昔、かなり尊敬している上司に酒の席で「どうやったら給料上がりますか?」と聞いたことがある。
僕の仕事と言うのは、年功序列で年々上がっていくという側面よりも自分の出した成果で結構変わったりする側面が大きいから。
その上司は非常に明快に答えてくれた。
曰く、
「方法は2つある。」
(こういう言い方ってドキドキするよね。だから僕も真似してすぐに「それは3つあってね」とか言い出す。で、言ってから2つ目と3つ目を考える)
「1つの方法はどこからどう見ても誰も文句が付けられないような圧倒的な成果を出すこと。普通の成果だと『あいつ、成果出してるけど嫌な奴だよ』なんて言われて残念ながら給料が上がらない場合もあるけど、そんなこと言われないような圧倒的な成果を出すこと。それが難しければ、、、」
僕「ええ、それが難しければ、どうすればいいでしょう?」
「あとは運だ。努力しててもチームが調子悪くて給料上がらないことはあるし、何にもしてないのに会社が調子良くて上がることもある。」
うん、非常に夢も希望も無い言葉だけど、これが現実だよね。
(この上司の言うことは常に『現実』で、だからこそ僕は尊敬しているわけだけど)
『圧倒的な成果、あるいは運』、これは僕はそのとおりだと思っている。
(はっきり言ってしまえば給料に限らず「年収」だってそうだと思うしね。「年収10倍アップ術」とかどうもね、僕は。。。「年収1.2倍アップ術」って本がもしあったらちょっと興味あるね。)
だけど、この年になってくると『運』というものについて少し考えが変わってくる。
よく「最後の最後は運だよ」という言葉を聞く。
それは僕だってその通りだと思う。すべての物事はその原則が通じるだろうね。仕事にしてもそう、恋愛にしてもそう。大きく言えば人の生死だって最後の最後は『運』だろう。
でもね、それは逆に言うと『最後の最後以外は運じゃない』ってことなんだろうと僕は思っている。
たとえばギャンブルとかゲームで考えると分かりやすい。僕はあまり麻雀を知らないんで、まぁポーカーで考えようか。
自分がどんなにいい手でいようと相手がどんな手をしているかは分からない。こっちがワンペア(弱い)でも勝つことはあるし、こっちがストレートフラッシュ(強い)でも負けることはある。
(この場合、ロイヤルストレートフラッシュが『圧倒的な成果』と言える)
結局のところポーカーなんて「最後は最後は運」だと言える。
でもじゃあ「結局運なんだから考えても無駄だよ」と思って適当に引いて適当に捨てて適当に勝負していたら、、、勝てるものも勝てないと思う。
最後以外は運では無く実力だ、ととらえて努力すれば何か次に繋がることはあるかも知れない。
と、言う風に仕事であれ何であれ、「最後は運なんだから努力しても無駄だよ」と言う人と「最後以外は運だ、じゃあ、そこまでは努力しよう」と言う人ではたとえ最後の運で巧くいかなかったとしても次の結果が変わってくると思うんだよね。
というかそう考えていないとやってらんないじゃないですか(笑)。
そう思って努力できる人になりたいなぁ、と思ってるけどなかなか難しいものはあるんだけどね、もちろん。
で、更に言うとその『運の転がし方』と言うのも少なくとも仕事については僕は分かりつつある。
つまり『どうすれば運が自分に転がってきやすいのか』。あくまで仕事上の話ではあるけれど。
その話はまた今度。
僕の仕事と言うのは、年功序列で年々上がっていくという側面よりも自分の出した成果で結構変わったりする側面が大きいから。
その上司は非常に明快に答えてくれた。
曰く、
「方法は2つある。」
(こういう言い方ってドキドキするよね。だから僕も真似してすぐに「それは3つあってね」とか言い出す。で、言ってから2つ目と3つ目を考える)
「1つの方法はどこからどう見ても誰も文句が付けられないような圧倒的な成果を出すこと。普通の成果だと『あいつ、成果出してるけど嫌な奴だよ』なんて言われて残念ながら給料が上がらない場合もあるけど、そんなこと言われないような圧倒的な成果を出すこと。それが難しければ、、、」
僕「ええ、それが難しければ、どうすればいいでしょう?」
「あとは運だ。努力しててもチームが調子悪くて給料上がらないことはあるし、何にもしてないのに会社が調子良くて上がることもある。」
うん、非常に夢も希望も無い言葉だけど、これが現実だよね。
(この上司の言うことは常に『現実』で、だからこそ僕は尊敬しているわけだけど)
『圧倒的な成果、あるいは運』、これは僕はそのとおりだと思っている。
(はっきり言ってしまえば給料に限らず「年収」だってそうだと思うしね。「年収10倍アップ術」とかどうもね、僕は。。。「年収1.2倍アップ術」って本がもしあったらちょっと興味あるね。)
だけど、この年になってくると『運』というものについて少し考えが変わってくる。
よく「最後の最後は運だよ」という言葉を聞く。
それは僕だってその通りだと思う。すべての物事はその原則が通じるだろうね。仕事にしてもそう、恋愛にしてもそう。大きく言えば人の生死だって最後の最後は『運』だろう。
でもね、それは逆に言うと『最後の最後以外は運じゃない』ってことなんだろうと僕は思っている。
たとえばギャンブルとかゲームで考えると分かりやすい。僕はあまり麻雀を知らないんで、まぁポーカーで考えようか。
自分がどんなにいい手でいようと相手がどんな手をしているかは分からない。こっちがワンペア(弱い)でも勝つことはあるし、こっちがストレートフラッシュ(強い)でも負けることはある。
(この場合、ロイヤルストレートフラッシュが『圧倒的な成果』と言える)
結局のところポーカーなんて「最後は最後は運」だと言える。
でもじゃあ「結局運なんだから考えても無駄だよ」と思って適当に引いて適当に捨てて適当に勝負していたら、、、勝てるものも勝てないと思う。
最後以外は運では無く実力だ、ととらえて努力すれば何か次に繋がることはあるかも知れない。
と、言う風に仕事であれ何であれ、「最後は運なんだから努力しても無駄だよ」と言う人と「最後以外は運だ、じゃあ、そこまでは努力しよう」と言う人ではたとえ最後の運で巧くいかなかったとしても次の結果が変わってくると思うんだよね。
というかそう考えていないとやってらんないじゃないですか(笑)。
そう思って努力できる人になりたいなぁ、と思ってるけどなかなか難しいものはあるんだけどね、もちろん。
で、更に言うとその『運の転がし方』と言うのも少なくとも仕事については僕は分かりつつある。
つまり『どうすれば運が自分に転がってきやすいのか』。あくまで仕事上の話ではあるけれど。
その話はまた今度。