浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:ハンニバル伝 9

2009-03-31 21:28:53 | ローマ人列伝
古代史において「名将を5人挙げよ」と言えば必ず入るであろうハンニバルとスキピオ。運命はこの2人を同じ時代、同じ地中海世界に誕生させました。そして更にこの2人を違う国の司令官同士として戦わせる、というのですから運命というものは劇的です。

名将ハンニバルは「読んで作る人」でした。

情報を集め、人の心を読み、新たな戦略戦術を作る。今まで誰もが使っていながら有効活用していなかった騎兵での包囲戦術を確立させ、その戦術は現代の陸軍士官学校でも最初に学ぶ題材になっているほどです。

一方、ローマのスキピオは「学んで磨く人」。

若い頃から3度もハンニバルとの戦いに出向き、その肌でハンニバルの戦術を学び自分の物として磨き上げていました。

もし同じ国に生まれていたら、彼らは良き師弟になっていたかもしれません。しかし今は敵同士。歴戦の名将ハンニバル、ひとつだけ恵まれなかったのは自身の将器を継ぐ後継者の存在。


ローマ本国まで迫りながら「ローマの盾」ファビウスと「ローマの剣」マルケルスにより南イタリアへの足止めを余儀なくされ、マルケルスをやっと倒したと思えば本国の危機により、帰国せざるを得なくなったハンニバル。

カルタゴ本国により軍曹司令官に任命されたハンニバルは本国でこの戦争を決定する戦いを迫られます。ローマ遠征軍を率いるのはスキピオ。

スキピオは25歳の時に「そんな若造に何が出来る」と元老院から嘲笑を浴びながらもヒスパニア、ハンニバルの地元の攻略に見事成功しており、6年後の今は執政官になっていました。彼が指揮を執った戦いは今まで無敗(一方、彼が「参戦」した戦い、ティチーノ、トラジメーノ、カンネーがことごとく完敗だったのは面白いところです)。しかし、スキピオのあまりの能力に嫉妬と恐れを持った元老院からは冷遇されており、執政官となった今もローマ正規軍団の指揮権は持たされていませんでした。ならばとスキピオは独自にシチリアで義勇兵を募集。

※余談ですが「話しても無駄なら実力で見せてやる」とばかりこのように黙認のまま成果を出してしまうところがスキピオのすごさである反面、「そういうことやるから元老院に嫌われるんだろう」というところでもあります。

スキピオの呼びかけにはカンネーで生き残り、ハンニバルに恨みを持つ兵が多数集まります。この兵を訓練し自らの軍団を組織、カルタゴ侵攻の許可を元老院に求めました。

しかしこの作戦に元老院の中心人物「ローマの盾」ファビウスは「対ハンニバルはあくまで持久戦」と強く反対。憤慨したスキピオは半ば強引にアフリカに渡ったのです。

ハンニバルは16年間、カルタゴ人ながらカルタゴ本国の援助を受けず独力で戦って来ました。にも関わらず、ローマ本国攻略までもう少しのところでカルタゴ救援のため本国帰還を余儀なくされました。一方、無敗を誇りながらローマ本国からは見放されたスキピオ。

彼らの戦いは北アフリカの平地、ザマで行われます。



ザマに到着したハンニバル軍、敵であるスキピオ率いるローマ軍がそこから100キロ西に陣を張っていることを知ります。「情報」がすべての糧であるハンニバル、早速敵陣に調査兵を差し向けます。

が、その調査兵はローマ軍に捕えられます。

司令官スキピオの前に召しだされた調査兵、当然斬首かと思いきやスキピオからの意外な言葉に驚きます。スキピオの言葉は「諸君らの目的が調査ならば存分に見たまえ」。調査兵は3日間、じゅうぶんなローマ軍調査を許されます。

3日後、戻った調査兵からこの話を聞いたハンニバル、スキピオに会談の申し出の使者を送ります。

そして、ここにハンニバルとスキピオの直接会談が実現します。

(ザマにおけるハンニバル、スキピオ会談の図)

両者共に伴っているのは通訳と少しの護衛のみ、正に一対一の会談でした。

先に口を開いたのは会談を申し出たハンニバル。

「おそらく…」

ローマと戦ってきた16年間を代弁するかのような長い沈黙のあと、ハンニバルは言葉を続けます。

「我々にとって最も幸福な選択は、ローマがイタリアより外には出ず、カルタゴがアフリカより外には出て行かないことであっただろう。ローマとカルタゴの争いの種はシチリアであり、サルデーニャでありスペインであったのだから。」

ハンニバルはカルタゴとローマの歴史から語り始め、続けて如何に自分がローマで勝利を収めてきたかを語り、そして提案しました。

「わたしとのこれからの対戦でもしもあなたが勝者になったとしてもあなたの名声が高まるわけではない。もしあなたが敗者となればこれまでのあなたの輝かしい戦歴は無に帰すだけでなく、あなた自身の破滅にもなるだろう。

だから提案したい。ローマ人はシチリア、サルデーニャ、スペインの正式な所有者となる。カルタゴはこれらの地方のためには二度と戦争に訴えないと宣言する。」


つまりハンニバルによる事実上の停戦提案でした。幼い頃から打倒ローマを誓ったハンニバルがここで停戦を提案した心中は計り知れません。しかし彼にはもう手はありませんでした。祖国スペインも既に落城。一度は盟を結んだガリア、マケドニア、シチリアもローマが奪還しています。栄華を誇ったカルタゴとは言えもはや現時点で大国となったローマに抗う術はありませんでした。あるいは。これは想像ですが3日かけて徹底的にローマ軍を調査した報告を聞き、「これはもはや勝ち目なし」と感じたのかも知れません。

しかし「手はない」のはスキピオも同様。その若さで執政官に当選し、元老院の反対を押し切ってのアフリカ遠征。もしカルタゴを落とせずローマに帰還すれば強く非難されることは明らかです。もはやローマが求めているものはカルタゴとの停戦ではなく、カルタゴの滅亡なのです。

実はハンニバルのアフリカ入りの前に一度はローマとカルタゴの間で休戦が結ばれかけました。しかし、カルタゴがハンニバルをアフリカに呼び戻したことはローマの逆鱗に触れその休戦も反古にされていたのです。スキピオには戦うしか、そして勝つしか手はありませんでした。

ハンニバルの停戦提案にスキピオはこう答えます。

「この戦役を始めたのはローマではなくカルタゴだったことはハンニバル、あなた自身が誰よりも知っている事実である。

ハンニバル、私はあなたに明日の会戦の準備をすすめることしか出来ない。

なぜならカルタゴ人は、いや、あなたは、平和の中で生きることが何よりも不得手なようだから。」


もし違う時代に生まれていれば戦うことはなく、稀代の戦術家として名前を残したであろう二人。

もし同じ国に生まれていれば、良き師弟として地中海世界どころかヨーロッパに平和をもたらしたであろう二人。

その二人が、しばしの沈黙の後、背中を向け、歩き出しました。

この会談が決裂したことで、このザマの地で、カルタゴ対ローマの最終決戦が行われることが決定しました。


…to be continued...