浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

シュガー・ラッシュ:オンライン

2018-12-27 12:09:37 | DVD、映画
「シュガー・ラッシュ:オンライン」を観てきました。



僕は前作「シュガー・ラッシュ」が大好きで。いまだにこの映画のことを思い出すと「ほんとに良い映画だったよなー」としみじみ思う。

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シュガー・ラッシュについて書いたのはこちら→「こにくらかわいい」

今回の続編も大変楽しみして観てまいりました。

まず、もちろん天下のディズニー印、一定の水準は保ってます。もちろん面白い。ただ、残念ながら、「うーむ、惜しい!」と思う作品だった。もちろん面白いしいくつかのパートではホロっとさせられてなによりとにかく楽しい、良い映画。だけどね、惜しいの。

今回はそこについて書きます。例によってネタバレになるのでどうぞ本編をご覧になってから読まれることをオススメします。





















さて、まず「シュガー・ラッシュ」について。僕がなぜこの映画を好きなのか。これは逆説的に続編を見て改めて感じたことがある。

それは作り手の「ゲームに対する愛」です。シュガー・ラッシュというのはゲームの中の世界の話でゲームが大きなテーマとなっている。僕自身、小学生の頃にTVゲームが誕生してもちろん夢中になった。ゲームとともに育ったと言っても過言ではないと思う。ゲームをやると馬鹿になるとか、ゲームは有害だとかそういう世論もあったけどとにもかくにもゲームに対しては思い入れがある。

そのゲームに対して、作り手側も同じように感じているんだな、と僕は感じた。

だから、ゲームで育ってきた自分自身の魂ごと肯定されているような感じがした。そこがとっても楽しかったんだよね。

愛で言えばゲームをやってきた人間なら「そうそう、そこはそうだよね」「ああ、これこれ、あったよね」と同意出来るところが多かった。

一方で、残念ながら、というしか無いんだけど、続編「シュガー・ラッシュ:オンライン」にはそれがあまり感じられなかった。

これは本当に「仕方ないよな」と思うところもある。

というのは前作の舞台になっている「ゲーム」ははっきり言って「ゲームで育った」という人がいる。例えば僕くらいの年齢であれば確実にそうだろうしもう少し上の世代でも「中学の頃ハマってたよ」という人だっているだろう。

しかし、今回の舞台になっている「インターネット」というのはそれよりは少しだけ時代が新しい。だから「インターネットに育てられたよ」と言う人はおそらくまだまだ若い世代なのではないだろうか。更にいうとその中でもこの映画の重要な要素になる「オンラインゲーム」で言えば「生まれたときからオンラインゲームで育った」という人は本当に若く、残念ながら映画を作る年代、その中でも「映画を作る年代の中でも特に責任ある立場(プロデューサー、監督、脚本家、、)」にはなってないんじゃないだろうか?

例えば、監督のリッチ・ムーアは55歳。おそらく「オンラインゲームで育ったよ」という人ではないだろう。違かったらほんとに申し訳ないけど。

ただ、もちろんとにかく映画をしてはとっても面白い、上から目線で申し訳ないけど「良く出来てる」ともちろん思う。

なにより、やっぱりオンラインの世界は楽しいし、ヴェネロペは相変わらずかわいらしい。

ただ、そういう「うんうん、そうだよね、わかるわかる」というところが少なかったなーと思うのが残念だな、と思うだけ。

例えば、今回の主な舞台になる「インターネットの世界」では下層に行くほど非常に古いサイトが埋まってるという描写がある。そこにはGeocities(なつかしい!)なんかが埋まってるわけですがこのあたりもっと面白くなりそうなのにもったいないな、と思ったりする。

あと例えば、ヴァネロペが入り込むオンラインゲーム「スローターレース」というゲームがある。普通に考えたら「え?いきなりこのゲームに新キャラクター(ヴァネロペ)が出てきたら普通はプレイヤーびっくりしない??」と思うよね。しかも一応、設定としてはこの世界においてはヴァネロペは「シュガーラッシュ」というゲームのキャラクターなんだから「え?なんでスローターレースにシュガー・ラッシュのヴァネロペ出てるの??」というリアクションになるはずだよね。

こういうところが惜しい。

いや、これさ、ちょっとした工夫で自然に出来るはずなんですよ。例えばキングダムハーツという実在するゲームがあって、これではファイナルファンタジーのキャラとディズニーキャラが戦ったりする。こういうゲームはたくさんあるわけね。違うゲームのキャラがゲスト出演、とか。

だからこのスローターレースも「裏技でシュガー・ラッシュのヴァネロペが出てくるようにバージョンアップ」とかそういう設定にすればよかったのにね。

後ね、もっと良いのは「そのゲスト出演の関係で二頭身キャラだったヴァネロペが八頭身に」とかなったらさ、更に「今のままで変われないと思ってるラルフとどんどん成長していくヴァネロペ」という対比が出せてもっともっと面白くなったろうになーとも思う。



その一方で。

今回とにかくとっても良かったと思うのはディズニープリンセスたちだよね。前作は「ゲームに対する愛」が溢れていた、と書いた。ゲームで育った人たちがゲームの愛を込めて作った映画が前作だったと思う。そして今作は残念ながら「オンラインゲームで育った」という愛があんまり感じられなかった、と僕は思っている。では、その分の「愛」で何が描かれていたかというと「ディズニープリンセス」だと思う。

ディズニープリンセスで育った人たちはたくさんいるだろう。女性はもちろん、男性の僕だって彼女たちのことはそれなりに知っている。その彼女らの人生をしっかり現代風にアップデートした、という点でとっても素晴らしい描写になっていたと思う。

最後の彼女らの行動は、決して「ディズニープリンセスに育ててもらった」とは思ってない僕ですら大変にグッと来てしまうものだった。

観た人ならご理解いただけると思うけど、眠りに落ちてただ王子のキスを待つ、なんてもう時代じゃない、ってことだよね。ここは本当に素晴らしかった。


そして、僕はだいたい「突然歌い出す」映画は大好きで無条件で泣けてしまう人間なのでそのシーンは素晴らしかったね。

そうそう、そしてひとつ言っておきたい。

今回、サブキャラクターとして重要な役割を果たすのは「スローターレース」のキャラクター、シャンク。この声を当てているのが、、、

ガル・ガドット!

はい、5億点。

えがったですねー、彼女の、少しハスキーな声がヴァネロペを導くキャラクターとして合っていて。これだけでやっぱり良いですよ。


ということで、いろいろなことを言いましたが繰り返しになるけど映画としては絶対に面白い映画だと思います。

質問に答える、ということ。

2018-12-12 19:22:59 | 日記
以前、僕が考える「頭の良さ」とは「きちんと質問に答えることのできる能力のことだ」と書いた。

愛と悲しみの喫茶店学から。「頭の良さとはなにか?」という話

「きちんと聞かれたことに答える」ということは実はとても大事なことで、更にいうと時に意外と難しい。

よく例として出すんですが、例えば窓のある部屋にいて一人が「ちょっと暑くないですか?」と聞いたとする。これは文字だけ見れば返答は「はい、暑いです/いいえ、暑くありません」のイエス・ノーで答えられる質問。しかし、人と人のコミュニケーションだとこの「暑くないですか?」は実は「暑いので窓を開けてください」の意味だったりする。(これは語用論という考え方なんだけどそのあたりは割愛)

このように、相手の言葉が何を意味しているのかということをしっかり把握して適切に答える(場合によっては言葉で答えるだけではなく行動、例えば「窓を開けてあげる」とか、で「応える」必要もある)ことが大事。

僕が考えるもっとも誠実な知性の使い方というのはまさに、「相手自身も何を求めて何を訪ねているかわからないのだけど、それをしっかりと汲み取り、応えること」だと思っている。

例えば、相手が「うーん、なんて質問していいかわからないんですけど、、」という感じでモヤモヤと聞いてくる質問に対してしっかり話を聞き問題を解きほぐしいくつかの返答をし結果として「なるほど!私はそういうことを聞きたかったんです!すっきりしました!」と言ってもらえるようなこと、です。

こういう対応ができる人こそ、僕は「頭の良い人」だと思う。

その次の段階として「質問に答えているようには一見見えるけど、実はちゃんと応えていない」というのがある。これは要は最近言われる「ご飯論法」というものが典型ですね。

「朝ご飯は食べましたか?」
「いえ、食べてません」
「記録によるとあなたは朝8時に食事をしていますよね?」
「はい、ご飯では無くパンでした」
「では、パンは食べたんですね?」
「いえ、急いでいたので飲んだんです」

みたいな答え方のことです。

例えば仕事をしていてもここまでひどくなくても「この人、会話はしているけどぜんぜんちゃんと質問に答えてくれないな」と感じることが多々ある。

このパターンには2つあって、ひとつは単純に質問の意図を把握できない、というパターンともうひとつ、悪意をもって質問をはぐらかそうとしているパターン。

前者はまぁわからないのなら仕方ないな、と思うけど後者は悪質だよね。なんとかして質問に答えないようにすることに頭を使うよりもっといい頭の使い方があるだろう、と僕は思う。

しかし、「なんとか質問に答えているように取り繕って、質問に答えないようにする」というはそれでもまだ「頭を使っている」とも言える。「ちゃんと質問に答えなさい!」と糾弾されないレベルで一応「私は聞かれたことには答えました」といえるレベルを保つ、という意味では。

なので「全く知性の無い返答」というのは、取り繕うこともせず、ただただ単純に質問に答えないというやり方。これははっきり言うけど人でなくても出来る。例えば道端の石ころに質問しても答えてはくれない。つまり、石ころでも出来る、ということ。

これはねー、はっきり言ってとんでも無くひどいやり方だと思う。呆れ返りますね。まっとうな人間のやることではないでしょうね。


そういうことで。

次の質問どうぞ。
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