浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ドラッグストア・カウボーイ

2009-06-30 18:44:47 | 日記
今年ももう半分が終わります。

うちの会社は6月は上期末だったわけですがまぁ僕にとってもタフな数ヶ月でした。

そのためか体調もよろしくない。

昔、ちょっとした性格診断みたいのを受けたことがあって、それは「ストレス耐性」が分かる。どれくらいストレスに強いか、ということね。
その診断結果によると僕はかなり強いほうなんだけど、それは「とても強いか、あるいはストレスが日常的になりすぎている可能性がある」という意味だそうで。

確かにそうかなぁ、と思うんだよね。

精神的には「まぁ別に大丈夫だろー」と思っているんだけど体が先に音を上げる。こういう人はやっぱり注意が必要だよね。考えてみれば去年入院したのだって気持ちとしてはまったくストレスないと思ってたけど先に内臓がつぶれたわけで。

よろしくないなぁ。

ふと気づくと最近「薬」をたくさん飲んでる。

子供の頃って「薬」なんてほとんど飲んだことがなかった。

記憶が定かではないんだけど、小学校の頃、学校で「肝油」の注文を取ってた気がする。肝油って未だになんだかよくわかんないんだけどまぁとりあえず甘くて美味しかった。それを注文したい人はこの紙書いて、みたいな感じで売ってたんじゃないかな??

あと、子供の頃、飲んだ薬といえばトローチ。これもあまかった覚えがあるね。

うちの実家って体調崩してもほとんど薬なんか飲まなかったし、風邪ひいたときには「ねてりゃ治る」って感じだった。

だいたいそんなに体調も崩さなかったし。

そうやって生きてきた男の子が30越えて最近はもう薬漬けですよ。

仕事用の鞄の中に入っている薬を見てみると。


まず、去年、潰瘍をやってから飲み続けてる薬。これは一日に錠剤を2粒×3回(毎食後)、とカプセルのやつ1錠。これは無いと辛いね。空腹時に胃が痛むんで。忘れたときにはドラッグストアに飛び込んで胃薬を仕入れることになる。

それから鼻水の薬。花粉症を引きずっちゃったみたいで鼻水とセキが出る。これはカプセルのやつを一日2回。

あと喉の薬。これはまぁ気がついたときに飲む、という程度なんだけど喋る仕事だから声が嗄れたりするからね。酒焼けって話もあるんだけど。

それから円形脱毛症にもなったのでその飲み薬と塗り薬。

で、まだ診察は受けてないけどどうも扁桃腺がはれているっぽい。もともと子供の頃から扁桃腺はよく腫れて熱が出るんだけど今も不穏な感じ。

もうなんだかがっかりしてくるなぁ。

本当の病人みたいじゃないか。

あ、病人なのか。

こんな話を会社でしてたら「もう帰れ」と言われて今日はもう帰宅。ベルサッサってやつですな。ベルが鳴ったらサッサと帰宅。


ってこんなん書くとかなり心配されそうだけど、元気なんです、基本的には。

それに健康一本槍でやってきた人は突然病気になったりするから、これくらいのほうがだましだましやってくわけでデカイ病気にならないと思う。

7月は色々遊ぶ予定あるからストレスを解消しようと思ってます。よろてぃくね。

He has gone to the Neverland.

2009-06-26 23:15:45 | 音楽
ほら、実話を基にした伝記映画ってあるじゃないですか。

ざっと思いつくだけでも「レイ(ジェイミー・フォックスがレイ・チャールズ役)」とか「アリ(ウィル・スミスがモハメド・アリ)」とか。

僕が無条件で「いい!」と思う映画の要素のひとつが「脈絡なく歌いだす」というのがあるんです。いや、たとえばステージシーンとかで脈絡があってもいいんだけど、理想はいきなり歌いだすのがいい。

「ブルースブラザーズ」でいきなりウェイトレス役のアリサ・フランクリンが「Think!」って歌いだしたりさ。「リトルショップ・オブ・ホラーズ」で歯医者役のスティーブ・マーチンが歌ってたりね

となるとさ、やっぱり「見たいなぁ」と思うのは音楽関係の伝記映画ですね。

フレディ・マーキュリーなんてそろそろ実際企画でてんじゃないの?とすら思うしね。

で、たぶん数年のうちには彼の映画も出来るんだろう。



たぶんタイトルは「KING OF POP」か「Black or White」、シンプルに「マイケル」でもいいか。

マイケル・ジャクソンがばりばり売れまくっていたのって僕らよりちょっと上の世代じゃないかな。白手袋して。

僕らが洋楽を聞き出したときには「えー、今更マイケル・ジャクソン?」って感じもなくは無かった。

でもね、今、聞くと特に「デンジャラス」以降ってかなりいいよ。

象徴的なエピソードがあって。

明石家さんまと糸井重里。

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(とにかくさんまは周囲の期待にこたえたい、という話に続いて)

さんま いや、それは、ほんとは、
期待に応えちゃダメなんですけどね。
もう、ぼちぼち年齢的にも。

糸井 いや、そこはだから、
笑いのおかげで、できてるともいえますよね。
二枚目でその期待されてたら
もっとキツいと思うんですよ。

さんま ああ、そりゃ、もちろん。はい。

糸井 二枚目でそういう状況だと、
マイケル・ジャクソンに
なっちゃうと思うんですよ。

さんま クワー(笑)。
いや、でも、あのね、
近いですよ、マイケル・ジャクソン。

一同 (爆笑)

さんま 近いです、近いです。かなり近いです。
あの、桁とか規模は大きく違いますけど、
かなりマイケル・ジャンクソンって‥‥。

糸井 近い?

さんま 近いと思いますよ。わかりますもん。
自分を追い込んでいってしまったんだろうとか。

糸井 マイケル・ジャクソンも、
マイケル・ジャクソンというシステムの中で
期待に応えてますよね。

さんま はい。
あの、遊園地作ったときにね、
ちらっと思いましたね。
ああ、この人ここに助けを求めたんだ、と。
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もし、マイケル・ジャクソンの伝記映画が出来るなら、深刻なシーンは一切なしにして、突然みんなが好き勝手に歌って踊りだす、ブルース・ブラザースみたいな映画にしてほしいなぁ。

それくらいの「助け」はあってもいいじゃないですか。

彼に「助け」はあったのかな?

多くの人が、ほんとに多くの人が彼に助けられたのは間違いないだろうけど。

Rest in peace.

くいしんぼう、という意味のパスタとシルクロードとCalamari

2009-06-23 21:40:43 | 食べ物
昔、大学の授業で「その文化と近いものは単語のバリエーションが多くなる」というのを習った。英語学概論かな?言語学特講かな?

たとえば日本語で「雪」というのはバリエーションが少なくて、色々言い表そうとするとそれに別の言葉をくっつけるしかない(概ね、ね)。たとえば雪+小さいで、「小雪」とか。

一方、イヌイットは雪の多い地方に住んでいるわけで、雪との関係が深い。だからイヌイットの言葉には「冬に降る雪」「積もった雪」「ぱらぱらと舞う雪」…というのなど色々な単語があるんだって。

日本でも「雨」を表す言葉は多いよね。「さみだれ」「つゆ」「こさめ」「しぐれ」「ゆうだち」…。

「同じ字を 雨雨雨と 雨て読み」って川柳もあるくらいでね。ちなみに読み方は「同じ字を アメ、サメ、ダレ、とグレて読み」だって。

やっぱ日本は雨が多いし、農耕民族も多かったから雨は文化に近かったんだろうな。

米もそう。コメ、ご飯、もち、と形を変える毎に単語が変わる。

イタリア語だと「パスタ」を表す言葉が多いんじゃないかな。

厳密に言うと日本でよく食べられている1.8mmくらいのパスタはスパゲティではなくて「スパゲッティーニ」なんだって。スパゲティは2.0mmくらい。

更に細いのは「カッペリーニ(=髪の毛)」、「カッペリーニ・ダンジェロ(=天使の髪の毛)」なんて言うんだよね、ほんとは。

だからざっとwikiっただけでも「スパゲティ」「スパゲッティーニ」「フェデリーニ」「リングイネ」「タリアテッレ」…などなど色々出てくる。これにマカロニだのラザニアだのニョッキだのもパスタとして加わってくるわけだからすごいよね。

今でこそ、「タリアテッレ」なんて日本でも一般的になったけど僕の子供の頃はそういうの全部「スパゲティ」でしたよ。そもそも「パスタ」じゃなくて「スパゲッティ」。ちっちゃい「ッ」を入れる感じね。



なんでこんなこと考えているかと言うと、こないだ、親戚の子供が高校入学が決まって少ないけどお祝い金渡したら内祝いとしてパスタとパスタソースもらったんです。

なんか代官山にある「イータリー」というイタリア食材店に行って来たみたい。

(ネットから)
イータリーというのはイタリアのトリノに本店があるスーパーなんですって。

もらったのに入ってたのが「パッパルデッレ」というパスタ。

調べてみると「タリアテッレ」よりも幅広で、その幅なんときし麺の倍。

「pappare」はイタリア語で「豪快に食べる」「食いしん坊」って意味だって。「-are」だから動詞のはずなのに「食いしん坊」という名詞になるのはなぜなのかしらん?最近、イタリア語さぼってるからなぁ。

パスタソースのほうはバジルソースとトマトソース。

こういうね、イタリア食材店で買う瓶に入った本格的なソースは圧倒的に美味しいの!そんなのわかってるの!

というわけでバジルソースを使ってツナとバジルのスパゲッティーニやトマトソースでカニ缶のスパゲッティーニを作って「Buono,Buono!」と食べてたわけです。

が、メインのパッパルデッレのほうはなかなかタイミングが無くて食べられないのね。やっぱこれくらいのしっかりしたパスタならちゃんと料理したいし。

たぶんこってこてのほうがパスタとよく絡んでいいんだろうなぁ。ということはローマ風本格カルボナーラ作ってみようかなん、でもそうなるとイタリアのチーズやハムも欲しいし、、と思って僕もイターリーに行ってきました。

代官山駅からすぐ。

テラス席があってほんとは天気がよければ最高なんだろうけどねぇー。

中に入るとイタリア直輸入のお菓子、いい小麦で作ったパン(そこで焼いてる)、パスタ(乾燥のと生のやつ)、瓶詰めのソース、チーズ、ハムなんかが並んでる。

もーう、どれも美味しそうでさー。

パンだのチーズだのが試食できるんでぱくぱく食べた。

やっぱパンがおいしいんだよね。

とりあえず生のラビオリ、チーズ、乾燥パスタ、パンなんかをゲット。

店内にはイートインスペースもあって、ワイン、パスタ、ピザなんかが食べられる。残念ながらおなか空きすぎてここに来る前に軽く食べちゃってたんで、ここではワインと生ハムくらいで勘弁してあげる。プラス一人200円でパンとオリーブオイル、水が頼み放題。パンをぎゅっとオリーブオイルにつけて食べたらこらもう美味しかったよ。「美味しいオリーブオイルってこんなに美味しいのか!」と目からウロコが落ちてテーブルに積もって払うのが大変だった。本当に新鮮な緑の味というか、自然の味というか。

買ってきた乾燥パスタはこんなの。

かなり大き目のもの。これ茹でて牛タンシチューなんかの添え物にしたらいいよね。袋には「Il pastaio di Gragnano」って書いてある。調べてみたら「Gragnanoにあるパスタ屋」って意味だって。そうか、これはブランド名だな。で、下にCalamariとある。えーっとCalamariってイカのことだよなぁ多分。イカが混ぜ込んであるのかしらん。

買ってきたラビオリは生なんですぐ晩御飯にする。

従姉妹にもらってあまってたトマトソースにツナを入れてソースにしてみた。パンもイータリーで買ったやつ。

たぶんラビオリと餃子って先祖一緒だよね。考えてみればパスタと中華麺も一緒な気がするし。シルクロードを渡ったのか、それともモンゴル帝国が広げたのか。。。もぐもぐ。

続いて次の日はCalamariと言うパスタをミートソースで食べてみる。

ミートソースは缶詰の。そのまま使うのも味気ないので冷凍しといたひき肉をオリーブオイルとニンニクで炒めてそれに混ぜてちょっと具だくさんにしてみました。このパスタはイカの味はしないよなぁ、あ、形がイカの輪切りに似てるからかな。。。もぐもぐ。

ぼろなき

2009-06-21 23:46:20 | 日記
イータリーというイタリア食材直輸入店が代官山にあるんです。

試食してるものも美味しくて。(今度、ちゃんと書きます。)

お勧めです。

ほいでその後、時間があったので「いけちゃんとぼく」を見てきました。

西原理恵子の漫画を原作とした映画ね。

あー泣いた泣いた。もし一人で自分の部屋でDVDとか見てたら号泣してるだろうね。もう前後不覚に泣いたと思う。

これねー、たとえば30年連れ添った夫妻とかが二人で見たら号泣するんだろうね。

お勧めです。

常設だって楽しめる。

2009-06-17 21:15:15 | 日記
僕の近所に上野公園があって、それはそれは楽しませていただいてます。

天気のいい日なんかはただぷらぷらしてるだけでもいいし、上野公園の入り口すぐのところにあるピザスタンドは安くて適当な屋台みたいなくせして注文受けてから焼くんで美味しいし。

あと、いいのはね、博物館、美術館があるんだよね。

国立科学博物館なんかは恐竜関係だの科学関係あって楽しい。

それからね、美術館。

ここでは結構色んなイベントがやっていて楽しい。ぱっと「そういえば行ったな」と思うだけでもマティス展、葛飾北斎展、フィラデルフィア美術館展、と挙げられる。

もともとさー、美術品なんてーものに関心のある繊細な人間ではねーんでげすがそれでもぷらっと行ったときにそんなイベントがやってて、そんなにお客さんもいないから「ま、入ってみるか」と入ってみるといいんだよね~。

で、先週末で終わってしまったんだけど「ルーブル美術館展」をやってました。

「ふーん、ルーブルかー、こないだのフィラデルフィア博物館展もえがったしなぁ」と思ったら、行きたい言う人がいたんで行ってみた。

かるーい気持ちで日曜の午後に上野公園行っていつもどおりピザ食ってから行ってみたんだけどなんと120分待ち!スプラッシュマウンテンかよちがいますか。

同じ美術館展だったフィラデルフィア美術館の場合は待ち時間なんて無くてピカソの絵でもちょっと待てば独り占め、っていう状態だったからびっくりしちゃってさー。

80分並ぶ、ってなったら僕は絶対にあきらめるけど、同行者がどうしてもというので並んでみたものの、30分くらい経ってその子がぐったりしてきたので「あきらめましょう」ということであきらめて、平日に再チャレンジ。

で、金曜の19時に行ってみてもやっぱり80分待ち。あのね20時閉館なのね。80分並んでたらベトナム行く前に戦争終わっちまうぞ!byハートマン軍曹


チケットは前回買っちゃってたんでそれももったいないから「じゃあ、常設展見ようよ」ということで初めて上野西洋美術館の常設展へ。

常設展というのはイベントとは違い、まぁいつでも見れまっせ、というもの。だいたいイベントのチケット買うと常設展も見られる。



あー、説明長いな、今回。


で、常設展を見てきたわけですが、これがたいへん興味深い。

まず入り口入ると14-16世紀の絵画コーナー。

だいたいこの時代は宗教画が多いね。

好きだったのは「聖アントニウスの誘惑」

修道士の聖人となってる聖アントニウスが悪魔の誘惑に耐える様子を描いたものだけど、悪魔があの手この手で誘惑しようとしている様子が面白い。

そこから年代が上がっていくわけだけどなんと言っても「おお!」と思うのは(僕は)現代美術のコーナー。

特にピカソだね~。ほんと元気になってくるよ。

【男と女】

最近、思うけど僕はあんまり印象派が好きではないんだなぁ。なんか見ててもわくわくしてこない。


その後、アメ横でモツ焼きを食べながら同行した人と話してて、「絵を見るときどういう視点で見てるんですか?」と聞かれたけど、まぁ視点なんてーものはないでげすね。

見たまま思ってる。

「あー、黄色が目立つなぁ」とか「でかいなぁ」とか。

すごく好きなのはあまり人がいない美術館で、その絵の前に立ち、近づいたりぎりぎりまで離れたりしてみるの。

なんだか「自分のもの」って感じになっていいよ。

ってそう考えてると120分も並んでぎゅうぎゅう詰めにならないと見られないルーブル展よりこっちのほうが楽しい。

ローマ人列伝:ネロ伝 6

2009-06-14 15:43:52 | ローマ人列伝
ネロがローマ大火の真犯人と言う濡れ衣を着せたのは当時まだユダヤ教の新興一派だったキリスト教徒でした。

彼は非常に極端な解決策を取ります。

まずは目立ったキリスト教徒を捕らえ、そこから芋づる式にキリスト教徒を捕らえ続けます。捕らわれた場合には裁判は起こせず問答無用で死刑。

このキリスト教徒弾圧により、ネロの名は長く「キリスト教徒の敵」として知られます。新約聖書「ヨハネ黙示録」で「獣の数字」として知られる「666」はネロのことを示しているとされています。

この弾圧により殺されたキリスト教徒の一人がイエス・キリストの弟子たちのリーダー、ペトロ。

彼は逆さ十字の刑により殺されたと伝えられています。彼の死んだローマの郊外には後にヴァチカン市国が作られ、彼の名を取ったサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂が建築されています。ちなみにロシアの都市、サンクトペテルブルクも彼の名から。

多くのキリスト教徒の断末魔を聞きながらも太り続けるネロ。

(こんな絵画も残っています。ぜひ大きい画像でどうぞ⇒こちら

残念ながらこのキリスト教徒弾圧は「ローマ大火の真犯人をなすりつける」という本来の目的を果たすことは出来ず、むしろ異教徒とはいえ罪の無いキリスト教徒への残酷な仕打ちによりローマ市民のネロの評判は更に下がる一方でした。

「こんなはずではない」とネロも思ったことでしょう。彼の精神は少しずつ崩れ、そしてその決定打となる出来事が起こります。

反ネロ派によるクーデターの計画が露見したのです。もっとも彼の精神を蝕んだのはクーデターの計画自体ではありませんでした。なんとそのクーデター協力者の名の中に古くからの側近、今では政界を引退し学問の世界に生きているはずのセネカの名があったことです。

もしかするとセネカの名は自分が助かりたいばかりに他の犯人があてずっぽうで出しただけかも知れません。しかしそんなことは関係ありません。幼い頃から自分の家庭教師として、皇帝即位後は一番の側近となった師すらいまや自分の敵。ネロの精神が崩壊するにはその疑惑だけで十分でした。

彼はセネカに自害を命じます。当のセネカ、弁明どころかネロに対する言葉ひとつ残さずこの世を去ります。

残ったのはこのようなローマ市民の揶揄の言葉です。

「弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込んだネロにとって、あと残った殺す相手は師だけだろう」

不幸は続きます。待ち望んでいた妻ポッペアとの間に生まれた女子は1歳になるのを待たずに死亡、続いて妻ポッペア自身も病によりこの世を去ります。

これでネロは愛した人をすべて失いました。今のネロにとって身の回りすべては敵。

彼のナイーブな性格は裏返り単なる残虐さだけが表われます。

猜疑心の塊となった彼は少しでも彼に逆らうものを次々と殺していきます。

そして皇帝ネロの名は地に堕ちました。



堕ちた皇帝、どんな時代も最高権力者が落ちればその地位を狙うものが生まれます。

もしアウグストゥスが巧妙に仕掛けた「皇帝の血統」という「ルール」が生きていれば血統を持たない者が皇帝の座を狙うことは無かったかも知れません。

しかしこの「皇帝の血統」というルールを自ら捨て去っていたのはネロ自身でした。

彼は皇帝につながる血筋を2つ持っていました。ひとつは初代皇帝のひ孫に当たる母アグリッピナ。そしてもうひとつは第四代皇帝の娘に当たる妻オクタヴィア。

どうあれ彼は「初代皇帝のやしゃ孫であり、第四代皇帝の娘婿」であるから皇帝になる資格があったのです。

その正統性を彼は自ら母殺し、妻殺しによって失います。

彼は自らの力を過信し「自分が皇帝であるのは血筋によるものではない。そもそも過去の皇帝も血筋でなったものではないではないか。自分が皇帝であるのは『実力』によるものだ」ということを行動を持ってローマ市民に伝えたのです。

間違いではないのかも知れません。アウグストゥスが巧妙に作った皇帝システムのベールを剥いだだけなのかも知れません。

しかしこれは逆に皇帝であるネロの首を絞めることになります。

つまり、「血統が無くても実力があれば皇帝になれる」ということだからです。


これを利用したのが辺境にいたガルバという軍人。

既に60歳になっていましたが名家の出身で若い頃は初代皇帝アウグストゥス、第二代ティベリウスに才能を認められた男です。

彼は軍団を従え、ネロの処刑と自らの皇帝就任を要求しローマ本国へと攻め入ります。

ガルバ反乱を聞いたネロと元老院、早速ガルバを「国家の敵」と任命し、討伐部隊を差し向けることを計画します。

しかし、元老院にはひとつのトラウマがありました。それは約100年前、同じくガリアからルビコンを越えローマに攻め入った一人の英雄のこと。そう、紛れもないユリウス・カエサルのことです。辺境の軍勢がローマ本国を目指し進軍するのは彼によるもの以来。

ガルバ軍の蹄の音がローマに近づくにつれ元老院に動揺が走ります。が、老練な元老院、きわめて冷静に状況を確認します。

100年前のユリウス・カエサルは元老院を敵としてローマに攻め入りました。結果、元老院主導の共和政は終わり、皇帝を中心とする帝政が始まりました。

一方、今回はどうでしょう? 

ガルバは元老院を敵とみなしているわけではありません。あくまでガルバの要求はネロの退任と自身の皇帝就任。ネロに替わりガルバが皇帝になったところで元老院にとって何か不都合があるでしょうか?

元老院全員、翻って皇帝ネロを見つめます。

考えてみればネロは力を認められて皇帝になった男ではありません。あくまで母アグリッピナの策略の「皇帝家の血統」によるもの。その血統もネロ自身が母殺しという方法で断ち切っていました。『実力』が優れるものが皇帝になることに何の問題があるでしょう。

今、明らかに『実力』を持っているのは、軍備の無いローマにいる皇帝ネロよりも、国境を守る屈強な軍団を従えたガルバ。

元老院はガルバを選択します。

ガルバに対する「国家の敵」宣言を取り消し、返す刀で現皇帝ネロを「国家の敵」とします。

結果、ネロはローマを追われ、逃亡の地で自害することとなります。

ネロの最後の言葉は

「これで一人の芸術家が死ぬ」

だったと伝えられています。享年31歳。



ここにユリウス・カエサルから続いた皇帝の血統「ユリウス・クラウディウス朝」は終焉を迎えます。初代皇帝アウグストゥスの共和制復帰宣言、事実上の皇帝就任から95年後のことでした。

以後、皇帝の座を血統ではなく実力で争い1年間で4人の皇帝が交代し、後に「四皇帝の一年」と呼ばれる一年が始まりますが、それはまた別の話。



「国家の敵」ネロの遺体は歴代皇帝の墓である皇帝廟に埋葬されることは許されず、彼の乳母と一人の女性によって広場の片隅に埋葬されます。その女性は生涯、ネロの墓に花をささげ続けたと言います。

しかし、ネロの墓は到底彼女一人がささげたとは思えないほどの花が常にあふれていたそうです。その花をささげたのは他ならぬローマ市民でした。

確かにネロの最後の称号は「国家の敵」でした。確かに彼は義理の弟を殺し、母を殺し、妻を殺し、師を殺し、多くの罪無きキリスト教徒を殺しました。それは許されるべきことではありません。

が、一人の友人としては決して悪い人間ではなかったのでしょう。事実、若き日、彼には多くの友人がいました。市民にとっても決して悪政を行った皇帝ではありません。どちらかと言えば善政でしたし、たまに市民が思いもつかないような愉快なことを行う若者でした。

もし彼の母が皇帝の血統でなければ、彼は愉快な若者として、もしかしたら本当に彼が望んだとおり一人の芸術家として生涯を終えたのかも知れません。

悲しい人でした。

しかし小さいけれど救いは一つだけあります。

最後に、そしてささやかに。

彼の乳母と共に彼の遺体を広場に埋葬した一人の女性。生涯、ネロの墓に花を捧げ続けた女性。




その女性の名はアクテ。皇帝ネロの初恋の女性。




<ネロ伝 完>

ローマ人列伝:ネロ伝 5

2009-06-13 00:56:23 | ローマ人列伝
多くの人は何かを失ったとき、後悔し、反省します。そのたびごとに「今度そんなことがないようにしよう」と決意します。

イギリスの画家ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスによる絵画。

タイトルは「Il rimorso dell'imperatore Nerone dopo l'assassinio di sua madre」。直訳すると「母の暗殺後の皇帝ネロの後悔」。

さて、皆さん、この絵を見てどう思われますか?

後悔し、反省し、何かを決意している姿に見えるでしょうか?

正直、僕にはこの表情からは「あー、めんどくせ」という気持ちしか伝わってきません。そしてその奥底にあるのはおそらく「僕のせいじゃない」という気持ち。

まぁ、ネロの死後1800年も経った後の絵画ですから真実を映しているとはいいがたいですが。

ネロによる母殺しは側近セネカとブルスによって「アグリッピナによる国家反逆罪に対する処刑」と(形式上)されました。こんなあからさまな工作に気づかぬローマ市民と元老院ではありませんが、ひとまずはそれを信じたフリはしました。そもそもアグリッピナは人気がありませんでしたし、皇帝ネロの政治は決して悪いものではなかったからです。それが側近セネカとブルスの力によるものだとしても。

この時点で皇帝ネロは幸福でした。

しかし、多くの場合、幸福は内から崩れていくものなのです。

まず、ネロの精神が壊れかけました。毎晩、亡き母の亡霊を見ることになります。見えぬ悪夢に悩まされる人に人はなんとアドバイスするでしょうか?

少なくない人が「君は疲れすぎているのかも知れない。仕事のことは忘れてゆっくりと趣味でも楽しめばいいじゃないか」とでも声をかけるのではないでしょうか。

ネロにもそのような言葉をかけてくれた友人がいたのかも知れません。以降、彼は彼本来の趣味、ギリシア文化への傾倒、特に詩と歌に没頭することになります。

前代未聞の皇帝によるコンサートが行われた記録もあります。

この時代のネロにはいくつかジョークとも思える出来事が記されています。

歌好きのネロ、コロッセオで独唱会を開催しました。1度目は運悪く歌の途中で地震が起こり観衆が外に出てしまったため、2度目は歌の間、外に出ることを禁じました。あまりにも長い歌だったため途中、出産してしまった女性もいたという記録が残っています。

また、ギリシャ好きのネロはギリシャのオリンピア祭(つまりオリンピック)に出場、1800もの種目で一位を獲得します。中にはネロが出場していないにも関わらずネロが優勝していたものもありました。このギリシャ行きをネロは「遠征」と捉え帰還の際には凱旋式まで行いました。更にはオリンピア祭に対抗するべくローマン・オリンピックとも言うべき体育大会をローマで主催し、当然、自らも出場します。「今回は正々堂々戦う」と。

古株のローマ元老院議員は眉をひそめますが、とはいえそれによりネロの精神は少しだけ平安を取り戻します。

そしてネロの容姿も崩れました。皇帝に即位した若い頃、ネロは精悍な青年でした。圧倒的に美少年だったと言われているアウグストゥス(見た目はハゲでもモテたのはカエサルのほうですが)の血と、肉体的美貌を備えたアグリッパの血を引いた若者なのですからそれも当然かも知れません。
しかし、年を重ねるにつれその精悍さは陰を潜めていきます。彼は年々太りだします。特に首の下の肉がたまり、それを隠すためひげを生やすようになりました。

(歴代の皇帝はひげを剃っているのがマナーでした。皇帝がひげを生やすようになるのは五賢帝以降)

そして次に側近が崩れて行きます。まず軍事を一手に担っていたブルスの死、続いて政治担当だったセネカの政界引退。

これでネロにブレーキをかける人間はいなくなりました。

お目付け役がいなくなったネロ、次々と自分がやりたかったことを行います。

まずポッペアとの結婚。母を殺してまで結婚したかった最愛の人ポッペアですが母の死の後すぐに離婚、結婚ではさすがにローマ市民がどう思うか分からないのでおそらくセネカに止められていたのでしょう。今まで結婚はしていませんでした。
しかしそのセネカはもう居ません。望みどおり、まずは妻オクタヴィアと離婚しポッペアと結婚します。

市民からの人気があったオクタヴィア、彼女との離婚のニュースにローマ市民は離婚反対のデモを行います。ネロはこの市民の反対に恐れをなします。

ここでも、ネロの解決策は極端で短絡的でした。罪をでっち上げ前妻オクタヴィアを流刑にし、そして彼女を死刑にしたのです。

この出来事は単にネロに「妻殺し」の悪名が増えただけではありません。

ネロは自分が「実力」によって皇帝になったのだと勘違いしていました。しかしそれは違うのです。皇帝を任命するのはローマ市民と元老院、彼らはあくまで「アウグストゥスの血統」によって皇帝を決めていたのです。アウグストゥスの血統を持つ母アグリッピナは既に居ません。更にネロは前皇帝クラウディウスの血統を持つオクタヴィアまで手放してしまったのです。

これは後に「アウグストゥスの血統でなくても皇帝になれる」という解釈を生む一因となります。

この爆弾をネロ自らが作ったことにネロは気づいていませんでした。




これほどのことを行ったネロですが、ローマ市民はまだあたたかい目で見ていました。それはローマ市民が求めていたものは「パン(食料)」と「サーカス(娯楽)」だったから。なんであれ自分たちのローマを安全に保ってくれ、食料をくれ、楽しませてくれる皇帝であればよかったのです。幸運なことにローマ周辺では大きな戦争も起きてはいませんでした。だからむしろ市民は「今度の皇帝はずいぶん愉快なことをやってくれるじゃないか」と好意的に取っていたのです。

ただ単に幸運だっただけでなく優良な政策もずいぶん打ったという記録もあります。

このときがネロとローマにとって最も幸福な時代だったのかも知れません。


しかしあるとき、ローマ市内で大火事が起こります。出火の原因は不明ですが、都市区を焼き尽くす大火事だったそうです。


この時もネロは延焼を防ぐべく火の方向の建物を迅速に壊し、食料を配給し、家を失った人に寝場所を確保するなど皇帝として出来る限りのことを行います。

大火が収まったあと、ネロはローマ復興のため焼け落ちた土地に市民のための憩いの場を建設することを計画します。

ローマ市内に広大な緑の公園を造ろうと計画したのです。

これだけであれば皇帝ネロの名を上げこそすれ、非難されるような対応ではありません。

しかしここで、ネロの欠点のひとつが明らかになります。

ネロは市民に向けてこう宣言しました。

「ローマ大火で被害を受けた跡地に『ドムス・アウレア』を建築する。」

『ドムス』というのは『私邸』、『アウレア』は『黄金の』という意味。つまり『黄金邸』。

当時、権力者が自身の私邸を市民に開放することは通常行われていることでした。それらは権力者による社会貢献の意味もありました。

しかし、このときのネロの言葉は市民にとって「ローマ大火跡地を自分のものとする」という宣言にしか聞こえませんでした。

ネロはただ単に純粋に市民のために緑の公園を提供したかっただけなのです。しかし、それならば「市民のための公園を建築する」とだけ言えばよかったのです。

ネロに欠けていたもの。それは「自らの言動が相手からどう取られるか」という『配慮』でした。

何をやっても市民からの人気につながったカエサル、何をやるにしても市民と元老院の批判が生まれないよう考え抜いてやったアウグストゥス、市民のために何でもやったが人気だけのためには何もしなかったティベリウス、自分のやりたいことしかやらなかったカリグラ、何をやっても人気にはつながらなかったクラウディウス、、、歴代の皇帝と比べると非常に興味深いところです。

この一件でローマ市民は「ネロは私邸を建てようとしている」と思い込みます。更に噂に尾ひれがつき「あの大火事は合法的に土地を手に入れるためにネロが起こしたものだった」とまで発展。最後には「大火の時、公邸の窓から大火に向けて満足げな笑顔で竪琴を弾いている姿を見た」とまで言うものまで現れます。

一度、評判が落ちてしまえば市民がネロを攻撃する理由はいくつもあります。母殺し、妻殺し、凱旋式の私有化、コロッセオでの独唱会、、、今まで「ネロは愉快なやつだ」と笑っていた市民のネロを見る目は冷たいものとなります。

ネロはナイーブでデリケートな人間でした。市民の噂と冷たい目を「だからなんだ」と気にせず生きることの出来ない人間です。

追い込まれたとき彼が取る方法は常に短絡的な解決策。

彼に必要なのは噂を打ち消すためのローマ大火の犯人です。真実などどうでも良いのです。母アグリッピナは策略により自らの地位を獲得しました。ネロの皇帝の座も正式な継承理由などありません。自らの母殺しですら「国家反逆罪」と理由をでっち上げてうまく行ったのです。ネロには火事の真犯人を探すつもりはありませんでした。必要なのはただ犯人とでっち上げられる人間でした。

そのネロに耳打ちした人間がいたのでしょう。

「最近、ローマにあやしげな団体が増えてきている。市民も彼らを気味悪がっている」と。

それはローマ第二代皇帝ティベリウスの時代に十字架刑にされた男を崇める人々でした。




…to be continued...

ローマ人列伝:ネロ伝 4

2009-06-11 21:28:24 | ローマ人列伝
カカが行った、と思ったらC・ロナウドも取りますか。お金あるね~、レアル。

えーっとなんの話でしたっけ?

あ、そうそう、ネロの話ね。


好きになれない妻オクタヴィア、付き合うなら結婚してくれというポッペア、とにかくうるさい母アグリッピナに囲まれてネロは悩みます。

そして側近であったセネカ、ブルスに相談することも出来ずに彼が決意した『短絡的な解決策』とは。

まずネロは母アグリッピナに丁重に謝罪を述べ、和解します。更には周囲のものに「どんな母であれ母だから」と和解をおおっぴらに宣伝します。
そしてその陰で少年時代の体育教師であった解放奴隷アニケトスに近づきます。彼はそのとき、海軍基地の長官を務めていました。彼は長年に渡りネロの友人ではありましたが、彼を軽んじたアグリッピナには怨念を持っていました。

ネロはアニケトスに一隻の小舟の作成を命じます。その舟は密かに簡単に沈没するような仕掛けがなされていました。

そしてある夜、ネロはナポリ近くにある別邸に和解の証として母アグリッピナを招きました。美しい星空の下、母子は和解の宴を楽しみ、ネロは海沿いの家に戻る母を抱擁した後、舟に乗り込む彼女を見送りました。

もちろんその舟とはすぐ沈む仕掛けをしてある舟。沖に出た舟は仕掛けが作動しすぐに沈没しました。

すべては予定通りでした。


予定通りではなかったことはたった2つだけ。

ひとつはその日は風の無い穏やかな日で波ひとつ立たなかったこと、そしてもうひとつはネロも知らなかったのですが、アグリッピナは皇帝カリグラの時代に流罪となったヴェントーテネ島(『強風の』という意味)で一年間、水泳を趣味として過ごしたために泳ぎの達人だったこと。


(ヴェントーテネ島。ラツィオ州ラティーナ県にあるんですって。写真だとバカンス地みたいですが、ローマ時代では流刑地だったようです)

夜の海とは言え波の無い海、アグリッピナは舟が沈没するとすぐに泳ぎだしまもなく夜の漁をしていた漁師に助けられ、自分が皇帝の母であることを告げ難なく岸に戻ります。

アグリッピナはネロの陰謀に気づいていませんでした。ただ、息子に手紙を送りました。

「運悪く舟が沈没したが私は少し傷を負っただけで無事だから心配をしないように」

と。


早馬の蹄の音を「暗殺成功」の報せかと思っていたネロは思いも寄らず、それが母からの手紙であることを知ると一気に血の気がひきます。

そして手紙の文面に更に恐れをなします。あえてネロへの批判を書かないことによって、冷酷な宣戦布告と受け取ったのです。

ネロはこの一連の計画を打ち明けていなかったセネカとブルスに打ち明けます。もうなりふりはかまっていられず、彼の相談相手はこの2人しかいませんでした。

ネロの計画、そして失敗を聞いた側近2名は長い間言葉を失いました。

沈黙の後、アグリッピナがすべてを知ったこと、そしてアグリッピナの性格からこれから何もおきない、というわけがないであろうこと、ならばここでアグリッピナを殺すしかないだろう、ということで3人の意見は一致しました。

まずアグリッピナの手紙を持ってきた使者が剣を携えていたことから(夜半に皇帝の母からの手紙を運んで来たわけですから自衛のため当たり前の装備なんですが)「アグリッピナの命令で皇帝を殺そうとした」と言う罪を着せ、問答無用で斬首に処します。

追って舟沈没作戦を行ったアニケトスに失敗を償わせるべく、数名の部下を率いさせアグリッピナの家に向かわせました。

寝室に侵入してきたアニケトスを見てもアグリッピナは寝床から起きること無く「息子からの見舞いならば心配ないと伝えよ」とだけ言い放ちました。

しかし武器を手にしたアニケトスと部下が寝床を囲んだとき、アグリッピナはすべてが終わったことを悟りました。

そして、息子ネロが本当に『乳離れ』したことを知ったのです。


彼女が「殺すならネロが宿ったここを指せ」と腹部を指し示すや否や全身に剣が刺さりました。

皇帝ネロの母離れは「母殺し」という極端で短絡的な方法でしか成し得なかったのです。


(若き皇帝ネロとその母アグリッピナが彫られたコイン)

ここに、ローマ最高の忠臣であるアグリッパの名を継いだ女の命が終わりました。未だにローマ帝国史上最高の忠臣として名を残すアグリッパに対し、『アグリッピナ』は悪女の代名詞となり、以後、歴史にその名が挙がることはありません。

残されたアグリッパの血統は皇帝ネロのみ。

そしてまた、そのネロの名も末代まで悪名として残ることとなります。もうひとつの極端で短絡的な解決策によって。


…to be continued...

ローマ人列伝:ネロ伝 3

2009-06-10 23:08:02 | ローマ人列伝
ネロは本質的にはナイーブでデリケートな人間でした。心も決して強い人間ではありませんでした。

そもそも彼は非常にデリケートな男、アウグストゥスの血をひいているのです。(非常にタフな男アグリッパの血もひいてはいますが、それはアグリッピナという女性を通して、というのも興味深いのですが) ネロは基本的には繊細でデリケートな男だったのでしょう。

友人たちと街で騒ぐことも好みましたが、彼が最も愛したものはギリシャ芸術です。決して知性も劣っていたわけではありません、いやむしろ当時のローマ人の中では高いほうだったはず。

そういう人間は物事を即断即決するタイプではありません。が、しかし、追い詰められて危機になったときにパニックに陥り最も極端な、『短絡的な解決策』に走ってしまうこともあるタイプです。

セネカ、ブルスの力を借りて当初は決して悪帝ではなかった皇帝ネロの名。しかし後にその名を地に落とすことになるいくつかの事件はすべてそんな彼の「短絡的な解決策」によるものでした。

残念ながらアクテとの初恋は母アグリッピナの猛反対により終わっていました。アクテとの恋は異母弟ブリタニクスの死、いや、ネロによる暗殺という犠牲すら伴っているものでした。

しかし、若き男性の恋心はそんな犠牲でおさまるものではありません。20歳になったネロ、彼は新たな女性に恋をしていました。

名をポッペア。アクテと違い身分もそれなりの女性でした。美貌も名高く明るく聡明でした。

もちろんネロには妻がいます。いわずと知れたオクタヴィア。母により政略結婚させられた前皇帝の実娘です。しかしネロはオクタヴィアを愛することが出来ませんでした。それは決して母に強引にさせられた政略結婚だからというわけではなく偏におとなしく地味なオクタヴィアの性格によるものです。

ポッペアはオクタヴィアとは違っていました。明るく、聡明で、しかも血統も申し分ない。そして、何よりも地位と名誉が好きでした。そう、アグリッピナのように。

ここで陳腐ながら「男は母に似た女性を求める」という言葉を思い出さずにいられません。

ネロは彼女に恋に落ちます。

しかし、ポッペアとの付き合いにはいくつか障害がありました。

まず彼女には夫がいました。ネロの友人でもある軍人オトーです。

皇帝ネロにとってこの障害の排除の仕方は簡単です。早速、軍部に手を回しオトーを遠い属州の担当にと配置換えをしました。
(この出来事は遊び人だったオトーの性格を変え、以降、彼は軍人として職務に励むこととなります。結果、皇帝の座を狙い『四皇帝の一年』と呼ばれる年の主役の一人になることになりますが、それはまた別の話。)


(オトー)

これで障害が消えたと考えたネロ、ポッペアに愛人になるよう迫ります。

そうです、彼女に夫がいる、という障害以上にネロにも妻がいるのです。

ネロからの求愛にポッペアは承知しませんでした。彼を愛していなかったからでも、今は辺境の軍人となった夫を愛していたからでもありません。アグリッピナに似て野心のあった彼女は「皇帝の愛人」という2番目の立場には納得がいかなかったのです。

困り果てたネロはオクタヴィアとの離婚を画策します。これに猛反対を示したのがはい、当然、母アグリッピナ。

母アグリッピナにしてみれば「可愛そうなオクタヴィア」は自らの人気を維持するための重要なカード。更には息子ネロが前皇帝の娘と結婚している、という事実はネロが正当な皇位継承者である証明でもあったのです。

もしネロとオクタヴィアが離婚などしようものならオクタヴィアは単なる「可愛いオクタヴィア」となりどこかの貴族と結婚し、自分にとっては何の意味も持たなくなるでしょう。そして皇帝ネロの地位も危うくなります。アグリッピナは前皇帝の妃とは言え、今ある彼女の地位はすべて『現皇帝の母』というもの。もし万万が一ネロが皇帝で無くなれば彼女は単なる女性です。

更にはネロがポッペアと結婚しようものなら。

アグリッピナは既にポッペアの性格を見抜いていたのかも知れません。ポッペアはネロと共に邪魔者、つまり自分を追い落とすでしょう。

自分の半生をかけて勝ち得た「皇帝の母」の座をむざむざ渡すわけにはいきません。アグリッピナは強く反対します。

現妻との離婚したいネロ、そして自分との結婚をせがむポッペア、顔をあわせれば強く叱責してくる母アグリッピナ。

デリケートなネロが選んだ解決策は最も極端で短絡的なものでした。


…to be continued...

ローマ人列伝:ネロ伝 2

2009-06-09 23:04:41 | ローマ人列伝
ネロの母に対する始めての反抗、それはネロの初恋から始まりました。

ネロの妻は母に強引に結婚させられたオクタヴィア。しかし彼女のことをネロは気に入りませんでした。もともとネロは単なる兄ちゃん、友人たちも皇族よりも若い兵士たちや身分の高くない平民ばかり。そんな彼が見初めたのはアクテと言う女性。皇室育ちでおとなしいオクタヴィアに比べ、彼女は街中で一緒に楽しめるような明るく、心安らぐ女性でした。

普通であれば母の策略によって結婚したオクタヴィアを別れアクテと結婚すればいいだけの話でしょう。しかしそううまくは進みません。問題は二人の身分。

ネロは既に大ローマ帝国の皇帝でした。もしアクテがどこぞの元老院議員の娘などであれば話は簡単でした。しかし、残念ながら彼女の出自は違いました。彼女は解放奴隷だったのです。解放奴隷というのは元々は辺境の蛮族の出身でローマ人の奴隷だった人々が、雇い主の恩赦あるいは金によって解放された奴隷あるいはその子孫のことを言います。

一応、ローマ市民権は持っているものの、皇帝の交際相手として適切ではありません。

この2人の恋を知った母アグリッピナは烈火のごとく怒り、ネロを呼び寄せ強く叱責します。曰く「お前が皇帝になれたのはだれのおかげか!?」 ネロを強く叱り、更には相手アクテの身分を厳しい軽蔑の言葉を投げました。

常に母の言うことを聞き、そのとおりにしてきたネロ、母からの叱責は生まれて初めてのこと。加えて自分の愛した女性にいくつもの軽蔑の言葉を投げかけられたことによってネロはネロ自身も母から軽蔑されたように思ったのです。

以後、ネロは母との関係性において非常に屈折した複雑な感情をいだくようになります。

(余談ですが現代心理学上の仮説のひとつにこのアグリッピナの名を冠した「アグリッピナ・コンプレックス」というものがあります。)

残念ながらネロは普通の男として母離れが出来ぬまま皇帝となりました。それはネロのせいではないのかも知れません。恋愛ひとつにしても母アグリッピナから離れることが出来ないまま皇帝になりました。

それまでネロは何も考えず母の言うとおりに生きてきました。しかし、ここでネロは母からの自立をしなければいけません。

通常の母子関係であれば話はもっと簡単だったのかも知れません。

しかし、相手である母は自分を皇帝に仕立て上げた張本人、更にはローマ帝国におけるアウグスタという女性においては最高の称号を持った女性です。

この複雑な状況にネロの相談相手はセネカとブルスしかいませんでした。


(アグリッピナについて話し合うネロとセネカの像。是非、大きい画像でどうぞ。⇒こちら

ネロから相談を受けたセネカとブルスは積極的にネロに協力しました。2人にとってみればアグリッピナはこの身分に引き上げた恩人のはず。彼らの心中は分かりません。良く捉えるのであれば自分たちの仕えるべきは皇帝ネロであり、若き皇帝の自立のために協力したのか。悪く捉えるのであれば彼ら2人もアグリッピナの横暴に辟易としていたのか。

とにかくネロと2人の側近はこれ以降、アグリッピナを公職から遠ざけるよう画策します。

血統が良く、更には聡明、権力もある、何でも自分の思い通りに行くと思っている、そして事実、自分の思うような地位を自らの力で手に入れてきた女性が最も嫌うこと、それは「無視」です。そしてそういう女性は「無視された」という事実の前に、「無視しようとしている」という気配に敏感に反応するものです。

彼らの気配を感じ取ったアグリッピナは更にネロを厳しく叱責します。こうなればアグリッピナは止まりません。ネロに対して「お前など産むのではなかった。ましてや皇帝に据えるのではなかった。皇帝候補ならば前皇帝クラウディウスの実子ブリタニクスのほうがよっぽど役に立つ!」とまで言い放ちます。

本来ならば皇帝継承順第一位のブリタニクス、彼は前皇帝クラウディウスの実の子でした。皇帝になれなかったのは偏に自分の子供ネロを皇帝にしたがったアグリッピナの策略によるもの。

性格もおとなしく身体も弱かったブリタニクスは皇帝ネロの即位を決して恨んではいなかったかも知れません。もともと野心の無い者は猜疑心も少ないものです。

一方、ネロには母親譲りの野心と猜疑心がありました。そしてアグリッピナの行動力を誰よりも知っていました。ここでネロに生まれた感情は相反する2つ。

ひとつは憎しみ。母アグリッピナならば自分を殺し再度ブリタニクスを擁立する可能性もゼロではない、いや、そうに違いない。もしそうなればアグリッピナは既に自分にとって敵だ、という憎しみ。

もしそれだけであれば彼はただアグリッピナを遠ざけただけでしょう。しかしネロにはもうひとつの感情がありました。母アグリッピナは自分の行動を制限する疎ましい存在、、だがしかし、自分はアグリッピナの愛に育てられ、愛ゆえに(それがアグリッピナの自己愛だとしても)皇帝になれた。その愛をもしかしたら彼女はブリタニクスに向けるかも知れない。という歪んだ愛情。

憎しみと愛情、感情は相反していますが結局のところその向かう先は一緒です。

ここで哀れなブリタニクスの運命は決まります。

ある日、ネロを含めた皇帝一家が食事の最中、ブリタニクスは腹痛を訴え倒れます。そしてそれが原因で帰らぬ人となります。もちろん、毒をもったのはネロでした。


アグリッピナがブリタニクス擁立を本気で考えていたかどうかは分かりません。ただブリタニクスの死が決して自然死でないことには気づきました。更にはそれがネロによるものであることも。もはやネロが自分の操り人形ではないことをアグリッピナは知ります。アグリッピナは強い女性でした。ネロが自分から権力を奪っていくのであれば自分の身は自分で守る、とばかりに猛反撃に出ます。

まず物を言うのは資金。アグリッピナは私財を転売し資金を確保します。

そして次に自分の身を守る武力。蓄えた資金をライン河付近の殖民都市に寄付しそこにいる軍団を味方につけます。

三つ目に人気。彼女は市民から彼女自身の人気が無いことは重々承知していました。その人気を補うのために、皇帝ネロにないがしろにされ市民から同情を集めていた若妻オクタヴィアに接近します。


ネロはネロで母の動きを察知しつつ、少しずつ母の権力を奪って行きます。

この母子間の冷戦はネロが20歳になるまで続きます。

その冷戦の終わり、残念ながらそれは和解ではなく母子という関係自体の終焉でした。



…to be continued...

ローマ人列伝:ネロ伝 1

2009-06-06 12:24:09 | ローマ人列伝
はい、本当はネロから始めるつもりが母であるアグリッピナのことで長くなってしまいまいた。ここからがネロ編。

このローマ人列伝なんですが、書くときはだーっとワードに書いてってます。「ワードに書く」って言葉が伝わらない方はいらっしゃるのかしらん?? つまりまぁワープロソフトを使って書いてます、ということですね。あ、ワープロって言葉がすごく懐かしい。

一応、連載形式なんですが一話書いて一話アップ、というのだとなんだか書いているうちに整合性が取れなくなりそうで怖いのでいったん全部仕上げてしまってから都度都度アップしています。こうすることによって「やっぱりこの話はこっちじゃなくてこの回でしたほうがいいな」とか調整も効くし。

ね、マメでしょ。お金にならないことはね。

このネロ編も既に最後まで書き終えているわけですが、このネロ。多くの人にとっては「暴君」というイメージしかないかも知れません。ハバネロも彼をもじって「暴君ハバネロ」という商品名で出したくらいだし。

でもね、僕は今、哀しい人だったんだなー、と思ってます。

僕の文章が拙いからか、あるいは面倒なのでちょこちょこ端折ってるからかも知れませんが、僕のネロ伝を読んだ人は「なんだ、単なる悪人じゃん」と思う人もいらっしゃるかも知れません。それはそれで仕方が無いけどさ、でもさ。

「暴君」が彼の二つ名として知られていますか決して皇帝として無能だったわけではありません。彼の死後150年続く貨幣改革もしましたし、近隣諸国との外交あるいは戦争も決して下手ではありませんでした。有能ながらローマ市民には嫌われ続けたティベリウスとも違い、ローマ市民からも愛されます。その彼が何故、暴君と呼ばれるようになったのか?


ローマ人列伝を書くときにメインテキストとしているのは塩野七生の「ローマ人の物語」なんですが、僕がローマ人列伝を書く意味、というのはより深くその本を理解したい、というところも多少なりともあります。やっぱり自分の言葉で説明しようとすると曖昧な記憶では説明できなくて、何度も本を読み返すことになります。

その過程で「そうか、だからこの人はそんなことをしたのか」「うーん、そうだよな、それなら俺だってそーする、誰だってそーする」と本当に理解が出来ることもあります。

今回のネロだって僕とはまったく違うタイプの人間だし、彼の行動は僕ならそんなことはしないと思うことは多いけど、その時代に生まれそのような過去を過ごしてきたら、と共感、うん、共感とは少し違うけど、少なくとも理解できるところは多くあります。

というわけでネロ編。ネロ編の前にまずはアグリッピナ伝を読んでいただくと理解しやすいかも知れません。

何度も繰り返しますがこのローマ人列伝は僕の個人的な趣味で書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)


母アグリッピナの策略により第四代ローマ帝国皇帝に即位した時、ネロは16歳でした。


当時のローマでは政治の中心である元老院議員になれるのは30歳から。つまり事実上30歳が成人だったこの時代において非常に若い皇帝の誕生でした。(先々代皇帝カリグラも若くして即位しましたがそれでも25歳)

若すぎるほどの皇帝の誕生でしたがローマ市民と元老院はこの皇帝を歓迎しました。

理由はまず、先代クラウディウスの不人気。もちろんクラウディウスの政治には大きな問題はありませんでした。むしろ良くやっていたと言えるほどです。しかし、市民は問題が無いから皇帝を好きになると言うわけではなく、我侭なものです。風体の冴えない、妻(アグリッピナ)の尻に敷かれる60歳の皇帝に比べ、新たな皇帝は若くはつらつとしていたのです。

元老院からの支持はクラウディウスが確立した秘書官政治(クラウディウスは信頼できる解放奴隷を秘書官として採用していました)からの脱却により、再度、元老院が強い発言力を持てる政治が行われるのではないか、という期待から。

もちろん若く経験の無いことはネロ自身、わかって……いませんでした、一切。

ネロは何も考えてないんです。だって16歳ですよ。

そもそも皇帝になることはネロが望んだことではありません。ネロの母、アグリッピナの野望であり、ネロが何をしたわけでもありません。

ここにアグリッピナの完全なる傀儡、皇帝ネロが誕生します。

母アグリッピナは聡明な女性でした。彼女の望みは皇帝の母になることでしたが、ただなりさえすればよい、というわけではありません。一度、掴んだその座を出来る限り手放さないために多くの手を打っていました。

まず若く能力の無いネロを補佐する側近の任命。

歴代の皇帝に疎まれ、また政治での陰謀に巻き込まれ流罪となっていた当時の大哲学者セネカをネロの政治担当としてつけます。

(セネカ)

また軍事面ではブルスという忠実で武勇名高い軍人を後見人とします。ネロ即位前には反対勢力をこのブルスに暗殺させました。

話がずれますがこのあたりアグリッピナの戦略の巧さが伺えます。知識人セネカには「流罪から救った」という恩を着せることで、武力の人ブルスに関しては暗殺を命じ「共犯関係」となることで、それぞれの忠誠心を固めたのです。機を見て先んじ人を見て制す、アグリッピナは見事でした。

側近二人に加えてもひとつの策。アグリッピナはネロを一人前の男とするため、前皇帝クラウディウスの実娘であるオクタヴィアと結婚させます。

当時オクタヴィア12歳。「前皇帝の娘」という血統は輝かしいものでした。更には仲間と連れ立って夜の街を飲み歩くことが好きなネロへの一種の「虫除け」の意味もあったのでしょう。

(オクタヴィア)

政治はセネカ、軍事はブルス、妻はオクタヴィア、アグリッピナはネロの周りを迅速に固めます。

更にアグリッピナは通常、ローマ市内のフォロ・ロマーノ(今で言う霞ヶ関)の元老院議場で行われる元老院会議を皇帝の私邸で行わせるようネロの名で指示を出させました。もちろん、皇帝の母とは女性が立ち入ることが出来ない元老院議場ではなく、私邸であればアグリッピナが隠れて聞き耳を立てることが出来るからです。

ネロは何も考えていません。

ただ友人たちと酒を飲み街に出て遊びほうけていました。好きなことは歌うこと。そんな16歳の青年。彼がアウグストゥスが築き上げた皇帝システムの、そしてイタリア半島、ガリア(現代のフランス)、スペイン、エジプト、北アフリカと広大な領土を持つ大ローマ帝国の継承者です。

ネロ即位後の5年間はすべてがうまく言っていました。その多くは政治担当セネカと軍事担当ブルスのおかげによるものですが、とはいえ後にこの5年間は「ネロの黄金の5年間」と呼ばれローマにとって幸福な日々でした。

それに綻びが生まれるのは何も考えておらず今まで母の言いなりだったネロが初めて母に反抗する出来事からです。



…to be continued...

海の宝

2009-06-02 01:35:03 | 食べ物
従姉妹の姉ちゃんの話はしたかなー?

えっとね、僕の父親の姉の娘で、僕より8つ年上。僕が好きな従姉妹(今、高校生)の母。

正式には従姉妹ではなくて「はとこ」なのかも知れないけど面倒なので従姉妹と思ってる。

そういう関係の人、僕、多いんだよね。同世代の血縁がさ。アグリッピナほどじゃないけどね。

母(茨城の人)が5人兄弟なので、その子供たち、というとざっと数えただけで7人、父(岩手の人)の兄弟の子供たちが4人。更にはそれぞれが子供を産んでるわけでその下の世代もいるしね。

なんか周りの人に話を聞くと「いとこなんて滅多に会わないよ」って人もいるけど僕はなんだかんだで会うなぁ。いいよ、そういうの。特に僕は姉、兄、弟がいないので年上のいとこは姉、兄みたいで楽しい。

特に父の姉の娘であるその彼女は僕と仲がいい。彼女は岩手に住んでいるんだけど、2ヶ月にいっぺんくらい仕事兼美容室(通ってる美容室が銀座)の用事で東京に来るので時間があるときにはご飯を食べる。

今回はちょっとハードスケジュールなようで、朝一で岩手を発って、仕事、美容室、エステ、とめまぐるしく銀座を歩いてその後、僕と食事。

こう見えて僕も気を利かせなきゃなーと思ってる人なので、だいたい銀座なんかで女性と待ち合わせする時には少し早めに着いて三越だとか松屋だとかの地下でちょっとしたものを買っていく。そのくらいしますよ、僕も。

そもそもデパートの地下のお土産物屋ってかなり好きだし。もう端から端まで食いつくしたくなるよね。

そういうとこでちょっと高級なチョコとかマカロンだとかを買って行く。

話ずれるけどマカロンって何?

僕はあまり食べたこと無いけど上げると喜ばれるよね。

みんな好きなの?


話戻すけど、その従姉妹と会う日に連絡があって、「お土産あるけど冷凍モノだからホテルに預けといた。会う前にピックアップして」とのこと。

はいはい、と銀座に着いて松屋の地下でちょっとしたものをプレゼント代わりに買って、ホテルへ。無事、お土産はピックアップ。ついでにプレゼントも僕が直で渡すよりはちょっとのサプライズのほうがいいかな、とホテルに預けておく。

その後、待ち合わせてご飯。

食べ終えてホテルに戻った従姉妹からは「プレゼントありがとー」のメール。

ということでいただいたのが『岩手中村屋の海宝漬』。

これはねー、旨いよ!三陸沖のメカブにアワビのぶつ切り混ぜ込んで上からイクラかけてあんの。

温かいご飯にねー、ぶっかけてねー、食うの。

明日から札幌出張の予定なんでそのまま冷凍庫に入れてあります。

今週末はこれでお家ご飯。