浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

Unchained

2010-05-31 23:46:24 | 仕事
僕の仕事は経営にまつわることで、更に僕は食べることが好きなので、「自分で飲食店やらないの?」と聞かれることがたまにある。

それについては「どうかは分からないけど、多分やらないだろうなぁ」というのが僕の答え。

理由は3つある。

飲食店に限らず、自分で経営することはとにかく大変なことだ、ということが身に沁みて分かっているので(だからどんな経営者であれ、たとえ一店舗の小さな居酒屋の店長であれ、基本的には尊敬している)よっぽど覚悟が無ければ思い切れない、というのがひとつ。

2つ目は、食べることが好きだからこそ、その趣味を仕事にしちゃいたくない、ということ。昔、カニ工場でバイトしていたときにあまりにもカニを見すぎてちょっと嫌いになったもの(笑) 「好きなことを仕事にする」というのはいいんだけど「好きなものを扱う仕事をする」というのはまたちょっと違う。

そして3つめが「個人で飲食店やってもチェーン店には絶対敵わないだろう」ということ。

簡単に言ってしまうと個人店はチェーン店に少なくとも「スケールメリット」の点で敵わない。もちろん、他に色々あるけど…。

つまり同じ食材を仕入れるにしても「うちで使う分仕入れます」と言っただけで個人店は1店舗分、チェーン店は場合によっては数百店舗分仕入れるわけで、そうなるとチェーン店のほうが「たくさん仕入れるんで安くしてよ」と言える。すると同じ食材でもチェーン店のほうが安く仕入れることが出来る、そうなるとどちらも頑張って同じ料理を出したとしてもチェーン店のほうが安く出来る(原価が安いから)わけで、そうなると同じ料理が出せたとしても値段の面で個人店はチェーン店に勝てない。

…というのが僕がここ4、5年思っていたこと。

なんだけど、最近「現代においては違うかも知れないな」と思いつつある。

現代はデフレの時代なので、客単価というのはがんがん安くなってる。以前は居酒屋と言えば3,000円の客単価が普通だったけど、270円居酒屋、なんかが出始めて2,500円、2,000円と客単価が下がっている。

もちろんそれに向けてチェーン店であれ個人店であれ努力をし続けなくてはいけないわけだけど、そうなるとチェーン店はそれ以外の経費が非常に重くなってくる。

たとえばそれ以外の経費、と言うと社員が増えれば給与計算もしっかりしなければいけないので専門の人間を雇わなくちゃいけないだろう、ホームページもしっかりしなければいけないのでそれ専門の人間も必要、あるかどうか分からないけど訴訟になった場合に備えて顧問弁護士をやとわなきゃいけない、その費用も必要…、ととにかく経費がかかる。

一方、個人店は給与計算が必要だったら店長が一生懸命寝ないでやればまぁ費用はかからない。ホームページも無料のサーバーを使って自分で作ってもいい、訴訟なんかの準備はそんなに要らない。。。ととにかく「自分でかんばればなんとかなる」ものが多い。

そして一番大きいのが「人件費」。人件費自体が大きいんじゃなくてチェーン店が企業である以上「人件費を上げていかなければいけない」という呪縛ともいえるルール。

チェーン店には社員が必要になる。その社員たちの給与をこれから20年とか30年、一定でいい、というわけには絶対いかない。社員は結婚もするし子供を持つだろうし家も買いたくなるだろう。その給与を払うために企業は成長しなければいけない。毎年毎年、一店舗一店舗の利益を増やしていかなければいけないし、もし店舗ごとの利益が頭打ちになるのであれば新しい店を出さなくてはいけない。

一方、個人店はどうか?非常に分かりやすくたとえるので現実味がなくなるけど、たとえば社長が一人でやっていてあとはアルバイトを使ってるだけだとする。アルバイトの給与というのは今後20年30年、ずっと変えなくてもいい。もっと給与が欲しいというアルバイトは別の店に行ってもらってその給与でいい、という人だけ新しく採用すればいい。
社長の給与がたとえば年間1,000万だとして「これから30年間、俺はこの給与がもらえればいい」というのなら、成長の呪縛からは解かれる。(それが正しいのかどうかは別としてね)

そう考えると個人店は大きな成長さえ望まなければ、この時代チャンスがあるような気がする。

どうだろうね?

僕自身は飲食店を経営して生活していくつもりはないんだけど、めぐりあわせによってはすごーく小さい居酒屋が売りに出てたら買ってもいいかなぁーと思ってます。一応副業になるだろうから今の会社的にOKかどうか分からないんだけど、儲けなくてもいい、と思って副業でやっていればとりあえずそこで飲むお酒代とか食事代を会社経費として落とせるだろうから。

どなたか一緒にやりません?ねぇ、ドッピオさん。

お好み焼きの切り分け方

2010-05-28 22:32:57 | 日記
後輩(博多出身)と飲んでてこんな会話になった。

「showさんって茨城(僕の地元)大好きですよねー」

「え?そんなことないよ。札幌のほうが好きよ」

「またまたー、群馬に間違えられたら怒るでしょ?」

「当たり前じゃボケ!あんな空っ風しか吹いてないところ一緒にすんな!」

「千葉と間違えられたら否定できないでしょ?」

「あー、千葉はなー、悔しいけど否定できないわ~、うちの地元で頭いいやつはみんな千葉の高校行ってたからね」

「で、地元は茨城の水戸でしたっけ?」

「違うわ!うちは鹿島だってば!水戸なんかと一緒にすんな!鹿島はなぁ、2000年前には日本の中心だったんだぞ!」

「つーか鹿島じゃないじゃないですか」

「でも神栖は一応アントラーズのホームだし…。で、君は福岡だっけ?」

「博多っすよ!!(怒)」

「どういうこっちゃ(笑)」

ええ、茨城愛してます。すいません。群馬とか水戸の方、お気を悪くしないでくださいね。

他都道府県と接してない北海道の人はあんまり意識が無いかも知れないけどやっぱり他の都道府県出身者は地元と隣県あたりの関係はどうも愛憎半ばするというか微妙な感情があるんだよな~。

「秘密のケンミンなんとか」って番組を話題に出すまでもなく、県民性の話は面白いよね。

つーことで県民擬人化漫画買いました。
うちのトコではうちのトコでは

県民をステレオタイプに擬人化しているんで「全部が全部こうじゃないだろ」と思うところもあるけどまぁまぁジョークですから目くじら立てずに楽しみたいものです。

元はネットで連載されてたようで茨城編を少し。


わっか~る。

茨城は基本的に怒ってる。基本的にはいい人なんだけどぶっきらぼうだし、
言葉も荒いんで怒ってなくても怒ってるように見える。

時間に厳しい、特に他人の。

栃木・群馬を下に見てる。こっちのほうが東京に近いから。

でも栃木・群馬に仲間はずれにされるのはヤダ。孤立したら東北に入れられちゃいそうだし。

あーめんどくさいな茨城(笑)

あと面白かったのは各県のお好み焼きの切り方。

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お好み焼き切り分けデータ
・四角く切る (大阪・広島・愛媛・京都・岡山・高知・三重・兵庫・静岡・徳島)
・三角に切る (東京・群馬・埼玉・千葉・神奈川・新潟・岐阜・山梨・静岡)
・四つ切 (福岡・鹿児島・和歌山・熊本)
・二つ切 (福岡)
・折りたたんで細長く切る(静岡)
・折りたたんでかぶりつく(愛知)
・適当に皆でつつく(北海道)
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北海道雑!(笑)

いやまぁ、ジョークですからね。

茨城県民を確実にカチンとさせるとしたら、「あれ?茨城って東北ですよね?」というせりふかなぁ。

この本、関東の人と一緒に楽しんだら僕は楽しめると思うんだけど、あんまり北海道の人は楽しんでくれないような気がする。

いいよなあ、北海道はおおらかで(そういう問題?)

父と娘

2010-05-27 14:16:00 | 
その本はある女性が独白するように、こんなシーンから始まる。

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その女性は刑務所にいる父に面会に行く。
父との面会は6回目になるが、今まで父が話したことは一度も無い。
その女性がただ独り言のように近況を話していただけ。
今回もそういう面会になるのだろう、と思っていた。
面会室に入り、父が来る。
娘は話し出そうとする。
そこで6回目の面談で初めて父が言葉を発する。
「今日は寒いね」
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娘の名は松本聡香、そして面会相手である囚人は彼女の父である松本智津夫。


この本は松本智津夫の四女である著者が自らの人生を綴ったもの。

想像に難くないけど、その人生は凄惨で不幸に満ち満ちている。

読んでるほうも心がかきむしられるように辛いし、内容が重過ぎてなんと言っていいか、いや、どう感じたらいいのかさえも分からない。

冷静に考えたらなんでわざわざこんな暗部、しかもどんな人であれ結局のところ「父と娘」というパーソナルな関係の話なのに読まなければいけないのか?

僕は巧く答えられないけど、それでも同時代に生きる人間として読まなきゃいけないと思ったのだ。

ロッベンの誤算とエトオの献身、そしてモウリーニョの野望

2010-05-24 00:06:31 | スポーツ
今年のチャンピオンズ・リーグ(以下、CL)決勝の話。

結果ネタばれしているんで知りたくない人は飛ばしてくださいね。

共に国内リーグを制覇したイタリアのインテルとドイツのバイエルン・ミュンヘンという戦い。

日本では午前4時からの中継だったんで寝そうになりながら生で見ましたよ。

戦前の話題は勝敗よりもインテルの監督J・モウリーニョの去就。

念のため説明しておくとインテルの監督のモウリーニョという人は現在、世界で一番年棒が高いサッカー監督として有名。約10年前にポルトガルのFCポルトという中堅クラブをヨーロッパ一にした実績からイングランドのチェルシーを率い、2年前からインテルの監督。どこに行ってもしっかり実績を出している。

その彼がレアルに行くかも知れない、という話が出ていてこれが一番の話題。

まぁモウリーニョに関しては今度またゆっくりということで、試合の結果。

試合中、最も「こんなはずじゃない、何かがおかしい」と思っていたのはバイエルンの10番ロッベンだったかも知れない。いつもの切れ切れのドリブルはことごとくインテルディフェンダーにつぶされていた。突破してからシュートは一本も打てずミドルレンジから苦し紛れのシュートを打つだけ。

僕が今だに鮮明に覚えているドイツW杯オランダ対セルビア・モンテネグロ戦での輝きは一切なかった。(あの試合は正にロッベンのゲームと言っても良かった)

このことからもインテルがロッベンをしっかり抑えていたことが分かる。

一方、インテルのストライカー、エトオはどうだったか?

点に絡むシーンは確かになかった。だけど献身的にプレーをしていた。

しっかりと守備をしていた(時折、サイドバックの位置にいて見間違いかと思ったくらい)し、ゴール前ではおとりとなって相手DFをひきつけていた。ミリートの得点はエトオの動きが無ければ決まっていないはず。

ここが試合の分かれ目だったと思う。

両チームともキーパーは神がかり的にいい仕事をしていた。他のプレイヤーだって決してわるくは無かった。しかし両チームのエースの出来が、あるいは敵エースの抑え方の差が結果に出た試合だった。

言うなればバイエルンはいつもどおりの自分たちのサッカーをしようとした。

一方、インテルは徹頭徹尾、対バイエルンのサッカーをした。

自分のスタイルを貫く、という美学から言えば一見、インテルはそれに沿わないように見えるかも知れない。

でも僕は思うんだけどインテルは、というよりモウリーニョはしっかり自分のスタイルを貫いた。モウリーニョのスタイル、それは「勝つ」ということ。


しかしまぁモウリーニョはすごいね。ほんとに勝っちゃうんだもん。

(左の人。右はインテルのモラッティオーナー)
異なるチームを率いてCLを制したことがあるのは史上3人のみだとか。しかも一回目はFCポルトという決して強豪とは言えないチーム、今回のインテルだって1964年以来の優勝だって。

更にレアルに行って3回目の制覇をしようとしている。

僕は実現しちゃうような気もするけどね。

モウリーニョの考えを予想すると、レアルに行ってCLを制し「異なる3つのチームでCLを制した監督」になった後、彼はどこかの代表の監督になるんじゃないかな?

時間的にも来シーズン、レアルに行き2年かけてCLを制し(インテルも就任から2年でCLを制した)、その実績を持って代表監督になれば2014のW杯にぴったり合う。

そこでW杯優勝、なんてストーリーを彼は考えてるんじゃないかな。

どうだろう?

愛と個人的なライアンと紳士の大変だった日の夜

2010-05-22 01:16:54 | 日記
かなり前にドッピオさんも言ってたけど映画のタイトルが巧く日本語に訳されてるのはいいよね。

ジャズのスタンダードナンバーにいいのがあるのはすぐ思いついた(月光値千金、煙が目にしみる、、)んだけど映画はパッと思いつかなくて色々考えてみました。そうすると映画もいいのあるな、と思ったんだよね。

(左から順番に、原題→直訳→邦題です)

・Bonnie and Clyde→ボニーとクライド→俺たちに明日はない

→いいよね。二人の無鉄砲な感じが出てて。「シド&ナンシー」は明日どころか今日もなかったけどねー。

・Hitch→ヒッチ(主人公の名前)→最後の恋のはじめ方

→ボニーとクライド同様これも主人公名。ウィル・スミスが恋愛コンサルタントやったヤツですね。「ヒッチ」なんて言われたら普通わかんないけど「最後の恋のはじめ方」。う~ん、いいよね。観たくなっちゃうもん。どうしたらはじめられるもんなんすかね?

原題は主人公の名前からタイトルつけただけ、と思ってたんだけどもしかして動詞の「hitch」(ひっかける、つなぐ)もかかってるのかな?

・LES QUATRE CENTS COUPS→400回の殴打(ですって。仏語だからわからないけど)→大人は判ってくれない

400回の殴打、じゃちょっとねぇ。「ファイトクラブ」かよ、と思っちゃう。「大人は判ってくれない」のほうが断然いいよね。トリュフォーだと「暗くなるまでこの恋を」もいい邦題だね。

・Close Encounters of the Third Kind→第三種接近遭遇→未知との遭遇

→科学っぽい「第三種接近遭遇」も嫌いじゃないんだけどね。

・An Officer and A Gentleman→士官と紳士→愛と青春の旅だち

→この後「愛と何々」系のタイトルが一杯出たんでいい邦題とは思えないんだけどでも元の「士官と紳士」よりはいいよね。

・A Hard Day's Night→大変だった日の夜→ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!

→このタイトルつけた人最高ね。まったくもっていいタイトル。最後に「ヤア!ヤア!ヤア!」とついているのが能天気でいい。

・UP→上へ→カールじいさんの空とぶ家

→近年まれに観る名邦題でしたね。「上へ」じゃ意味わからないもん。「アップ」って言われたら多くの日本人は「上へ」よりも「ズームアップ」のほうを思い浮かべるんじゃないかな。


ほとんど直訳だけど非常にいいのが、

・For Whom the Bell Tolls→誰がために鐘は鳴る
・Gone with the wind→風とともに去りぬ

このあたりかなあ。これらは映画のタイトルってよりも小説のタイトルだろうけど。

「誰がために鐘は鳴る」なんていいよねぇ。「誰が」を「たが」って読むのが日本語的に正しいのかどうか判らないけどこれはどう考えても「たがためにかねはなる」じゃないと雰囲気が出ない。「だれのためにかねはなる」じゃダメなんだよね。

「風とともに去りぬ」もいいね。Goneが過去分詞だから「去ってしまった、去ってしまってもういない」という意味だよね。「-ぬ」って僕は「-ない」の意味だと思っててこれ正しいのかな?と昔調べたことがあるんだけど「-ぬ」は「完了」の意味があるらしい。古文の授業みたいだけど。だから日本語としても正しい。これが「風とともに去った」じゃあぜんぜん雰囲気出ないよね。


こりゃダメでしょ、と思うのが、

・Jerry Maguire→ジェリー・マッガイア(主人公の名前)→ザ・エージェント

トム・クルーズがスポーツ代理人をやった映画ね。これはダメだよね。そもそも英語として間違ってるじゃん。「母音の前では定冠詞は”ジ”と読む」って勉強しませんでした?

・The Lord of the Rings→指輪の君主→ロード・オブ・ザ・リング

観てないからタイトルの意味はよくわかんないだけど、もともとトールキンの「指輪物語」という原作があるんだから素直に「指輪物語」にすればいいのにね。映画を観た人が本屋で「あ、この本が基なんだ」って本を手に取るチャンスになるかも知れないじゃん。
直訳するにしても「ロード」じゃ「lord」なんだか「road」なんだか「load」なんだかわかんない。「ねーパパー、ロード・オブ・ザ・リングのロードってどういう意味ー?」とか子供に聞かれてちゃんとパパは答えられてるのかしらん?

それとさ、ringsは複数なのに邦題がリング、と単数形にしちゃってるのもイクナイですね。ロードの定冠詞も省略しちゃってるし。

これさ、物語として「指輪が一杯あって、その中でも特別な指輪」っていう話じゃないのかな?邦題だとその意味はまーったく分からないね。

・Saving Private Ryan→ライアン二等兵を救うこと→プライベート・ライアン

僕、大学で英語科にいましたけど「private」が二等兵なんて知りませんでした、申し訳ないけど。「プライベート・ライアン」だけ聞いたら確実に「個人的なライアン」としか思えないですよ。「ライアン君はなんか秘密があるのかなー」と思っちゃう。


ちなみに僕、「何でもかんでも日本語に訳せ!」っていう主義なわけじゃありません。英語のままでもじゅうぶんなものはたくさんあると思います。「ブルース・ブラザース」とかね。

僕だって基本的には原題そのままで一般の日本人に意味が通じるならそのままでいいと思う。

ただ文法的間違いは教育上良くない(ザ・エージェントとかね)と思うし、特に子供向けの映画の場合にはちゃんと訳してあげたほうがいいと思う、できれば直訳でね。おとなになったときに「あ、子供の頃みたあの映画は英語ではこういうのか」と思うだろうから。「ああ、あのタイトルがaじゃなくてtheだったのはこういう意味があったからか」とかも気づくと思うんだよな。そういう気づきが言葉への興味を持つのにすごく大事。

タイトルから映画は始まってると思ってるんで観終わった後に「あ、だからこのタイトルなのか!」という感動も大事だよね。


最後に「惜しい!このタイトルに含まれた意味を表すのは無理でしょ」、と思うもの。

Dead & Buried

映画自体は超B級ゾンビ映画だけどね。Deadは死人、BuriedはBury(埋める)の過去分詞。ということで、すごく意味があっていいタイトル。

直訳すると「死んだものと埋められたもの」。死んだら埋められる決まってるじゃん、と思うけど死んでも埋められない者もいる、それは…、という映画ね。「dead, and buried」(死んで、埋められた)とも取れる。

この含意を日本語で表すのは難しい。

タイトル訳す担当の人は悩んだろうなぁ。

で、えーいとつけたタイトルが、

ゾンゲリア


バンザーイ(笑)

ちなみに色々調べてみるとこの映画の前年に「Zombi 2」(ゾンビ2)というもちろんゾンビ映画、このタイトルでゾンビ出てこなかったら詐欺やろ、という映画があったようでそのタイトルが「サンゲリア」。

なんでかっつーとその前に「ゾンビ」という映画があったから。じゃあ「Zombi 2」は「ゾンビ 2」でいいじゃん、と思うかも知れませんがそもそもその「Zombi」と「Zombi 2」はまったく関係ない(笑)、単なるパクリ。なもんで邦題は「惨劇」と病気っぽい「-リア」をくっつけて「サンゲリア」。
それにあやかって「Dead & Buried」はじゃあゾンビが出てくるから「ゾンゲリアでいーんじゃね」と、もうなにがなんだかどーでもいい話。

ちなみに「ゾンゲリア」、あの「シックス・センス」の元ネタみたいです。

あ、「シックス・センス」も腹立つなぁ、原題は「The Sixth Sense」だから正しくは「シックスス・センス」でしょうに。聖闘士星矢は「セブン・センシズ」だったけどこれだと「7番目の感覚」じゃなくて「7つの感覚」だよね。

なんてこと考えていると一日なんてあっという間ね。

なにが難しいって

2010-05-19 20:52:10 | 日記
いや~世の中で何が難しいって女性心理と財布の買い替えですなぁ。

財布ってすごく大事じゃないですか?

毎日使うものだから機能性も大事だし、もちろん見た目も大事。

ちょっとしたこと、たとえばカード入れるとこの深さ、とかで「あー使いづらい!」ってなったりするしね。

店頭で手にとってじゅうぶん吟味しても実際つかってるとちょっと違うなぁと思ったりする。
周りには数万円の財布を大事に使ってる人もいるけど僕は高い金だして使い勝手が悪かったら嫌だなぁと思ってなかなか踏み切れません。

ここ数年使ってたのはこの財布。

ポール・スミスの札入れとラルフローレンの小銭入れ。どちらもネットで購入。札入れを買ってから「あ、小銭入れるとこない!」と気づいたんだよね。んだもんで小銭入れは別口で購入。

札入れの方はまぁ色も綺麗だし、と思って使ってたんだけどやっぱり札入れと小銭入れの二つがあるのがめんどくさい。たまに小銭入れ忘れてポケットに直接小銭をINぬってこともあるしね。

だからしばらく前から財布欲しいなぁと思ってました。

とはいえ前述したとおり財布選びって難しい。だけどそんなこと言ってたら永遠に財布なんか買えないや、と思ってこのたびザッツ衝動買い。

こちら!

SOLATINAというブランドのようです。

何より「これいい!」と思ったポイントはジッパー。

レインボーです。

こういうディテール好きなんですよね~。

機能がどう、とか僕に言う資格ないね。

様々な思い出と共に。

2010-05-13 18:09:08 | スポーツ
2006年初夏と言えば思い出すのは熱い恋をしていたこと。

もちろんこれからも恋愛はするだろうけど、あのくらいの熱さはもう無いかも知れないなぁ。熱いからいい、ってわけじゃないけどちょうどいい年齢だったんだよな、僕も。その頃の恋愛がベストだったとは思わないけど今とは質が違って「もうああいう恋愛は」という意味ね。

その女性との本格的な始まりはワールドカップドイツ大会の日本対オーストラリア戦をバーで一緒に観たことだったなぁ(遠い目)。

こんな風にワールドカップはその時の思い出と共に思い出すことが多いね。

98年ワールドカップは大学時代GM-KURAさんちで見てた覚えがある。覚えてるのはオランダ対アルゼンチンでのベルカンプの綺麗なシュート。あれでベルカンプ好きになった。

探したら動画がありました。冒頭画像粗いけど0:14くらいからのスロー再生はちゃんと見られます。美しいッ!百万倍美しいッ!

特にさ、0:23くらいの足裏でのボールコントロール!何!?この人?神?
超一流選手なのに飛行機嫌いでアメリカワールドカップはアメリカまで船で行ったという伝説の男。いかんいかん、ベルカンプの話したら止まらない。

2002日韓の時は今の会社に入ってすぐくらい。札幌でアルゼンチン対イングランドが行われてるのを「行きたいですねー」と上司と言い合ってた。やっぱり覚えているのは日本代表ワールドカップ初ゴールになるベルギー戦での鈴木のゴール。

小野のパスがいいんだよな~。この瞬間はアントラーズファンとしても発狂するくらい嬉しかった。

2006ドイツ大会では日本代表はあまりいいところがなかったんで、やっぱり覚えてるのはインザーギ。チェコ戦でのゴール。0:30くらいから。

「どうせパスをくれないだろう、とは思ってたよ。Pippo(インザーギ)のことだからね」byバローネ(でも一応、最後まで走りこんでた17番)

このゴールは感動したな~。って生で観られてないなんだけどね。ブログ読み返したらこの試合の時、僕、仙台の年上の友人に誘われてキャバクラにいました。(言っときますが僕、あんまりキャバクラ好きじゃないです。この時以来行ってない。ほんとだってば)

なーんて考えてたらワールドカップがもうすぐですね~。

早いもんだ。

前回のドイツ大会からもう4年も経ったの?そりゃ僕も25歳になるはずだ(うそ)

とにかく楽しみですね~。

目的のために手段がある

2010-05-12 20:57:34 | 日記
昔さ、「パトレイバー」って漫画を読んでてこんな台詞があって。

「あの人は手段のためには目的を選ばないから」

これね、ジョークのようでいてすごく深い言葉だと思うんだよな。

「手段」と「目的」がどうにもごっちゃになっちゃってる人って結構いるよ。

たとえば「車に乗る」ってことは「出来るだけ早く目的地に着く」という目的のための手段なんだよね。(もちろん他にも色々目的はあるだろうけど単純化すると、ね)

でも中には車に乗れればいい、スピード出せればいい、と思っちゃってる人もいるわけだ。

たとえば「いい会社に入る」というのは簡単に言うと「ハッピーな人生を送るため」の手段であるはずなんだけど「いい会社に入れればいい」と思っちゃってる人もいる。

こういうのって「手段が目的化する」っていうことでよくあることなんだよね。

戦争なんかでも「国民が幸せになる」ために始めたにも関わらず「玉砕してもいいから負けない」なんて言い出しちゃってすっかり手段が目的化してたり。

目的をあきらめるのはあんまり良くないことかも知れないけど手段を切り替えるのは決して悪いことじゃないと僕は思う。

結婚なんかもそうでさ、「あの人と結婚したい」というのはその人とその後過ごすハッピーな生活が目的であって結婚は手段でしかない。もしめぐり合わせでその人と結婚できなかったとしてもハッピーな人生という目的を諦めずに他の人と結婚すればまぁいいんじゃないかな、とは思うね。

もちろん「恋愛は理性じゃない」(僕の従姉妹の名言)んで難しいかも知れないけどさ。

手段に固執しすぎるとあまりいいことが無いんだよね。

僕はそういう考えなんで「諦めの早い人」と思われるんだけどそうじゃなくてただ無駄なことが嫌いなだけ。人生そんなにたっぷり時間があるわけじゃないんで無駄なことやってる暇ないのよね~。

恋愛は話が別ですけどね~。

素敵なこと

2010-05-10 23:28:59 | DVD、映画
「ウォーリーを探せ!」ってウォーリーが殺人犯をモデルにしてる、っていう都市伝説(というかデマ)なんてあったのね。

ってことは今日の話とぜんぜん関係ない。

つーことで「ウォーリー」観ました。いや「探せ」のほうじゃなくてピクサーのアニメね。
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ピクサーをアニメだと思ってなめちゃいけない、ってのは最近の定説ですね。

ピクサー作品というと、「トイストーリー」「Mr.インクレディブル」あたりを昔観たんだよね。甥っ子が小さかったんで彼が好きで好きでー大好きでー。こないだ観た「カールじいさんの空飛ぶ家」もよかったなぁ。

「ウォーリー」の舞台は700年後の地球と宇宙。地球は完全に廃墟と化していてそこにいるゴミ掃除ロボット、ウォーリーが主人公。このウォーリーが泣かせるんだよね。ずっと一人で戻ってくるはずの人類のためにゴミ掃除をしている。ゴミの中から面白そうなもの、たとえばルービックキューブとかを拾ってはコレクションしている。仕事が終わると自分の部屋(かな?)の中で昔の映画を見ている。その昔の映画の中では人間たちが手を繋いでおり、それにあこがれている、という設定。

一方、人類は地球の掃除が終わるまでの予定で宇宙船で生活をしている。すべてが管理され歩く必要もない宇宙船でぶくぶくに太っている。すべてはコンピュータに管理され何も考えてない、ただ目の前のモニタだけを観ている。隣の人と話すのにもモニタを通じてTV電話をしている、というのがたまらなく面白いね、笑えないもの。

いわゆる「ディストピア映画」、つまりユートピアの反対で暗黒の未来が描かれる話。

僕ね、思うんだけどこういうのもっともっと作られるべきだと思う。僕らが子供の頃ってやっぱりノストラダムスの件とかあったからさ、時たま暗い21世紀の漫画だの映画だのあったよね。

核戦争が起こるだの公害によって地球に人類が住めなくなるだの。「猿の惑星」だって結局そういう話でしょ。

未来の人間像も、歩かないから足が退化したり、ボタンしか押さないからひとさし指以外退化する、とかそういうデフォルメされた未来人の絵とかありませんでした?

ドラえもんでさ、かけると対象の未来の姿が見えるメガネ、みたいな道具があってそれでついパパを見ちゃうと、超未来の人間の姿が見えた、ってエピソード無かった?

子供心に「うわ、こうなったら大変だ。公害ヨクナイ」と思ったもんね。

こういうをどんどん作って見せるべきだと思うなぁ。もしかしたら現代が既にディストピアだからなのかな?

話としては人類が地球を旅立ってから700年間一人ぼっちで地球のゴミ掃除をしていたウォーリーの所に人類が送った調査ロボット「イヴ」がやって来てひょんなことから出会って…、ということなんだけど、人類がダメダメになっているのと対比されてロボットの方が人間味あふれるように感じられる。

左がウォーリー、右がイヴ。イヴのデザインが綺麗で良いね、iPodをデザインした人がデザインしたらしいよ。

ロボット同士だけど手を繋いで、そしてキス(のようなもの)で心を通じ合わせて…、うーん、このへんはやっぱりよく出来てるなぁと思った。

舞台は700年後の未来だけど話の筋としては非常にシンプルな「ボーイ・ミーツ・ガール」でした。

ふと思い出したのはまったくテイストは違うけども「からくりサーカス」という漫画。

これもロボット(作中ではオートマータ)が出てきて、人造物なんだけど人間の心を持って、という話でしたね。

ウォーリーとイヴのやり取り観てて「からくりサーカス」の名シーン、鳴海の隣にいるエレオノールの呟きを思い出した。

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なんて素敵なんだろう。
自分の心が相手に届くのは…
なんて素晴らしいのだろう。
大好きな人の笑顔を息のかかる近さで見ていられるのは。

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手を繋ぐ相手がいたり、自分の心が相手に届いたり、好きな人の笑顔を息のかかる近さで見ていられるってことは、素敵なことだよね。ロボットにとっても人間にとっても。

試しちゃダメよ、確認しないと。

2010-05-08 00:31:10 | 日記
「第7ギョーザ」って店のホワイト餃子ってのが旨いらしいですよ、金沢の地元グルメは。あー食べてみたいなぁ。餃子のホワイトってなんでしょうねぇ、興味深い。

しかしなんで金沢は第7ギョーザだの8番ラーメンだの55カレーだの数字なんだろう。

ということで北陸におりました。結論としてはハンバーガーがうまかったということと、ブルース・ブラザースはやっぱり神映画、の2点です。

が、そんなこととはまったく関係なく当ブログ恒例のダラダラ恋愛話。語れるほど経験あるわけじゃないんですが(という防衛トークも恒例)

僕個人になんかあったってことではないんだけど(あーさーせんね)いろいろな人の話聞いて思うこと。

よくさ、「愛情を試される」ことってないすか?え?ない?そーですかそりゃハッピーですね。

僕は昔ありましたよ。

どういうことかと言うとたとえばさ彼女が「合コンに誘われてるんだよね」と言う、とかさ。かなーり前に書いた後輩の話もテストの話だよなぁ。

「え?どこがためしてるの?」とか思うかもしれないけどこりゃ明らかに「テスト」じゃないですか。つーかこんなん「敵襲ーー!!」ですよ。一歩動き間違えたら銃殺されるレベル。

こんなん聞かれてね「あー行ってくれば」なんて答えたらマイナス5万点で一発免停でしょ?

ほいで、
「何その言い方?」
「だってお前が聞いてきたんだろ?」
「私が合コン行ってもいいの?」
「行きたきゃ行けばいいじゃないか」
「あなたも合コン行くんでしょ?」
「お前が行くなら俺もいったっていいだろ?」
「合コン行きたいの!?」
「そんなこと言ってないよ」
「今、言ったじゃない!」
…と、第三次恋愛世界大戦は勃発するわけですね。

たぶんシチュエーションにもよるけど模範解答は「行って欲しくない」とか「行くな」ってことだよね。で、それを言い過ぎたら「束縛してる」ってことになるんだから難しいもんだ。

あのね、数少ない僕のささやかな経験上言いますけど愛を試してもいいことないよ。

誰だってテストされるのはいやでしょ?テストされたほうとしては「あー自分信じられてないんだぁ」とか「なんでそんな七面倒くさいことするんだろう?」と思っちゃうかもね。

あ、でも恋愛の初期なんかはそれが楽しかったりするものなのかも知れないけど。(恋愛の初期ってもうなにがなんだかどーでもいいもんね、だいたい)

試したくなったときの代替案は「確認する」ってことだと思いますね。

たとえば「合コンに誘われてるんだけど私が行ったら嫌?」とかね。

それだったらさ、「そうだね、あまりいい気持ちはしないね。でも君が行きたいんであれば止められないけど」とか紳士的に対応できるじゃん。

僕もささやかながら経験値を高めてきたのでいま試されるような言葉を聞いたらそれなりに対応できますけど昔はダメな対応してたこともありましたよ。まぁ最近試されること自体あんまり無いけど。

そうそう、愛を試すシーンで一番心に残ってるのは『ノルウェイの森』での「自分が髪を切ったことに相手が気づくかどうかを試している時の緑」ってのがありますね。

「私を愛しているならその火を飛び越えて来い!」ってのは『潮騒』の山口百恵でしたっけ?ここまで試されると逆に面白いけどね。

男性も女性も不安になるのはよーく分かる。でもさ、愛を試すんじゃなくて確認しながら行きたいもんです。

そうそう一番カッコイイのは男性も女性も「パートナーが不安がってるかも」と思ったら確認される前に自分から言う、ってことだよね。「心配いらない、大丈夫だよ」と。

だもんだから、


心配いらない、大丈夫だよ。



とか言ってみる。

こういうこと言っているからキザだと言われるんだよなぁ。でもそういう自分が好き。

今日の話、なんのこっちゃ。

それを僕は旅と呼ぶ

2010-05-05 18:06:04 | 日記
「旅」とはなんなのか?

恋人と非日常を過ごすこと。
恋人とでなくてもすてきな景色を見に行ったり、美味しい物を食べに行くこと。
それらが無くても日常の疲れを癒すこと。

観光をしたり、美味しいものを食べること、あるいは日常の疲れを癒すことが旅の条件なのであれば、少なくともこのゴールデンウィークの僕とドッピオ大先生の行動は旅じゃないね(笑)

始まりは先日、横浜でドッピオ先生と飲んでたときに「ゴールデンウィークどっか行こうぜ」という話。僕が言い出したくせにゴールデンウィーク前にドッピオから電話来て「どうする?」って言われたときに「え?なんの話だっけ?」と忘れてたんだけどね。

本当は僕の実家に行ってうまいもん食おうという予定だけだったんだけどちょうど仙台に居る僕らの先輩ジェダイ方がジェダイ評議会をしたいというので仙台にも行くことに。

12時にドッピオさんが迎えに来てくれる予定がドッピオさんの起床が12時15分前というあまりに予想通りの展開。

そこから僕の実家へ。

焼肉食ってもう動けません、という状態でなぜかうちのリビングでドッピオさんとスター・ウォーズエピソード4、5一気観して起きたら仙台へ。

なにがひどかったってさー、仙台の居酒屋での我々のうるささがひどかったよ。

最初隣の客うるさいなーと僕思っていたけど、そのうちこっちがうるさすぎてその人たち帰ったもん(笑)

話題はいつもどおりほんとーにくだらない。

35歳とか36歳のいい年したおっさんがさー「ああー!小公女セーラのオープニング曲が思いだせない!!」だの「スクール★ウォーズもスター・ウォーズも見てないならなにウォーズなら見てんだよ!」だの「この店ハイボールの濃さが毎回違う!」だの「イウォークの悪口言ったら3評論家の高橋ヨシキさん怒るよ」だの。

僕としてはYさんと「村上春樹は女性の邪悪さを描いている」っていう激論を交わせたのが楽しかったな。

帰り道もさー、ドッピオさんと車中で8時間「めんどくせー」だの「パスタ食いたい」だのずっとくだらない話。

ドッピオさんもずっと運転で疲れたろうけど僕だってずっと助手席でまー疲れたわ。

一般人にはこんなゴールデンウィークの過ごし方はお勧めしません。

でももし、気の合う仲間と気の合う人たちに会いに行くということを旅と呼んでいいならこれも旅と呼んでいいかもね。