浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

とんこつ

2013-10-31 00:12:53 | 日記
大阪出張でした。

小雨の東京を朝出たら名古屋過ぎたあたりで晴れてた。大阪はあったかいかな、という感じの陽気でふと上着を脱ぐくらい。

このくらいの陽気の関西は気持ちがいいね。なんか空気の肌触りがいい。

こういう感じを関西の良さとして別にガリガリ行かなくてもいいと非関西人の僕は思うんだけどね、無責任に。なんか「待ったなしです!」とかそういう人がトップじゃなくて「まぁぼちぼちでんなぁ」と言っている人がトップのほうがいいと思うんですが。まぁ非関西人の適当な印象です。

ありがたいことに徒歩通勤の毎日なので電車に乗るのは出張の時だけ。あとはドッピオさんと飲みに横浜行くときとかね。

で、たまに駅、特に上野だとか新宿だとか新大阪だとか、そういう大きな駅に行くと感じることがある。

「前向いて歩いてない人多いなぁ」

人類史上、ここまで前を向いて歩かなくても大丈夫な時代というのはあまりないんじゃないだろうか?

原始時代だったらどこからサーベルタイガー襲ってくる分からないし江戸時代ならすぐ武士にぶつかって無礼討ちだね。

僕は出張のときキャリーケースを引いてることが多いのでそちらにも注意しなければいけないので、極力気を使って歩くようにはしてる。

他の人々は隣の人に顔を向けて話しながら歩いていたり、どこか遠くの看板を見ながら歩いていたり。

あと多いのは歩きスマホね。歩きスマホはこれはもう、中毒だね。僕だってふと「あ、あれなんだっけ?」とか「メール来てるかな?」とか思ったらスマホを取り出さずにはいられない。皆さん、もうしっかり認識されたほうがいいと思いますよ。これは「中毒」です。もちろん僕もそうです、中毒なんです、あれは。

まぁスマホの話はおいといて、駆け出しの合気道愛好家から言わせると、前を見ないで歩いている人はかなり弱い。すぐ崩れる。つまり、バランスが崩れるということね。もちろん街中を歩いているときに僕だってそんなことしない。(捕まるだろう)

いくら身体が大きくて力が強い人でも崩れるとどうしようもない。これは合気道やってるとよくわかる。僕は初心者なのでいつもやられるほうだけど「あれ?こんなにあっけなく倒れるの?」と不思議なくらいコテンと倒れてしまう。

何が言いたいかと言うと前向いて歩かないと危ないっすよ、ということです。


大阪で食べた超うまい「とんこつ」(豚骨スープじゃなくて、鹿児島の郷土料理で骨付き豚バラを焼酎で煮たの。とろけるの。うまいの)と「芋焼酎前入れの燗」の話はまた別途。

嬉しいバー

2013-10-28 18:55:01 | 食べ物
あのね、今日は大事な話をしますよ。

ハムエッグ、好きでしよ?好きだよね?

僕は常々、「ハムエッグというのはいい酒のつまみになるのではないか」と思っていた。いいよね、外側のカリッとした部分も黄身の濃厚さも。

こないだ牛スジトマト煮込みが旨かった立ち飲み屋に行ってみた。こないだは3件目だったのでとりあえず牛スジしか頼まなかったけど、今回は1件目ということでいろいろメニューを見る余裕がある。

そしたらさ、ハムエッグを見つけたんだよねー。300円、嬉しいお値段じゃないですか。更に嬉しいのはさ、注文すると「黄身の硬さどうします?」と聞いてくれるの。嬉しいねぇ。

僕はハムエッグはご飯と食べるなら半熟、やわやわの半熟がいい。

レベルで示すと、こうなってるでしょ。

生→半熟→固

これの生と半熟の間がいい。もう最後、黄身をご飯に載せちゃうくらいのね。

でもお酒のつまみとしては「半熟と固」のちょい固よりがいいね。食べやすいし。

つーことで頼んだのがこちら。

案の定美味しかったですよ。

更に「明石産真ダコのオイル煮」、これも300円。

バケットが旨いんだもん、これが美味しくなくないわけがない。

そして牛スジ煮込み。

前回はトマト煮だったけど今回は醤油味。豆腐が入っているのがうれしいじゃないですか。これはもう牛スジ煮込みじゃなくて、牛スジと豆腐の煮込みと言ってもいい。

落ち着いて飲んでいるとこの店結構面白くて、まず柿ピーが食べ放題でカウンターに置いてある。

これを小皿にザザッと出して飲んでるとまぁこれだけでいいなぁと思えてくる。

更に何故か店の片隅の段ボールにJリーグチップスが置いてあってこれも「ご自由にどうぞ」と書いてある。へーと思って取ってみたらJリーグカードは付いていない。聞いてみるとカード業者がカードだけ抜いてあまったポテトチップス(これがあまるってのも変な話だけど)をくれるんだって。

Jリーグポテトチップスなんて何十年かぶりに食べたけど、下手なアレンジがされてないチップスで美味しい。

この店来たらポテトチップスと柿ピーだけでいいっちゃいい気もする。圧倒的に喉乾きそうだけど酒はあるし。

身体にいいわけない

2013-10-25 16:39:46 | 日記
テレビは見ない、と書いたけど、こないだちょっとしたところでテレビを見てて驚いた。

大阪市長がインタビューに答えていた。正式なインタビューじゃなくていわゆる「ぶら下がり会見」というやつね。

何が驚いたかって、話していることとかどうこうじゃなくて「あれ?この人こんなに人相悪かった??」と驚いたの。

「人相が悪い」というのは悪人づら、ということじゃない。顔色が悪く、どうも生気がない、ということ。どうも全体的にくすんでいる印象を受けるし目の周りがスッキリしていないように見える。

あの、僕は別にこの人が政治的にどう、というつもりはないんだけど言わしていただきます。

もう辞めたほうがいいんじゃないかなぁ。

それはこの人に対する好き嫌いはおいておいて「このままやってると確実に身体に悪いし下手したら体壊して早死にするから、辞めたほうがいいですよ」と思うから言ってるの。

まぁ冷静に考えればそうだよなあ。

あのひとだって生身の人間なわけで、生身の人間があれだけ何かを攻撃して、気に食わないものは破壊しようとして、その結果、多くの人から恨まれたりしているような生活が身体にいいわけ無い。

個人的にはああいうタイプの政治家って日本社会ではどんどん身体に来るだけだと思うんだよね。ああいうタイプというのは言わば物事を単純化して「白か黒か」の二元論を求め、過去の様々なものを破壊しようとする人。

ああいうタイプの人で、政治をやってるうちにみるみるうちに顔色が良くなってった人って僕はあまり知らない。

じゃあ日本型政治(それが良いものだとはおもいませんが)でバリバリやってて顔色が良くなってく、少なくとも顔色が変わらない人とはどういう人か。

それはまた別の機会に。

30年

2013-10-22 22:28:05 | ニュースから
自宅ではテレビを見ない。テレビという機械はもちろんある。そりゃ僕だってテレビくらい買えますよ。でもアンテナを繋いでないので地上波が見られない。

そういう生活がもう10年くらい続いてるんじゃないかな。ワールドカップの時はアンテナを繋ぐんだけどね。

なぜテレビを見ないのかというと単純な話、僕がテレビが好きだから。好きというか惰性でみてしまうんで家にいる自由な時間がほとんどテレビをみて終わってしまう。

そんな風に思ったのは実は「笑っていいとも増刊号」を観ていたときだった。

仕事が忙しかった時、貴重な日曜はいろいろやりたいことがあった。洗濯や掃除と言った家事もしたい、出来れば映画だって観に行きたい。日曜の夜は明日からの仕事に備えてメールを処理しなければいけない。
そういう状態の時、日曜の午前というのは非常に貴重だった。

でも、日曜日に起きてなんとなくテレビをつけて「いいとも増刊号」がやっているとそれで正午まで終わってしまう。もちろん面白くない番組だとは言わない。でも家事や映画を潰してまで観る価値があるとは思えなかった。もちろん「じゃあ見るな」という話なんだけどテレビがついてるとみちゃう。ということでアンテナの線を抜いたの。

で、そういえば30年続いた「笑っていいとも」が終わるそうですね。

いつか終わるものとは言えそれはそれで感慨深い。

牛スジのトマト煮込

2013-10-21 23:54:58 | 食べ物
昔、札幌に住んでた頃、北34条というところに住んでいた。札幌駅から帰るとなると北12条、北18条、北24条と通り過ぎて北34条。ああ、こうやって駅名言っているだけでもうなつかしい。

北24条というのは一応、歓楽街で駅前には飲み屋がある。

だいたい会社帰りに北24条でふらりと途中下車してしまって行きつけの「とらや」という店で晩御飯を食べるのが日課だった。下手したら週に4日行ってたことだってある。

いや!今日はとらやの話をしたいんじゃない。とらや、というか札幌の話をしたらいつまでも終わらない。

要は、帰り道にある飲み屋の話をしたいんです。

ありがたいことに今は会社まで歩いて通っているので帰り道にたいした飲み屋は無い。でもこの間、会社とは別方向の駅から歩いて帰る途中、新しく立ち飲み屋が出来ているのを見つけた。少し前までは古着屋だったところが飲み屋になっていた。立ち飲みと言ってもよくある一杯飲み屋じゃなくて(それはそれですきだけど)少しオシャレなバーみたいな立ち飲み。家からは歩いて5分なのでちょっと行ってみた。

本日のオススメが牛スジトマト煮込だって。あのさぁ、牛スジ煮込みは自分でもつくるし結構うまいとこで食べて来たよ。こんな立ち飲みで出す牛スジが、、、

ンま~い!!

牛スジトマト煮込って適当に作ると味が尖ってる感じがするんだけどそんなことぜんぜんないの。まろやか~ん。

でね、付け合わせのバケットがまた旨くて。

近所にいい店見つけたわ~ん。

子どもの写真

2013-10-18 21:33:29 | 日記
姪っ子が大好きなので実家に戻って姪っ子に会うとよく写真を撮る、iPhoneで。

で、たまに妹(つまり姪っ子たちのお母さん)とか僕の母からも姪っ子たちの写真をもらう。

そういうの見てると「子どもの顔って不思議なもんだな」と感じる。

姪っ子に会って、しばらく経って送られた最近の写真を見ると「あれ?結構、顔の印象が変わったな」と感じる。

まぁ成長期だからね、そういうのもあるだろう、と思って実際に会うと前に会った時とほとんど変わってない。「なんだ変わってないじゃん」と思ってまたしばらく会わなくて写真をもらうとこれまたやっぱり印象が違う。

こういうことしばらく繰り返していて「小さい子どもって顔の印象が不安定なのかな?」と思ってたんだけど、たぶんそうじゃない。

最近思うんだけど、たぶん子どもは「カメラを持っている相手に対して見せる顔が違う」んだ。

大人であれば写真は撮られ慣れていて「はい、チーズ」と言われたときにはだいたい同じ顔をする。だけど子どもはそうじゃないんだろう。

多分、子どもはカメラに向けて表情を作っているんじゃなくて、カメラを持っている人に対して表情を作っている。

そう考えると僕が撮った写真はいつも同じ印象だし、妹が撮った写真も同じ印象。要は僕が撮るか、妹が撮るか、によって違う。もちろん僕が撮った写真では姪っ子が笑ってないとか顔が引きつってるとかそういう話じゃないよ、一応、ちゃんと笑ってる。一方で、妹の撮る写真では最高の笑顔とも限らない。普通の笑顔。とにかく印象が違う、ということ。

そういえば、と思ってこないだ実家に帰った時、姪っ子の写真を見返してみた。さすがに上の子はもう10歳なので写真によって印象が違う、ということはあまりない。でも下の子はまだ5歳なんで、写真によってけっこう違う。

さらによく見てみると父が撮った写真と僕が撮った姪っ子の写真は結構印象が近い。一番、僕が「え?この子、こんな顔だった?」と思うのはやっぱり妹が撮った写真。

いやぁ、不思議なもんですなぁ。

この話、あんまり信じてくれないかも知れないけどホントなんですって。姪っ子の写真見てくれればほんとにそうなんだから。

生きているから、かなしいんだ

2013-10-17 00:14:22 | 
僕が子どもの頃に一番最初に読んだアンパンマンってまだアンパンマンとバイキンマンしか出てなかったと思う。記憶をたどってみるとたぶん、お腹が減ってる猿がいて、それにアンパンマンがアンパン(もちろん自分の顔ね)を上げる話だったと思う。なんか池の中からネッシーみたいなのが出てくる話しだったと思うんだよなぁー。

と思って「アンパンマン 池から怪獣」で検索したら出てきた。すごいね、Google。

そうこれこれ。

僕にとってアンパンマンという存在は結構大きくて、家には富良野のアンパンマンショップで買ったポストカードが飾ってある。

こういう機会だからてらいもなく言ってしまうけど、これが僕の理想の行動なんだよね。自分の身を削ってでも、お腹を空かしている人にアンパンを上げる、ということが。

富良野のアンパンマンショップのことは前にも書いたけど、いいんだよなぁ。1階はアンパンマンショップなんだけど、2階にはやなせたかしの絵が飾ってあるの。

冬のシンとした富良野でこういうの見たらそりゃ泣いちゃうよ。

やなせたかしの作品でもちろん一番大きなものはアンパンマンだろうけど、それと同じくらい僕にとっては「手のひらを太陽に」も大きい。

上の姪っ子がまだ幼稚園の頃、幼稚園で覚えたばかりのこの曲を歌ってくれたことがある。大好きなカワイイ姪っ子がふりつきで歌う歌がカワイイのと歌詞がすごくよくって膝から崩れ落ちそうになりましたよ。

改めて全部聴いてみると、すごい歌詞だな、と思う。

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ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
-----------------------------------------

僕がすごいと思うのは、「生きているから」の後の歌詞の順番。

普通、子ども向けの歌であれば最初に「生きているって素晴らしい」とかそういうのがあって、その後に「たまに悲しいけどね」くらいになるんじゃないかと思う。

でもこの歌詞は、
「生きているから 歌うんだ」から始まり、かなしいんだ、笑うんだ、うれしいんだ、おどるんだ、愛するんだ、と続く。

生きていることはかなしい、と最初に言ってしまうことが子どもに対してだろうと真実を伝えようとしているところがすごいと思うんだよね。

悲しい「生きること」をアンパンマンがどれだけうれしくしてくれたことか。それはもう子どもではない(ないよな、たぶん)僕だってそうだし、現役バリバリの子どもだって同じだろう。

94歳で亡くなったけど、本当に「ありがとうございました」と言いたい。

そして出来れば、今すぐ、現役バリバリアンパンマン好きの下の姪っ子と会って「君が好きで俺も子どもの頃好きだったアンパンマンを作った人が亡くなったから、俺はいますごく淋しいんだよ」って言いたい。

身体に染み付いたもの

2013-10-15 18:28:34 | 食べ物
同窓会で実家に帰ってました。

金曜日の夜10時に実家に着いた。あらかじめ晩御飯はいらないと言っておいたんだけど、晩御飯がすき焼きだったようでいい感じにグズグズになって残ってた。いま留学生がいるので晩御飯はちょこっと豪勢みたい。

すき焼きならせっかくなんでと思って、しらたきとか豆腐とか煮込みすぎて黒くなった春菊とかでビール飲んでたらやっぱりご飯欲しくなっちゃった。

晩御飯のあまりの冷飯を温め直して食べちゃったよ。

僕の母の実家が農家なので僕は子どもの頃からそこの米を食べて育ってきた。で、改めて想うけどやっぱり地元の米は美味い。

科学的に言えばもっと美味しいお米はあるだろう。新潟の米はもちろん、金沢の米だって島根の米だって美味かったよ。

でもやっぱり長年食べてきて地元の米の味は身体に染み付いちゃってるんだよね。

最近思うんだけど、人間は食べ物の味を舌で感じているってウソだと思うよ。

目と鼻も使ってる、いや、それだけじゃなくてたぶん身体全体使って味わってる。

キャンプのカレーって美味しいじゃないですか。でもあのカレー持って帰って家で食べたらなんてことないと思うよ。やっぱりあの雰囲気を味わってるわけじゃん。

そこまで行かなくても、人間って案外微細な変化を敏感に感じるから、例えば自分では気づいていないくらい少しだけテーブルがヌルっとしていただけで「なんとなくあの店の料理、口に合わないんだよなぁ」と思ってしまうことだってあるだろう。

更に最近思うけど、下手したら「過去の記憶」という脳みそだって使って味わっていると思う。

例えばさ、何にも知らない人の前にみよしのの餃子カレー出して食べさせてみなさい。たぶん「うーん、普通だね」って感じでしょう。それが僕らなんかは美味い美味いと食べるでしょ、確実に。

カントリーのカレーなんかもっと大変ですよ。普通の人が食べたらぎゃッと叫んで憤死もんです。それを僕らはたぶん泣きながら食べるね。いや、昔だって泣きながら食ってたけど、辛くてね。

なんかカレーの話ばっかりになっちゃったけど。

博多うどん

2013-10-09 17:02:26 | 食べ物
大変申し訳ございませんでした!

わたくし、博多で麺ものと言えばラーメンだけと思っておりました!

間違っておりました!

博多のうどん、超美味いです!

今年は弾丸さぬきうどんツアーもしたのでうどんについてはいろいろ食べてきたつもりです。

でも博多のうどんは美味いねぇ。まず麺が柔らかい。かと言って腰が無いってわけでもなくてちょうどいい。

もちろん出汁もうまい。

テーブルに置いてある刻みネギをかけて頂きます。

飲んだ後に旨いのはこういううどんだよなぁ。

一点だけ不思議なことがある。

博多のうどん屋に行くとかなり多くの人が「ごぼ天うどん」を注文している。ごぼ天、つまりささがきにしたゴボウの天ぷら。いやもちろん美味しいんだよ。だけどこれがメインになるってのは非常に特徴的なんじゃないかと思う。

だって、福岡以外のうどん屋でごぼ天って食べますか? 少なくとも僕は東京のうどん屋でごぼう天を頼んだことってないよ。トッピングで頼むとすればかき揚げかちくわ天とか春菊天とかね。

もちろん、ごぼ天は美味しいから全く問題ないんだけど。不思議だねぇ。

僕はごぼ天も食べたいし天ぷら(つまりはさつま揚げ)も食べたいからごぼ天うどんに天ぷらトッピングという結構豪勢なパターンで行ってしまう。豪勢なパターンっても500円しないくらいだけど。

地獄でなぜ悪い?

2013-10-05 20:39:07 | DVD、映画
園子温監督作品ってもちろん嫌いじゃない。

と言っても観たことあるのは「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「ヒミズ」「希望の国」くらいだけど。

今まで観た中では「冷たい熱帯魚」が一番好き。(共同脚本は2・3映画評論家であり世界一のイウォークファン、高橋ヨシキ大先生)

嫌いじゃないし、観れば観たで「おお!」と思うところはあるんだけど、なんとなく全体として「超いい!」という感じにならないんだよなぁ。

たぶん終わり方が僕にあんまり合わないのかな、とも思う。

で、最新作の「地獄でなぜ悪い?」を観ました。



超いい!

最高です。

服役中の妻のためにヤクザの親分が自分の娘を主役に映画を撮る。それに巻き込まれた普通の男と映画バカの男、抗争相手のヤクザの組長、の話。

エキセントリックなところもあるしオーバー気味な演技(特に堤真一の顔芸。僕は好きだけど)もあるから合わない人は合わないと思うけど、僕は大興奮しました。

まず冒頭10分で笑った笑った。組長の妻役、友近の名演。この人はいい女優さんだねー。血まみれ、というかプール並みの血のリビング。街中を血まみれで出刃包丁片手に走り回る友近。最高でした。

昨今、暴力表現とかが日本ではうるさいけど、なんなの、園子温は何やってもいいの? もうぐっちゃんぐっちゃんの血まみれでした。巻き込まれた男がコカイン吸っちゃって日本刀で○が真っ二つになってるのに虹色の幻覚視るとかすごいよ。

映画バカの男が「いつか映画の神が来る!」と叫ぶ。「いつ来るんだよ!?」と聞かれて「いつかは分からない。でも必ず来る。今日までそれを信じてきて、その日が今日かも知れない。なのに今日あきらめるのか?」と答える。「その日」を信じてまともな仕事もせず30近くになるのにバカみたいな映画を撮っている。本当にどうしようもない。手の施しようもない。だけど僕は笑えなかった。桐島でドラフトを待っていたキャプテンとおんなじなんだもん。仏教では弥勒菩薩が56億7千万年後に現れてすべての人を救うと言われている。その話を思いだした。

そしてラストの抗争シーン。なぜか泣けて仕方無かった。「なんでこんなシーンで自分は泣いているんだ?」と不思議に思いながら泣いていた。この感覚は桐島の最後のゾンビシーンで泣いたのと近い。

たぶんこの世は地獄でそれは仕方ない。弥勒菩薩が来るのだって56億7千万年後。でも好きな事を好きなようにやれるなら、地獄だって悪くない。