最近思うんだけど、やっぱりマネジメントとか戦略というのは人間の根本的な感情とか特性も考慮すべきなんじゃないかと思う。
シマウマに「ほれ、ウサギ狩って来い」と言ったって無理だし、カツオに「空を飛べ」って言っても無理。
いや、セールスに向いている人、事務作業に向いている人がいるから適材適所がいいってことじゃあない。(個人的意見を言えばセールスに向いてる人、向いていない人、なんて居ない。誰だってその気になればなんだって出来る)
たとえば、人間の根本的思考の方向性はざっくり二つしかない。
一つは「快楽を求める方向性」
勝ちたい、楽したい、褒められたい、いい給料が欲しい、認められたい…
一つは「苦痛を避ける方向性」
負けたくない、苦しいのはいやだ、仲間はずれはいやだ、家がないのはいやだ…
この二つがだいたいの人はフィフティフィフティではなくて、ちょっと快楽寄り、だったり、ちょっと苦痛寄り、だったりする。それによって「高い給料もらえるなら少しくらいつらくてもいいよ」となるか「いやな仕事してまで高い給料なんてもらいたくない」となるかが決まる。「いやな仕事してまで高い給料なんてほしくない」って人に「がんばれ!これ達成したら給料上がるぞ」といくらはっぱかけてもモチベーションはあがらない。相手がどっち寄りか、ってことを理解してそれにあったマネジメントをすすめるべきだと思う。
経営組織の編成(つまりは人事ってことか)だって、「この人の下にこの人を置いたらこう思うから、こうしよう」ということまで考えるべき。「この人とこの人合わないから離しとこう」という消極的な人事をすべきではなくて、目標のためにはこの人とこの人の組み合わせがベスト、ただそれだけだとこういう衝突や軋轢が起こるからそのガス抜きのためにこの人を近づけとこう」というのが必要なんだよ。すげー面倒だけど。
(この辺り、非常にヴィヴィッドな実例で持って説明したいけど生生過ぎるのでカット。みやまちくんやmotoくん、みーやんさんには今度話そう。酔っ払うだろうから何度も同じ話を繰り返すと思うけど)
人と人の関わりは化学反応みたいなもんで、組み合わせによって思っても見なかった効果が出るから面白いんだけど取り扱いには十分注意しなきゃいけない。
というようなことを「そうだそうだ!」と思った。モーニングに連載中の「ジャイアント・キリング」というサッカー漫画を読んでて。
この漫画のあらすじを説明すると、舞台はJリーグの万年最下位「イースト・トーキョー・ユナイテッド(ETU)」というクラブ。最下位脱出のための打開策として過去、チームでスタープレーヤー、達海猛を監督して呼び戻す。
監督が主人公のサッカー漫画、というの珍しいね。
この監督、型破りのように見えて実は相手チーム、自チームの心理を読んで采配している。
競合クラブ、東京ヴィクトリーとのプレシーズンマッチ。
自チームのスタープレーヤー、ジーノ(テクニックは抜群、協調性ゼロ)にキャプテンを任せる、という奇策を打つ。東京ヴィクトリーはダブルボランチ。相手のボールを奪い攻撃陣に繋ぐリンクマン、シニッチ。そして相手のキープレーヤーを徹底的につぶす潰し屋、三越。
三越は若くしてビッグクラブでレギュラーを獲得し、自分のプライドを「なんとしても相手のスターをつぶす」というところに持っている。
キャプテンマークをつけたジーノが、リンクマンに突っかかっていく。本来であれば三越はマークを代わるべきだけど、彼は「キャプテンマークをつけてるこいつをつぶすことが俺の仕事だ!」と、自分のプライドが許さずジーノを執拗なまでに追いかけていく。
そこでジーノにマークが重なり、中央にスペースができ、そこを突き、ETUゴール。
というシーン。
そうなんだよ。相手チームのことから考えれば、シニッチも三越もサボってたわけじゃない。むしろ「なんとしても自分の仕事を果たそう」と考えていただけ。だけど失点した。ミスは監督。監督がそれを見越して三越に別の戦術を与えればよかった。
相手の感情を見越した上で戦術を与えられるのがいい監督。
つまり、目標(=勝利)があって、自チームと敵チームのメンバーがいて、そこにどん、と目標を放り込んだときにそれぞれがどういう感情でどう動くか、という想定があって、それをより目標に近づけるべく、適切な戦略・戦術を打つ、ということ。
スポーツなんかでもそうだけどスーパースターを集めたチームが勝てるわけじゃない、というのがおもろいわけでね。
シマウマに「ほれ、ウサギ狩って来い」と言ったって無理だし、カツオに「空を飛べ」って言っても無理。
いや、セールスに向いている人、事務作業に向いている人がいるから適材適所がいいってことじゃあない。(個人的意見を言えばセールスに向いてる人、向いていない人、なんて居ない。誰だってその気になればなんだって出来る)
たとえば、人間の根本的思考の方向性はざっくり二つしかない。
一つは「快楽を求める方向性」
勝ちたい、楽したい、褒められたい、いい給料が欲しい、認められたい…
一つは「苦痛を避ける方向性」
負けたくない、苦しいのはいやだ、仲間はずれはいやだ、家がないのはいやだ…
この二つがだいたいの人はフィフティフィフティではなくて、ちょっと快楽寄り、だったり、ちょっと苦痛寄り、だったりする。それによって「高い給料もらえるなら少しくらいつらくてもいいよ」となるか「いやな仕事してまで高い給料なんてもらいたくない」となるかが決まる。「いやな仕事してまで高い給料なんてほしくない」って人に「がんばれ!これ達成したら給料上がるぞ」といくらはっぱかけてもモチベーションはあがらない。相手がどっち寄りか、ってことを理解してそれにあったマネジメントをすすめるべきだと思う。
経営組織の編成(つまりは人事ってことか)だって、「この人の下にこの人を置いたらこう思うから、こうしよう」ということまで考えるべき。「この人とこの人合わないから離しとこう」という消極的な人事をすべきではなくて、目標のためにはこの人とこの人の組み合わせがベスト、ただそれだけだとこういう衝突や軋轢が起こるからそのガス抜きのためにこの人を近づけとこう」というのが必要なんだよ。すげー面倒だけど。
(この辺り、非常にヴィヴィッドな実例で持って説明したいけど生生過ぎるのでカット。みやまちくんやmotoくん、みーやんさんには今度話そう。酔っ払うだろうから何度も同じ話を繰り返すと思うけど)
人と人の関わりは化学反応みたいなもんで、組み合わせによって思っても見なかった効果が出るから面白いんだけど取り扱いには十分注意しなきゃいけない。
というようなことを「そうだそうだ!」と思った。モーニングに連載中の「ジャイアント・キリング」というサッカー漫画を読んでて。
この漫画のあらすじを説明すると、舞台はJリーグの万年最下位「イースト・トーキョー・ユナイテッド(ETU)」というクラブ。最下位脱出のための打開策として過去、チームでスタープレーヤー、達海猛を監督して呼び戻す。
監督が主人公のサッカー漫画、というの珍しいね。
この監督、型破りのように見えて実は相手チーム、自チームの心理を読んで采配している。
競合クラブ、東京ヴィクトリーとのプレシーズンマッチ。
自チームのスタープレーヤー、ジーノ(テクニックは抜群、協調性ゼロ)にキャプテンを任せる、という奇策を打つ。東京ヴィクトリーはダブルボランチ。相手のボールを奪い攻撃陣に繋ぐリンクマン、シニッチ。そして相手のキープレーヤーを徹底的につぶす潰し屋、三越。
三越は若くしてビッグクラブでレギュラーを獲得し、自分のプライドを「なんとしても相手のスターをつぶす」というところに持っている。
キャプテンマークをつけたジーノが、リンクマンに突っかかっていく。本来であれば三越はマークを代わるべきだけど、彼は「キャプテンマークをつけてるこいつをつぶすことが俺の仕事だ!」と、自分のプライドが許さずジーノを執拗なまでに追いかけていく。
そこでジーノにマークが重なり、中央にスペースができ、そこを突き、ETUゴール。
というシーン。
そうなんだよ。相手チームのことから考えれば、シニッチも三越もサボってたわけじゃない。むしろ「なんとしても自分の仕事を果たそう」と考えていただけ。だけど失点した。ミスは監督。監督がそれを見越して三越に別の戦術を与えればよかった。
相手の感情を見越した上で戦術を与えられるのがいい監督。
つまり、目標(=勝利)があって、自チームと敵チームのメンバーがいて、そこにどん、と目標を放り込んだときにそれぞれがどういう感情でどう動くか、という想定があって、それをより目標に近づけるべく、適切な戦略・戦術を打つ、ということ。
スポーツなんかでもそうだけどスーパースターを集めたチームが勝てるわけじゃない、というのがおもろいわけでね。