浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

良い商品は本当にすべての問題を解決するか?

2009-04-27 17:16:50 | 仕事
どうすか、皆さん、景気は。

悪い悪いと言っていても仕方ないんで、出来ることをみんなで考えましょう。

今日は、ひとつ、ビジネスにおける間違った信仰について話します。

「よい商品はすべての問題を解決する」

という言葉があります。

カルロス・ゴーンさんの言葉らしいですが。(ちょっと検索したんだけど出てこないので間違ってるかも知れません)

この言葉自体が間違っているとは思わないんですが、ここには隠された言葉がある。

僕がちゃんと表現するとこうなる。

「一握りの天才だけが開発できる、世界唯一レベルの商品はすべての問題を解決する」

確かに、どの人も欲しがるめちゃくちゃいい商品なら、すべての問題を解決すると思う。セールスマンが「売れねー」と言うことも無いだろうし、マーケッターがコストをかけてマーケティングをする必要もない。商品は勝手に売れていき、万々歳でしょうさ。

でも考えて見てくださいよ。

そんな商品は一握りの天才だけしか考えつきません。

だから、最初の言葉(良い商品はすべての問題を解決する)を信じて経営をするのは僕は非常に危険だと思う。

その言葉を信じて、一生懸命商品開発して、中途半端に良い商品が出来て「おーっしこれで行くぞー!」と意気込んで失敗することなんてあるじゃないですか。

もちろん商品開発もすっごく重要だし、それをしていない企業は滅びるけど、決して「すべての問題を解決するような商品」を開発しよう、と考えるのではなく、「よい商品を作ろう」と努力し続けるのが大事だと思うね。

前者は言わば「満塁ホームランを打つ!」と毎打席立つようなもので、そんなの巧く行くはずが無い。

満塁ホームランだけ狙うとそりゃ仕事も粗くなるし。

「名経営者が、なぜ失敗するのか?」という本を昔、読んだんですがこの中にも「聖杯探し」という表現で「ありえないような良い商品を作ろうとすることで失敗する」ということが出てた気がする。

シドニー・フィンケルシュタイン,橋口 寛(監訳)
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この本、めちゃくちゃ面白かったんでまた読みたいんだけど本棚の奥のほうに仕舞ってしまったらしく見当たらないのよ。もう一冊買おうかしら(←ばか)


おっしゃるとおり、聖杯(≒世界唯一の商品)を探すより、むしろ「毎打席、塁に出るんだ」と考えて、着実にヒットを重ねる、という考えのほうがいいんじゃないかと思う。そうしているとそのうちラッキーなホームランも打てるかも知れないしね。


話は変わるけど、僕は「よい○○はすべての問題を解決してくれる」と思っているものがある。

それは、お客さん。

たとえ商品が未熟でも、セールスマンのスキルが低くても、景気が悪くても「お宅の商品なら信頼しているから買うよ」というお客さんがいればだいたいの問題は解決する。

セールスマンはそういうお客さんから勇気付けられ、更には紹介ももらえるかも知れない。

そうやって仕事って回ってくもんじゃないの?

ラットマン

2009-04-22 00:32:31 | 
誤解されてるんですよねー。

出張が多いんだけど、たとえば「もうそろそろshowさんなら地元の女の子だまして泊まるとこ確保してんじゃないすかー?」なんて言われる。

もう心外です!キィーッ!!女性をだます、なんてこたぁ僕はしませんよ。もうそれはそれは誠実に。

だいたい僕の好みは「だますよりだまされたい」ですから。

なんでそんなこと言われるのかな?口が巧いから?いっつも適当なことばっか言ってるから?そんな33歳。

実生活でだまされると色々問題があるけど、本読んでだまされるのは実害が無いから好きです。


騙し絵、ってのがすごい好きで。エッシャーとかね。

脳の機能で言うと、「盲点の補完」という「我々の眼には見えない部分、盲点というところがあって、それを脳が勝手に補完する」という機能とか、一度そう見てしまうとずっとそう見続けてしまうという機能とか色々なものがあって、起こる現象で、なんというか見ていると脳の奥のほうがむずがゆくなってくる感じがしてすごい好き。



たとえばごの画像。AがグレーでBが白に見えるでしょ?でもね、AもBも実は同じ色なの。


ほらね。


これ。何か見えます?

見えない人はこちら(こちら)見てから見ると。。。ほら、もうこの絵にしか見えないよね。

こちらの絵。

上の段を右に見ていくと最後はおっさんの絵に見えるし、一方、下の段を見ていくとネズミに見える。この絵が「ラットマン」だって。

脳は画像に対して何かしら意味を求めようとして、それを前からのつながりに求める。そういう機能があるからたとえば「心霊写真」というのも成立するし、そもそも「だます、だまされる」ってのも成立する。

なんか前書き長くなったけど、「ラットマン」という本を読んだんです。
道尾 秀介
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タイトルどおりの本でしたね。

それからね考えてみるとこないだ見た「アフタースクール」という映画にもだまされたなぁ。
(2008-11-28)
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「やられたぁ(笑)」って思いたい人にはおすすめです。

考えてみるとミステリを読む、なんてのは「やられたぁ(笑)」と思いたいから、ってのは大きいよね。

今まで一番やられたのは「イニシエーション・ラブ」と「葉桜の季節に君を想うということ」、「彼女は存在しない」だな。

舞台は神栖

2009-04-21 00:48:31 | 
今回のテーマソングです。
Dvorak:交響曲第9番 「新世界より」 「第2楽章」



実家はどこですか?と聞かれると僕はだいたい「茨城県の鹿島です」と答えている。

これは嘘でもないけど事実か、といわれるとちょっと違う。

本当は鹿島郡神栖町、というところ。

最近、隣の波崎町と合併して市になったんだけどどうも「神栖市」という呼び名には慣れない。

「神栖」と答えても誰も知らないので手っ取りばやく「鹿島」と答えるようにしている。まぁ鹿島郡なので嘘でもないんだけどね。

鹿島というところは古くからの歴史もあって、工業地域があるところ。そして神栖は鹿島の工業地域に勤める人々が家を建てて住む新興住宅街という側面と古くからの農家の人々が入り混じっている町。

なぜか分からないけどかなり税収は潤沢にあり、うわさによると人口対比で日本で一番裕福な町、とのことだけど本当かしらん。

確かに道路は綺麗だし、公共施設もかなりそろっている。たとえば町の中心を通る「国道124号線」(関係ないけど順列できれいだよね、この三桁)は鹿島、神栖、波崎を通っているわけだけど、鹿島から通ると神栖に入ったとたん、道幅は広くなり綺麗になる。そして波崎に入るとまた狭くなる。

お金があるので公共施設はばんばん立てるし、小さな道路でもどんどん舗装されていく。立派な道路の先にあるのは田んぼだけ、というところだってたくさんある。

とはいえ残念ながら有名な観光施設があるわけでもないので、全国的に言えば無名。

茨城県に関わる人と話すとき以外、「神栖」なんていう単語が出てくることはまぁまず無い。たまにマニアックなサーファーがわざわざ東京から行ったりするかな。人は良いし、米は旨いしいいところなんだけどねー。

その「神栖」を舞台にした小説が出た。
貴志 祐介
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貴志 祐介
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『新世界より』

そのせいかずいぶん気になっていた。

とはいえ上下巻1000ページの大作。ちょっと二の足を踏んでいたんだけど図書館で借りられたので上巻を一気読みしたのが2月のこと。それからなかなか下巻の予約が取れなかったんだけど、こないだの土曜日にやっと借りられました。それで日曜には一気読み。

ストーリーとしては、今から1000年後の日本。その時代、日本の総人口は5万人程度で、人々は全国9つの町に別れて暮らしている。

主人公がいるのは神栖66町。そこに住んでいるのは3,000人程度。

1000年前にあったような機械文明は滅び、人々は「呪力」といういわゆる念力を使い生活している。既に車や飛行機、電話すらない社会でたとえば移動をするにも呪力を基に舟を動かし。食料や雑貨の調達はバケネズミといわれるネズミの進化した動物を使役している。

その町に伝わる恐ろしい伝説、悪鬼と業魔。人々は自分たちの呪力を同じ仲間である人間には使えない、というストッパーがあるものの、ごく稀にそのストッパーが効かない殺人鬼が生まれることがある。それを封じるために町の周りには「八丁標」と呼ばれるしるしで封鎖がされてしまっている。

越えてはいけない八丁標を越えてしまった全人学校(小学校みたいなもの)の生徒たち、、、というところから物語が始まる。

よくもまぁ、こんなにたっぷりとした小説を書いたもんだ。このヴォリュームだけでもうこれは面白い面白くない、って話じゃあないね。いや、面白いんだけど。ここまでいい意味で荒唐無稽な世界を構築できる、というだけで感動に値するね。

分厚いハードカバー上下巻を見ただけで物怖じしちゃうと思うし、もともとがモダンホラーを書くことが多い作家だからグロテスクな表現もあって、万人にお勧めする、ってわけじゃないけど、それでも、読んで損はしないっすよ。

はじめました

2009-04-20 01:07:31 | 日記
だいたい誘われたら断りません。そりゃ、お金がかさむこととか反社会的なことは断りますけど、飲みに行こう、とかどっか行こう、とかはだいたいね。

30越えて以降、人生のテーマが「Change&Challenge」なんでね。なんでもやりまっせー。

ゴルフだって「絶対やらない」とか言い張ってるけど可愛い女の子に「一緒にラウンドしましょうよー」なんて言われたらゴルフクラブ揃えちゃいまっせ、ワタクシ。

何でもやってみないとわかりません。

これは子供の頃から。うちの両親は「何でもやってみなさい」というタイプだったんで、そういう子に育ったんですね~。おかげで知識は広く浅く。でも狭く浅いよりはぜんぜんいいよね。

最近、よく遊んでる会社の同僚が僕のそういう性格を見越した人で。麻雀に誘われたりね。

その人が最近、ダーツにはまっているようで。

こないだ仕事上がりに飲みに誘われて「酒飲みに行くのとダーツ、どっちにします?」と言われたんで僕は速攻「酒!」。

だいたいダーツに代表される集中力とか正確性が求められるスポーツ好きじゃあないんですよねー、ほら、ビリヤードとか。仕事でも僕はそうなんです。間違えないこと、正確なことを僕に求められるとちょっと困る。「文字校正」なんて聞いただけで気持ち悪くなるね。

なんかさ、ガーっと勢いだけでわっしょーい、と出来ることが好き。そのへんにおっこってる樽をがばーっとぶん投げてどれだけ遠くに行ったか、とか、川に岩ぶん投げてどれだけ飛沫が飛んだかを競う、なんてのがいいねー。ってそんなのスポーツじゃないんでゲスが。

って話をその人としながらビール3杯。

その人が「なるほど、よく分かりました。でもひとつだけ言わしてください。最近ダーツはやってますから、ダーツバーには女の子多いんですよ。しかも、みんなまだ初心者で巧くないから巧くなるともてるんです」

つーことでちょうどツマミも無くなったあたりで「じゃ、ダーツ行きますか」。

この人ね、もうほんと僕の性格見過ごし過ぎててイヤ(笑)

巧いのよ!とにかく僕を乗せるのが。

ダーツをやっていても最初、僕はハウスダーツ、というそのバーにある「自由に使ってください」という安いプラスティックのやつ使ってんだけど、そのうちその人が「やっぱちゃんとしたダーツ使うと違いますよ、僕の使っていいですから」とダーツを貸してくれた。

するとやっぱり投げやすいんだよね~。

つーことではい、買って来ました買って来ました。


ほら、僕すぐ形から入るのでー。今日、皇居に走りに行った帰りにダーツショップに寄っていくつか試し投げさせてもらって購入。ほんとうはなんか赤いファイヤーパターンのが良かったんだけどこれが一番投げやすかった。

そのままそのダーツショップで自主錬。

来週からは週2くらいでやろうと思ってます。ちょうどいいことに会社の前にダーツバーがあるのでね。

ミッション系

2009-04-19 02:56:36 | 日記
仕事で学校に行くことが多いです。私立の中学とか高校とかね。

こないだ、ふとなんとは無しにその学校の朝礼に参加してました。

仕事なわけで別にそんなことをする必要はないんだけど、僕、結構仕事先に行くと余計なことをする。

たとえば仕事で行ってて「ちょうど昼だしご飯でも食べます?」と聞かれたらだいたい断らないし、「今日、泊まりなら食事でもどうですか?」みたいなのもだいたい「はいはい」と断らない。

それと一緒で、「すいません、そろそろ授業の時間なんで」と言われると「あ、ご迷惑じゃなければ授業見学させてもらっていいですか」とかもたまにする。

なんつーか、そういうってあんまり見れないでしょ?普通に生きてると。授業に限らずそういうのにどんどん足を踏み入れてく。えーっとね、遠慮が無い、ってのと好奇心が旺盛なんですね。

人の授業を聞くってのは勉強になるしねー。

僕が授業をする、ってことはこれからたぶんそうそう無いと思うんだけど喋り方の勉強としてさ。

こないだはあるミッション系の学校の登校の様子をビデオに撮る、という仕事で(変なビデオじゃあないっすよ)なんと朝の7時半にその学校に行って撮影。7時半!普通ならがーがー寝てる時間だけど中学生ってんはそんな時間に登校するのね~、えらいえらい。撮影終わってその流れでその学校の朝礼まで出ちゃった。

朝礼と言っても放送朝礼で各クラスの教室で放送を聞く、というだけなんだけどね。

放送が始まると生徒たちは起立して聞く。

放送で校長が「背筋を伸ばして、肩の力を抜いて、黙想しましょう」なんて言うと生徒全員、目を閉じて頭を垂れて手のひらを組むんだよね。ほら、ミッション系だから。

そして講話があって、最後に「では、祈りましょう。御心が共にあるように、アーメン」みたいな感じで朝礼終了。

宗教心というのはまるで無い僕だけど、改めて考えるとこういういわゆる「儀式」で一日が始まる学校ってのはいいよねー、と思う。

別に生徒の中にも教徒なんて一握りだろうし、これから成長して社会に出て宗教的なことと関わる人も少ないだろうけど、それでも6年間(中高一貫だから)こういう儀式を毎日していた、というのは何かしらの良い影響を与えると思うんだよね。

ミッション系の学校、って僕の人生でまったく関わることが無かった。地元にはミッション系どころか私立の学校すらひとつかふたつくらいしか無かったし。

でもこうやって色々な学校を仕事で見るようになると「うーん、娘が生まれたらミッション系の学校に入れようかな~」と思うよ。

人間の力じゃなんともならん世の中の出来事にそりゃ神と名をつけようが何と名をつけようがどうでもいいんだけどそれでもそれに対する「畏敬の念」っつーのは大事だと思います。

No music , but life.

2009-04-16 22:37:33 | 日記
こないだSE関係の人と話していて、「パソコン向かっていると独り言言う人多いよね」という話になった。

これね、なんとなく分かります?

たとえば、パソコンに向かいながら、(メールが届いて)「お、そう来るか…OKっと」エンターキーをパシッとたたく、みたいな感じ。

最近、僕のデスクの周りにもそういう人がいて、別にいいっちゃいいんだけど気になるっちゃ気になる。こういう人の心理って何なんだろうね?かまって欲しいのかな?無自覚なのかな?もし無自覚だとしたら自分もやってる可能性あるよね、大丈夫かしらん。

で、最近はデスクで仕事するときはiPodで音楽聴きながら仕事している。

個人的にはあんまりいい態度じゃないなーとは思っているんですが。

僕のiPodは2005年の三月に買ったもの。(いま、過去のブログ調べた)

なんともう4年も使ってるのか、驚き。

iPodminiだけどもう生産してないからねー。結構レアよ。

事あるごとに「nano買おうかな」と思うんだけど、今のでもじゅうぶん動くし、と思いつつそのまま。

音楽データは最近iTunesで買って外付けハードディスクに放り込んでる。

で、先週くらいにそのハードディスクが動かなくなりました。

ハードディスク自体が壊れたわけじゃなくて認識しなくなっただけだと思うんだけど。。。

ちょうどエスペラント語会話のデータを入れたばかりで、今、僕のiPodを聞いていると音楽の途中にいきなり、Mi fastas tre bone, dankon.なんて会話が流れるのでどうにもね。

ということで最近はええい!とばかりにむしろエスペラント語会話ばっかり聞いてる。

音楽がなきゃ生きていけない、ってほど音楽好きなわけじゃないけど音楽が無いのはさびしいなぁ。

だいたい40分くらいで

2009-04-14 23:43:58 | 食べ物
「それでも地球は回っている」と同じくらい「僕はカレーが好き」というのは全時代的真理なわけです。

お店でも食べるけど家でもよく作る。

家で作ると自分好みのだいたい85点くらいのカレーが出来るからね。安心。

外で食べるのはまぁあたりはずれがあるし。今まで「これは100点!」ってのは日本橋の名前忘れた店(こちら)と駒沢大学駅のピキヌーです。みよしのは別格。

家で作るカレーとして割合でいうと、

一位:豚バラ具大きめカレー
二位:豚挽き肉か鶏挽き肉のキーマカレー
三位:ザグ(ほうれん草)チキンカレー

ってとこですかね。

ビーフカレーはほとんど作りません。おそらく人生で一度も作ったことが無いんじゃないかな。

だって、豚バラのほうが美味しいし、牛肉があるならたとえばステーキなんかにしてさっと焼いてさっと食べたい。

と、思ってたんですがこないだの日曜、スーパー行ったら牛スジが安かったんですよ。豚バラより安い。

「よし、今日はこれでいっちょ牛肉の力量を見てやるか」と思って牛スジカレーに挑戦。

牛スジをローリエと一緒にさっと湯がいて水洗いしアクを取り、そのほかの具はタマネギとじゃが芋。じゃが芋は面取りが面倒なので丸ごと。

それを油で軽く炒めて圧力鍋で20分。

そこにカレー粉をぶっこむだけ。

その間、高圧かけてる圧力鍋から目を離すのも怖いので鍋の前に椅子を置いて読書。

↑うちのキッチン(ってほどじゃーないけどさ)

知ってる人は知っていると思いますがうちはガスコンロというのが無いのでカセットコンロ一台ですべてを賄ってます。


つーことで調理時間だいたい40分で出来たのがこちら。

じゃがいもが多かったんで熔けてちょっとポテッとしてます。ええ、じゃがいもだけに。

最近はスパイスを混ぜてカレーを作ってばかりいたから市販のルーを使うのも久々。風味を出すためにクミン、ガラムマサラ、ターメリックなんかを振り掛けてます。

味はね、旨い!

「マイルス・ディヴィスのトランペットは泣いている」
「カントリーのカレーは泣かせる」

うちのカレーもやわな人が食べたら泣くね。泣きたくない人はカレーの王子様でも食べてて下さい。

牛スジは偉い!圧力鍋も相変わらず偉い!

こんど牛スジが安かったら牛スジ煮込み作るんだー♪

No sense of direction

2009-04-13 22:04:39 | 日記
東京の、しかも浅草なんていう観光地に住んでいると道を尋ねられることが多い、とくに外国からの旅行者にね。

だいたいそういうのは嫌いじゃないんです。

あるときなんて皇居をジョギング中に完全に道に迷ってそうな人がいたからジョギング中断して道を教えたこともあるし。

だいたいが喋りたがりだからさー、羽田空港のタクシー乗り場でタバコ吸ってたら運転手さんと外国人のカップルがもめてて仲裁してあげたこともある。(それは完全に運転手さんのミスだった)

いいもんですよ、「えーっと三叉路って英語でなんつーんだ?」とか脳みそ汗かきながら、最後の手段は「じゃあ、一緒に行こう」って道案内して、「Thank you!」って言われたら「Never mind, good trip!」って言って別れるのは。

だいたいにおいて僕が方向音痴だから道に迷っている人の気持ちはよーくわかる。

浅草でも今だに迷うしね。

札幌に住み始めて1年くらは札幌ファクトリー(要は札幌にある大型商業施設)でも迷ってた。出張の時は毎回、ネットで乗り換えとか調べないといけない。

方向音痴からしてみると道に迷ったときに道を教えてくれる人、ってのは何よりありがたいもんだからねー。


で、最近思うんだけど、だいたい外国語を習おうとすると最初の頃に「~に行くにはどう行ったらいいですか?」「~はどこですか?」って例文が出てくるでしょう?えーっと英語で言うとなんだ、「Could you tell me the way to the station?」、イタリア語だと「Dove è la stazione?」とかかな。

あれね、役に立たないと思う、僕は。

もちろん、文法知識としては必要だけど実用では役に立たないと思うんです。

なんでか、って言うと、たとえばそういう質問をしたとして相手が外国語で「ああ、駅ね。えーっとねこの道をまっすぐに行ったら突き当たりが三叉路になってるからそれを右斜めに行ってそのまま高架下を通って右だね。一通多いから気をつけてね」なんてだーっと言われて理解できます??

方向音痴から言わせると道を尋ねるのに一番大事な言葉は「ここってどこですか?」だね。地図を見せながら言えれば最高。現在地さえわかればなんとなく道はわかるじゃん。

僕が東京で道を聞かれるときもだいたいの人は地図を見せながら尋ねてくるので簡単なんだよね。「イマ、アナタココ。センソウジ ハ ココ」って指し示せばいいだけだから。


ということがあるからじゃないんだけど春になってまた語学熱が燃えてきました。ちょっとエスペラント語勉強してみようかと思ってます。

アウグストゥスなら絶対やらない

2009-04-12 14:47:16 | 日記
だいたい日中は家に居ないので荷物とかはたいてい不在通知。

普通なら「じゃあ日曜に届けてくださいー」ってところだけど、ありがたいことに僕の家からは郵便局もヤマトも佐川の営業所も歩いて2、3分なので「後で取りに行きます」ってことが多い。

そのほうが夜21時くらいまで取りに行けたりするしね。

こないだ郵便局から不在連絡票が届いてて「あー、取りに行かなきゃな」と思ってたんだけど何かのついでに郵便局の窓口を覗くといつも混んでる。

で、空いてる時間を見つけて引き取りに行ったらまず窓口で「あ、こちらです」と言われた。なんのこっちゃ?と思っていたらあれね、定額給付金の申請書なのね。

だからいつも窓口が混んでたのか。

はっきり言っときますがもうこのお金の使い道は決まってます。

僕、チャイルド・スポンサーシップというのをやってて月に幾ばくかのお金が僕の口座から引き落とされてコンゴの7歳の子に行ってるのね。それにプラスオン、パイルダーオン。

他の人がこのお金どう使おうと僕はなんとも思わないけど僕はそうするの。

だってさ、もうしわけないけど僕にもプライドっつーもんがありますからね。
(自分のために使う、って人がプライドが無い、と言っているわけじゃないですからね)


まったく持って「愚策」だよなぁ、この政策。なんの頭も使ってない。

意地悪なこと言いますけどね、政治家ってのは我々の税金を預かって知恵を絞って我々のために使うことで給与をもらっている人たちだよね。その人たちが「もう、僕ら何も思いつきませーん。だから返すから皆さんが自由に使ってちょ」って言うなら仕事してないってことなんじゃないの?


ローマ帝国初代皇帝、アウグストゥス。


「私はレンガのローマを受け継ぎ、大理石のローマにして返す」、と言ったほど公共事業に金を使った。右腕アグリッパと一緒にね。

アウグストゥスの一番好きなエピソード。

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彼の晩年、ナポリの海沿いに停泊中の船に皇帝アウグストゥスがいるのを見つけたエジプトからの船に乗った商人たちが声を合わせてアウグストゥスに言った。

「あなたのおかげです、われわれの生活が成り立つのも。
 あなたのおかげです、わたしたちが安全に旅をできるのも。
 あなたのおかげです、われわれが自由に商売できるのも。」

いたく感激した皇帝は彼らに金貨四十枚を上げた。ただし、使い方は「エジプトで品物を購入し他の土地で売ること」と限定した。
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アウグストゥスが今の日本を見たら鼻で笑うだろうな。



うーん、こういうこと考えてると気分がめいってくるな。

楽しいことを考えよう。

今日はこれから牛スジカレーを作るんだー♪

うしとらうたつ

2009-04-11 01:34:49 | 日記
なんか最近、物を食べたり飲んだり、それからタバコ吸ってもどうも味もしないなーと思って「味覚障害??」と思ってました。

亜鉛不足だったり、鬱になったりするとそうなるんだよね。

やだなぁ、と思ってたんだけど原因がわかりました。

花粉症の点鼻薬(鼻に突っ込んでぷしゅぷしゅするやつ)のせいだ。

花粉症がひどいんでたまに使ってるんだけどやっぱり鼻づまりは治る。でもたぶんこれって鼻の感覚を麻痺させて花粉に対する防衛の鼻水を出さないようにしているんだね。だから匂いがあんまりしなくなる。

味覚って嗅覚と密接に関係しているんだなーと思う今日この頃。

花粉症の皆さん、お元気ですか?

もうちょっとで花粉の時期も終わるはず。それまでがんばりましょー。

どうにも僕の花粉症というのはおそらく「花粉」じゃなくて「排気ガス」とか「ハウスダスト」も絡んでいる気がして自然の中より東京にいたほうがひどい。

と、思って今日、福島出張で油断してたら鼻ずるずるのくしゃみ連発。

お客さんと話しててくしゃみでそうになって「あ、ちょっとすいません、は…は…」って言ってくしゃみでなかった時ってきまずいよねー。

なんのこっちゃ。

で、話は変わって。

エミリーさんに教えてもらった"Panda eats shoots and leaves."はそこはかとなく面白いなぁ。

補足しておくと、

"Panda eats shoots and leaves."は当然、そのまま読めば「パンダは笹(shoots)と葉(leaves)を食べる」という意味だけど、「shoots」と「leaves」はそれぞれ「撃つ」と「去る」という動詞の意味もあるから、この文は「パンダは食べる、撃つ、そして去る」とも読めるんだよね。

どうにもハードボイルドな感じがして面白い。

ぎなた読みとはちょっと違うけど名詞と動詞が混同されてるから起こる現象だよね。

だいたい英語において三単現を表すのと、複数形を現す標がどっちとも[s]を加える、っておんなじだからまぎわらしいんだ。って僕が言っても仕方ないけど。

日本語でもこういうのないかなー、と考えて思いついたのが、

「丑寅卯辰」。

十二支の一部だけど、これを「牛、捕らう、立つ」ってのは厳しいでしょうか?


去るもの、日々に疎し

2009-04-08 00:03:47 | 日記
春は別れの季節、というかうちの会社って春と言わず退職者は多いんだけどね。

会社を辞めていく人の中には申し訳ないけど「うん、まぁこの人にはうちの会社向いてなかったしなー」って人もいる。これはさ、しょうがないよね。「次の会社で頑張ってください」って感じ。

残念なのは「いや、この人の活きる場所はもっとあっただろうけど、なんつうかそういう場所提供できなくて、いや、提供するのは俺じゃなくて上の人なんだけど、なんか…すんません」って人。

僕ががっつり関わってた人ならまだ「あー、俺、もう少しこの人になんか出来たかもなー」とも思うんだけど、最初だけ関わって後は別の部署にいた人が「いや、実は今日が最終日で…」なんて言われると「なんだよ!俺んとこ来たらもっと楽しかったぞ!…いや、それ決めるのは俺じゃないんだけど…」とも思う。

そうやって色んな人が辞めていくんだけど、中には「あーこの人辞めちゃってうちの会社大丈夫なのかなー?」と思う人もいる。

たとえば僕が会社に入ったときからもう高いポジションにいて、大先輩でって人たちとかね。

会社ってすごいもんで、そういう人たち、「この人辞めたらこの仕事絶対回りませんって」って人たちが辞めても時が経つにつれてなんとかなるもんなんだよね。

そして一年も経つと、いや場合によっちゃあ半年くらいで、「あーそんな人もいたねー」という感じになる。決して冷たいわけではなくて、そういうもんなんだろうね。

「あらゆるものは通り過ぎる。 誰もそれを捉える事は出来ない。 僕らはそんな風にして生きている」-『風の歌を聴け』村上春樹

そりゃそうだけどさ、それにしても淋しすぎるよ、やれやれ、っていう僕の気持ちだって通り過ぎていく。

ワンタンメンをぎなた読み

2009-04-06 22:15:24 | 食べ物
最近仕事で山形の日本海側に行くことが多いんですが、そのあたりの「酒田」という町はどうやら一大ラーメン地になっているようです。

更には酒田のラーメンといえば「ワンタンメン」が有名とのこと。

メン食いとしてはタンタンメン、タンメンあたりとは全国で合戦を繰り広げてきたんですが(やけに「ン」の多い文章だな)、ワンタンメンとはきちんと向き合ったことがないので、仕事先からレンタカーで山形駅に戻る途中、ちょっと足を伸ばしてみました。

土地土地でラーメン屋の名前ってのも特徴があって、九州かどこだかは「小鳥」の名前が多いそうです。「すずめ」「つばめ」「ひばり」とかね。家系ならぬ、小鳥系。

一方、酒田のラーメン屋は「月」が多いんですって。「満月」「新月」「三日月軒」「半月」…と、いわば月系。

その中で調べた結果、一番人気らしい「満月」へ。

16時半で店じまいということであせって向かって到着は15時。がらりとドアを開けるとさすがにその時間には人も少なくなっており、ざっと見回したラーメンを食べてる人は3組くらい。うちどうやら1人は店員さんが遅い昼食を取っている様子。

テーブル席に座って、メニューを見る。

中華そば600円、ワンタンメン600円、ワンタン600円。ほほえましい値段。ワンタンもワンタンメンも600円っつーことは麺なんて無料のトッピングみたいなもんでなわけだ。どんとこい。つーことはワンタンメン麺大盛も600円じゃなきゃおかしいよね、論理的には。ま、いーんだけど。

メニューにはスタミナワンタンメン900円というのもあるけどここはあえてスタンダードなワンタンメンを頼む。

「はい、ワンタンメン一丁!」と店員さんの声が響く瞬間「そういや朝ごはんもまともに食べてなかったな」と思い起こして「すいません、やっぱりチャーシューワンタンメンにしてください」と訂正。何が「あえてスタンダード」なんだか。

思ったよりも早い時間で来たチャーシューワンタンメンがこちら。

「透き通ったスープが…」だとか「自家製麺が…」とか難しいことはオラわがんね。んだども見た瞬間「あ、オラこれ好き!」と心が躍る。

がっと真ん中に箸をぶっさして麺をすする。ンマ~イ!

なんつーかねーカツオブシの匂いに混じってどうにも「小麦」のかおりがするような気がする。

そしてワンタン。

デカイ!レンゲに乗りきらん。

「2つくっついちゃってんのかな?」と思ったけどどうやらそうじゃなくそれで一個。しかし皮がごくごく薄いので重たさがない。

これだけ薄くて大きいと食べるのもすするしかない。

すすろうにも「チュル」って感じでも「ペロ」って感じでもなく、「ズゾっ」って感じ。大きいし熱いし。

で、ズゾっとワンタンをすすったら。

なんつーんですか、この口当たりというかペランベランエランみたいな感じの食感が更に美味しい。

たとえば麺の口当たりは麺の自己主張もあって「むむ」というちょっとした抵抗感もあってそれが美味しいわけだけど、ワンタンの場合、口当たりはあくまで柔らかくて正に雲呑(ワンタン)、雲を呑む感じ。官能的ですらあるね。それをキスにたとえると…、いややめときますが。

こりゃおいしいなぁ。

返す刀で「ワンタン600円」を頼んじゃおうかと思ったけどさすがにチャーシューワンタンメン食べた後だからなぁ、とあきらめました。

寒い冬、飲んだ後に食べたいラーメンナンバーワンですな。ぽっこりとあったまりそうな気がする。

もし酒田に行かれることがあれば是非どうぞ。

…って言ったってけっこう遠いんだけどさ、酒田。


帰り道、車を運転しながら言語学における「有標性」について考えてた。

言語の特徴として「有標性」ってのがあります。つまり素となる言葉に「標」を付加していくことで意味を付加していく機能ね。

たとえば「man」という言葉に「wo-」という標をつけることで「woman」という言葉になる。この有標性によって、新しい単語を作らなくても容易に他の事を示せる。

なんでそういうことを考えてたかというと「タンメン」「タンタンメン」「ワンタンメン」の3つね。

何も知らない人が見たら、確実にこれは、「タンメン」があって、「タン-」、「ワン-」という標を付加したんだろうな、と思うと思う。つまり「タン」+「タンメン」、「ワン」+「タンメン」という感じね。

でも残念ながらぜんぜん違うのよねー。

たとえば「新札幌ビル」が「新札幌」の「ビル」なのか、「新しい」「札幌ビル」なのかの違いと似てるね。

そうそう、「ぎなた読み」って概念ね。

「べんけいがなぎなたでさしころした」を、

「べんけいが、なぎなたで、さしころした。」

じゃなくて、

「べんけいがな、ぎなたでさ、しころした」

と読むやつ。

「ここではきものをぬぐ」

が、

「ここで履物を脱ぐ」
「ここでは着物を脱ぐ」

になるのと一緒。

こういうのって句読点の使用ルールが比較的書き手に任されてる日本語だから起こる現象かというと実はそうでもなくて、グーテンベルグの印刷革命以前は手書きだったから英語でも起こってるんだよね。

たとえば「napkin」。これは昔は「apkin」だった。それが「an apkin」と書いてるうちに「a napkin」になっちゃったし、「umpire」も元は「numpire」、それが「a numpire」から「an umpire」。

つーか「ぎなた読み」って言葉が面白いよね。

日本言語学の概念としてはこの「ぎなた読み」と「うなぎ文」が一番好き。



なんてことを考えてないと退屈なくらい遠いのよ、酒田。

奥羽山脈から吹き降ろす風が強いところでした。



見えるかな?風車。

運転してても風にハンドルを取られそうになって、「おお!これが社会科でならった『ともぷー』、じゃなくて『やませ』か!」と感動してたんだけど後で調べたら『やませ』は太平洋側に吹く風でした。

じゃあ、奥羽山脈の日本海側に吹く風はなんなのさ!強風?

極北クレイマー

2009-04-05 20:11:16 | 

海堂 尊
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「チームバチスタ」の人の最新刊が出てます。しかしぼこぼこ出すなぁ。

シリーズ正統作の「イノセント・ゲリラの祝祭」が出たのが11月、シリーズ番外編的な「ジェネラル・ルージュの伝説」が2月。で、4月にこれかい。

いいんだけどね、どんとこい。

今回は財政破綻している北海道の都市、極北市にある市民病院が舞台。

この人の作品群の特徴はすべてのストーリーがつながってて、他の作品で脇役だった人がまた出てきたり、ってところなんだけど、当然のごとく、「ジェネラル・ルージュの凱旋」で極北市に行った速水先生がちょろっと出てきます。それから「ひかりの剣」で出てきた水沢も。

そして!そして最後にあの人が!超かっこいい登場の仕方で出て来たのには読みながら思わず「うっわー…」って声上げちった。

こういう新刊一冊を買ってある週末って幸せ。

自由な我が家

2009-04-03 21:26:12 | 日記
あー、くだらない話をしたかった!!

いや、ハンニバル伝が長かったんでさー。プロローグとエピローグ含めて12回モノですよ。どんだけ大河やねん。

もちろん嫌々書いてたわけじゃないし、むしろ書きながらすっごい楽しかったんだけど、やっぱ極端に間違ってたら申し訳ないから色々調べたりさー。ハンニバルに申し訳なくてボケれないしさー。

もうね、くだらない話がしたい!

ドッピオさんとかよね3と飲んでるときに話している話以上に!レベルで言えばカローさんと酔っ払って話しているときくらいの話したい!




つーことで今日はどーでもいい話。

面倒だから画像ゼロ。


休日に走りに行くのは皇居なんですが、平日ちょっと走る場合は近所をたらたら走ってます。うちの近所には隅田川のランニングコースがあって、そこは信号も無いからいいんです。

最近は桜も咲いてて、花見をしている人たちがいてバーベキューなんかもしながらすんごい楽しそうなんだけど、今はダイエット中なのでいいんです!

お花見まだしてないけど、いいんです!

さびしくなんかないんです!


近所を走っていて気づくんだけどうちの近所は最近、ポコポコとマンションが出来てる。

それ自体は別にたいしたことじゃないんだけど、だいたいそういう新築マンションの名前がさ!

やれ「グランシャトー○○」だぁ、「グローリーヒル△△」だの「どこの国よ!?」って思う建物ばっかりなんだよね。

「シャトーだぁ?カトーみたいな顔して」って突っ込みたくなるね。

正直、僕だったら住むのがちょっと恥ずかしい。


昔、札幌に住んでいたとき、月3万のワンルームに住んでたんです。

「どうせ家は帰って寝るだけだし」と思ってめっちゃ安いところを探してね。

安いとは言え汚いわけじゃないし、札幌から地下鉄で一駅で、駅から歩いて30秒のワンルーム。札幌はまぁ家賃が安いから(それでも3万ってのは安いけど)そんなに悪い部屋じゃない。居心地が良いけどやっぱり3万円は3万円。玄関のドア開けたらすぐ道で、雪積もるとドア開かない。

まぁそれはいいとして、そこの名前がさ!

「ミ・カーサ・リブレ」

えっとね、イタリア語で「自由な我が家」。

あほか、と思うね。

なんか共産主義の政治家がシュプレヒコール上げそうな名前。

「資本家に告ぐ!我々の求めているのは栄誉ではない、ただ我々が求めるのは自由な我が家である!そう、ミ・カーサ・リブレなのだ!!」



別にさー、いいじゃないですか、「マンション浅草」とか「ミノルハイツ」とかでさー。


花の名前とかいいよね、「さくら荘」とか「マンションひまわり」とか。

女性の家に訪ねるときなんかに電話で「えっと、私の家はね、駅降りて右に行くと桜の木があるからそこを右に入った三件目のさくら荘、ってところ。分からなかったらまた電話して、迎えに行くから」なんて説明されたらちょっとときめくねー。

行く途中にお肉屋さんがあって揚げたてコロッケなんか売ってたりしていいにおいして、「あ、お土産に買ってこう」なんてお肉屋さんのおばちゃんに「すいません、コロッケふたつ。あ、やっぱ三つで。あ、メンチもあるんですかー。じゃあコロッケ2個にメンチいっこ。あ、あのね、コロッケ一個は食べてくから包まなくていっすよ」なんてやってるだけでちょっとときめくね。「あー、そうかビールも買ってかなきゃな。スイマセン、この辺に酒屋さんあります?」なんて聞いたりして。

コロッケをはふはふ食べてたら桜の花びらがコロッケに落ちてきて「あ、この桜の木を右かー。。。そういや、このコロッケ、ソースかけてもらえばよかったな」なんてね。

ローマ人列伝:エピローグ【ハンニバル以後】

2009-04-02 22:47:40 | ローマ人列伝
ローマ史上最大の敵、ハンニバル。彼とその好敵手スキピオは残念ながら双方とも祖国を追われ不遇の死を遂げます。蛇足ですが2人の祖国、カルタゴとローマのその後を。

第二次ポエニ戦争、別名ハンニバル戦争はザマの会戦におけるハンニバル敗北を持って終焉を遂げ、これ以降、カルタゴは自治権を持ったローマ属州となります。

しかしながら第二次ポエニ戦争でのカルタゴ、ハンニバルの脅威はローマにおいて「カルタゴ完全滅亡論」を唱えるものを生み続けました。その最大の人物がカトー。謀略によりスキピオを弾劾した人物です。

彼はローマ元老院においてなんの演説をしても最後は「ともあれ私は、カルタゴは滅びるべきだと思う」という言葉で閉めたと言われています。

ハンニバルの死から30年後、カルタゴはローマの自治区でありながら、近隣のヌミディア国から繰り返し侵攻されていました。そのたびにローマに仲裁を求めますが、ローマは常にヌミディア寄りの結論を返すばかり。

カルタゴは自衛のため軍備を固めます。

この軍備をカトー中心とする元老院反カルタゴ一派は「ローマへの反乱の恐れあり」とし、カルタゴ侵攻を開始。後に第三次ポエニ戦争と呼ばれることとなります。

第一次ポエニ戦争ではローマ、カルタゴとも何人かの名将同士が覇を競いました。第二次ポエニ戦争はハンニバルと大スキピオいう英雄を生みました。

第三次ポエニ戦争ではもはやカルタゴに英雄はいません。

いるのはただただ力なき人民のみ。

侵攻軍の司令官となったのはハンニバル戦争の英雄スキピオの養子でした。(名前が一緒なので便宜上、父を大スキピオ、養子を小スキピオと呼んで区別しています) 

小スキピオはカルタゴの破壊とカルタゴ人虐殺を行います。多くのカルタゴ市民が餓死、残った者は奴隷となり、ここにカルタゴは崩壊します。

ポエニ戦争終結の紀元前146年を持って、紀元前8世紀から700年続き、一時は「カルタゴ人で無ければ地中海で手も洗えない」とまで言われるほど地中海世界を制した大国カルタゴは滅亡します。

カルタゴの遺跡はすべてローマ軍により破壊、更に二度とこの地に都市が栄えないよう、二度と農作物が取れなくなるよう、廃墟と化したカルタゴの土地にローマ軍は最後に塩をまいたという説もあります。「カルタゴ」という名前すら残すことは許されず、以後、「アフリカ属州」という呼び名で呼ばれます。

カルタゴの麗しい建築物が続々と崩壊されていく様子を見ながら司令官小スキピオはこうつぶやきました。

「繁栄を誇ったカルタゴのように、我がローマもいつか崩壊する日が来るのであろうか?」

ローマの崩壊は少し先になりますが、ポエニ戦争終了後、ローマは危うく崩壊しかけることとなります。カルタゴを倒したことにより地中海を制したローマ。元老院の力は強大になり、それに比例するかのようにローマ市民、そして同盟都市の力は弱くなります。それによって生まれる支配層と被支配層の格差。格差は怨恨を生み同盟都市の反乱が頻発するのです。

また、ローマ本国内においては権力を守ろうとする元老院と市民の権利を拡大しようとする民衆派との間で内乱が起こります。(ちなみに民衆派のリーダーとなったのは大スキピオの孫であるグラックス兄弟) 

ハンニバルが言ったようにローマ崩壊の危機は外敵によるものではなく「疾患のように」、ローマ内部から起こります。後に「内乱の一世紀」と呼ばれる100年に渡るローマ混乱期の到来。

この内乱に終止符を打つのは「ローマの生んだ唯一の創造的天才」と評される男ですがそれはまた別の話。


ローマ、カルタゴによるポエニ戦争の「公式な」終戦はなんとそれから2200年後、1985年に当時のローマ市長とチュニス市長によって結ばれました。



(カルタゴ遺跡)