多くの人は何かを失ったとき、後悔し、反省します。そのたびごとに「今度そんなことがないようにしよう」と決意します。
イギリスの画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスによる絵画。
タイトルは「Il rimorso dell'imperatore Nerone dopo l'assassinio di sua madre」。直訳すると「母の暗殺後の皇帝ネロの後悔」。
さて、皆さん、この絵を見てどう思われますか?
後悔し、反省し、何かを決意している姿に見えるでしょうか?
正直、僕にはこの表情からは「あー、めんどくせ」という気持ちしか伝わってきません。そしてその奥底にあるのはおそらく「僕のせいじゃない」という気持ち。
まぁ、ネロの死後1800年も経った後の絵画ですから真実を映しているとはいいがたいですが。
ネロによる母殺しは側近セネカとブルスによって「アグリッピナによる国家反逆罪に対する処刑」と(形式上)されました。こんなあからさまな工作に気づかぬローマ市民と元老院ではありませんが、ひとまずはそれを信じたフリはしました。そもそもアグリッピナは人気がありませんでしたし、皇帝ネロの政治は決して悪いものではなかったからです。それが側近セネカとブルスの力によるものだとしても。
この時点で皇帝ネロは幸福でした。
しかし、多くの場合、幸福は内から崩れていくものなのです。
まず、ネロの精神が壊れかけました。毎晩、亡き母の亡霊を見ることになります。見えぬ悪夢に悩まされる人に人はなんとアドバイスするでしょうか?
少なくない人が「君は疲れすぎているのかも知れない。仕事のことは忘れてゆっくりと趣味でも楽しめばいいじゃないか」とでも声をかけるのではないでしょうか。
ネロにもそのような言葉をかけてくれた友人がいたのかも知れません。以降、彼は彼本来の趣味、ギリシア文化への傾倒、特に詩と歌に没頭することになります。
前代未聞の皇帝によるコンサートが行われた記録もあります。
この時代のネロにはいくつかジョークとも思える出来事が記されています。
歌好きのネロ、コロッセオで独唱会を開催しました。1度目は運悪く歌の途中で地震が起こり観衆が外に出てしまったため、2度目は歌の間、外に出ることを禁じました。あまりにも長い歌だったため途中、出産してしまった女性もいたという記録が残っています。
また、ギリシャ好きのネロはギリシャのオリンピア祭(つまりオリンピック)に出場、1800もの種目で一位を獲得します。中にはネロが出場していないにも関わらずネロが優勝していたものもありました。このギリシャ行きをネロは「遠征」と捉え帰還の際には凱旋式まで行いました。更にはオリンピア祭に対抗するべくローマン・オリンピックとも言うべき体育大会をローマで主催し、当然、自らも出場します。「今回は正々堂々戦う」と。
古株のローマ元老院議員は眉をひそめますが、とはいえそれによりネロの精神は少しだけ平安を取り戻します。
そしてネロの容姿も崩れました。皇帝に即位した若い頃、ネロは精悍な青年でした。圧倒的に美少年だったと言われているアウグストゥス(見た目はハゲでもモテたのはカエサルのほうですが)の血と、肉体的美貌を備えたアグリッパの血を引いた若者なのですからそれも当然かも知れません。
しかし、年を重ねるにつれその精悍さは陰を潜めていきます。彼は年々太りだします。特に首の下の肉がたまり、それを隠すためひげを生やすようになりました。
(歴代の皇帝はひげを剃っているのがマナーでした。皇帝がひげを生やすようになるのは五賢帝以降)
そして次に側近が崩れて行きます。まず軍事を一手に担っていたブルスの死、続いて政治担当だったセネカの政界引退。
これでネロにブレーキをかける人間はいなくなりました。
お目付け役がいなくなったネロ、次々と自分がやりたかったことを行います。
まずポッペアとの結婚。母を殺してまで結婚したかった最愛の人ポッペアですが母の死の後すぐに離婚、結婚ではさすがにローマ市民がどう思うか分からないのでおそらくセネカに止められていたのでしょう。今まで結婚はしていませんでした。
しかしそのセネカはもう居ません。望みどおり、まずは妻オクタヴィアと離婚しポッペアと結婚します。
市民からの人気があったオクタヴィア、彼女との離婚のニュースにローマ市民は離婚反対のデモを行います。ネロはこの市民の反対に恐れをなします。
ここでも、ネロの解決策は極端で短絡的でした。罪をでっち上げ前妻オクタヴィアを流刑にし、そして彼女を死刑にしたのです。
この出来事は単にネロに「妻殺し」の悪名が増えただけではありません。
ネロは自分が「実力」によって皇帝になったのだと勘違いしていました。しかしそれは違うのです。皇帝を任命するのはローマ市民と元老院、彼らはあくまで「アウグストゥスの血統」によって皇帝を決めていたのです。アウグストゥスの血統を持つ母アグリッピナは既に居ません。更にネロは前皇帝クラウディウスの血統を持つオクタヴィアまで手放してしまったのです。
これは後に「アウグストゥスの血統でなくても皇帝になれる」という解釈を生む一因となります。
この爆弾をネロ自らが作ったことにネロは気づいていませんでした。
これほどのことを行ったネロですが、ローマ市民はまだあたたかい目で見ていました。それはローマ市民が求めていたものは「パン(食料)」と「サーカス(娯楽)」だったから。なんであれ自分たちのローマを安全に保ってくれ、食料をくれ、楽しませてくれる皇帝であればよかったのです。幸運なことにローマ周辺では大きな戦争も起きてはいませんでした。だからむしろ市民は「今度の皇帝はずいぶん愉快なことをやってくれるじゃないか」と好意的に取っていたのです。
ただ単に幸運だっただけでなく優良な政策もずいぶん打ったという記録もあります。
このときがネロとローマにとって最も幸福な時代だったのかも知れません。
しかしあるとき、ローマ市内で大火事が起こります。出火の原因は不明ですが、都市区を焼き尽くす大火事だったそうです。
この時もネロは延焼を防ぐべく火の方向の建物を迅速に壊し、食料を配給し、家を失った人に寝場所を確保するなど皇帝として出来る限りのことを行います。
大火が収まったあと、ネロはローマ復興のため焼け落ちた土地に市民のための憩いの場を建設することを計画します。
ローマ市内に広大な緑の公園を造ろうと計画したのです。
これだけであれば皇帝ネロの名を上げこそすれ、非難されるような対応ではありません。
しかしここで、ネロの欠点のひとつが明らかになります。
ネロは市民に向けてこう宣言しました。
「ローマ大火で被害を受けた跡地に『ドムス・アウレア』を建築する。」
『ドムス』というのは『私邸』、『アウレア』は『黄金の』という意味。つまり『黄金邸』。
当時、権力者が自身の私邸を市民に開放することは通常行われていることでした。それらは権力者による社会貢献の意味もありました。
しかし、このときのネロの言葉は市民にとって「ローマ大火跡地を自分のものとする」という宣言にしか聞こえませんでした。
ネロはただ単に純粋に市民のために緑の公園を提供したかっただけなのです。しかし、それならば「市民のための公園を建築する」とだけ言えばよかったのです。
ネロに欠けていたもの。それは「自らの言動が相手からどう取られるか」という『配慮』でした。
何をやっても市民からの人気につながったカエサル、何をやるにしても市民と元老院の批判が生まれないよう考え抜いてやったアウグストゥス、市民のために何でもやったが人気だけのためには何もしなかったティベリウス、自分のやりたいことしかやらなかったカリグラ、何をやっても人気にはつながらなかったクラウディウス、、、歴代の皇帝と比べると非常に興味深いところです。
この一件でローマ市民は「ネロは私邸を建てようとしている」と思い込みます。更に噂に尾ひれがつき「あの大火事は合法的に土地を手に入れるためにネロが起こしたものだった」とまで発展。最後には「大火の時、公邸の窓から大火に向けて満足げな笑顔で竪琴を弾いている姿を見た」とまで言うものまで現れます。
一度、評判が落ちてしまえば市民がネロを攻撃する理由はいくつもあります。母殺し、妻殺し、凱旋式の私有化、コロッセオでの独唱会、、、今まで「ネロは愉快なやつだ」と笑っていた市民のネロを見る目は冷たいものとなります。
ネロはナイーブでデリケートな人間でした。市民の噂と冷たい目を「だからなんだ」と気にせず生きることの出来ない人間です。
追い込まれたとき彼が取る方法は常に短絡的な解決策。
彼に必要なのは噂を打ち消すためのローマ大火の犯人です。真実などどうでも良いのです。母アグリッピナは策略により自らの地位を獲得しました。ネロの皇帝の座も正式な継承理由などありません。自らの母殺しですら「国家反逆罪」と理由をでっち上げてうまく行ったのです。ネロには火事の真犯人を探すつもりはありませんでした。必要なのはただ犯人とでっち上げられる人間でした。
そのネロに耳打ちした人間がいたのでしょう。
「最近、ローマにあやしげな団体が増えてきている。市民も彼らを気味悪がっている」と。
それはローマ第二代皇帝ティベリウスの時代に十字架刑にされた男を崇める人々でした。
…to be continued...