浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

どうしようもないさんかく

2011-07-27 21:49:25 | 
この話してなかったな。

吉田 恵輔
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2010-11-03


去年公開されたらしい映画。DVD出てます。

とあるところで「面白い!」と聞いて観てみたらまぁー面白かったね。おそらく去年僕が見たDVDの中でもベスト5には入るレベル。本当に面白かった。タイトルやパッケージ、出演者だけだと確実に僕はスルーすると思うけど、観てみたらほんと面白くてよかった。

話としては、まず同棲しているカップルがいる。彼氏が高岡蒼甫。この人『十三人の刺客』にも出てましたな、売れっ子なんだね。彼女が田畑智子。

女の子はまぁ普通の子、男のほうはヤンキーあがりというか車にお金かけてるような人。

そこに夏休みということで彼女の妹が上京してくる。中学三年生、という設定だったと思う。「女」とは言えないし「子供」とも言えない微妙な年齢。この人、僕、観たことない人だったけどあの例のアイドルグループの人らしいです。

妹は二人の部屋に泊まることになるんだけど、ちょうど彼女と倦怠期だったり巧く行かないことが続いた彼氏はどうも妹が気になってしまう。妹のほうも思わせぶりな態度を取るしね。気があるんだか天然なんだか分からないような。

で、まぁいろいろ起こるんだけど特筆すべきは彼氏の「どうしようもなさ」ですね。

とにかく彼女に対する態度も妹に対する態度も、更には焼肉屋の店員に対しても、地元の後輩に対しても、仕事の後輩に対してもどーーーしようもない。決して「悪」ってわけではないんです。もしこれが悪だったらもっと話は簡単だろうと思う。

でも「どうしようもなさ」ってのは直しようも批判のしようも無いから「どうしようもない」わけで、もう「ダメだこりゃ」って感じなの。

特に覚えてるシーンは妹との焼肉屋だなぁ。こういう男いますね、そして嫌ですね、こういう男。でも僕も男としてこういう流れ否定できない。少し自分をよく見せようと大げさに言う(俗に言う『吹く』ってヤツですね)ってことは極力しないようにしていてもやっぱり少ししちゃうところはあるもの。男性ならみんなそうでしょう?

この彼氏を演じている高岡蒼甫って人をあまり知らないので、地でやっているのかすごく演技をしているのか分からないけど、素晴らしい役の合いっぷりでした。すぐ機嫌が顔に出るところとか。僕が女性だったら絶対こういう男とは付き合わないと思うけど、惚れちゃう女性がいるのもまぁ分かる。

そして、そんなどうしようもない男に惚れちゃってる彼女も残念ながらどうしようもないです。ちょっとしたことで機嫌が悪くなったりするところとかね。女優さんが田畑智子という、失礼だけどパッと見て美人、という人じゃないのがリアリティあるんだよなぁ。

更に、妹もどうしようもないです。昔、ドッピオさんとかと学生時代に串鳥のテーブル席でよく喋ってたけど「自分を悪女と思ってない悪女が一番タチが悪い」ということです。『天然娼婦』という言葉もありましたな。
はっきり言ってはたから見ていたらこういう女性(って年齢でもないな、女の子)が一番腹が立つ。でも、同い年だとこういう子に惚れちゃうんだよなぁ。分かります。分かりますよね、ドッピオさん。こういうタイプの女性の一番の武器は「私はそんなつもりなかった」です。もういまこの瞬間もこの言葉でどれだけの中学男子が玉砕していることか。。。ああ、骨くらいは拾ってあげたい。

この3人が絡むんだからそりゃもうどうしようもないよね。

実家に帰った妹に彼氏が電話をして、留守電が続くときの彼氏の悶えっぷり。ああ、どうしようもないけど気持ちは分からないでもないなぁ。

どうしようもない3人の描写が続いて、途中、スリラー的になるんだけど、最後はすべての伏線が回収される、と言う素晴らしい映画でした。

とにかくお勧めです。去年観た映画の中で『十三人の刺客』と並んで「邦画も面白いじゃん!」と思える一本。

でもさぁ、これ彼女とか奥さんと観てたら気まずいだろうなぁ、ほんと。

食材の宝庫&梅干ご飯問題

2011-07-25 00:18:36 | 食べ物
今年は両親が還暦(二人は同い年)&父が定年退職なので、一応3兄妹で金出し合ってお祝いしよう、ってことになってました。真ん中の妹は実家の町にいるので、妹と両親のお食事会、ということにしておいて東京にいる僕と下の妹がサプライズで登場、ということに。

で、その予定日が3月12日。

もちろん震災でキャンセル。帰るバスが止まったし予約してた店も水が出ない、そもそもウチの実家自体が停電&断水だしそれどころじゃあなかった。

落ち着いてから改めて、ということでそれがこの週末でした。

まぁ飯食ってケーキ送って、花束(3人から3つ。僕はひまわり、妹はバラとゆり)送って久々に家族5人(+妹の娘2人)で実家で寝てね。

コース外で注文した鯛の尾頭付き。あんまり食べたこと無かったけどやっぱ旨かった。

ケーキはフルーツタルト。台の部分が旨かったよ。


楽しかったすよ。

あけて日曜は家でご飯食べてたんだけど、改めて考えると食材豊富なんだよね~、ウチって。

姪っ子二人に「庭で茄子ときゅうり取ってきて」とお願いすると5分くらいでこんなに採れる。


あとなんかバジルも生えてるんでそれも摘む。

つみたてをバジルペーストにして持って帰ってきた。

これでバジルパスタ作るんだ~♪

あともらってきたのが自家製のらっきょと梅干。

1年は持つって言うから多めにもらってきた。これでしばらくカレー食うときのらっきょは困らんね。つまみにしてもいいし、酢を使ってるからお弁当に入れてもいい、特にこの季節はね。

梅干は僕、子供の頃、食べられなかったんだけど最近は好き。

でもさ、梅干とご飯って組み合わせって僕あんまりわかんないんだよなぁ。梅干のおにぎりもそんなにうれしくない。梅肉ソースにして野菜とかと食うのが旨いよね。

あとは串鳥のつくね梅じそだなぁ。あー食べたい。

二の矢三の矢

2011-07-22 00:39:40 | 仕事
会社でね、DMを出すんです。

手紙印刷してー、折ってー、封筒に入れてー、切手貼ってー、糊付けしてー。

これが千枚単位だから聞いてるだけで面倒でしょ?

でさ、部下に「これさー外注出来ないか聞いてみてよ」ってお願いしたら、一枚あたり百何円で出来るんですって。

自分たちで作業して送っても送付料金は60円くらいかかるわけでそれに紙代、印刷代、それと作業にかかる人件費考えたらそっちの方がいいじゃん、発注しちゃってよ、ってお願いしたんです。

そしたら「いや、もう紙と封筒買っちゃったんでそれを使い切らないと…」って言うのね。

だから僕が「外注先にその紙と封筒あげるから、って交渉して」って指示したのね。

そしたらしばらくして更に「紙と封筒はオッケーなんですが、結局うちのコンプライアンス関係でリストをデータで向こうに渡せないんでウチでやるしかないです」って言うのね。

んだもんだから「じゃあさ、ウチで印刷した封筒持ち込むってことでもっかい交渉してよ」って指示したら結果、オッケーだったんです。


あのね、なんなのこの柔軟性の無さは?

外注先は仕事受けるんだから多少のイレギュラーがあっても仕事取りたいでしょうよ。こっちは別料金を多少取られても自分たちでやるよりいいんだから。

こういう人と話してると「二の矢三の矢、って概念がないなー」と思うんだよね、

仕事においてさ、一本目の矢で仕留められることなんてあんまり無いじゃないですか。
そのために二の矢三の矢を考えとく必要あると思うんだよなー。

決してこの部下は仕事が出来ないわけでも地頭が良くないわけでもない(結構いい大学出てる)。なんで二の矢三の矢考えられないんだろ?と考えてて、ふと思った。

あくまで勝手な想像だけど『本気で、ちょっと無理目な異性を口説いたことがない』んじゃないだろか??

無理目な異性、例えば明らかに自分なんかに振り向いてもらえないだろうな、って人とか、長年付き合ってる恋人がいる、って人に心底恋に落ちちゃった時って二の矢三の矢どころかもう魏軍なみに矢を用意するよね。

矢の数なら自信あります、僕。もーう、何本も用意してますよ。

いや、恋愛話じゃなくて仕事上ね。

ゲンさん

2011-07-19 21:13:47 | 日記
くだらないことはよく知っているんだけどあんまり一般常識がない。

自分で書いててがっかりしてくるけど。

その、ない一般常識の一つが自動車について。

僕は自動車についてほとんどのことを知らない。えーっとタイヤは四つだったよな。

運転はもちろん出来るし、たぶんそんなに下手ではない(何も考えないで運転していることは良くある)と思うんだけど車に関する知識はほぼ無いし興味も無い。

たとえば車種について、おそらく僕の目の前にBMWとベンツがあってエンブレムとかを隠されていたらぼくはどっちがどっちか当てられないと思うね。妖怪とかだとすぐ当てられるんだけど。

昔、フェラーリについて「あ、分かるよ、あの赤いヤツでしょ」って言ったら赤くないフェラーリもあるんだってさ(奥さんご存知でした?)。んで「じゃあ、あのドアが上に翼みたいに開くヤツでしょ」って言ったらそうじゃないフェラーリもあるって怒らりた。

でもさー、赤くなくってドアが翼みたいじゃないフェラーリなんて何の意味もないじゃんね~。

車乗ってた時期もあるんだけどね。

大学出て実家に戻ったときにまず車を持った。僕の実家だと車無いと何も出来ないからね~。

東京に生まれ育った方はご理解いただけないかも知れないけど、本当に何も出来ないんですよ!

たぶん車無くても行けるとこなんて小学校と中学校とクリーニング屋しかないと思いますね。

つーことで車が必要なので手に入れたのは赤い軽自動車。これはね、祖母の田んぼの脇に落ちてたの。いや、ほんと言葉通りの意味ですよ。たぶん祖母の家の車だったんだろうけど放置されてたのね。それもらって乗ってた。車種はわかんないなー。落ちてただけあってひどい車だったよ。エアコンは効かないしカーステ、パワステなんてナマステ。結構大きい交差点で右折待ちしててエンジン止まったときはさすがに困った。

その後、その車はあんまりにもあんまりなんで知り合いから車を譲ってもらった。トヨタのコルサ。20万ぽっきり。これは結構良かったな。札幌に引っ越すときもこれに家財道具一式積んで行って札幌でもしばらく乗ってたしね。コルサは見た目で分かるなーと思ってたらカローラ2だったりすることもある。(なんなの、あのおんなじ車なのに名前違うのって)

東京に引っ越してくるときにこの車を処分して以降、車は持ってません。東京で車を持つことは(特に単身者にとっては)コストパフォーマンスが悪すぎる。

その代わり5年ほど前に買ったのが原付。

これはね、チョイノリという原付でした。ご存知の方もいらっしゃるだろううけどこのチョイノリというのは無駄なものをそぎ落とし(結構、大事なものもそぎ落としているような気もするけど…)低価格を実現した、という原付です。確かに安かった。6万くらいかな。

「どうせ近所に行くしか乗らない足代わりだしなー」と思って買ったけど良かったですよ。

で、先日その原付が動かなくなりまして。

どうも数週間動きが悪いなーと思ってたんだけどかんかん照りの皇居前で動かなくなった。よりによってこんなところで。。。

そのあたりにバイク屋なんてないしあっても土曜で休みだしさー。辛かったですよ、原付を押して歩いて帰るのは。

バイク屋に持ってったら修理には10万くらいかかるだろう、とのこと。

6万で買った原付を10万で直すのもあほらしいのでその場で新しい原付買いました。

やっぱね、無いと不便なんですよ。

ちょっとジムに行くにも歩きだとしんどいのでバス使わないといけないし。

新しい原付はチョイノリと違いちゃんとした原付なので快適ですよ。ボタン押したらエンジンかかるし。チョイノリはキックでエンジンかけるしかなくてかかんないときはほんとかかんなかった。音も静かだしスピードも結構出る。

東京は公共交通機関が充実しているんだけどやっぱり原付便利。

未練歌 in English

2011-07-14 23:15:07 | 
『ブルース・ブラザース2000』を見ましてね。

もちろん前作『ブルース・ブラザース』は超名作で僕にとってはライフタイムベストトップ10には入るしDVDも持ってる。

その続編なんだけどまぁこっちはちと微妙でしたね。(ま、『突然歌いだす』ってだけで2億点くらいはプラスなんだけど。僕そういうの好きだから)

で、レイ・チャールズが出てるらしいんだけど見つけられなくて。

悔しいんで動画検索してたら改めて、「Ellie My Love」を見つけました。いわずもがなサザンの「いとしのエリー」をカバーしたもの。

ちゃんと聞くとさー、この歌って男の未練歌なのね。サザンの歌詞が「いま付き合ってる人に対して最後の告白をする」のとは違って。

結構ぐっと来ました。

(この動画、訳がついているけど違うと思いますね、ぼかぁ)

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Smile for me, won't you, baby
Forever you'll be on my mind
Drink with me, won't you, baby
We're gonna make it right this time
There's no one else like you
Anything you want, I'll do

笑ってくれないか、ベイビー
ずっと忘れられないんだ
一緒に飲んでくれよ、ベイビー
今度こそ俺たちうまくやれるさ
お前以外にいないんだよ
なんだってお前の言うとおりにするさ
-----------

これ読んで思うけど特徴はすごく未来形が使われてることだよね。

これはやっぱりもう別れた女性に対して歌ってるんだな。

いい歌やなー。

副菜の話

2011-07-13 22:57:58 | 食べ物
食べ物話なのに写真が無い。

最近は出張が無いのでだいたい夜は人と食べる以外のときは自炊してます。考えてみると晩御飯に一人で外食する、ってのが最近あまり無いな。

定期的に自炊できるようになると結構食材をちゃんと買って巧く使いまわせるのでいいよね。

(家を空けることが多いと食材を結構ムダにしちゃう)

で、そうなると料理も一汁三菜とまでは行かなくても汁物とメインと副菜、くらいは作るようになる。

最近よく副菜作ってますよ。

作って「おお、こりゃヒット」と思ったのはまず、キャベツとベーコンの煮浸し。

キャベツを適当に(トンカツにつける千切りよりは太目に)切って小鍋に入れる。そこにベーコンの細切りを載せる。ひたひた程度に日本酒を入れて、本だし、白だしで薄めに味を付け(ベーコン入れてるから味は薄めでいい)、落し蓋をして煮る。結構、長めに煮てキャベツがかなり柔らかくなったら出来上がり。あっさりしてるし野菜たっぷりだし美味しい。

それから「ミズ玉」ってのも作ります。ミズは水菜のミズね。水菜が安いんでよく買うんだけど結構あまるから。適当な長さに切って鍋に入れ白だしで煮る。適当な感じになったら溶き卵でとじる。白ゴマなんかかける。まぁニラ玉の水菜版です。

あともやしのナムル。もやしってもうほんと安いんでついつい買うんだけど一袋は持て余すんだよねー。もやしをレンジでチンしてゴマ油であえて味付けは醤油と塩、あと白ゴマ。

面倒な時に晩御飯にしちゃうときまであるのがマッシュドポテト。よく行くワインバーのクリーミーマッシュドポテトが美味しいので自作にチャレンジしてるの。皮をむいたジャガイモを一口大に切り、柔らかくなるまで茹でる。茹で上がったものを潰し、粉チーズ、塩コショウ、牛乳を混ぜる。クリームチーズ、生クリームだと豪華なんだけど粉チーズ、牛乳でも文句無く美味しい。パセリなんかあるといいんだろうけどね。それをクラッカーと一緒に食べてると白ワインに合うよ。

副菜じゃないけどピーマンの味噌汁をたまに作る。ピーマンは結構余るので細切りにして冷凍しておく。凍ったままのを湯に入れてやわらかくなるまで煮て、ダシと味噌を入れて完成。ピーマンの味噌汁、って言うと驚くけど案外ピーマンはダシが出るので旨いよ。

メインがあって副菜があって汁物とご飯があって、って晩御飯は定食屋みたいでいいよねー。


で、ここからググっと話しがツイストしていくけど、やっぱり自炊をするということは仕事を巧くやる、ってことに繋がると僕は思う。

料理をちゃんとやると身につく能力はなんと言っても「段取り力」。

特に僕の家はガスコンロがカセットコンロ一つなので、まず料理に取り掛かる前に段取りを頭の中でしっかり組まないとちゃんとした料理が出来ない。つまり「あ、パスタ茹で上がったのにソースがぜんぜんあったまってない!」だとかそういう問題が起こる。

だから料理をするときは、だいたい家に帰ってきてまずお風呂に入るんだけど入りながら料理の段取りをずっと考えている(つまりプレシンキング、ってやつです)。

「まずポットでお湯沸かして、電子レンジでアレあっためてる間にあれをみじん切りにしておいて、ああ、バターがまだ固いだろうから冷蔵庫から出しとかないとな、あ、そうそうあれもそろそろ使い切っちゃわないといけないからじゃあ副菜はこういう感じで…」とかね。

仕事する上でもこういう事前の段取り大事でしょ。

ということを考えているとやっぱり主婦の方の段取り力はすごいと思うんだよなー。

面影ラッキーホール

2011-07-11 20:39:50 | 音楽
歌詞における人称代名詞について考えていたときに偶然、「面影ラッキーホール」というバンドの歌を聴いた。これ聴いて僕としてはちょっとびっくりしちゃったんです。

ということで面影ラッキーホールについて話します。

念のためいっときますがこのバンドの歌詞は聴く人によっては(特に女性には)生理的嫌悪感を持たれるかも知れません。どうかご勘弁を。

音楽的にはたぶんサザンオールスターズの系譜に連なる、テンポが良くてホーンセクションがあって、という感じ。『セカンドのラブ』って曲は岡村靖幸の雰囲気もあるし曲によっては矢沢のにおいもある。

とにかくこのバンドは歌詞がすごい。

まず「男性が歌う女性視点の『私』歌詞」。正にちょうど僕が考えてたことなんで驚いた。オフィシャルサイトによるとこのバンドは「一人称おんな歌の復権を目指す」とか言っている。うむ、すばらしい。

ほぼすべての歌詞が演歌的女性視点の歌を歌っている。

それからすごいのはこの歌詞の「物語性」。

大体の歌が「誰が、何を、どうして、どうなった」というのが分かるような歌詞。
考えてみると「歌詞における物語性」というものは「演歌/歌謡曲」から「J-POP」に変遷するにつれて薄まってきたものだと思う。最近の歌詞は「感情」を表現するものが増えてきたからね。

そして更にすごいのがこの物語の乾いた残酷さ。

タイトル書くだけでもちょっとひくぐらいすごいですよ。

『パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏』
『好きな男の名前 腕にコンパスの針でかいた』
『ラブホチェックアウト後の朝マック』

特に『パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏』は本当にすごい。曲調は正にサザン的ポップなんだけど歌詞がすごい。youtubeにあるんでぜひ聴いてみてください。

僕は思うんだけど、この人たちは決してここに出てくるような人たちのことを馬鹿にしているわけでもシニカルに突き放しているわけでも無いんだと思う。もちろん露悪的にただ茶化しているわけでもないはず。

パチンコやってるあいだに娘を死なせてしまう主婦、ダメな男に騙されつつも自分の腕にコンパスで男の名前を書いて書くだけで終わらず病院に運ばれる女、男は自分の体だけが目当てと分かってて付き合いつつしかも殴られる女。。。

たぶん社会的に自分が真っ当だと思っている人(たとえば大企業の会社員だとかマスコミだとかさー)が突き放す、こういう人たちに対して、このバンドは心情的には寄り添っているんだろうと思う。でも寄り添っているからこそ自分たちの無力さを痛感し、何も出来ないからこそ歌を歌っているんじゃないだろうか、、、というと褒めすぎかね。

だってね、僕だってそうだもの。

これらの歌に出てくる女性たちの境遇を容認することは出来ないし、賛成して賛美しているわけではもちろん無い。出来れば目を背けて生きていたい。でもこういう状況があるのは確かだし更にはそれを僕個人はどうすることも出来ない。そのもやもやからこのバンドの曲を聴いてるわけです。

個人的にはトム・ウェイツ的『路上詩人』の視点を感じてしまう。

僕が一番心をぐわんぐわん揺さぶられたは『ゴムまり』という歌。

まずこのPVの冒頭、一軒家の風情にいきなり持ってかれましたよ。だって僕の実家のほうにはこういう一軒家たくさんあるもの!そしてそういうところに住んでるシングルマザーいるもの!!
それと車が黒のコンパクトワゴンというのもたまらないリアリティ。

僕の実家の同級生にはこういう人たくさんいる。もちろん僕の友人たちはこの歌詞のような悲劇にはあっていない(当たり前だ)けど、でも、もし一歩歯車が狂えばこういう話は僕の近くにもあったかも知れない。いや、僕自身が当事者になることだって一歩間違えばあったかも知れない、とすら思う。だから僕は決してこの歌詞がどこかの絵空事とは思えない。

歌詞も書いときます。最後のほうはあまりにも「うわあああ」ってなるので割愛。
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別れたダンナに日に日に似てくる
笑い顔がね、憎らしいほどに
実家に預けるようになってから
あたしにももう懐かない

ママはタバコくさいからと顔を背け
ママはお酒くさいと泣き出す
ママも女だから許して欲しいの
邪魔だと思わせないで

もうこれ以上困らせないで
吐息がこぼれた

新しいパパになってくれるかと
馬鹿みたいにね、淡い夢抱いて
十も離れているあいつに惚れて
捨てられるのが怖かった
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『邪魔だと思わせないで』ってのがほんと切ないとこだよなぁ。




あと、『わたしだけにかけて』って曲もあってこれまた動画がすごいことになってます。歌詞といい登場人物といいこれだけ下品だと逆に品があるように思えちゃう不思議。

『わたしだけにかけて』(youtube)

女性曲の「君/僕」論

2011-07-08 21:16:15 | 
そうかー、渡辺美里は盲点だったなー。かなりCD持ってたのに。。なんで気づかなかったんだろうか。。

つーことで、長々書いた「日本語曲における人称代名詞論・序章」の続き。

皆さんもご存知だと思いますが最近ほら、秋葉原あたりから来た大人数のグループが流行ってますね。正式名称書くと変な人来るかも知れないから書かない。まぁ察してください。

一応、僕の仕事はマーケッターでもあるので流行っているものはその良し悪しだとか好き嫌いは別にしてなんとなく調べてみる。調べるったってネットのニュース検索してみたりするだけだけど。

あのグループの人気の理由はたぶんいくつかあるんだろうけど、ここで「歌詞」ということを取り上げます。

これはまだあまり言及されていないけど、あのグループの歌(全部見たわけじゃない、代表的なの。だからあんまり突っ込まないでね)には一番の大きな特徴がある。

それは「すべて男性視点の『僕/君』歌詞」ということです。

これは渡辺美里、浜崎あゆみと連なるいままでの「女性歌手による『僕/君』歌詞」とは明らかに違う。

どこが違うのか。

いままで女性が歌う歌で人称代名詞が「僕/君」の場合は、あくまで「男性っぽい女性が主人公(つまり君、は男性)」あるいは「中性的な人物が主人公(=僕も君も男性でも女性でもない)」の2パターンしかなかった。

少し話ずれるけど後者の「君」って英語における「You」に近いんだよね。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」的Youと言うか。

でも例のグループの歌詞は明らかに「男性である『僕』が女性である『君』を思って」歌っている。

たとえば例を出すとこういうの。

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カチューシャしてる君に
僕は長い恋愛中
----

カチューシャは明らかに多くの場合女性がするものだろうからね。

この方法によりどういう効果が見込まれるか。それはこのグループのメインターゲットである「アイドル好きの男性(以下z群と呼びます)」からの「共感」を得やすい、という効果。

たとえば歌詞が「あなた(A)を好きな私(女性)」だとすると聞いている男性はそのAに感情移入するわけだよね。でも残念ながらz群からは「どうせ俺たちはそんな風に女性から思われたことないよ」と思ってしまう。z群の特徴は恋愛経験の少なさだから。

あるいは「君(A')を好きな僕(女性)」ならば「そんな強い女性が自分たちを相手にしてくれるわけないよ」と思ってしまう。z群において浜崎あゆみの人気が無いのはこういうことでしょう。

しかし例のグループの楽曲であれば「そうだよ、俺たちもそう思っていたよ」と思う効果が生まれる。

それを醸成するために楽曲内において人称代名詞のみならず、「僕」は基本的に「君」に声をかけられない、好きだけど見てるだけ、というストーリーにもなっている。つまり「僕」と「君」が明らかに恋愛中である、という歌はほぼ無い。これも正にz群からの共感を得るための仕掛けだろうね。

僕はこれに気づいたときに「なるほど!だから人気があるのか!」と思った。ここはやっぱりプロデューサーであり全作品の作詞をしている人の巧妙さだよね。

つまり、「女性が歌う男性視点の『僕/君』歌詞」という関係(仮にfm関係と呼ぶ)が例のグループの楽曲における歌詞の特徴だと思う。

そうすると翻ってfm関係の対偶とも言えるものは無いのか、と考えてみる。もしfm関係がヒットの法則であるならば、その対偶もまたヒットするはずだから。

考えてみるとfm関係の対偶は「男性が歌う女性視点の『私/あなた』歌詞」(仮にmf関係と呼ぶ)ということになる。

じゃあそのmf関係の歌詞はあるのか、というとこれが一杯ある(正確に言うとあった)んだよね。

たとえば松山千春の「恋」

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たぶんあなたはいつもの店で
酒を飲んでくだをまいて
洗濯物は机の上に
短い手紙そえておくわ
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「大阪でうまれた女」もそうだね。
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大阪で生まれた女やけど
あなたについて行こうと決めた
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「私/あなた」どころか「あたい/あんた」でもチャゲアスの「ひとり咲き」がある。
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あたいあんたに夢中だった
心からあんたにほれていた
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とにかくある一時期のムーブメントとしてそういう曲はたくさんあった。

僕の思考としては最近のグループのfm関係からmf関係へと思い至ったわけだけど、おそらくこれは歴史的順番が逆なんだろうね。

つまり、一時期のムーブメントとしてmf関係があり、それを現代に持ってきたのが例のグループのfm関係、ということが言えるんじゃないかと思う。

と、まぁ長々書いてきたけど歌詞の世界というのは奥深いもんです。

日本語曲における人称代名詞論・序章

2011-07-04 20:37:50 | 音楽
なんか序章が続くけど。

最近よくこの話を飲みながらしていて、いつかまとめて書きたいな、と思っていた話。時間出来たのでまとめて書きます。長いしオチは無いよ。ちゃんとした言語学者であれば論文にまとめるところだろうけど。

音楽を聴いていて「おお」と思うところの一番は、僕は「歌詞」です。

人によっては「ここのギターがいいね」とか「こっからここのコードの変わりっぷりが絶品」とか思う人もいると思うんだけど僕は「歌詞」が一番グッと来る。それはたぶん僕が音楽的知識(コードがどうの、ピアノの旋律がどうの)がほぼ無い人間だからだろうと思う。

そもそも僕は、ここまで書いてることもそうなんだけど「自分が好きなこと」について言語化したい人間なんだなぁと思うんだよね。「なぜこれが好きなのか、なぜこれを好きだと思うのか」ということを言語化しないと自分でどうも納得が出来ない。でも音楽的知識が無いので音楽的要素について言語化出来ない。だから好きな曲について語るとき歌詞について語るしか方法論が無いから、なんじゃないかと思う。我ながら面倒な人だなとは思います。

そういうわけで「いいな」と思った洋楽の曲なんかを誰にも言われないのに訳したりしているわけです。

で、日本語の歌の歌詞の大きな特徴は、これは日本語の特徴でもあるわけだけど「人称代名詞」だと僕は思っています。

人称代名詞というのはつまり「僕」だとか「私」だとか「あなた」、「お前」とかね。特に大事なのは一人称代名詞、二人称代名詞。

これは英語から日本語への翻訳をやった人なら分かると思うけど英語を日本語に訳すときに一番最初にひっかかる点なんだよね。

たとえばこういう歌詞があるとします。

When I find myself in times of trouble. Mother Mary comes to me. Speaking words of wisdom, "Let it be."

言うまでもなくビートルズの「レット・イット・ビー」なんですが、これを「私」で訳すかあるいは「俺」、「僕」で訳すかでイメージがぜんぜん変わってくる。

意味としては「(自分)が悩んでるとき、」なわけだけど「私が悩んでるとき、」「僕が悩んでるとき、」「俺が悩んでるとき、」…ほら、ぜんぜん違うでしょ。一人称代名詞によってその後も変わってくるよね。

とにかくに日本語において人称代名詞というのはその文自体のイメージすら大きく左右する。主人公のキャラクターすら確定させてしまう。

たとえば「俺はお前が、」という文を見ただけで主格は男、とだいたい決まるだろうし「私はあなたが、」の場合は主格は女性っぽい(これは男性かも知れないけどね)。

更に言うと書き言葉にしたときには更にそれぞれに「漢字」「ひらがな」「カタカナ」とあるからこれまたヴァラエティに富んでいる。

「俺は、」「おれは、」「オレは、」、「僕は、」「ぼくは、」「ボクは、」、「私は、」「わたしは、」「ワタシは、」、、ほらね、ぜんぜんニュアンスが違う。

二人称だってそうだよ。「貴方は、」「あなたは、」「アナタは、」、「君は、」「きみは、」「キミは、」。

この人称代名詞のヴァラエティが日本語のヴァラエティの一つになっているし、話を戻すと、日本語の歌詞と英語の歌詞を大きな違いになっていると思う。

たとえば英語の歌だと同じ歌を男性歌手と女性歌手が歌ったりする。特にジャズのスタンダードナンバーに多い。

たとえば「My funny Valentine」。

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My funny Valentine,sweet comic Valentine
You make me smile with my heart...
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この歌詞を英語だと男性でも女性でも歌えてしまう。

男性が歌っているのを訳すと、、
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僕の愉快な恋人、ヴァレンタイン 優しくておかしな恋人、ヴァレンタイン
君はいつも僕を心から笑顔にしてくれる。。。
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だし、
女性が歌っているのを訳すと、
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私の愉快な恋人、ヴァレンタイン 優しくておかしな恋人、ヴァレンタイン
あなたはいつも私を心から笑顔にしてくれる。。。
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となる。

英語におけるこのへんの自由さがすばらしいと思うんだよね。

と言いつつやはり人称代名詞ばヴァラエティに富んでいる日本語は日本語でよさがあるわけだけど。

日本の歌、つまりまぁ歌謡曲での人称代名詞の変遷はどうなっているんだろう、と考えてみた。

しっかりぜんぶを調査したわけではなく、僕の個人的な歴史観でいうとまず戦後歌謡曲史で言うと始まりは「俺/お前」と「私/あなた」なんじゃないだろうか。

つまり男性歌手が歌う曲は「俺/お前」、女性歌手が歌う曲は「私/あなた」。このときはまだ演歌中心。

それがおそらくGSブームとかフォークブームによって、男性歌手の歌が「僕/君」となった。吉田拓郎の「結婚しようよ」なんかは「僕の髪が肩まで伸びて/君と同じになったら」だものね。

やはりこのあたりからウーマンリブ(すごい懐かしい言葉だな)だとかがあって、女性へスポットライトが当たることが多くなり、男性が父権性を表現するよりも同性性を現すことのほうが人気に繋がったんじゃないかと思う。

女性の人称代名詞はここまではあまり変化が無い。「私」が「アタシ」くらいの変化かなぁ。藤圭子の「十五、十六、十七と私の人生暗かった」なんて歌は文字で見ると「私」なんだけど実際歌を聴くと「アタシ」のほうがぴったりくる。

あ、中島みゆきの「ファイト」は公式の歌詞を見ても「あたし」だね。「あたし中卒やからね仕事を」って始まっている。

で、この後に大きな転換である女性歌手の歌詞の「僕/君」化が起る。

これを誰が始めたのかは僕はぱっと思いつかない。誰かJ-POPに詳しい人がいたらぜひ教えて欲しいです。

誰が始めたかはわからないんだけど、代表的なのは浜崎あゆみの歌なんじゃないかと思うけど違うかな。浜崎あゆみの歌詞は人称代名詞が「僕/君」が多いと思っているんだけど。

ほんと、このムーブメントがどこから始まったのかねぇ。知っている人がいたら教えて欲しい。僕が思いつくのは中島みゆきの「空と君とのあいだには」なんだけど、これはまぁ本質的には「自分=女性/相手=男性」って歌では無い。ぱっと思いついたのはGAOの「サヨナラ」(流れる季節に/君だけ足りない)なんだけど、これは別にムーブメント起こすほどじゃあないしなぁ。

リンドバーグの「今すぐKiss me」あたりかな、と思って調べてみたらこの曲には人称代名詞が出てこなかった。ジッタリン・ジンとかイカ天ブームからかな(しかしいちいち言葉が懐かしいね)とも思ったんだけどこれも「私/あなた」。プリンセス・プリンセスでも無い、安室でも無い、、と検索してたら一つ見つけた。

ZARD!

「揺れる想い」では「僕」は出てこないけど「君」は出てくる。少なくともこれが始まりでは無いかも知れないけど一つの標ではあるね。

ま、とにかく日本語の女性歌手の歌詞だと人称代名詞は「私/あなた」の歴史が非常に長く、ごく最近になって「僕/君」も使われだした、ということが言えると思う。

そして、昨今というか極近年、これに新たなムーブメントを加えている女性グループが出てきたと僕は分析している。あまりこの点で取りざたされないけど、このムーブメントは確実に日本歌謡曲史に少しは残ると思っているので改めて書き残しておきたい。今度、その続きを。(気が向けば)