浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

騎士団長殺し

2017-02-24 09:20:33 | 村上春樹
まだ読んでません!


騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

Amazonで予約注文して自宅に届けてもらうようにしていたのだけど出張が長引いて家に帰ってないので。配達会社さんには再配達をお願いすることになり大変申し訳無い。

今日発売ということで僕は今日、表紙の画像を目にした。

うーん、なんなんだろうね、思った以上に自分がざわざわしている(笑)

もちろん、村上春樹は好きだし、今となっては数少ない「出たら読む」作家の一人な訳だけど、それでも表紙の画像を見るまでは「ああ、また出るのねー」程度にしか思っていなかったし、はっきり言うと今日になるまで、予約注文したこと少し忘れかけていた。

それでもやっぱり本当に出るとなると興奮するね。

サザンオールスターズのニューアルバムをこれから何枚聴けるのか、クェンティン・タランティーノの新作をこれから何本観られるのか、と同じくらい、村上春樹の新作長編をこれから何作読めるんだろう、と思う。

一抹の不安と、期待と。

2015-09-13 20:45:31 | 村上春樹
著者 : 村上春樹
スイッチパブリッシング
発売日 : 2015-09-10


買いました、読みました。

発売前に表紙の画像を見た時から違和感があった。村上春樹という人は極力、表に出たがらないしましてや自分の写真を表紙にするなんていままであまりなかった。(辺境・近境という旅行記では表紙になっていたけどあれはサングラスしていたし)

別に違和感があっただけで何か嫌な感じがしたわけではない。

村上春樹が小説を書くこと、についてかなりざっくばらんに書いている。もちろん小説の文体とも違うし、今回はいつものエッセイの文体とも違い、(本人もあとがきで書いているけど)ちょっとフレンドリーな講演のような文体で書かれている。

かなりあけすけに小説の書き方とか日本の文学を取り巻く状況とか、果ては学校教育についてまで書いている。

途中まで読んで僕は、「もしかしてこの人は小説家として、のキャリアをそろそろ閉じようとしているのでは無いのか?」と一抹の不安を感じた。

村上春樹という作家はこういう風に小説だとか教育についてあけすけに語る人では無かったから。

でも、読み終えると「やっぱりまだ長編小説を書きたいのかな」と感じた。こちらは根拠は全く無いけどね。

自分の人生で、あと何冊、村上春樹の新作を読めるんだろう?とたまに思う。「あと何枚、サザンの新しいアルバムを聴けるんだろう?」とも思うけどね。

「恋しくて」

2013-09-12 23:04:24 | 村上春樹
村上春樹は海外小説もたくさん翻訳している。有名どころ(ロング・グッドバイ、キャッチャー・イン・ザ・ライ、グレート・ギャツビィ)は読んでいるけど、全部読んでいる、とまではいかない。

で、その翻訳小説の中で僕が一番好きなのは「バースデイ・ストーリーズ」。これは誕生日に関わる短編小説を村上春樹が集め、訳したもの。この短編集の中では「ムーア人」が本当に素晴らしいと僕は思う。

で、今回も同じような短編集が出ました。

「恋愛」をテーマにした短編集を村上春樹が集め、訳した短編集。

表紙の絵が素晴らしいね。本屋さんでパッと見て村上春樹というだけで買って紙カバーをかけてた。なんとなく「シャガールとかの絵かな」と思っていたら竹久夢二でした。

水戸駅の書店で見つけて買ったんだけど、冒頭の「愛する二人に代わって」があまりにも素晴らしすぎて、東京まで戻る車中(1時間と少し)、その余韻だけで他の短編を読み進めるのをやめてしまった。

余韻を楽しみ「はぁ」と思いながら電車から見る車窓からの茨城の緑はここしばらく無いほど良いものでしたよ。

古びたボーイ・ミーツ・ガールの話ではある。真面目なだけが取柄でちょっと風采が上がらない男の子と、少し派手目な幼馴染の女の子の数年に渡る派手ではない恋愛模様。それが縦糸で、9.11が横糸に編み込まれている。(そういや昨日が9.11だった。あれから12年も経ったのか)

この短編が本当にもう素晴らしくてですねー。もうこれだけでこの短編集読む価値はあると思いますよ。

「恋愛小説」、しかも短編なんて今さら時代遅れな感じがするけど、でも、今だからこそまた良いのかもしれない。

村上春樹もこの短編集のあとがきで書いてある。

---
ひょっとしてこの世知辛いポスト・ポスト・ポスト・モダニズムの文学世界に、突如ラブ・ストーリーの時代が花開いたのかもしれない。
--

「ポスト・ポスト・ポスト・モダニズム」ってのがいいね。「一周回って古いのが新しいよね、逆に」とか言ってるいけ好かないヤツが目に浮かぶ。←偏見

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

2013-04-13 01:09:43 | 村上春樹
今日の話はずいぶん独りよがりで偉そうな話になると思います。まぁいつもなんですが。

村上春樹の新刊の話なんだからどうか許していただきたい。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みました。

たぶん平均的な30代男性よりは小説を読むほうな僕が、一番好きな作家が村上春樹です。だから、独りよがりな感想を言うことくらいは許して欲しい。

「1Q84」もそうだったけど、最新作を読んで本当に思うことがある。

それは、「なんでこんな小説が数百万部も売れるんだろう」ということです。

もちろん「こんな小説」と言うのは「こんなにつまらない、くだらない小説」と言う意味じゃない。

繰り返すけど僕が一番好きな作家は村上春樹なんだから。

この最新作もたいそう楽しんだ。

読んでて、うまく表現できないけど、足元が崩れるような、よく分からないけど「身体に直接響くような」感覚があった。

でも、読んでいる間、思っていたことは「これを本当に心から理解できるのは僕だけなんじゃないか」と思った。

主人公は36歳の独身男性。高校時代に大きな出来事があって、それは彼を深く傷つけている。

そんな彼の「巡礼の年」に起こった出来事を、まるで自分のことのように理解できるのは、世界中で僕だけなんじゃないかと思う。

もちろん現実的にはそんなはずが無い。

村上春樹が「僕だけのために」小説を書いているわけがないし、「これは自分のために書かれている」と感じる人は世界にたくさんいるだろう。

この小説が数百万部も売れているということはつまり、この小説を読んで「この小説は、世界中でたった一人、自分のためだけに書かれている」と思う人が世界には数百万人いる、ということだろう。

そういう人が数百万人もいるこの世界を、僕は案外きらいじゃない。

もうすぐ梅が咲くなー

2013-03-12 17:29:48 | 村上春樹
村上春樹が新刊を出すみたいです、4月に。

今のところどんな小説なのかはまったく分からなくて、文藝春秋のHPに短いコメントだけが出ている。

こちら→【文藝春秋|村上春樹氏 書き下ろし刊行にあたってのメッセージ

個人的な意見だけど、村上春樹が「短いものを書こうとして」書いたものって大体においてそんなに評価は高くないんじゃないかと思う。「ノルウェイの森」は別格として。

『国境の南、太陽の西』とか『スプートニクの恋人』とか『アフター・ダーク』とか。

で、僕はそのどれも嫌いじゃないです。

特に『国境の南、太陽の西』は僕が「村上春樹作品でベスト3を選べ」と言われたら確実に入ってくるレベル。

そういう意味で非常に期待をしてしまうけど、あんまり期待しすぎるのもあれなのでなんとなく「そういえばもうすぐ梅が咲くなー」くらいに思っておこうと思ってます。

完全ネタバレ 映画『ノルウェイの森』レビュー

2010-12-24 20:49:36 | 村上春樹
ども。映画「ノルウェイの森」観てきました。以下はネタバレなんでそういうのが嫌な人は映画観てからどうぞ。














----------------------------
言うまでもないけど僕は一番好きな日本人作家は村上春樹で、そうなると言うまでもなく『ノルウェイの森』は読んでいる。じゃあ『ノルウェイの森』が村上春樹作品の中で一番好きか、と言われると少しだけ悩む。やっぱりあの作品は難解、いや違うな、書かれていることは分かりやすいし読みやすいから難解ではない。「深い」というのが正しいな。深い分、何度も新しい発見があって、単純に「好き」とは言えない。ただ、確実に僕が一番何度も読み返した作品、とは言える。

その作品が映画になったわけで少し悩んだけど映画館に観に行きました。

まず言うけど僕は十分楽しめた。

小説の映画化ってその原作のファンであればあるほど「違う!」と思いがちだけどそういうところが極力少ない、良い映画だった。ま、原作のことが好きなんでもう映画になっただけでいいや、と思うところもないわけじゃないのかも知れないけど。そりゃ最後にビートルズの「Norwegian Wood」が流れたらそりゃもうどうでもいいや。

映画「ノルウェイの森」のどこが良かったのか、ということをとりとめもなく挙げていく。

まず細かいところをしっかりと作っていて良かった。この作品の舞台は1967年。なんとまぁ今から43年前ということになる。ちょっとした歴史モノだね。

当時を思わせる、ところどころのディテールが邪魔をしないようによく作られていた。たとえば、主人公ワタナベがミドリの家で食事をするシーン。ここで使われている鍋とかコップとかが「ああ、こういうのあった」と思えるちょっとレトロな、当時っぽいデザイン。

もちろん僕は1975年生まれだから当時のことはまったく知らないけど、「ああ、子供の頃おばあちゃんの家なんかに行くと、こういう鍋あったなぁ。そうそう、こういうコップで麦茶飲んだなぁ」と思った。こういうディテールが(特に日本の)映画だと雑だったりして、それが観ているほうとして「ノイズ」になることがある。「え?この時代にこんなのあった?」という感じで。でもこの作品はそういう細かい所をしっかり作っていて好感が持てた。例えばタクシーに乗っているシーンで窓に書かれている料金は「2キロ100円」と書かれていたり。

何より「あ!これあった!」と思ったのがミドリの家の電話(もちろん黒電話)の話し口にカバーというか、あれなんて言うのか分からないけど、ホコリ除けみたいのが付いていたこと。昔の電話はこういうの付いていたよね。

僕の母がメールを送って来て「ノルウェイの森、観てきました、私たちの時代ですね」って言ってたんだよ。リアルにその時代を生きていた人が「そうそう、あったあった」と思ったんだろう。そういうディテールがしっかりしていてノイズの無い映画になっていた。

そして何より素晴らしいのが、原作からのエッセンスの抽出の仕方。

これは話が長くなる。

『ノルウェイの森』という小説は色々なエッセンスがあって一筋縄では行かない。もちろん恋愛小説でもあるし、一方、青春小説でもある。ユーモラスなシーンだってあるし、ある人にとっては昔を懐かしむ懐古小説でもある。

(この小説が発行されたのは1987年で、舞台は1967年だから実に20年前を舞台にしている。この年代のタイムラグが、当時を知っている人に取っては懐かしく、知らない人に取っては新鮮だったんだろうと思う。そこで語られるテーマが「愛と死」という時代を超えるものだったが故に多くの世代に受け入れられたんだろうと僕は思う。そしてだからこそ、舞台から40年経って、更に発行から20年経っても受け入れられ、更に2010年に映画化される所以なんだろう。)

話を戻すけど、村上春樹は近年常々、「総合小説」を書きたい、と言っている。総合小説とはつまり、人の良い部分も醜い部分もとにかくすべて総合的に描いた小説のこと。

その総合小説性の片鱗を表し出すのがこの「ノルウェイの森」とこの次の「ダンス・ダンス・ダンス」だと思う。そして、物語を総合的に表わそうとすれば、盛り込まなくてはいけないのが「恐怖」である。

そう、この「ノルウェイの森」はある種の「恐怖小説」でもある。村上春樹作品の多くが「恐怖」について語っている、というのは村上春樹の作品を良く読んでいる人なら理解してくれると思う。たとえば「ノルウェイの森」のひとつ前の「羊をめぐる冒険」には明らかに「幽霊」が出てくる。僕の中では村上春樹の長編小説の中でベスト3には確実に入る「国境の南、太陽の西」は明らかに怖さを感じさせる。

これだけ多くの要素を盛り込んだ長編小説を映画化すると、残念ながらエッセンスを絞らざるを得ない。(まっとうに全部映像化していたら映画の尺では間に合わない。それこそ大河ドラマにしないとね) そこでこの映画の制作者が残した一つ目のエッセンスが「恐怖」だったんだろうと思う。捨てたエッセンスはたぶん「キャラクターの深み」だろうと思うけど、それは後述します。あ、あと「癒し」と「再生」のエッセンスも捨てられてたね。

この映画、恐怖映画として観ると非常に良くできています。

たとえばメインキャラクターである直子を菊地凜子が演じているけど、正直、映画の冒頭では「これが直子??」と僕は思っていた。でも物語が進むにつれ「直子」の持つ危うさ、もろさ、そしてこういう言い方がいいのか悪いのか分からないけど「狂気」がしっかり見えた。本人には悪いけど、菊地凜子の顔(言っちゃ悪いけどハ虫類顔)が、徐々に壊れていく直子をよく表現していた。

では「ノルウェイの森」で描かれる「恐怖」とは何か。僕は誤解を恐れず言うけど村上春樹作品でたびたび描かれる「邪悪性」だと思う。村上春樹作品にはたびたびこの「邪悪」が描かれる。たとえば初期作品の「羊男」、「ねじまき鳥クロニクル」のワタヤノボル、「1Q84」のリトルピープル、「海辺のカフカ」のジョニー・ウォーカー、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」のやみくろ。。。すべて「邪悪性」の化身でしょう。

じゃあ「ノルウェイの森」で出てくる邪悪性の存在は何か?それは「女性」です。(もちろん「ノルウェイの森」では女性の邪悪性と共に聖性も描かれている)

この作品の中では、主人公であるワタナベというある意味「からっぽ」の存在が女性の邪悪性に振り回され、そして女性の聖性に癒される、という両面を描いているからこそ素晴らしい作品であると言える。

以前、たぶん、僕がドッピオさんと仙台に行った時、村上春樹作品を良く読んでいる遊太さんと居酒屋で延々語ったけど、村上春樹作品に出てくる女性は多かれ少なかれ「邪悪性」を持っている。反対されても非難されてもいい、僕はそう思うんです。

「ねじまき鳥クロニクル」の主人公の妻ユミコは邪悪さがあるでしょ?「国境の南、太陽の西」の島本さんは明らかに邪悪だし、有紀子は無垢が故に邪悪、大原イズミだって主人公が悪いとは言え最後に邪悪の権化と化した。

「ノルウェイの森」に出てくる女性は4人いる。直子、ミドリ、レイコさん、ハツミさん。どれも別々の邪悪さを持っている。(もちろんどれも別々の聖性を持っている) それぞれの邪悪性を緻密に描くことによって、原作のもつ恐怖をしっかり描いたのが映画『ノルウェイの森』なんだと僕は思う。(もちろん男の邪悪性も描いているよ、それは後で書く)

2時間ちょっとの時間で原作を映画化する、という時に一番残したエッセンスは「恐怖」だった。(時間に間に合わせるために原作にあった「女性の聖性」は描かれていない)

直子が徐々に狂っていく恐怖。ワタナベ(≑普通の男)がいくら言葉を尽くしても伝わらない、まったく別の世界に直子が行ってしまう様子がよく分かった。

そしてミドリ。この映画で素晴らしく描かれていたのはミドリの邪悪さだね。もちろん、彼女の邪悪さは見方を変えると愛おしさでもあるわけだけど。
こういう面倒くさい女性に惹かれてしまう気持ちだって僕は良く分かる。息をするように嘘をつく。(お父さんはウルグアイにいるの、とか。これってまったくもっての嘘だから) 些細なことでヘソを曲げ、口を聞いてくれなくなる。いきなりトンデモないことを言う。。。この表現は見事だった。もちろん原作ではもっと背景の描写(生乾きのブラジャーをつけてた、とか)があるわけで、それが彼女の聖性に繋がるわけだけどそれまでやってたら映画じゃなくて大河ドラマになっちゃうから。とにかくこの役は助演女優賞に値すると思う。下世話な話だけどこの人が貧乳なのがまたリアリティがあるんだよなぁ。

そして何よりの恐怖はハツミさんですよ。ワタナベ、永沢さん、ハツミさんの食事のシーンは最高の恐怖だったね。徐々にハツミさんが怒っていく。これは原作でもいいシーンだったけど、この映画では女優さんの演技によって更に怖いものになってた。演出なのか、それともこの女優さんの特徴なのか分からないけど、このシーンでハツミさんがアップになるんだけど、微妙に眼の焦点があってない。右目が下側が白目になってて(つまり三白眼)、左目は黒目が中心になってる。このシーンは非常に怖かったね。この人には最優秀助演女優賞をあげたい。

残念なのはレイコさんの描かれ方。彼女は真に邪悪な少女に出会うことによって人生をめちゃくちゃにされた女性なんだけど、そのエピソードが一切出てこないのでなんだか変な感じになってしまった。まぁそれもそこまでやってると大河ドラマになるから仕方ないんだけど。個人的に一番残念だったキャラクター描写はこのレイコさん。これについては残念シリーズとして最後に書きます。

とにもかくにも原作の「恐怖」をこの映画はよく表現していたと思う。

一方、男性キャラクターはどうか?

主人公ワタナベ役の松山ケンイチは立派だね。すべて良かった、100点、とは言えないけど、これだけの作品の主人公をこれだけ演じた、ということで文句はつけられない。ファンがたくさんいる小説の主人公を演じる、ということだけでも拍手を送りたい。他に演じられた俳優がいたか?と聞かれると僕は答えられないもの。さすがの僕だって「ワタナベ役を」とオファーを受けたら「僕には無理です」と断るよ。(なんのこっちゃ) とにかく「よく頑張った」と言ってあげたい。

それから永沢さんを演じた玉山鉄二は良かった。やっぱりこの人(玉山鉄二のことね)は俳優としてのキャリアがあるからちゃんとやってた。

この永沢さんという役こそ男性の持つ「邪悪性」の権化のキャラクターである。女性の「感情」を一切理解しない、男ならではの「論理」で生きている、というキャラクター。(その「論理性」の描き方は映画ではちょっと足りなかったな。せめて「システム」の話をしないと)
一つ残念なのは、後ろ姿が映る時に舞台の60年代風の衣装がタイトなんでちょっと脇腹の肉がベルトに乗ってたんだよね、細かいことだけど。後ろ姿もちょっとお尻の肉がぷたっとしてて貫禄がありすぎて。。。ま、これはそういうことで永沢さんの貫禄を表わしていた、とも言えるけど。

さて、ここまでは「僕は楽しみました」という話だったけど、逆に「これは無いだろう」と思ったことを言ってきます。

やっぱりレイコさんの描写だよね。ぼろぼろになったワタナベがレイコさんとあっけらかんとしたセックスをすることによって現実社会に戻る、ある種の「救い」を得る、というのがこの物語の最後の「救い」なわけで、そういう描写をして欲しかったなぁ。今回の映画だけ観るとレイコさんが単なるやらしい熟女にしか思えないんだよな。これが時間の制限のある映画にすることによって失った登場人物の背景、つまり「キャラクター性」の最たるものであると思う。

それから重箱をつつくようだけどミドリに緑の服を着させちゃいけませんよ。これは原作を読んでいる人の意見だけど。ミドリが「私はミドリだけど緑がまったく似合わないの。お姉さんは桃子でピンクが似合うから嫌になっちゃう」という台詞が原作にあるんだよね。映画的に緑を着させる必然性は無いんだから原作ファンのためにも緑は着させないで欲しかったなぁ。

そして突撃隊(というあだ名のキャラクター)。これはこの作品において非常に重要なキャラクターなんだけど描かれ方が薄かった。ま、これも「それやってると大河ドラマになる」という話なんだけど。(でも、これって映画だけ観ると直子と突撃隊が裏表の描写のような気がしてそれはそれで成功だったのかな?)

あと大学教授役糸井重里、レコード店店長細野晴臣、門番役高橋幸宏、と言ったカメオ出演はいらなかったと思うなぁ。こういう有名人が出てくる度に「あ、糸井重里だ!」ってみたいにノイズになるんだよな。

そして、これは映画としての致命的な欠点だと思うけど、「原作読んでないと分からない」描写が多すぎる。たとえばワタナベは学生寮に住んでるんだけど、知らない人に取ってみると「あれ?なにこの共同生活?」と思うと思う。

ミドリとワタナベが初めて出会って、次のシーンで二人でデートしながらミドリが「ごめんね、こないだ待たせちゃって」と言うんだよね。本当はミドリがデートをキャンセルする、という話が入る。ここでミドリの勝手な感じ、もっと言えば人を振り回す「邪悪性」が分かるんだけど、それを知らないと、つまり原作を読んでないと「え?なんのこと?」と思っちゃうと思う。

ワタナベがバイト中に手を怪我するシーンも良く分からない。いきなり血が出てるんだもん。

それからミドリが「彼氏と別れた」と言った時にワタナベは「どうして?」と言って欲しかったなぁ。そこでミドリの名台詞「どうして??あなた仮定法過去が分かるくせにそんなことも分からないの?あなたが好きだからに決まってるじゃない」は欲しかったよな。

こういう「原作読んでないと分からない」箇所が多いんでこの映画は敷居が高くなってると思う。

とは言え、原作を何度も読み返して頭に入ってる僕みたいな人間からすると「うん、まぁよく作ってるな」と上から目線の感想になる映画でした。

ということでもし映画を観るんだったら原作を読んでからのほうがいいと思います。



あ、メリークリスマス。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

2010-10-04 19:35:55 | 村上春樹
ぷらっと本屋に寄ったら出てました。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

とにかくいいタイトルだね。

村上春樹初めてのインタビュー集だってさ。そもそもあんまりインタビューを受けない人だから資料的にも価値あるよね。

ねじまき鳥にせよ1Q84にせよ、一筋縄では行かない小説で、それをしっかり理解しようと思ったら、もちろんオリジナル・テキストをしっかり読み込むという手があるけど、それ以外に「過去の作品を読む」というのと「作者のインタビューを読む」って手があるね。

その後者としてこの本は役に立つと思うな。

ま、仕事で読んでるわけじゃないんだから役立つ役立たないではないんだけど、とにかく本屋で村上春樹の本が出てたら「ええい!」と買っちゃう人なんだからしょうがないよねぇ。

ハッピー・バースデイ

2010-07-19 17:38:37 | 村上春樹
夏ですな。

ありがたいことに三連休なんで料理したり洗濯したりジョギングしたりプール行ったり、その隣の野球場でやってる中学生の野球の試合見たりしてるけど今日は本の話。

『考える人』って雑誌で村上春樹ロングインタビューやってました。



ご存じの人もいるだろうけど村上春樹はなかなかインタビューを受けない。その村上春樹がなんとまぁ2泊3日にわたって約100ページくらいインタビューを受けてるわけで、これはかなり貴重。僕の知ってる限り最長のインタビューなんじゃないかな。

話は今までの作品からもちろん最新作『1Q84 BOOK3』まで渡ってる。

しかしまぁ天吾の話のベースに真景累ヶ淵があったなんてねぇ、びっくりしました。

インタビュー読んでると「『羊…』のときは…」だの「『納屋を焼く』では…」だの昔の作品のことも言及されてて、そういうの読んでると「どうだったっけかな?」と気になって本棚から過去の作品をひっぱり出してくることになる。

つって読んでるのはぜんぜん関係ない村上春樹の訳書だったりするわけだけど。

つーことで「バースデイ・ストーリーズ」を読み返してます。

バースデイ・ストーリーズバースデイ・ストーリーズ
(僕の持ってるのはこのハードカバーだけどちょっと安めのペーパーバックのも出てます。)

これね、村上春樹が「バースデイに関する短編」というテーマで現代アメリカの短編を集めて訳したものなんだけど、非常にいいんだよね。

とにかく1編目の『ムーア人』が最強にいい。

主人公が最後に手にしているものが短編を通じて自分の目の前にもしっかり手が触れられるくらい現れてくるような気がしてくる。

村上春樹が訳した短編を全部読んでるわけじゃないんだけど、もし「これ!」という一編を選べと言われたら迷わずこれを選ぶな。

最後に村上春樹自身の書き下ろしの短編も入ってる。

それがある女性の二十歳の誕生日の話なんで、もし機会があれば二十歳の誕生日を迎える女性にこの本をプレゼントしたいな、と思い続けてるんだけどなかなかそういう機会は無いね。

やっと読み終えましたよ…

2010-06-27 18:30:01 | 村上春樹
やっぱりバイキング料理はオリジナリティが重要ですね。

飲み放題のコーヒーにアイスを入れてみるなんてのはまだまだ初心者で、そばに天ぷら乗っけて天ぷらそばにしてみるとか刺身をご飯に乗っけて適当に海鮮丼作ってみるとか。

はい、温泉行ってきました。でもまぁその話はまったく関係ない。

やっと読み終わったんです。

1Q84 BOOK 31Q84 BOOK 3

別に読み終えたくなかったわけじゃないんですけどね。

もちろん、発売日前に予約して発売日には届くようにamazonに手配していた。

でもねぇ、なんつーか「Book2で終わったはずじゃん、それに何を付け加えるの?」とは思ってたんだけど、うーん、なんというかそういう批判精神があって読まなかったわけでもないんだけど、、、ま、いろいろ思うところはあるね。

発売日に届いてちょっと詠んでみたけど「え?この人の話から始まるの?」と思って「そう言えば前までってどんな話だっけ?」と忘れてて最初の数ページ読んでほっといた。

そこから約2ヶ月経って再度読み始めて2、3日かそこらで読み終えた。

僕の非常に個人的な、偏見に満ちた感想を言うのであれば「うん、よかった」の一言。

物語としてもきっちり決着が着いたし、そこに至るまでのストーリーもよかった。そしてもちろんのこと村上春樹の語り口(乃至は文体)もいつもどおりすばらしかった。

とても深い(社会学的に、宗教学的に)読み方も出来るし、すごく単純な「ガール・ミーツ・ボーイ」ストーリーとも読める。

やっぱり何はともあれ2つの章がクロスしかけるところはドキドキした。

たぶん誰しも寒いベランダに座って公園の滑り台に誰かが来るのをじっと見ているものなかのかも知れない。

でもなぁ、こういう本が何百万部も売れちゃうのはやっぱりよく分かんないよな。

ワタナベ、とか。

2009-11-02 21:57:19 | 村上春樹


ワタナベ



直子







キズキ



永沢



レイコ





だってさ、映画版「ノルウェイの森」。


突撃隊は誰がやるんだろうね?出てこない、とか無しね。

しかしまぁ、本気で作っちゃうんだね。今更??って感じもしないでもないんだけど。

今、発表されてるキャストを見ると、
ワタナベ→有
直子→?
緑→有だけどもっと蓮っ葉っぽいほうがいいんじゃない?
キズキ→よく知らないからなぁ。
永沢→有
レイコさん→若いねぇ。なんか僕のイメージだと40代くらいなんだけど。

さーてどうなることやら。

遅れてくるボレロのような

2009-05-31 01:02:05 | 村上春樹
漫画『昴』にこんなシーンがあります。

---
天才的バレリーナ、プリシラ・ロバーツ。
彼女が人生の総決算的舞台を行う。演目は「ボレロ」。
多くの人が素晴らしい舞台を期待するものの、人々の感想は、
「いや、良かったよ。でもあんなものなのかな」。
しかし、プリシラは言う。
「彼らが本当に体験するのはこれからよ」
舞台を見た人々はその後、何をしていてもボレロのリズムが頭の中に鳴り響く。
---

村上春樹の最新長編『1Q84』を読み終えました。

ずいぶんと待たされた長編だったのでゆっくり読もう、と思っていたんだけど2日で読み終えてしまった。こういう時、自分の読書のスピードをちょっと恨めしく思うわけだけど。

読み終えた時の感想は「うん、悪くない。でも、こんなものなのかな?」という感じでした。

でも、プリシラのボレロのように、この小説のリズム(と言うかグルーブというか)が頭から離れない。

ふとした時に、「あ、あれはああいうことだったのかも知れない」と思い出す。

昔、こんなことを書いたことがある。(生意気にも)

---
僕の心の中に湖があって。
その湖の表面にさざ波しか立てないような小説は好みじゃない。
僕の好みはその湖にどすんと大きな岩を落とすような小説。
---

心の中の湖に大きな岩を投げ入れられる。
そのことにしばらくは気づかない。
でも、ふとした時に湖には波紋が起こっていることに気づく。

正に『1Q84』はそういう小説だった。
村上春樹
Amazonランキング:3位Amazonおすすめ度:


2009年のピンボール

2009-05-27 20:45:13 | 村上春樹
世の中には色々な人がいるから、当然、自分と趣味が合わない人、というのもたくさんいる。

正直言って「趣味のぴったり合う人」と出会うことのほうが奇跡なくらいで。

決してペシミスティックに言っているわけではなくて、趣味が合おうが合うまいが人として付き合っていくことは出来るわけだから単なる事実としてね。

本とか映画とかでも自分が「とても好き」と思っているものを「うーん、どうもね…」と言われることだって多々あります。

たとえば僕は伊坂幸太郎が好きなわけだけど、伊坂幸太郎が苦手、と言われると「そうかな?かなり面白いと思うよ、『アヒルと鴨のコインロッカー』のあのところとかさ、『終末のフール』のあの短編とかさ」とやんわりとした反論をすることになる。

でもこれが「村上春樹」について、だと少し違う。

村上春樹の小説を好んで読むのはもう僕にとっては「習性」というか大袈裟かも知れないけど「自分の一部」のようなものになってしまっているから、「ま、もう言われてもどうしようもないし」とそもそも反論をする気すら起きない。


僕の部屋の本棚には村上春樹コーナーがあって、一番取り出しやすいところに村上春樹の小説が置いてある。

ふと、なんかの拍子に「あれ、あのフレーズはどの小説だったっけ?」と思い立って真夜中に本棚をあさることになる。

陳腐な表現だけどそれこそ「何度読んだかわからない」ものばかり。


僕の中のベストはなんだろうな?と時々考えるんだけど、たぶん、こんな感じ。

【長編】
・国境の南、太陽の西
・羊をめぐる冒険
・1973年のピンボール

この3つはほとんど固定。それ以外はライン一直線。

長編の一位が「国境の南、太陽の西」ってのはかなり異色なんじゃないかな。村上春樹が好きな人と話をしていても同じ意見の人に出会ったことないもの。

「ダンス・ダンス・ダンス」と「ねじまき鳥クロニクル」というハードな、そしていささかヘヴィな長編に挟まれたあまり目立たない短めの長編(あるいは長めの中編)なわけだけど、僕はすごく好き。

短編だったら「神の子どもたちはみな踊る」だなぁ。


というわけで出ました。村上春樹の新作『1Q84』。
仕事の合間に本屋に出かけてゲット。
村上春樹
Amazonランキング:1位Amazonおすすめ度:



まだ読んでないから何も言えないけど。

2009年最大のイベント(予定)

2009-03-13 23:41:28 | 村上春樹
「ワールドカップがある、というだけでその年何があろうと楽しめる」というのは明石家さんまの言葉です。

2009年の12月31日に僕が健康でしかもまだ独身だったら、「今年は村上春樹の新作が出たんでいい年だったなぁ」と思うと思う。

ということで出ます。

村上春樹の新作。


オフィシャルサイトには新作のタイトルと、発売予定である2009、それから、2002、1994、1985、の数字が回っている。

それぞれ「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」、「ねじまき鳥クロニクル」、「海辺のカフカ」の発行された年。

今回の作品はうわさによると、村上春樹作品の中で最長のヴォリュームになるそうです。ねじまき鳥より長いの!?すごいことになりそうだな。

今のところ一番新しい長編は「アフターダーク」。実はこれは僕のブログの一番最初の記事で書いたんだよな。2004年、つまりもう5年前ってことですよ。

これは長編というより「眺めの中編小説」とでも言うべき位置づけなので、がしっとした長編というと「海辺のカフカ」以来ということになる。これは2002年のもの。だからなんとまぁもう8年も前。

タイトルは「1Q84」。えーっと「イチ・キュー・ハチ・ヨン」と読めばいいのかな。

ジョージ・オーウェルの「1984」の単なる駄洒落だったらかなりのフェイントだけど。

楽しみだぁ。

たぶん、しばらく、

2008-10-02 01:01:24 | 村上春樹
続きます、と言って続かないのが僕とドッピオさんのブログなわけですが。(そうだっけ?)

最近、本棚を整理しよう、と思って色々掘り返しています。

村上春樹が好きなんだけど、結構頻繁に読み返すのがこちら。

村上 春樹
Amazonランキング:23409位Amazonおすすめ度:



たぶん、村上春樹の長編ランキングを普通の人に聞いて集計したら言えばベスト5には入らない。

でも僕の中ではベスト3には入るね。

初めて読んだのは1992年。僕の手元にあるのが初版本だからね。この年に僕が生まれたわけですが。(うそ)

多感な時期にこんなの読んでるんだからそりゃこんな人間になるよね。

筋はまぁ読んでいただくとして、心に残っているのがこういうシーン。

主人公はバーを経営している人で、そのバーが紹介された雑誌を見て昔の彼女が尋ねてくる。その女性と何度か会うわけだけどある日、自分のバーに行くとバーテンから言付かったと手紙を渡される。
「たぶん、しばらくはここに来ることが出来ないと思います。さようなら、お元気で。」
いろいろあって、その後、またその女性がバーに現れる。

そこでの主人公の台詞。
「しばらく、というのはね、待つ方にとっては長さを測れない言葉なんだ。そしてたぶん、というのは重さを測れない言葉だ。」

92%の諦観、8%の情熱

2006-11-24 23:25:59 | 村上春樹
ということで村上春樹訳グレート・ギャツビーを読み終えた。
スコット・フィッツジェラルド, 村上 春樹, 村上春樹 / 中央公論新社
Amazonランキング:67位Amazonおすすめ度:


率直に言ってしまうと「うーん、そこまでいい小説なのかなぁ」という感じなんだよね。いや確かに大学時代に読んだときよりは「うん、なるほどそういうことなのか」と思った。村上春樹はあとがきで「この本の翻訳に関しては極力自分を出さないようにした」と言っていたけどとはいえ村上春樹臭というのはじわじわと滲み出している感じがするし。そういう村上春樹臭に慣れ親しんだ身としては読みやすい。それでもなぁ。。。またしばらく経って読み返したら印象が違うのかも知れないけどね。
次はレイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」が出るそうです。こういうある種「古典」を訳しなおす、というのは僕はいいと思う。落語だって落語家によって違うからね。僕は古今亭志ん朝の「付け馬」が大好きなんだけど他の人の「付け馬」ってなんか違うもの。


こちらは思いもかけず面白かった。だらだらと読んでたら面白くて面白くて。猫マーロウさんがいいよね。

中に「いや、ほんとに俺もそう思ってた!」という話があった。「昔好きだった人が忘れられません」という相談に対して村上春樹が「必ず二度目のチャンスがあるのでそれを待ちましょう。二度目のチャンスを逃すと三度目はありません」と答えていた。わかる!! 僕の(少ない)経験から鑑みてもそうですもの。

いろいろあって別れてもふとしたときにまだ道が重なるんだよね。ふと思い出して電話してみたらちょうど彼氏と別れてた、とか。それでまた「食事でも」という話になって結構いい感じになったり。これはねー、ほんとそうです。で、さらに「三度目は絶対ない」というのも本当。これがまたきれいさっぱりない。三度目にあったとしたってそれはもう完全に友達。向こうがそう、というだけでなくこちらも「まぁもういいか」と思うしね。二度目を決めれるかどうかなんだよねー。村上春樹が言うには「二度目まで【92%の諦観、8%の情熱】で待ちましょう」ってことだそうです。うーむ、含蓄のあるいい言葉だね。これはね、28歳くらいからなんか理解できるようになった。28歳くらいまでは【99%の情熱、1%のあせり】だったもんな。理想としては「これは相手もまんざらではないかな」というセリフや行動があっても9回くらいはにっこり笑って受け流す。10回目もGentlyにやりすごす。11回目に少しだけ情熱を表す。こういうのがきっちり出来るようにならないとね。しかしねー30そこそこくらいではまだまだ理解は出来るけど体がついてかない、って感じなんだよな。今までの僕の(少ない)経験上、二度目は大体3年以内に来ますね。お互いの年齢にもよるのかも知れないけどね。だから忘れられない人がいる方、【92%の諦観、8%の情熱】で3年間の辛抱です。ほんとかね?

村上春樹ってこういう標語うまいよなぁ。

「一に足腰、二に文体」
「腹が立ったら自分に当たれ、悔しかったら自分を磨け」

いいねぇ。

一番面白かったのは「早寝早起き朝ごはん」という言葉を入れて標語を作ってください、という質問への
「早寝早起き朝ごはん、だめよ朝からそんなこと」
って答え。くだらないよね。

関係ないけどこのシリーズ読んでると「カラマーゾフの兄弟」読みたくなるね。上巻は持ってるんだけどなぁ。