろうし。インフルエンザの注射なんかも早い。

こうやって生きてきていると常に「準備をしておこう」という性格になるんじゃないかね。

すごーく偏見だけど僕の知っている「ア行」の人ってなんか真面目な人が多い気がする。

僕なんかは苗字が「イ」で始まるので、出席番号は高い確率で2、3、4番のどれか。特に3番目、というのが多い。

同じ苗字の人と話していると「5番以内には入るけど1番と5番にはめったにならない」という話になる。

だいたい一番に「ア」の人がいて、次に「イ」の早い人たち、「五十嵐」「池田」「石井」のどれかですわな。そして僕、という流れが多いね。

3番手が多いことが自分にどういう影響を与えてきたか、というとどうも「まぁこのへんでちょっとはずしとかないとな」ということを考えているんですよね、常に。

「阿部」さんがまじめな自己紹介して、「五十嵐」さんがそれなりの自己紹介して、「趣味は読書です」みたいのが続いて、「このまま行くとつまんないんじゃない?この後の人たち辛くない?僕、ぼけようか?」と(勝手に)気を使ってちょっとぼけてみる、みたいなね。イーグル、シャーク、パンサーみたいなもんですよ。

男性はなかなか苗字が変わる機会がないけど、もし変わるんだったらできる限り後ろのほうになってみたい。「渡辺」さんとかね。座席なんか窓際の一番後ろなんかになったりしてさ。(←未だに学生気分)



それから「名前」、つまりファーストネームですが、「どんな字書くんですか?」って聞かれることってありますよね?

その答え方、というのも人をいろいろ決定付けているような気がする。

もちろんそのとおりになるわけじゃないだろけど、自分で口に出すことによって潜在意識化にすりこまれてるところもあると思う。あんまり根拠はないけど。

僕なんかは毎回「平和の平です」って答えてるんだけど、その影響からか、「平和って大事だなー」と思ってるもん。

上の方の字はだいたい「和尚の尚です」って答えてる。

これでたいてい伝わるんだけど、一回電話でぜんぜん伝わらなかったことがある。

「和尚の尚です」
「え?賀正の正ですか?」
「いやいや、なお、です」
「すいません、どんな字ですか?」
「えーっとだから、上に3本あって、中に口の…」
「あ、オバQみたいなやつですね!」

  

まぁあたらずとも遠からず。

なんか新しい顔文字シリーズ「仮面ライダーV3」みたいな話だけど。


あれ?今日こういう落ちのつもりじゃなかったんだけど。

9時間話し続ける

2009-01-27 00:29:46 | 食べ物
日曜日の話ですが、15時から焼肉を食べていました。

渋谷で。

日曜の昼過ぎに渋谷なんてよ~、めんどくせーよ。人多いし。と、ドッピオさんっぽく愚痴りたくなりますが、行ったら行ったでやっぱり人が多い。

とはいえぷらりと可愛い子とすれ違ったりしてそれはそれで、ええ、まぁ。

大学時代の友人たちと久々に食事をすることになってまして、109の前で待ち合わせ。

そもそも109を知らないのさ、僕。

てっきりQ-FRONTのことだと思ってたんだけどね~。

109の前ではなんか化粧品のマキアージュのイベントやってて、土屋アンナの巨大ポスターに見とれてたら(好きなんです)、うさぎさんはじめ大学時代の友人登場。


↑うさぎさん(嘘)

ということで焼肉屋へ。

うさぎさんが体調崩していたみたいなので快気祝い兼単なる飲み会。

中には2年ぶりくらいに会う友達も居るんだけどやっぱり久々に会ってもテイストやテンションがまったく変わらない。

普通に喋れば10分で済む話がみんなぼける、余計なところ突っ込む、で1時間話したりね。

この寄り道感が楽しいんだよな。

焼肉屋来てるのにナムル、韓国海苔、ユッケ、牛刺しだけで1時間。


「あれー?ここなんで炭火あるんだっけ?」と思いそうになる。

そうそう、焼肉も、ということでネギタン塩。

もうね、これ絶品。ネギで肉見えないから美味しそうに見えないかも知れないけど。

片面だけ焼いて表はレアレアで。

写真無いけど特上カルビ(クーポン使ったらサービス)をワサビで、ってのも最高でしたよ。

そのまま居酒屋に場所を移し延々くだらない話&ボケ&突っ込み、そのままカラオケに流れ、〆にラーメン。気づいたら24時。

ああ、なんと9時間も飲み続けてた。

やっぱり学生時代のノリですな。

卒業してから10年たってるけど、「じゃあ、明日また大学で」って言えば2号館の談話室あたりで会えそうな気がする。

チャイルド44

2009-01-23 21:03:17 | 
結構面白く(もちろん、FunnyではなくInterestingの意味で)観たけどもう見る気がしない映画、というのが「ミッドナイト・エクスプレス」。

見た人は分かると思うけど重くて、「どんよーり」としてくる映画だよね。

そんな感じの本を読みました。

トム・ロブ スミス
Amazonランキング:371位Amazonおすすめ度:



「このミス」2008年海外部門一位。

あんまり翻訳モノには惹かれないんだけど読むものが無くて買ってみたらあたり。

翻訳、しかも旧ソビエトが舞台ということで登場人物の名前を覚えるのが面倒だな~と思ってたけどかなりさくさく読めました。

始まりは、スターリン体制下の旧ソビエトの小さな村。村人は餓えに苦しんでいる。そんな中、一人の老婆が唯一の友だった猫を逃がす。もう餌をやれないから。

その猫を見つけた子供。村では久々の動物。捕らえれば家で待つ、母、弟に久々の「肉」を食べさせられるかも知れない。

そして弟と共に狩りに出かける。

そういうシーンから始まる。


数十年後。国家保安局の警官、レオ。戦争の英雄であり、現体制においてはエリート。誰もが何かをするためには行列に並ぶ必要がある生活の中、彼は並ぶ必要が無い。誰もがひとつのアパートの部屋を他の家族と共有している中、彼と妻だけは瀟洒なアパートを独占している。

彼は上司から線路脇にある子供の死体の検分を命じられる。検分というのは建前で、本来の目的は「これは殺人ではなく事故である」という処理をすること。何故なら、理想的なこの国家において「殺人」などという犯罪は起こるはずがない、ということにされているから。

殺人というのは貧富の差があり、不平等な「資本主義体制」にのみ起こるものであり、全国民が平等に国家からの庇護を享受している(という建前の)この国では殺人は起こりえない、ということになっている、から。

殺人を事故と処理したレオ、ただ、その後、その少年の死体と酷似した死体を見つける。

殺人が起こりえないという建前を利用して、連続殺人をしている犯人が居る。





作者は20代のイギリス人だから、ここで書かれている悲惨な境遇というのは実体験ではなく、資料から作られたフィクションに決まっている。

ただ、リアルに描写されるこの異常な国家体制というのはどんよーりしてくる。

誰もが誰もを疑い、隙さえあれば密告を狙っている。幸せな家庭のベッドにいてすら突然、国家反逆の濡れ衣をきせられ、警官がドアを蹴破ってくる恐怖。
逮捕は即ち有罪であり、尋問は即ち拷問による自白を意味する司法。

明らかに連続殺人でありながらそれを指摘すると国家反逆として指名手配される。(この国には殺人など起こるはずがないのだから、それを指摘する、ということは危険思想の持ち主、ということで)



これはなんと言うかミステリというかホラー小説だよなぁ。

もちろん、伏線がつながり、最後には謎が解け。

少しのハッピーエンドもある。

ただ一番の恐怖はこの異常な国家体制。

更なる恐怖がこの小説が実話をベースにしている、ということ。



元気なときに読んでください。

マニッシュな自分について深く考察してみる

2009-01-20 00:52:59 | 日記
先日、ふと知り合った女性から「マニッシュ」と言われた。ん?と思ったんだけど、ふと綴りを思い浮かべてみると「mannish」つまり「Manっぽい」ってことだよね。

「それっていい意味ですか?悪い意味ですか?」と聞きなおしてみたら「いい意味でも悪い意味でも」とのこと。

そうかー、と思いましたね。

言われた瞬間から今まで決して嫌な感情を持った、というわけではないですよ、もちろん。

ただまぁ「マニッシュ」と自分を表現されたことが無かったから、それ以降、たまに「どういう意味なんだろうなー」と考えて。

普通に考えるとマニッシュは「男っぽい」ということだろうけど、辞書で調べてみました。

---
[mannish]

1 ((通例軽蔑))〈女性が〉男のような;男をまねた;男っぽい(⇔womanish)
2 〈子供が〉一人前のおとな[男]のような, おとなびた.
---

うむー、あまりいい意味はないなぁ。

と、言っても僕にその言葉を言った人が悪意があるとも思って無い。言ってくれた女性は非常に気の合う良い人だったし。


考えて見ると「たしかに自分はそうだな」と思うところがある。

ちょっと長くなりますが書きましょう。

そもそも僕はずっと女性に囲まれて育ってきました。っていうとどうもいやらしいけど、本当の意味で。

僕の家族構成は父、母、僕、妹2人。

子供の頃から父は結構忙しくて平日はあまり会っていた覚えが無い。僕が起きる前に仕事に行き、寝た頃、帰ってくると言う感じ。

当然、日頃、顔を合わす人間は女性(母、妹達)ばかり。

それと、最近思い出したんだけど、僕はそもそも「女の子が生まれる」と思って生まれた長男だった。当時はほら、出産前に性別が分からなかったんじゃないかな?
だから、赤ん坊の頃の写真はピンクや赤の毛布や衣類で写っているのが多い。

更に子供の頃はおかっぱだったので、幼稚園くらいまでよく女の子に間違えられた。

幼児の頃は、妹達ともよく遊んでいたから、少女漫画も読んでいたし、少女向けのアニメがテレビで流れている、というシーンも多かった。キャンディ・キャンディとかね。(ああ、アンソニー…)

小学校に入学しても、クラスには女性が多かった。

僕の地域だけかなー?

だいたいクラスは45人、男子20人女子25人、という編成だったイメージ。

高校に入ると比率は一瞬同じになったんだけど、高校2年から英語コースを選んだ。ここがまた女性ばかり。男子10人女子30人という編成。

そして大学も英語学科。こちらもクラスの中は女性が多い。

はっきりと言うけど、そういう環境が嫌だったわけでも、好きだったわけでもない。

たとえばそういう環境(高校のクラスの男女比とか)のことを話すと、中には「そりゃ大変だったね」という人も居るし、「そりゃうらやましいなぁ」という言う人も居る。どちらに対しても僕は「そんなことないよ」というだけ。僕にとってはただ「当たり前」のことだった。

そう考えると、やっぱり友人だって女性は結構居るし、場面によっては男性の友人と一緒にいるよりは女性の友人といたほうが自分としては楽、と思うことだってある。

たとえば昔、友人とアメリカ旅行をしたんだけど、ショッピングモールなんかでは絶対に女性の友人といたほうが楽しかった。

そのときいた男性の友人たちはショッピングモールなんて行っても、ぐるりと一回りして(どのテナントにも入らずに!)15分くらい経つと「別に買いたいものないやー」と言い出す。

一方、僕は女性の友人達と2時間くらいぐるぐる回って、買いたいもの無くても「たのしいねー!」とやってた。


環境的には女性に囲まれて育ったものの、やはり生物学的には男性だし(当たり前だ)男性として育てられたので、そのへんにアンビバレントな部分というか自己矛盾は感じているかも知れないなぁ。

僕個人は殊更両親から「男らしくあれ」という教育を受けた覚えはないんだけど、もしかするとそれは気づいていないだけであったかもな。やっぱ長男だし。

今まで考えたこと無かったけど。

(いわゆる)男性らしさ、というのに憧れている部分というのは確かにあるかも知れない。

たとえば、僕はヒゲが好きです。

大学の頃はヒゲをはやしていたし、今でも長期の休暇とかがあると結構生やしている。映画俳優なんかでもヒゲを生やしているのを見ると「あ、いいな」と思うもの。(だから、関羽は関係ないってば)

こういう、「本来、女性的であるが故に反動として男性らしさに憧れる」というところは僕の中に確実にあるかもしれないね。

※もちろん、このへんの「男性的」「女性的」というのも僕個人の狭い思い込み上の表現であって、「男性的」「女性的」を社会一般的に定義するつもりはまったく無いですから是非お許しください。

女性的な部分を多く持ちつつ、その反動で男性的なところを多く見せようとする部分、つまりまさしく「Mannish」なところ。

たとえばヒゲを生やしてみたり、あえてガサツになってみたり。

そう考えるとどうも「モヤモヤ」とした自己矛盾的な気持ちってあるな。

たとえばね、女性の友人と飲みに行って。「友人とは言えこちらは男性なんだからおごるべきだ」という気持ちと「いやいや、変に意識せずに割り勘でいいじゃないか」という気持ちの両方がある。

うーんこういうところ、一度しっかり心理分析とかされてみたいなぁ。

単純に興味がある。




というか僕のブログを読んでいただいて、その後、一度会っただけなのに僕を「Mannish」と言い当てた女性の慧眼には驚くばかり。

身体(というか筋肉)のこと

2009-01-18 22:33:09 | 日記
一応、色々考えているんですよね~。

おととしからふと走り始めていったんすごく痩せたけど、去年病気をしてからどうにも走れなくなって、あとまぁ慢心もあったんだけど少し太った。

簡単に言うと、一番太っていたときからいったん20キロ痩せて、その後6キロくらいリバウンドした。

アスリート的にどこかを目指しているわけでもないんだけど、せめて見苦しくない程度の身体にはなっとかないとなーと思って色々やってます。

と言っても週に数回走ったり筋トレしたり、という程度だけど。

見た目だけで言うと理想の身体、というのはどういう感じかな。

見ていて「かっこいいな」と思うのはサッカー選手の身体。細いけどグッと動けそうな。たとえばインザーギみたいに細細なんだけど筋肉がしっかりしているのがいいね。

だいたいこういう「ひょろっと長くて針金のように細い」と言う身体は僕の対極なのであこがれもある。

たとえば僕の周りの人で言うとよね3とかドッピオさんの骨格とかね。つーかこの2人の裸って何度も見てるから。自分以外の男の裸を生でこんなにも見せられた見たってのもへんな話。

でもまぁ骨格的にも無理があるので僕が目指せるとするとどうしてもレスラー体形になってく。

三沢?

顔が似てるだけです。

レスラーなら田村潔司とかさー。

いいよね。まぁ、この人の生き方がすき、ってだけだな。(不器用だよね~)

ボディビルダーみたいのはあんまり好きじゃない。


ここ数年、僕と飲んだ人にはだいたい「僕の僧帽筋と三角筋いいすよ、さわってみて」と下手するとセクハラまがいなことしていますが、肩あたりの筋肉は自慢。昔からなで肩と思っていて、筋トレするときは大体、肩のトレーニングはしてますから。

やっぱスーツちゃんと着るには肩大事だしね。

大胸筋も悪くない。
(筋肉の部位はこちらをご参考に⇒筋肉名称

下半身になると太腿二頭筋とヒラメ筋は悪くないね。やっぱ走ってるから。この二つは明らかに走るようになってぐんぐん発達した。

で、やっぱり不満なのが腹直筋と外腹斜筋、つまりお腹の前と横なんですよ。

こればっかりはね、とにかくぜんぜんつかない。

だいたい腹筋運動って楽しくないしさ。

これが良くないんだけどね。

分かってますよ、鍛えるなら大きい筋肉から、というのは。でもさ、つまんないんですよ。

あーん、加圧トレーニングでも行こうかしら。

「筋肉はつきづらく落ちやすい。贅肉はつきやすく落ちにくい」

いや、確かにそうだけどなんて救いの無い言葉。。。

ただ、それだけ

2009-01-14 00:04:01 | 日記
今年はなんとなく転機になりそうな気がしています。

色々あって色々振り返りましてね~。世の中の出来事ってのは来るときにいっせいに来るから。

最近、色々な人に色々オープンな相談をしています。
もうかっこつけても仕方ない。
皆さん、心よく相談に乗っていただけまして。
(え?本当は嫌がってる?)

その中で、ある人から言われたこと。

「あなたは強い。でも、唯一の弱点は弱みを見せないこと」

うーむ、深い。

こんな台詞、どの本読んだって出てこないよ。すごい。

実は以前から、この人からこの台詞はよく言われていたんだけど、正直、今まではわかっていなかった。正直、「そう?見せてるじゃん、じゅうぶん。(つーか俺、弱くないし)」と思っていた。


でも最近思うんだけど、僕は今まで自分の弱さに気づいていなかっただけなんだ。

「すべての人が病を抱えて生きている」というのは知識としてはなんとなく「そうかな」と思っていた。

でも、僕は自分だけは心身共に健康だと思っていた。

違うんだよね、当たり前だけど。

去年、身体を壊して入院して、「あ、俺も身体を壊すんだ」と思った。

だってね、それまで僕、超健康優良児だったんですよ。そりゃ体重のことは目をつぶっていただいてさ。健康診断はあんまりひっかからないし、入院なんてしたことないし。血気盛んで怪我したことはたくさんあるけど。2階から飛び降りて靭帯損傷したり、足でガラスのドア開けようとして割ったり。

去年、救急車で運ばれて、すぐICUで処置と検査を受けて、朝起きて、朦朧とした中でお医者さんから聞いた診断結果。

「内臓で出血があって、ヘモグロビンが普通の半分になっていました。もし放置していたら最悪の事態になっていたかも知れません」

つまりもっともっと運が悪ければ最悪の事態になっていたかも知れない、ということ。「最悪の事態」というのは…、まぁ考えうる最悪の事態だろうな。

しかし、「病気慣れしてない」、というのも困ったものです。

僕は、運ばれる前の日は朝起きて「だるいけど風邪かな~。熱い風呂入ってがんがん汗出して寝れば治るかな~」と思っていたんだから。

もしそれをやっていたら出血は更にひどくなり、そしてそのまま寝ていたらそのまま起きなかった、、、ということだってありえたかも知れない。それを想像すると少しぶるっとなる。

まぁ風呂入る元気も無くて結果的に運ばれたわけだけど。

正直、大げさに言うと「あ、やっぱり俺もなにか間違えれば死ぬんだ」とすら思った。だってさー、超健康で生きてきた30代の男が死なんて身近に感じるわけがないじゃないですか。身の回りの近しい人を失った経験も少ないし。

精神的な面で言うと、最近、「あ、俺も『病』を抱えているんだ」ということに気づいた。まぁ僕レベルが『病』と言うと本当に病と闘っている人に失礼かも知れないので『癖』と言い替えてもいいけど。

ということでやっと自分も「ああ、俺だって弱いんだなぁ」と気づくことが出来た。

そう考えると、今までだって実は「弱さに気づきつつも見て見ぬふりをしていただけ」というところもあると思う。


よく人から「あなたは前向きだよね」と言われます。

それも深く深く考えてみると後ろを見たくないから前を向いているだけ、というところもある。

全方向をしっかりと見回して、「でも前を向いて生きていくんだ」という前向きさと、僕の前向きさは若干、違うんじゃないかと思う。

僕の前向きさは、後ろや横を見てしまうと自分のしてきたこと、失ってきたものに気づいて、愕然としてしまうだろうからあえて、前しか向いてないんじゃないかな、と思う。その前向きさって実は単なる臆病さ、そして視野の狭さ、なのかも知れない。

弱みを見せない、というのもそうで、弱みに気づいてしまうと自分で自分のことが嫌いになってしまいそうだし、もし人に弱みを見せてしまったらこんな人間誰も付き合ってくれないんじゃないか、という恐れもある。

でもさ、特にこの部分が良くないな、と思う。

だって、「強い自分を見せていたらこの人は友達で居てくれるけど、もし弱みを見せたらこの人は離れてしまうんじゃないか」という気持ちって相手のことを信頼しているとは言えないものね。

だから、ちゃんと自分の弱さと向き合ってこれからはちゃんと色々な人と向き合っていこうと思っています。

もし、まだ僕に幸運があって、自分の人生を共に歩んでいこう、と思える人が現れたら今度こそ、その人に自分の良いところも悪いところもオープンに見せて、そしてその人のすべてをちゃんと受け止めて、一緒に歩んでいく決意をしようと思っています。

すごく大仰になってしまったけど、今とっても落ち込んでいる、というわけでもなくてただ単に「そうなんだな~」と思っただけです。

だから、







こんな僕でも友達でいてくれますか?

いや、違うな。

こんな僕だけど僕はあなたとこれからも友達でいたいと思っています。

ただ、それだけ。

真っ黒な孤独

2009-01-13 00:32:35 | 
札幌行ったり浅草でご飯食べたりして、色々なことがあってブログに書くこともたっぷりだったんですが、正直「なんかどんどん書いたらあんまコメントもらえないしな~」と思ってました。だってさ~コメント無いとさみしいじゃん。

でも前回の浅草話が思いのほかコメントいただいたので(ありがとうございます!)、更新頻度高くなっちゃいますが新しい話を。

本の話題です。

あんまりご興味ない方はまだまだ前の話でお楽しみくりださい。



「のぼうの城」が正直、微妙な感じだったので、返す刀で買ってみました。「ジョーカー・ゲーム」

柳 広司
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これも気にはなっていたんですよ。

第二次世界大戦時の日本軍に設立された「D機関」。ここではスパイが養成され、彼らのだましあいの活躍を描く短編集。

僕の興味のある分野として「昭和史」というのもあります。
太平洋戦争論というところまで行ってしまうと話しが大きくなってしまうけど。

そしてこの本の表紙絵が森美夏。この人と大森英史が組んだ「木島日記」はまぁたいそう面白かったな~。昭和偽史という感じでさ。

関係ないけど最近、小説の表紙絵を漫画家が書くことはやっているのかね?「のぼうの城」もそうだったし。

あんまり書評誌って読まないんだけど「このミステリーがすごい!」で2位になっていたから、期待もして。

これはねー、期待通りでした。

うん、面白かったです。

「お国のために死ぬ」ことが最上の教えだった当時の日本軍の中で一人「スパイにとって自決、あるいは殺人もっとも愚劣な策だ」と説く、伝説のスパイ、結城中佐。

なぜか?曰く「スパイは影として誰にも気づかれず生きる必要がある。自決や殺人をすれば必ず警察が動き出す。その時点で影ではない」から。

彼が作ったスパイ養成所、D機関。

結城中佐のスパイとしての教えは「影となり潜入先に溶け込むこと」

だから一般市民にとっては異質である「軍人」としてのそぶりを一切否定する。

軍服は当然のことながら、敬礼という軍人としては当然のしぐさも「ここ(=D機関内)では軍人のそぶりを見せたら罰金だ」と否定する。

だからこそ天皇という言葉を聞くだけで直立不動になることを求められた時代に、天皇制の是非を笑いながら議論するD機関のメンバーたち。

その点がある意味「異能」。

厳しい訓練を「これがやりたい」という思いではなくただ単に「自分であればこれくらい出来ねばならぬ」と思いだけでクリアし、「スパイ」という真っ黒な孤独にあふれた人生を選ぶ。

そういう彼らの活躍(そして失敗)をクールに描く。

非常に「マニッシュ」(←最近、僕が考えているテーマです)ではあるけど僕はおもしろかったなー。


あるレビューを読んでいて「結局、この結城中佐は何がしたかったの?」という感想があった。

僕はそんな感想は抱かない。

結城中佐のやりたかったことは明確。

すべてはラストシーン、最後の一言に表われている。


かなり良い本だけど2つだけ不満が。

それは表紙のイラスト。

明らかにここに書かれているのは結城中佐なんだろうと思う。右手の白手袋、杖。ただ作中で「軍人のそぶりを見せるな」としつこく言った結城中佐が軍服と軍帽を身に着けているというのがね~。

そしてこれだけの世界観、キャラクター、組織を作ったのであれば是非がっしりとした長編で読みたかったな。もちろん短編集だからこそこれだけ楽しめた、というのもあるかも知れないけど。出来れば次は同じキャラクターで長編を是非。

なんでどら焼きが食えないんだよ!

2009-01-12 21:41:11 | 食べ物
3連休最終日、皆様いかがお過ごしでしょうか?

僕は昨日、浅草に戻ってきて今日はりちゅさんとぴぐれっとさんが浅草に来ていたのでご案内にあがりました。

僕の肩書きのひとつに「怪しげコーディネーター」というのがありまして、なんでもコーディネートしますよ。

昼に落ち合ってお二方のご希望でふぐ。

昼からふぐ。ぜいたくー。


(ホームページから)

から揚げ、てっさ、てっちりなんかを。

ふぐの食べ方として個人的なオススメは焼きふぐなんですよね~。

(ホームページから)

その後、移動し、オススメの「亀十のどら焼き」を堪能していただこうと思ったけど祝日なのでえんらい並んでて食べられず。

もー、せっかく浅草に来ていただいた方にどら焼きを食べていただけないなんて。。。ドッピオさんなら怒って目の前の車の2、3台に真空飛び膝蹴りしてるところだ。

オススメの川沿いのカフェに移動し、ケーキセット。

歌舞伎をご覧になるお二方を浅草公会堂までお見送りして任務完了(`´)ゝビシッ!

その後、僕は会社に行き仕事をしていて今帰ってきました。明日早いし。

とにもかくにもお二方には人が多くてお待たせしてしまったりどら焼きを食べていただけなかったりというのが心残りでしたが。

是非またいらしてください。

ということで浅草観光コーディネートはお任せください。

うむ、うむむむ

2009-01-12 10:15:59 | 
数年前からあまりいわゆる「ビジネス書」というのは読まなくなりました。

昔、特に今の会社に入った頃は、「自分は何も知らない!」ということに愕然としてとにかく知識を身につけるべく毎日毎日ビジネス書ばっかり読んでいた覚えがあるんだけど。

それこそ、毎日本屋に寄って「セールス」とか「マネジメント」とか書いてある本をかたっぱしから買って読んだりね。

でもしばらく経って思ったんだけど、いいビジネス書というのは結構人が勧めてくれる。

でもビジネスに関係ない本、小説とかノンフィクションとかそういうのはあんまり勧めてくれる機会も無いので、自分で探すしかないんだよね。
(あくまで僕の置かれた環境の場合)

と思っていたんだけど、先日ある上司がずいぶんととある小説を勧めてました。

この上司の読書対象というのは僕と真逆で読む本の9割ビジネス書。そんな人が「新幹線待ちの間に読む本がなくてまぁ何でもいいやと久々に読んだ小説」がたいそう面白かった、とのこと。

その小説とは「のぼうの城」
和田 竜
Amazonランキング:724位Amazonおすすめ度:



これは僕も出たときから気になっていたし、表紙の絵もオノナツメだもんだから「読みたいなー」と思っていたんだけど、タイミングを逃していた。

日頃、小説を読まない上司がそれだけお勧めしているんだからこれは読まないと、と思って出張中の旭川で買ってみました。

さくさくと読んだんですが、正直、うむー。

いや悪くないですよ、ただ、「うん、これだけ?」と。

なかなか難しいもんざんす。

僕らの時代のフォークロア

2009-01-11 16:41:47 | 食べ物
とうぜんのことながら僕も名刺を持っていて一応肩書きがあるわけだけど、もし、会社から離れて一個人として自分に肩書きをつけるとすると、出来れば「在野の民俗学者」というのが理想ですね。いやまぁ、「恋愛チャレンジャー」とか「傍若無人で八方美人な原始人」とかそういうのでもいいんだけど。

人々がその土地土地で何を食べ、どう生きているのか、何を信じ、何を知らないのか、ということはやっぱり面白い。

札幌で足掛け10年過ごし、中には「え?showさんって北海道出身じゃないんですか?」と思われるくらい北海道になじんでいるわけだけどそれでもやっぱりまだまだ知らないことが多いんだよね。

特に、一般的な家庭外で行われていることは僕も知識としては知っているんだけど、家庭内で行われていること、というのは、僕もそこに居合わせることが少ないので触れる機会が無いね。

先日、札幌でむめもさんと話していたんです。

ちょうど先日テレビ番組で各地方のお正月みたいなことをやっていて、その中で「北海道の人はおせち料理を大晦日に食べる」というのがあって。
そういう話を肴に居酒屋で酒を飲んでいて。

ふとつまみで「茹で落花生」が出てきたときに、「北海道では節分に落花生を撒く」という話になった。

?????

え!?

むめもさん曰く「まいた後に拾って食べられるから合理的」とのこと。

なるほど、それは確かに。

「ただ年の数だけ食べなさい、というのが落花生単位で数えるのか、それとも中の豆単位で数えるのかで迷う」とのこと。

あはは。

「節分に落花生」というのは同席していた方も同意していたし、次の日、よね3、つよしと話していても「そうだよ」と当たり前のように話す。

いやー、こういうのは知らなかったなー。だってさ、たとえば友人の実家にさ「今日、節分やるからあなたもどう?」なんて誘われることないじゃないですか。


で、次の日、よね3とつよしと飲んでいて。今年、お二人の家に実家のお餅を送ったんですね、美味しいからと。

正月の餅をどうやって食べるかという話をしていたんですが、僕が「大人になってからはだいたい『からみ餅』ですねー」というと二人とも「なにそれ?」。

え!?

知らないの?

からみ餅というのは要は大根おろし餅のことで、大根おろしに少しネギを刻んで醤油をかけたものに餅を入れて食べるやつ。

僕は母親の実家が農家で餅をつくので正月はかなり餅を食べるけど、割合としては雑煮4、からみ餅3、キナコ餅2、その他1という割合。子供の頃はあんころ餅がすごい好きだったけど最近は食べてないな。父親が正月ひまだったりするとクルミ餅(すり鉢で摺ったクルミでクルミ餡を作るの)を作って食べたりもしたけど。クルミ餅は父の実家の地方の食べ方なんだろうな。
実は納豆餅も(茨城県民であるにも関わらず)たいして食べないんですよね。納豆はやっぱりご飯とたべたいもの。

お二人とも、そして飲み屋のマスターも「からみ餅」を知らない、とのことで、ああもう!とばかりに、マスターに大根おろしを作ってもらい、その場で餅をあっためて食べていただく。

うまいうまい。いや、当たり前じゃないですか、失礼だけど(笑)

確かに正月の習慣なんていうのも、だいたい僕は正月を実家で過ごしていて人の家庭の正月に招かれることなんて無いわけだから案外知らないことが多いんだよね。


なんつうかもう各家庭における差異ってすごいよね。当たり前のことが当たり前ではなかったり、当たり前ではないことが当たり前だったり。

こういうのが民俗学者としてはたまらなく面白いね。

札幌がすんごい楽しみだ。

2009-01-08 01:14:00 | 日記
明日から札幌にいくんです。

うわー、楽しみだー。

行きたかった忘年会、新年会も行けなかったので。

今回は色々あったのですさんでますよ。飲みますよ、ああ、飲むさ!忘年会新年会ごっちゃにして。なんだったら2009年の忘年会もしちゃうよ。

今の予定では、8日夜は同行する会社の人と飲み。

どこ行こうかなー、やっぱジンギスカンかな~。

あ、次の日も仕事あるんで、スーツに匂いついちゃうから却下。

どこでもいいや。

その次の金曜日はむめもさんとご飯。

喋るよー、僕。むめもさんに一刀両断にしてもらおう。

そして、今回のメインイベントである土曜日。もう身震いがしますね。
今回の出張で、仕事があるのは木金。とは言え三連休なので自費で延泊して土曜日は完全フリーなの。もうなんだ、なにしてくれよう?

よね3、つよしと小樽で飲むのは17時からなのでそこまではスーパーフリー。

小樽で飲むのが楽しみだ~。

この年末年始、あんまり酒飲んでないんですよ。

31日に実家に帰って3日に自宅に戻るまで一滴も飲まなかった。

そもそも家の実家ってあんまり酒を置いてある家じゃないからね。飲みたかったら自分でコンビニ行って買ってくるしかない。

今年は父も実家(岩手)に行っていてほとんど母と2人だったので酒飲むタイミングも無かったし。

31日~3日ってたいしたことないじゃん、と思われるかも知れないけど、正直、4日間酒を飲まなかったのって正直、去年の入院以来。

今年に入ってから今日まで外(お店とかね)で飲んでませんでした。

これも珍しい。

ということで札幌ではがんがん飲みます。

潰瘍?

わかってるべ。

脱力

2009-01-06 21:54:52 | 日記
なんと言うか今年は誰にあっても「年明けた気がしませんねー」という話になる。

毎年結構「よーし、今年はこれをやるぞ」と意気込んでたけど、今年は、力を抜いてゆるーく、いろいろやっていこうと思っています。

「やるぞ!」とグッと力を入れてしまうと案外ぽきっと行く。

なもんで、ゆるーくね、今年は。

まずだらだらとやっていることが、柔軟体操。僕ね、身体硬いんですよ、異常に。たとえば床に足を伸ばして座ると普通の人はまぁ前屈が出来るじゃないですか。僕は前屈どころが腰が90度以下にならない。

マッサージなんか行っても「こってますねー」といわれるし。

これはあんまり良くないだろう、と思って風呂上りにだらだら前屈をしたり股関節を伸ばしたりしています。

年末年始に野口体操の本なんかも読んでみたし。


…いやまぁ正直よくわかんなかったんですが。とにかく、身体をゲル状の液体をイメージするってことだよね。ゆるーく。

気のせいかも知れないけどおかげでジョギングしていても調子がいい。

あとね、なんとなく聞き上手、褒め上手、床上z、いやいや、「よく聞いてたくさん褒めよう」と思っています。

昔はかなり毒舌で通っていたけども最近はもう「褒めてナンボ」と決めております。

だいたいさー、相手を貶してもいいことなんてひとつも無いんですよ。

僕が思う褒め方の巧さ、というのはまず白帯レベルが「相手もまんざらでもないことを褒める」ということでしょうかね。

たとえば相手がいつもネクタイに気を使っていることを知っていて新しいネクタイをしてきたときなんかに「あ、いいネクタイですね」と褒める、とか。

このくらいはもう社会人としてのマナーのレベルになるね。

黒帯レベルが「相手が気づいていないところを褒める」ということ。たとえばそれは相手はまったく気にしていないんだけどはたから見てると「あ、いいな」と思うようなことを褒める感じ。これなんかは言われると満更でもないよね。

そして免許皆伝レベルが「相手も気にしているんだけどどう表現していいか分からないことを褒めて『そうそう、俺、そう言われたかったんだよ』と思わせる褒め方」。これなんかねー、僕はなかなか出来ないけどたまーに言われるといいですよね。

よう分からないけどワインのティスティングに似ているような気がする。「うーん、木漏れ日の中のひまわりのような…」(って本当にこんな事いう人がいるのかどうかわかんないけど)って言われて「そうそう!俺もそれが言いたかった!」みたいな気持ち。

やっぱりさ、褒められると気持ちがいいんだよね。

ここ2、3年で一番、言われてスィートスポットだったのは、「showくんの優しさは温泉のかけ流しのようにたっぷりですね」、ってやつ。友人を東京見物にご案内した後にメールで褒められたんだけどこれはうれしかったなぁ。

いっぽう最近は「いや嬉しくないわけじゃないけどほんまにそうかね?」と思う褒められ方も多々ある。

ここ数年多くなってきたのが「showさんは一人でもじゅうぶん楽しそうですよね」という言葉。これ、褒められているのかあきれられているのか分からないけど結構言われる。去年だけでも2、3回言われた気がする。

もーう、何にも分かってないよね。こんなに淋しがり屋いないのにさー。一人で楽しんでいるように見えるとすると、それは強がりでそりゃ僕だって人と遊ぶほうが倍以上楽しむっつーの。

あとね、「もてそうですよね」ってやつ。もー、なにこれ? 不特定多数にもてても仕方がないのさ。もーこの話でドッピオさんと二人して女の子に3時間説教したい。

おっと、褒め上手になるつもりが毒入ってきた。

ということで、今年は聞き上手、褒め上手、床上zzzzzzz

しゃべれないけど歌えるよ

2009-01-05 23:56:56 | 音楽
正月は実家に帰っておりました。

寝て起きて、こたつに入り、餅、テレビ、テレビ、餅、餅、晩御飯、グラタンというかなりリラックスした日々。1日を除き、ジョギングはしたけどそれ以上に摂取カロリーがオーバーしていたので今年は頑張ります。

実家に帰ると何が楽しいって姪っ子たちとの日々。

妹が実家の近くに住んでいて、5歳と1歳半の娘がいるのでずっと遊んでもらいました。

お姉ちゃんのほうがしっかり話せるしなついているので可愛くて仕方が無いんだけど、妹のほうも最近は楽しくなってきた。

まだまだ喋れないけど自我が少し芽生えてきてキャラクターも確立してきた。

面白かったのは、その子が「ぼくはくま」という曲を流すと寝る、という現象。

「ぼくはくま」って曲知ってます?


僕はぜんぜん知らなかったので昨日、インターネットのヤホーで調べてみたんですが(ナイツ)、宇多田ヒカルの曲なのね。

なんだか変な歌詞の唄だな、とは思っていたんだけど。

こんな曲。

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ぼくはくま くま くま くま
車じゃないよ くま くま くま
歩けないけど踊れるよ
しゃべれないけど歌えるよ
ぼくはくま くま くま くま

けんかはやだよ くま くま くま
ライバルは海老フライだよ
ゼンセはきっとチョコレート
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ここで試聴できます。→「ぼくはくま」サイト

たとえばお客さん来ているときとか、食事の用意していて妹の世話を出来ないときに、この曲を流すと妹の動きが止まり、まるで催眠術にかかったかのように、目を閉じて眠りだす。

妹の母(つまり僕の妹ね)が、毎回、寝かしつけるときにこの曲をかけるようにしていたのでどうもパブロフの犬的条件反射でこの曲を聞くと寝る、という習性がついたみたい。

こういうのって面白いね。

この習性は何歳まで続くんだろう。彼女が大人になって、たとえば運転してて、ふとこの曲が流れてきて眠くなっちゃったりしたらかなり危険だと思うけど。

1歳半の姪っ子がばったんばったん転びながら歩いていて、「だーだー」とか「あっぷー」とか言っているのを見ていたら、正に

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歩けないけど踊れるよ
しゃべれないけど歌えるよ
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ってまんま。