浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

Back to the Age of Discovery. ~ いざ、大航海時代へ。

2018-07-31 17:26:43 | 日記
会社、というか働き方について。

僕は思うんだけど、そもそも会社、特に株式会社の誕生は、大航海時代ということになっている。簡単に言うと「航海に出たいんだけど手持ちがない」という冒険者がおり、そこに「じゃあ資金は出すよ、戻ってきたら山分けね」という感じ。

それがどんどん拡大し、一般市民も「この会社儲かりそう」と思えば資金を出し、さらにはそれが株式として売り買いされるようになった、と。

で、僕がここで言っておきたいのは、株式会社の始まりはあくまで「1ミッション」ということ。つまり、「航海に出る」というミッションがあってそれが終われば一旦、解散、利益は分配、と。一旦分配してから、「もう一回航海に出るんで」かもしれないし「もう航海はいいや」かもしれない。とにかく「1ミッション」。

しかし現代において、株式会社で重視されることの一つが「ゴーイング・コンサーン」、つまり「継続企業」、つまり「ずっと続くこと」になっている。いつか潰れるとかいつか無くなっちゃうじゃなくて半永久的に続いていくこと、が良い企業の条件ということになっている。

ここに僕は矛盾があると思っている。

いや、矛盾があるから悪い、と言いたいわけじゃない。矛盾を抱えて生きるためには頭を使って考える必要があり、それは大抵の場合、成長につながると僕は思っている。

「矛盾がある」とちゃんと認識することは大事だと思う。

経済的に成長している社会においては、その矛盾ってあまり気付かれない。企業において重要なのは「当期の利益」であり、来期も100年後も同じくくらい「永遠に近い未来」にも思える。

でも経済的成長が難しくなるとこの矛盾が再度、浮かび上がってくる。

この矛盾の中でどうすべきか。いや、皆さんお好きにすればいいと思うんですが、僕の場合、「ま、大航海時代に戻ればいいかな」と思ってます。

もちろん、全員がそういう働き方をすればいいとは思ってない。単純に僕は、大航海時代的働き方、つまりプロジェクトごとに働こう、と思ってる。

ある一つの軸があって基本的にはそこからある程度の収入がある。あとは昔の仲間とか新しい知り合いとかと話をしつつ、なにか面白そうなプロジェクトがあればそれに関わる(それが収入になればラッキー)、プロジェクトが終われば一旦解散。次のプロジェクトへ、という感じ。

だってさぁ、今の時代、なんだって仕事はあるもの~。

そういうのが僕のこれからの働き方。どこまで行けるかわからないけど、とりあえず行ってみる。

映画「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」雑感

2018-07-09 17:19:29 | DVD、映画
「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」という映画を見てきました。

エマ・ストーン主演!映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』予告編


1973年に女子プロテニスプレイヤーであるビリー・ジーン・キングと男性プロテニスプレイヤーのボビー・リッグスが行ったテニスの男女対抗試合を描いた、実話に基づく映画。


<この映画は本当に素晴らしい映画だと思うし、予備知識がほとんど無いほうが楽しめると思う。もしこれから観る予定の方はここまでで僕のブログなんて読むのをやめて、ぜひ映画をご覧になってほしい。>


以後、もう観た、あるいは観る気は無い、という方に向けて書きます。


以下、ネタバレがあります!!









さて、この映画、個人的にはとっても楽しみにしていた。まずなんと言っても主演がエマ・ストーン。僕、好きなんです。「Easy A」という青春映画も良かったし、「スーパーバッド/童貞ウォーズ」も良かった。もちろん「ラ・ラ・ランド」での熱演も素晴らしい。なんたってオスカーとってるわけだし。「アメイジング・スパイダーマン」だって、ヒロインである彼女の魅力は大きかった。

更にいうとこの作品、近年、良作をどんどん制作しているフォックス・サーチライトという会社の作品。ここの近年の作品で言えばたとえば「シェイプ・オブ・ウォーター」、「スリー・ビルボード」、「gifted/ギフテッド」、この3つだけでもタイトル聞いただけで感動が蘇るレベル。

ということで観てきましたよ。



あのね、とっても素晴らしかった。

まず冒頭、エマ・ストーン演じるビリー・ジーン・キングのところにテニス協会からトーナメントの賞金額が知らされる。なんとそれは女子トーナメントの賞金は男子の8分の1。ビリー・ジーンはそれに抗議するけど、協会の男性二人はこう答える。

「女子トーナメントは男子にくらべて人気がない」
「Fact.(事実だ)」
「そもそも男性と女性では生物学的に違うし」
「事実だ」
「女性は男性に比べて敏捷性で劣る」
「事実だ」
「だから、女子トーナメントは観ていても面白くない」
「事実だ」

もうね、この時点で今の時代なら非難轟々だと思う。観てて僕も「お前ら、なに言ってんだ??」と思ったよ。

この時点で、おお、こいつら馬鹿な男どもをテニスでぶっ潰す話だな、と思ってテンション上がった。

これを聞いたビリー・ジーンと彼女のマネージャー、グラディスはテニス協会を脱退し独自の女子テニストーナメントを立ち上げることを決意する。

テニス協会をあとにする二人。

ちなみに!

僕は昨年も言ったけど、こういう強い女性映画で「ただ、前を向いて、決意とともに歩くシーン」は本当に何度観ても素晴らしいと思う。僕はだいたいそれだけで涙が出てくる。

ちょっと前に書いたものから引用する。→「Wonder women & Runaway guys./驚くべき女性たちと逃げ出す男たち。」

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彼女たちの映画の特徴として僕は何度観ても何度も涙が出るんだけど、「まっすぐ前を向いて歩く姿」が素晴らしいと思う。「ワンダーウーマン」のノーマンズランドのシーンや「ドリーム」でドロシーがNASAの廊下をただ静かな笑顔で歩くシーン。「アトミックブロンド」も「シンクロナイズドモンスター」でも、とにかく女性が「私は負けない」と静かに決意し、ただ柔らかく笑みを浮かべ、まっすぐ前を向いて歩いて行く、というそのシーンはなぜこんなにも美しいんだろう?? 自分でも何故だかわからないけど、何故か不思議な感動があって何度も何度も見返しては涙をためてしまう。
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この映画も、冒頭のビリー・ジーンとグラディスが決意し、胸を張り、前を向いて歩くシーンが素晴らしかった。

この映画も「ワンダー・ウーマン」や「ドリーム」に連なる「ワンダーな女性たち映画」だと僕は思う。「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」は今年日本公開だけどアメリカでは2017年公開。とにかく2017年の空気というのはやっぱり「ワンダーな女性たち」だったんだろうと思う。「見たか、大統領!」って感じ。


このビリー・ジーンの動きを快く思っていないのがボビー・リッグスという往年の名テニスプレイヤー。引退して暇を持て余していた55歳の彼は女子トッププレイヤーと戦って打ちのめすことを画策する。

これだけだとこのボビー・リッグスが「悪役」に思えるんだけど、実は映画ではそう描いていないと思う。

映画評論家・町山智浩さんがこの映画をラジオで紹介していて「最後はロッキーになりますから!」と言っていた。当然、僕はビリー・ジーン・キングがロッキーのようになって、感動的なエンディングを迎えるのかと思っていた。でも違った。

そもそも論、ビリー・ジーンはこの試合で「勝っている」、ロッキーのポイントは「負ける」ということだからその点でも違ったんだよね。

では、この映画のどこが「ロッキー」だったか?

僕はボビー・リッグスだったのだろうと思っている。

ボビー・リッグスは過去の栄光があるものの、引退した今では何にも熱意を持てずにいる。その彼が、熱意を持てたのが「男女対抗試合」だったのだろう。

エンディング、試合に負け、ロッカールームにいる彼のもとに、別居していた奥さんが訪れるところで彼のストーリーは終わる。

実はこれは、ロッキー1の幻のエンディングと一緒じゃないかと思う。ロッキー1のエンディングは今の、有名すぎる「エイドリアーン!」ではなく、負けたロッキーがロッカールームにいると、そこにエイドリアンが来て、二人でロッカールームを出ていく、という静かなものになるはずだった(撮影もされていた)。

今回のボビー・リッグス側の終わり方はこのシーンを基にしているのではないかと僕は勝手に思う。

ちなみに、彼のシーンで「うまいな」と思ったのが試合直前、試合会場に行くために下りのエスカレーターに乗るシーン。そこでトレーナーとしてついていた彼の息子が急に「行かない」といい、エレベーターに乗らない。

彼を乗せようとボビー・リッグスは下りのエスカレーターを上に上がる、しかし、エスカレーターは下りなので上に上がろうとしてもその位置に居続けるだけ、そして足を止めると結局、下がっていく。

これさ、僕は「年を取ること」の暗喩だと思った。

人は誰しも年を取る、それはまるで下りのエスカレーターに乗っているようなものだろう。運動したり、見栄えをよくしようとして若さを保とうとする、でもそれは下りのエスカレーターを上に登っているようなものだ。いつか、下に行き着く。

希望がない?まぁ確かに。

でもボビー・リッグスには希望はあった。それはロッカールームに来てくれた奥さん。

うむ、いい話ですね。


では、試合後のロッカールームでビリー・ジーンはどうだったか?

これが実はこの映画の最大のツイスト(ひねり)だろうと思う。だから、僕は「1973年にビリー・ジーン・キングとボビー・リッグスがテニス男女対抗試合をした」ということのみ、知って観たほうがいいと思う。

あ、こういう映画なのね、と新鮮に驚いた。

この映画は「ワンダーウーマン」「ドリーム」でもあり、「ロッキー」でもあり、そして「ブロークバック・マウンテン」でもあると僕は思った。

おすすめです。

「ゲッベルスと私」と僕。

2018-07-05 14:20:04 | DVD、映画
第二次世界大戦の時のナチスに関する本を読んだり、映画を観たりして、僕が心から恐れるのは、ゲッベルスです。

ナチスのナンバー2で宣伝省の大臣。プロパガンダの天才と呼ばれた男。

僕が彼を恐れるのは「もしかしたら自分は、彼のような人間かもしれない」と思うから。

僕自身、宣伝とか販売とかマーケティングとか好きだし、実際それを仕事にしている。経験があるから、ということもあるけどそういう仕事は僕の気質に向いてると思う。

もし僕がカリスマ的な上司から信頼され、予算をたっぷり与えられ、その上司のために尽くせ、と言われたら。更にその仕事は数万、数億の人に影響を与えるとしたら。

僕は、僕ならやってしまうかも知れないな、と思う。それが多くの命を奪うとしても。まさに、悪魔の誘惑。

だから、僕は僕自身を映すひとつの「鏡」としてゲッベルスを恐れている。どんなに小さくとも、ゲッベルスにならないよう、日々怯え、注意深く上司や会社や社会を見ている。それでも、気づかぬうちに、自分は「ゲッベルス的なこと」に加担しているのではないか、自分はゲッベルスになっているんではないか、と恐れている。

第二次世界大戦当時、ゲッベルスの秘書だった女性のインタビューを軸としたドキュメンタリー映画「ゲッベルスと私」を観てきました。

「ゲッベルスと私」予告編


あまり気の進む映画じゃない。チケット売場には「この映画には衝撃的なシーンがあります」と張り紙がしてある。更に気が進まない。

だけど。

楽しく痛快なアクションや素敵なラブロマンスが「映画」であるように、このような「みたくない現実をみせる」というのも「映画」だと思う。


映画の中で、僕が一番衝撃を受けたのは、途中で挟み込まれた記録映像。

ユダヤ人の迫害が始まり街にはユダヤ人の死体があふれる。ドイツ人は台車に乗せ、空き地に運び、掘った穴に埋める。墓地ではない、10人くらいは入りそうな単なる穴。穴の上の人間が、穴に立てかけた板に死体を乗せ、滑らせる。穴の中にいる人間はそれを受け取り、穴底に死体を並べる。

この映像だけでぐったりしてくるし、書いてると更にぐったりしてくる。

だけど、僕が、はっきりいって「絶望」といってもいい感情を持ったのはそのあとだった。

穴の上にいるのも穴の中にいるのも、軍人じゃない。ハットとコートのふつうのドイツ人男性。ひどいことを無理やりやらされてるようにはみえない。「ま、仕事だからね、そりゃ大変だけどさ、、」とか思ってるようにみえる。みな、気の良いおっさんにみえる。やってることがこんなことで無ければ、僕が彼らを見かけたら、たぶん、「ああ、大変ですねぇ、ご苦労様です」くらい声をかけたかもしれないな、と思う。

死体はどんどん板を通じて穴に投げ込まれる。

そして、穴の上から死体を投げ込む人、穴の中でそれを受ける人、見ていると双方が明らかに、



手際がよくなっている。

僕は全身の力が抜けた。

ああ、そうか。

人は、慣れる。

どんなことにも。人が殺されその死体が道端にあふれるような状況にも。数ヶ月前まで隣人だったかも知れない人の死体を、物のように穴に投げ込む仕事にも。

そして、どんな仕事も、慣れれば効率が上がる。

僕自身、人一倍、「仕事の効率化」が大好きだ。

もし僕が、この穴の中にいたら、「そのまま滑らすより、ちょっとこっちに力入れると受けやすいよー」と上にいる人に声かけたり、「落ちてくるとき、こっちにいた方が受けやすいな」とか、やるかも知れない。いや、やる。

「どうやったらその仕事をもっとうまく効率的にやれるか」を考えれば考えるほど、「そもそも、これは善なのか、悪なのか」についての思考が停止する。

それが僕はとても恐ろしい。

僕が毎日やってることは、誰かを穴に埋めることになってやしないか、と常に考えなければいけないと思う。


この映画のコピーは、ポスターにある通り、「なにも知らなかった 私に罪はない。」です。


これだけ聞いたら、人によっては嫌悪感を持つかも知れない。「あなたに罪はないのか?」と。でも、あくまでポスターのキャッチコピーであることは、映画をみればわかる。なぜなら映画の中で彼女はこの台詞を言ったあとに、続きを語るから。

ぜひこの映画をみて、この台詞の続きを彼女の口から、聞いてほしい。

何も知らなかった彼女が、自分は罪はないと感じる彼女が、では何を、罪だと思っているのか。


いや、思っているのかではなく、「思っていたのか」と言うべきだった。

この映画の主人公であるブルンヒルデ・ポムゼルさん、映画撮影当時103才だった彼女は、106才で既に亡くなっている。

「ブルンヒルデ」という名前は恐らく北欧神話のワルキューレから取られているのだろう。奇しくもヒトラーが愛した曲は、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」という曲だった。

北欧神話では、ワルキューレは死者の魂を神々の宮殿であるヴァルハラに迎え入れる役だと言われている。

ブルンヒルデ・ポムゼルさん、そしてその他の多くの人の魂は、どこに迎え入れられたのだろうか。

歌丸ばなし

2018-07-04 12:17:32 | 
桂歌丸が亡くなった。

(個人的な考えなんだけど、僕は極力、落語家に「師匠」とつけず、とびっきりの親愛と心からの敬意を込めて呼び捨てにしたいと思っている。そもそも僕は入門したわけでもないし、落語がなんたるかもわからない門外漢なんで僕なんかが「師匠」と呼ぶ資格はないと思う。だからどうか呼び捨てにすることをお許し頂きたい。もちろん、他の人(落語家でない人)が敬意を込めて「師匠」と付けることを否定するつもりは毛頭無いです)

僕は落語はそれなりに好きだけど、それでも「生で高座を見た落語家」というと数えるほどしかいない。桂歌丸はそのうちの一人。

いつみたのかな、と思ってこのブログを読み返すと2011年の正月の浅草演芸ホールだった。→「そうだ、寄席に行こう」
(しかし、過去を振り返るのにブログってのは本当に便利だ)

この時、桂歌丸はトリで、「鍋草履」というネタをやった。これがまたすごくてねぇ。。もちろんネタ自体は、鍋に草履が入ってる、という決して大ネタというわけではないんだけど、やっぱり彼の持つ芸のすごみ。ぐぐっと圧倒されてしまうような芸ではなくて、ホール中に桜吹雪が舞うような、おめでたいという概念が形になったような。。あの雰囲気だけは忘れられない。とにかく「いやぁ、正月から良いもん見せてもらったなぁ」と心底思った。

生で見る前に、彼の「ねずみ」という噺も動画で見たことがあったんだけど、これもとっても面白かった。おそらく、桂歌丸という方は、とてもキッチリされた方なんだろうと思う。この「ねずみ」という噺には大工の左甚五郎が登場する。この左甚五郎の職人気質というかきっちりとした感じが桂歌丸本人によく合っていて、僕はこの噺がとっても好き。

機会があれば、もう一度みてみたいと思っていたけど(少なくとも現世では)、それは叶わなくなってしまった。それは残念。


ところで、「地獄八景亡者戯」という噺があります。これは主に上方(関西)で演じられることが多い噺で、死んだ人間が死者の国に行く場面が出てくる噺。この噺のおもしろいところは、その年亡くなった人の噺なんかをどんどん放り込めるところ。

例えば2013年に僕がきいた桂雀々の高座では、

「ちょうど今、マンデラ元大統領も着いたとこですわ、ああ、なんか変な手話の人もついてるなぁ」(覚えてます?)

みたいなこと言ってた。ちょうどマンデラ元大統領が亡くなった年だったからね。

この噺の中で、地獄の一丁目は繁華街で映画館から歌舞伎座から寄席まで何でもある。「アイドルグループの公演はYKB49が大人気、焼き場四十九日ね、のどが渇いたらカフェもあります、ハカーバックス、略してハカバ」なんて感じ。

歌舞伎座では市川團十郎が初代から十二代まで全員集合でやってるし、寄席では昭和の四天王と志ん朝、談志、大名人が揃ってる。そこに桂米朝の張り紙、「おい、米朝はまだ生きてるがな」「へい、前売り券で」というのがお決まりだった。(まだ米朝が生きている頃ね)

今年の年末には誰か「地獄八景亡者戯」で桂歌丸ネタを入れてくれないかなぁ。。「そろそろ笑点の時間ですよ、大丈夫、まだ司会しか来てませんが」とかね。

あっちの世界で、また機会があったら生で観たいな、と思ってます。

そういえば、以前読んだこの本も面白かった。

「歌丸ばなし」

2018ロシアワールドカップ予想(GL終了時点)

2018-07-02 18:54:03 | スポーツ
ワールドカップもグループリーグが終わり決勝トーナメントに入っている。

僕が大会開始前にした予想を一旦、答え合わせしてみる。

◎=順位含めて勝ち上がり2チーム的中
◯=勝ち上がり2チーム的中、順位ははずれ
△=勝ち上がり1チーム的中、1チーム外し
✕=2チーム外し

A ウルグアイ/ロシア→◎
B スペイン/ポルトガル→◎
C フランス/オーストラリア→△:正解は「フランス/デンマーク」
D アルゼンチン/ナイジェリア→△:正解は「クロアチア/アルゼンチン」
E ブラジル/スイス→◎
F ドイツ/メキシコ→△:正解は「スウェーデン/メキシコ」
G ベルギー/イングランド:→◎
H ポーランド/コロンビア:△:正解は「コロンビア/日本」

✕がなかっただけ良かった。。驚きはなんと言ってもドイツの予選敗退と日本の突破。日本に関しては僕は勝ち点0、あるいは1くらいだと思ってた。ごめんなさい。

それを受けて、決勝トーナメント開始前にした一回戦の予想。それと、今の時点(7月2日)の時点で出てる結果を照らし合わせてみる。

 ウルグアイ対ポルトガル◯ →✕:ウルグアイの勝ち
 フランス対アルゼンチン◯ →✕:フランスの勝ち
◯スペイン対ロシア →✕:ロシアの勝ち
◯クロアチア対デンマーク →◯:デンマークの勝ち
◯ブラジル対メキシコ
◯ベルギー対日本
◯スウェーデン対スイス
 コロンビア対イングランド◯

と、なんと四戦三戦外しているというダメダメっぷり。。

いやはや難しいねぇ。。

元々の僕の予想では決勝はポルトガル対アルゼンチンでポルトガルの優勝、だったんだけど、早くもその目は消えてしまった。

ゼニーとか賭けてなくてよかったよ。

今日(正確には明日午前3時)には日本対ベルギーのキックオフ。僕としては日本かなり厳しいんじゃないかと思っているけど、これだけ予想を外してくるとわからなくなってくるね。

丸一年と一日

2018-07-02 13:42:21 | 日記
本当は昨日書こうと思ったんだけど。

今日は2018年7月2日。ということは僕がタバコをやめてから丸1年と1日が経った、ということになる。

今となってはまったく吸いたいと思わないし、むしろタバコの匂いが嫌いになった。タバコをやめて思うことの一つは「タバコってこんなに臭いのか」ということ。

タバコの煙の匂いはもちろん、タバコを吸っている人の肺から出る、独特の匂いというものもある。これはタバコをやめて気づいた。

一年一ヶ月前、例えば去年の5月に「1年後、タバコを吸ってないし更にそれが全然辛くなくなっている」ともし人から言われたら僕は自分でも信じなかったと思う。

不思議なものです。

ひとつ、まったく根拠は無いけど、自分の身体で「あれ?これってタバコの影響かな」と思うことがある。

数年前からときおり体に湿疹が出て、痒くて仕方ないときがあった。体に赤い湿疹が出てひどいときは脇腹や背中がミミズ腫れのようになるときもあった。「うーん、乾燥肌かなあ」と思ってクリームを塗ったり、皮膚科に行ったりしたけどあまり改善はしなかった。

ふと、気づくんだけど、それが最近無い。

もしかしたらあれはタバコの影響だったのかも知れない。

とにかくまぁ、タバコという悪習慣から抜け出せてよかった。あくまで今のところはね。

もうタバコを吸うつもりはないけど、意志の弱さじゃ天下一品の僕のことだ、まだわからないからね。