浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

旨味の極地

2011-11-30 22:13:47 | 食べ物
こないだ牛スジ煮込みを作ったんです。



これね。

小田原で食べた薄味の牛スジ煮込みを真似て、昆布出汁と塩味のメインであっさりめだけど旨味たっぷりの。

もちそれはそれで美味かったんだけどそのあと、汁をフル活用した。

まずは次の日、その汁を別に取り、白だしを入れてうどんに。

更にそこに野菜とカレールゥを入れてカレーに。

もちろんどれも美味かったのよ。

で、余ってたカレーを冷凍して今日、食べたんだけど。

ンマーイ!

なんなんかね、時間置いて熟成されたんかね。

ほんとに100%うまみ、って感じで食べながら頭真っ白になったわ。

浅草ラーメン紀行

2011-11-29 18:50:46 | 食べ物
なんだか最近、よくラーメンを食べてます。寒くなってきたからかね。

ふと気づくと4の3(4日で3杯)というイチロー並の打率をたたき出したりしてる。

僕の住む浅草は案外ラーメン屋さんが多くない。もちろん日高屋だのそういうチェーン店はあるし、昔ながらの中華料理屋も結構あるんだけど、いわゆるラーメン専門店、例えば吉村家だのラーメンてつやだのはそんなに多くない。

そんな中で僕の最近のお気に入りは「浅草製麺所」というつけ麺屋。

ジムの帰り道にあるので、日曜日なんかにジムに行くとついつい帰りに寄ってしまう。(ジムの意味が無いといえば意味が無い)

つけ麺に関しては「ロマン主義的つけ麺よりリアリズムつけ麺が好き」という話を前にしましたね。もともとつけ麺はそんなに好きじゃなかったけど、今は結構食べる。

ここのベストはなんたって坦々つけ麺。そして特筆すべきは最後にもらえる(別に言えば最初っからもらえるんだけど)割スープね。この割スープがめちゃんこうまい。豚骨の白濁したスープで風味もよくちょっとした甘味もあって。毎回「もうこのスープをご飯にぶっかけて醤油とラー油だけで食べても旨いんじゃないか」とすら思う。

それからこっちは浅草浅草寺すぐの「よろゐ屋」。完璧な和風というか昭和風ラーメン。鶏がらと煮干のスープ。旨いよ。

ちょっと上にゆずが載っていてこの風味がいい。

あとここのお勧めは餃子。

中に春雨が入っていてにんにくは使っておらずあっさりめ。


これは「元楽」。場所は浅草というより蔵前。

背油こってり系で有名でそのせいか床がつるつる滑る。どれくらい滑るかというと言問通の弁慶なみ(すごい比較だ)。ちなみに弁慶は店前の道路が雨の日でも濡れていない(脂ではじく)という都市伝説があります。

元楽行くといつも脂そばを食べたいんだけど脂そばは14時からでいつもがっかりする。脂そばが無いとここのメニューは醤油味の元ラーメンか、塩味の楽ラーメン。元ラーメンは弁慶に似ているのでここに来ると大体僕は楽ラーメン。ここはチャーシュー丼も美味しいんだけどそのセット食べてしまうと丸一日おなか一杯で動きが鈍くなるので最近はあまり食べない。

ラーメンのときはご飯が欲しいんだけど最近は小ライスでもおなか一杯になってしまう。更に小さいサイズのライスがあるといいんだけど。ナノライスとか言ってどこか出してくれないかな。

こちらは「馬賊」のメンマ麺。店名が我々好みでいい。

ここの特徴は手打ちラーメンであること。時々、麺を伸ばす「ばったん!」という大きな音が響く。どのくらい大きいかというと店内のお客さんがびっくりして会話が止まるくらい。
手打ちだけあって麺が美味しい。スープも僕好みの醤油。僕の中ではこういうの海の家系ラーメンと呼んでます。海の家で食べるような何の変哲も無いあっさりしたちょっとしょっぱめの醤油スープ。


こっちは浅草ぜんぜん関係ないけど海老名のサービスエリアで食べた「たいざん」のゆず塩ラーメン。

よろゐ屋もそうだけどゆず風味はいいね、この季節。

このサービスエリアではフードコートにもう一店舗あって、そっちは人の食べさせてもらったんだけど美味しくてビックリした。一口もらってスープ飲んだとき「うま!?何これうまっ!」って驚いたもの。今度、海老名サービスエリアに行くことがあればぜひあのラーメンをくいたい。


これから浅草でちゃんと食べたいな、と思っているのは佐賀ラーメン「美登里」。別に遠いわけじゃないんだけどぷらっと向かうと定休日だったりしてなかなか食べられないんだよなぁ。

だんしがしんだ

2011-11-24 00:42:30 | 日記
立川談志が亡くなりました。

この人がどれだけ偉大な人だったのか、というのは僕が言うまでもない。落語・お笑いという局地的な話しだけではなく、日本の思想界においても大きな影響を与えた人だった。

この人の話をすると長くなるので、この人の「芝浜」の話をしたい。

これは僕は生まれて初めて落語を見て泣いた、ウルッと来た、というだけでなくボロボロ涙を流した。すごい落語。youtubeで観られますから最後にリンクはっときます。ぜひ。

「芝浜」という落語は有名な古典落語で過去たくさんの人がやってきた噺です。歴史を紐解けば三遊亭円朝という大大大落語家の作と伝えられています。(円朝の話はまた別途必ずします) 円朝という人はこの「芝浜」を三題噺として作った、ってんだからすごいね。

三題噺というのはその場でお客さんから3つお題をもらい、アドリブでその場で噺を作る、というもの。このときは「よっぱらい」「財布」「芝浜」というお題で即興でこの噺を作った、とのこと。(芝浜というのは今でいう芝公園あたり。昔は魚市場があった)

簡単にストーリーを紹介しときます。

主人公は魚屋。腕のいい魚屋だけどお酒にはまってしまって仕事をさぼりがちになってしまう。それでも奥さんは(稼いでくれないと生活できないので)旦那をけしかけ仕事に行かせる。

旦那は芝の浜、つまり魚市場にに行ったものの、やる気が出なくてとりあえず一服。そこで海の中に落ちていた財布を拾う。
財布を手にあわてて帰って奥さんと中身を改めてみるとそこには50両。あ、談志版は42両かな。

※当時の五十両はたとえば落語『文七元結』で娘を売ったお金が五十両。また当時は「十両盗んで首が飛ぶ」つまり十両盗めば死罪、と言う時代。だから五十両はかなりの大金。

夫婦はこれで借金生活から抜け出せると大喜び。とりあえず旦那は財布を拾ったことを隠し、友達を呼んで大宴会。そして寝てしまう。

起きてみると奥さんが「ところであんた、昨日の支払いどうするの?」「あの五十両で払えばいい」「何、あの五十両って?あんた夢でも見てたんじゃないの??」 なんだよ、あの五十両は夢だったのか。。。おっとそれじゃ昨日の宴会の支払いどうする? これに懲りた旦那はもう一生酒をやめるからとりあえず昨日の支払いだけは何とかしといてくれ、と奥さんにお願いする。。。

これを境に酒を一切やめた旦那、元々魚屋の腕はよかったので仕事に精を出し貧乏暮らしからは抜けられる。そして数年経った大晦日の夜、、、

という噺。

立川談志の芝浜は本当にすばらしくて何がすばらしいかと言うと僕は出てくる奥さんの、旦那に対する「愛」がたまらなくいいと思うんです。透き通ったキラキラした愛じゃなくて、貧乏のどん底で旦那はろくでもない、それでも好き、という「どうしようもない愛」が。

いわゆる「落語」というのは「古典落語」を意味している。そして古典落語の舞台は主に江戸時代から明治初期。多くの現代の落語家は「昔、こういう人がいてこういう話がありました」と古典落語を演じる。

でも、あえて現代にやるんだからどうにか古典と現代を繋げたい、と考え続けた落語家の一人が立川談志だったと思う。

幸運なことに立川談志にはその考えを実現する才能、技術があった。その才能の一つが「師匠に柳家小さんを選んだ」ってことだと思うけど。

そしてその才能の結実の一つがこの「芝浜」。

立川談志は有史上、初めて落語を定義した。

彼曰く落語とは「業の肯定」。

業、とはつまり「過去」のこと。過去に何かがあって今がある。過去に悪いことをしたから今、うまく行かない。過去、よくない人間だったから今もパッとしない。

およそすべての芸術は「業の克服」をテーマにしている。つまり過去の弱い自分に勝つ、過去の悪い行いに報いて正しいことをする。結果が出なくても業を克服するために一生懸命努力する。すべての芸術はそうやって自分を変え正しいことを行った人が描かれる。

しかし、この世界ってそういう人ばっかりなんだろうか。もしそういう風に業を克服する人ばっかりの世界だったらどうにも堅苦しくないか。

で、落語は「業の肯定」。

人間はみな等しくどうしようもない。偉い人もそうでない人もどこかに「どうしようもない」ところがある。嘘をつく、楽をしようとする、それを笑ってごまかそうとする。それを非難したら全人類を非難し続けることになってしまわないか。だからそういう人たちを肯定してそれを笑うことで「みんな、どうしようもないんだな。でもかわいいな、愛おしいな。俺だってそんなに悪い人間なわけじゃないんだな」と思わせる。それが落語。

芝浜に出てくる魚屋はどうしようもない。その魚屋を愛してなんだかんだで別れられないおかみさんだって同じくらいどうしようもない。でも、おかみさんはどうしようない旦那をどうしようもなく愛している。その二人の姿はどうしようもないんだけど、でも輝いている。そのどうしようもない輝きは江戸時代だろうと現代だろうと変わらず愛おしい。

ぜひ騙されたと思って聞いてみてください。

長いんで5つに分かれてます。面倒な方は上に僕が書いた「芝浜」のあらすじを読んで頂いた上で【4】の2分20秒から見てもらってもいいと思います。ここからが、反省した旦那がちゃんと働いて数年経った大晦日、です。(ほんとに面倒な人は【5】だけでもいいです)

【1】冒頭はマクラといってだらだらと話してます。大ファンの方はこれがたまらないんでしょうが、正直僕は退屈です。申し訳ないけど。9分10秒くらいから芝浜が始まります。


【2】


【3】


【4】


【5】

ほんと難しいよな

2011-11-22 19:33:31 | 食べ物
最近、東京都内を歩いていると「東京チカラめし」という看板のお店を目にする。

もちろん回数で言えばそりゃマックやドトールのほうが目にするけど、普段見慣れない看板だから目につく。

食べることは好きだし新しいお店を発掘することも好きだし、飲食は仕事も関わりがないわけではないこともあって新しいお店は気になる。

調べてみたところ、このお店ってのは、どうやら24時間営業の牛丼屋らしいんだよね。

そりゃすごい。

何がすごいか。

よく仲間内で「そりゃ今から牛丼屋始めるようなもんだよ」という言い回しをすることがある。どういうことかというと簡単に言うと「勝ち目が無いこと」を表している。

今、牛丼屋といえば吉野家、松屋、すき家が熾烈な三国志を争っている。

どんどん価格が下がって今は290円とかでしょう。ここに新規参入して勝ち目があるわけがない。

もうちょっと詳しく書くと、例えば仮に吉野家より旨い牛丼というのはがんばれば作れるかも知れない。味だから好みの問題も大いにあるけども。

でも、それを290円で出せるかどうか、ということが大きな問題になる。

仮にラッキーが続いてもし290円で出せたとしたら、吉野家はもっと安く出せることになる。

なぜなら同じ食材なら吉野家のほうが仕入れが多くなるわけだから「たくさん仕入れるから負けてよ」と言えるはずだから。

仮に絶対にありえないけど僕がすごいお金持ちでいきなり吉野家と同じ店舗数どんと新店を出して「吉野家と同じだけ仕入れるから」と言ってもやっぱり吉野家ほどには安くしてくれないだろう。なぜなら吉野家は長年続いた信用があって、一方、僕は何の信用も無いわけだから。

たとえば「個人店として1店舗だけできればいい。吉野家とは別の方向性の牛丼を出すんだ」というのであればそれは勝ち目は少しだけあるかも知れない。たとえば上野駅の中央出口を出た真向かいに「牛の力」という牛丼屋がある。そこは牛丼並盛590円。僕も何度か行ったことあるけどファーストフード系とはちょっと違ってしっかりしてて美味しい。

でもこういうのは結構特殊な例で、ランチワンコインがサラリーマンの常識になってしまったこの時代にそういう店がやっていける「立地」がまだ余っているとはあまり思えない。

既婚サラリーマン(お小遣いが無い、の代名詞)を相手にしなくてもよい立地で、ランチタイムにそれなりに人通りがあって、更に吉野家なんかが無いところ、ってなるとかなり限定されてしまう。

ということで「東京チカラめし」。もちろん個人店じゃないだろう、と思って調べてみたら三光マーケティングフーズ、というところがやっているらしい。東方見聞録、金の蔵なんていう居酒屋をやっている会社ね。

はー、攻めてきてるねぇ。

ということでこないだ近所に出来たので帰り道に行ってみましたよ。いまはオープン記念ということで並牛丼が280円。特徴は普通の牛丼が煮込んでいるに対して、こっちは焼き牛丼。注文を受けてからオーブンのようなもので薄切り肉とタマネギを焼き、甘辛いタレに絡めて、ご飯の上に乗せたもの。

味はね、旨いよ。かなりこってりしているのであっさりが好きな人には好まれないと思うけど。

そしてそれより驚いたのがその徹底した効率性。吉野家だって効率を求めていると思うけど、なんとこの店はご飯を丼によそうのすら機械。なんかドリンクマシーンのような機械の下に丼を置き、ボタンをポンと押すとご飯が出てくる。

たぶんね、こういう牛丼屋だと熟練したバイトさんが「200gをプラスマイナス10gの誤差でよそいます」みたいなことがあるけど、ここはその10gすら省いているんだろうね。

「吉野家の牛丼は既に工業製品だ」という言葉がある。もちろんいい意味で言っているだと思う。つまり、厳選された食材(良い、高級な食材、ということではない。安さと旨さのぎりぎりのバランスを取り、しかも安定的に仕入れられる、という意味)、効率化された作り方によりいつでもどの店でも同じ物が出てくる、ということ。つまりこれはもう料理では無く工業製品である、と。

後発の三光マーケティング社としてはそこに勝つために更にもう一歩踏み込んだんだろうね。

ご飯盛り付け機を導入したことで盛り付ける人の技術はいらなくなった。つまり人件費が下げられる。更に標準より多く盛り付けてしまうことも無くなった。(つまり「ロス」が減る) もちろん機械の導入コストは嵩むけどそれも計算の上だろう。

それってつまり「人の技術」を使わないことでコストが下げられて単価が下げられる、ということなんだけど逆に言うと人件費が下がり給与が安くなる、ということでおかげでデフレスパイラルが加速されていくわけだ。

とにかくまぁ、すごいわぁ。

この店が今後、熾烈な牛丼三国志(吉野家、松屋、すき家)の中でどうなるのかははっきり言って分からないけどとにかく興味深い。

こういうの見てるとほんと飲食店をやる、って難しいよなぁ、と思う。


仮に僕が個人で飲食店をやるとして「勝つ」ということはおいておいて(何を勝ちにするかが問題だけど)少なくとも「負けない」ためにはどうするか。

今度、機会があったら書きます。

ボジョレーとしし座流星群

2011-11-17 20:07:52 | 日記
11月17日と言えばボジョレーヌーボー解禁としし座流星群と僕の誕生日。

僕の好きな映画監督マーティン・スコセッシも同じ誕生日なのでそれは結構うれしい。

生まれた年も誕生日も同じ、というとユンソナです。それはまぁどうでもいいっちゃどうでもいい。生まれた年が一緒で誕生日が一日違いというのは内田有紀(この人は11月16日生まれ)。そっちはちょっとうれしい。

今日でえーっとTwnety-Sixteenになりました。まだ20代。

ほんとこのジョーク、会社とかで言うとすごーく冷たい目で見られるんだよなぁ。

10年くらい前から「35歳を転機にしよう」と思ってました。

色々大変だけど35歳までは全力疾走で頑張ろう、と思ってたんだよね。たぶん35歳になったら色々落ち着いてしっかりしてるだろうなぁーと思ってたんで。

でもねー、なーんにも変わらんね、自分自身は。

よく思うんだけど、男性って結構な年齢になるまで、甲子園見てて「ここに俺混じってもばれないんじゃないか」と思ってると思うよ。

思いません?思わないですか、まぁいいけど。

僕は思ってたけど最近になってくると監督が僕より年下だったりするからがっかりしちゃうんだけど。


誕生日迎えて自分自身は変わってないけど、本当に僕の35歳は激動だったなあ。

日本にも世界にも色んなことありすぎの一年じゃなかったですか。僕の身の回りにもいろいろ起きたもの。

まぁ生きてく、ってことは色々あるもんだねぇ。

まるで遠吠えのように

2011-11-14 01:37:42 | 日記
出来る限り新しいサービスとかお店とかは使ってみたり行ってみたりするようにしてます。

仕事柄、というのもあるけどそもそも好奇心が強いから。

新しいモノを新しいというだけで「あんなのダメだよ」と頭ごなしに否定しちゃうのはもったいじゃないですか。

特にネットで言えば結構いろいろ触ってみてます。

ブログはもちろん、mixiは結構長いことやってるし、twitter、facebook、tumbler、Google+、とかの新しいサービスもとりあえずやってみてます。お金がかかるものだとちょっと躊躇しちゃうけどタダならまぁ試してみるか、という感じ。

最近、特にtwitter、facebook、mixiとかのつまりSNSを見ていて思うんだけど、「言葉が短くなってきてるなぁ」と感じる。

たぶん、twitter登場からその傾向が顕著。

どういうことかと言うとtwitter登場前までは個人がホームページ(だいたいまぁブログだろうけど)をすることがそんなに珍しくなかった。

だからだいたい普通の人も少しは長めの文章、だいたい500~1000文字くらい、つまり僕が今書いてるくらいの文章を書いていたと思う。

それがtwitter登場以降あきらかに短くなった。

mixiだってちょっと前まではみんな日記やレビューを書いていたけど、今、そんなの書く人が減ってるよね。(そもそもその機能ってまだ残ってるのかな?)

mixiやfacebookを見ていてもだいたいみんなが書いているのって100~200文字くらいじゃないだろうか。

芸能人のブログなんかを見てるともっと顕著で自分の写真と一言二言、それを一日に何回も更新する、というパターン。

短文で何を書いているかというとだいたいこんな感じ。

挨拶:「おはようございます!」「今週もがんばりましょう!」的な一言。
食べたもの:写真が一緒にアップしてあって「○○屋でとんかつなう」みたいな一言。
リンク:ネットで見つけた記事なんかのリンクと共に「興味深い」みたいな一言。
名言:ネットや本で見つけた名言。
病状:案外これ多い。「なんか熱っぽい…」とか「歩きすぎて足いたい…」とか。

とにもかくにも言葉が短くなっているような気がする。

昔、携帯メールが出始めた頃にある人が「これはコミュニケーションというより動物の『遠吠え』に近い」というようなことを言っていた。

つまり答えを求めて誰かに対して発している言葉ではなくて、例えば野良犬とかが「うおーん」と遠吠えするようなものに近いと。

携帯メールからSNSになってその傾向はすごく強くなっているような気がする。

もちろん僕自身もSNSではそういう傾向があると思う。僕のtwitterやfacebookを見ている人はご存知だと思うけど。

その一方で、長い文章を書くことも大事だな、と思ってブログは続けている。

これは個人的な嗜好だけど、僕はいったんきちっと言葉にしてみないと自分の考えがまとまらない、というところがあると思うんだよね。

これはたぶん自分で思うんだけど、自分は決して頭の回転が速くない、ということが原因だと思う。一度、受け入れて自分の中で噛み砕いて、ちょっとした文章にしてみないと物事について理解が出来ない。仮に理解が出来たとしても、自分がそれを好んでいるのかそうでないのかが判断できない。

なんだか世の中って一言で言い切れるものばっかりじゃないような気もするし。

カレーに入れる肉問題

2011-11-11 19:57:36 | 食べ物
加齢臭は好きじゃないけどカレー臭は好き。

カレーのにおいが漂ってくるだけで幸せな気持ちになるね。

お店でも食べるし自分でも作るんだけど、結局のところカレーに入っているお肉は何が一番美味しいんだろう、ということを最近考えています。

ちょっと前まで長年、とにかくカレーには薄切り豚バラ!それ以外は認めん!という豚バラ至上主義者として生きてきたけど最近はそのへんもゆるくなってきている。

おもいつくままに書いてみるとこんな感じじゃないかと思う。

【牛スジ】

旨いね!圧力鍋があるのでやわらかく煮込むの簡単。牛の旨味がしっかりある上に値段も手ごろ。

【合いびき肉】

たまにひき肉、野菜のみじん切りをメインにしたキーマカレーを作るけどこれも旨い。そもそも具材が細かいので煮崩れを一切気にしなくていい。作るときにみじん切りにしなきゃいけないので手間はかかるけど。

【羊肉】

あんまり家では作らないけど、お店ではよく食べる。ラムでもいいしマトンでもいい。マトンって普通に食べるとちょっとクセがあるけどカレーに入れちゃえば問題ない。

【鶏肉】

モモですな、やっぱり。よくさ、骨付きチキンが丸ごと入っているやつとかあるけど僕はそんなに好きじゃない。味はもちろん大好きなんだけど僕は骨付きだと絶対手づかみしたくなるから。カレーだと「うわー手で掴んでがぶっと行きたいなー」と思いつつスプーンでちまちまほじらなきゃいけないのでストレスがたまるんだもの。

【豚バラの塊】

家ではあまり作らない。豚バラ塊があったらすぐ角煮にしちゃうから。でも昔よく行っていたカレー屋は豚バラ角煮入りカレーがあって、やわらかくてホロホロしてて美味しかったんだよなぁ。


こんなとこかなぁ。

牛肉の角切りみたいの入ってるのはあんまり好みじゃない。やっぱ王道は豚肉ですよ。

これ以外の肉入れたカレーってあるのかしらん。

熊肉カレーって北海道のどこかのお土産ものでなかったっけ?馬肉カレーもあんまり聞かないね。

「これじゃ、壊れるぜ」

2011-11-10 00:26:28 | 
先生、と言えばたとえば金八先生。

熱血漢で、生徒と真剣にぶつかって、もし悩んでいる生徒がいたらじっくり話を聞く。もし街で生徒が問題を起こしていると聞けばすぐに街に飛び出していく。


はっきり言うけど、そんな先生はいま存在しない。

もちろん「それほどの情熱のある先生がいまはいない」と言いたいんじゃない。「生徒としっかり接してる時間がある先生がいない」ということを言いたい。

そういう先生が存在しない、というよりそんな先生は存在できない。

例えばとある先生の一日。

部活のため6時半に当校。部活の監督を終え8時から校門前に立って指導。一日の授業が終わると学年毎の会議、教科毎の会議。その後、校務分掌(学校は各先生が「分掌」という組織に所属している。例えば生徒指導部、進路指導部、など)の仕事。例えば進路指導部なら模擬試験の結果に基づきどういう補習をするかという検討や補習の監督。
その後、授業の準備。「授業の三倍の時間、準備に時間を使え」と言われている。仕事が終わって(だいたい終わらないわけだけど)帰宅は終電。

つまり、情熱的に生徒を指導しよう、と思っても絶対的に時間が無い。

僕も結構タフな仕事をしてきたし、札幌にいた頃は若いこともあってかなり遅くまで仕事をしたり会社に泊まっていたりしたけどここまで大変じゃなかったんじゃないかな。

なんでこんなことになっているか、というと複合的な要因がある。

まず構造的な問題。

日本の先生たちの年齢の構造は「ワイングラス型」になっている。団塊ジュニア世代、つまり今の40歳から35歳が学校に行く年齢になった頃、子供の数が多かったのでその時代に先生がたくさん採用された。そのとき新任で入った先生たちはいま50~60歳。日本の先生にはこの世代が多い。
その後、少子化になっていくに連れて採用は減った。しかしながら50~60歳の人々がこれから定年を迎えることを予測しまた新任の採用が少し増えた。

ということで上が多くて、中(30代)が少なくて20代が多い、というワイングラスのような形に成っている。

50代の先生は体力的にもきつくなってきている。更に言うと昨今のIT化にもなかなかついていけていない。20代はまだまだ分からないことばかり。本来であれば一番多い50代が20代に知識と経験を教えていけばいいんだけど、世代が離れているのでなかなかやりづらい。
そうすると、一番働き盛りであり経験も増えた30代にすべてのしわ寄せが来る。しかもその世代は少ない。よって30代が一番忙しくなってしまう。

それから非正規職員の増加。ここまでの規制緩和で学校側が正規職員(つまり都道府県の採用試験を通った先生)ではなく1年限りの非正規職員、非常勤講師を雇用することが容易になった。規制緩和の目的は本当はそこじゃないんだけど。じゃあ正規職員では無く1年契約の非正規職員でまかなおう、となる。すると非正規職員は基本的に授業以外の業務は少ない。するとその業務のしわ寄せが正規職員に来ることになる。

つまり構造的に30代の正規職員の先生に業務が集中する状態になっている。

それから環境的要因。よく言われることだけど保護者からの要求が高くなっているので昔よりも保護者対応にデリケートにならざるを得ない。家庭でのしつけも変わりつつあるので学校で子供に教えなければいけないことが増えている。

そんなこんなでどう考えても昔より先生が大変になっている。

「大変になった」「忙しい」と言っているだけならまだいい。でも学校現場では明確に問題が発生している。

先生の自殺、うつ、早期退職、と言った問題。悲惨な話だと4月に新任で入った先生がその年の9月に自殺した、ということすら起こっている。

とある医療ミステリーで医師の激務が語られある登場人物が「これじゃ医者も壊れるぜ」と言う。

正に「これじゃ先生も壊れるぜ」という感じ。

そのドキュメントがこの本。
朝日新聞教育チーム
岩波書店
発売日:2011-10-29


僕に何が出来るわけでもないんだけど、せめて僕は「先生は大変だ」ということをしっかり認識したいと思う。

その大変さが構造的、環境的問題であるために改善はなかなか難しい。

そんな状態で自己防衛をしようと思ったら「仕事をしない」ということしかない。

実際、先生たちの中では自分を守る為に、休み時間は生徒が来ない部屋で仕事をし、授業はただ「流す」という人もいる。休み時間に生徒が来てしまうと授業の質問をされて自分の仕事が出来なくなってしまうから。
部活だってどれだけ頑張ってもよっぽどの成果を出さないと査定には関係ないわけで、部活に顔を出さなくても済んでしまう。だから部活もしない。

そんな先生を責められる人は僕は誰もいないと思う。何もしないでサボっているならともかく、やりだすとキリが無くてどんどん自分が崩壊する方向に行ってしまうんだもの。

公務員改革とか言われているし、この不況の中では公務員への風当たりは強い。もちろん僕だって何もしないように見える公務員が5時とかに帰って高いボーナスもらっているのを目にしたりすると腹が立つ。

でも少なくとも公立の先生たちはもう少しもらってもいいと思う。

そして、一番大事なことは金の問題じゃない。多くの先生たちは「金を稼ぎたいから」と先生になった人たちじゃない。むしろ「金が一番」というのなら話はもっと簡単かもしれない。でも先生たちの多くは相じゃない。多くは子供が好きで、先生という職業にあこがれて、先生になった人たち。

一番大事なことはその人たちがもっと子供と向き合える状態を作ることだと思う。

おっきいのとちっちゃいの

2011-11-08 00:20:21 | 日記
もういい加減悩むのに疲れたので買いました。

iPad2、Wifiモデル64Gの黒。

2が出て、スティーブ・ジョブズが亡くなってからずっと「あー、買っちゃおうかなー」と思い続けていました。

いいデバイスだと言う事はわかってましたよ。元々MAC好きだしiPhoneだって使い倒している。

もし僕が「よし、もうノートパソコンからiPadに全部乗り換えちゃおう」と思えるのであれば話は楽。

実際、僕の周りでもそういう友達とかいるんです。

Windowsのノートパソコンを肌身離さず持っていて仕事していたんだけど、いまとなっては仕事をすべてiPadで行っている人なんかがね。

でも僕の場合、会社のシステム上、どうしてもグループウェアなんかがWindowsでしか動かないのでそれも難しい。

と、なると例えばiPadを持ったとしてもノートPCは手放せないわけだから、出張の時なんかはノートPCとiPadを持ち歩くことになる。それだけならまだいいけど、電話もiPhoneと会社用携帯と2つ持ってる。

それもどうだかなぁ、というのがiPad購入に踏み切れなかった最大の理由。

でもこないだ、岩手の従姉妹がiPad2買うのに付き合ったんだよね。今回の震災で家のネット環境がダメになってしまったしパソコンもいい加減古くて、パソコンとネット環境整備するならiPadでいいじゃん、ということで。

彼女はパソコン関係何も分からないので、東京に来るときに銀座で待ち合わせてAppleStoreで買い物に付き合った。それ見てたら欲しくなった。

とはいえ、どうなのかなぁと思っていたらiPhone、iPadのOSがアップデートされてiCloudというのが使えるようになった。

それをいじっていたら「ああ、これはiPhoneとiPad使ってたら便利だなぁ」と思い出してそれで悶々して「ええーい!」と買いました。

買ったのはWifiモデル。つまりWifiが飛んでるところで無いとネットにつながらない。

いまiPhone持っているとソフトバンクのキャンペーンで3Gモデルが少し安くなるんだけどよくよく調べたらそんなでも無かった。

(あのキャンペーンだと、Wifi機器を持ち歩いていなくて更にネットをそんなに使わない、という人であれば安いのかも知れないけど、残念ながら僕は違う。)

ということでサクッとApplestoreに行ってそれこそリンゴでも買うかのように「これちょうだい」と言って買ってきた。

昨日、家で諸々設定してOSもiOS5 にアップデートした。データもiCloudで同期したので完璧。

Officeのアプリもいれたのでこれで仕事用のデータもいじることができる。

さー、使い倒すぞ。

あ、あとね一緒にAppleのスマートカバーというのも買った。

マグネットでくっつけられるカバー、スタンド(オラオラ)にもなるよん。

おっきいiPadとちっちゃいiPhone。

めさ

2011-11-05 19:39:56 | 
もし僕に子供が産まれて男の子だったらやってほしいスポーツはラグビーかアイスホッケーだと思ってます。

北海道東北に住むならアイスホッケーがいいし、関西圏に住むならラグビーがいいかな。(東京に永住するイメージがわかない)

ということでラグビーの話。

もちろんスポーツとして好きなのはサッカーで試合もサッカーのほうが良く見ている。でもラグビーはもう「思想」が好きなんだよね。

とにかく好きなのは明治大学の名物監督だった北島監督(既に故人)。

この人の名言は「前へ」

うわーシンプルー。

「前へ」は明大ラグビー部の代名詞になっているし、それ以上に明大体育会の代名詞になっている。

例えば現インテルの長友だって「明大出身らしい『前へ』というプレー」なんて表されることがたまにある、サッカー選手なのにね。

ラグビーって不思議なスポーツでトライするためにはボールを前へ進めなければいけないんだけど、ルール上、前へパスすることは「スロウ・フォワード」と言って反則になる。だからパスは横か後ろに投げなければいけないし、前へはキックしか許されていない。キックしてしまうとラグビーボールは楕円だからどこに転がるか分からない。

ほんと不思議なスポーツだと思う。

北島監督の逸話は素晴らしくて、「前へ」というプレーの結果であればどんなにミスをしても許した反面、「前へ」のプレーでなければすごく怒ったそう。

そして亡くなる時、病院のベッドの上での最後の言葉は「明大、前へ」だったらしい。うーん、すごいなぁ。

あとラグビーの思想で好きなのは「ノーサイド」だね。どんなゲームもすべては「ゲームセット」、つまり「ゲームが終わった」で終わる。でもラグビーだけは「ノーサイド」、つまり「敵味方、というサイドが無くなった」で終わる。

そしてもちろんラグビーの基本精神である「One for All, All for One(1人はみんなのために、みんなは1人のために)」もすごいと思う。

ほんと紳士のスポーツ。

そうそう紳士といえばラグビーを表す名言でこういうのもあるね。「ラグビーとは少年を紳士にし、紳士を少年にするスポーツ」


そもそも僕がなぜラグビーを好きになったのか、というと父親の影響が大きい。

父親は岩手県釜石市の出身。釜石というのは炭鉱と鉄工所の町。そして全世界的に炭鉱、鉄工所の町はラグビーが強い。

なぜなんだろうな?男が多いからかな。

特に釜石にあったチーム、新日鉄釜石は1978年から1984年までの7シーズン、全日本選手権で連続優勝した。(7連覇は当時前人未到) この強さは圧倒的で当時は「北の鉄人」と呼ばれ有名だった。

東北の片田舎の町のスポーツチームがこれだけスポットライトを浴びることはなかなか無くて、当然うちの父は熱狂した。当時、釜石に関係している人で熱狂していなかった人なんていなかったわけだけど。

そういうこともあり、父親も会社のラグビーチームに入っていたので子供の頃、よく練習に連れてかれた。夏になるとそのラグビー部の人なんかがうちの庭でバーベキューとかしていた。子供心にそういう人たちってほんとうに「気は優しくて力持ち」って感じで、僕にとっては気のいいあんちゃん、あるいはおっちゃんって感じだったんだよね。

残念ながら新日鉄釜石はいまは無くなり、社会人クラブチーム「釜石シーウェイブス」になっている。往年の強さも無くなり、今は東日本リーグにいる。


そんなこんなでこの本を読みました。

今回の震災で甚大な被害を受けた釜石をラグビーという視点から見たドキュメント。

本当に釜石にラグビーがあってよかったなと思う。いろいろあったけど釜石ラグビー応援のシンボルである大漁旗(釜石は漁師町でもあるのでスタンドでこの旗が振られる)を思い起こすだけで胸が熱くなってくる。


この本もそうだけどラグビー関係の本を読んでいるとたびたび北島監督の名とその名言「前へ」を目にする。

現釜石シーウェイブスにも明大出身はいてその人たちはやっぱり「前へ」という言葉を口にする。


この本は最後、今の釜石の復興への合言葉で〆られる。

その合言葉は「めさ」。

これは「前へ」の釜石弁。つまり「前へ」⇒「前さ」⇒「めえさ」⇒「めさ」。

「めさ、進むべ」

そうだよね、前へ。

花火と筋トレ

2011-11-03 22:36:24 | 仕事
店舗だとか企業に行ってそこの業績を上げる、という仕事もしていることがある。

業績を上げる方法はいろいろあるんだけど、僕の「手口」として「花火と筋トレ」という考え方があります。改めて「大事だなぁ」と思ってるんでちょっとここで考えをまとめておきたい。もう完全に自分のために書くんでどうもすいませんね。

お店の業績を上げるためには色々な方法があるけど、一つの分け方としては「本質的か」「一時的か」というわけ方が出来る。

本質的な改善、というのは例えば飲食店であれば「出しているメニューをより美味しくする」、例えば調理する人の技術を上げることとか、「接客を良くする」、働いている店員さんの技術を上げる、ということ。
この改善はとても大事ではあるんだけどなかなか成果が見えづらい。
「よし、美味しいもの作ろう」と思って次の日に美味しいものが出来たらそりゃ苦労はしない。更に言うとたとえ美味しいものを出したとしてもそれがお客さんに伝わって業績が変わるのは、例えば一度食べてくれた人が「あれ美味しかったなぁ」と思ってまた来てくれる、というサイクルが必要なので一日で変わるわけじゃない。

つまり本質的な改善と言うのは地味だし根気もいる。これを僕は筋トレに例えてる。筋トレはすごく地味だししんどいけどそれでもずっと続けていると確実に体が変わってくる。

一方、一時的な改善というのは例えば「今月ビール半額!」という販売促進を行うこととか。これは見た目派手だし成果は見えやすい。ビール半額と店の前に出しておけばその日のお客さんの数から変わる。
だけど残念ながらこれは一過性のもので、ずっと続けられるものではない。これを僕は「花火」に例えている。

企業の業績を上げる、特に僕みたいな外部の人が入ってそれをやる、となるとこの「花火と筋トレ」のバランスがとても重要になる。

例えば花火的なやり方をやると一時は喜ばれる。でもしばらく経つとクライアントも「ビール半額にしてお客さんは増えたけど利益は変わって無いじゃん」と思ったりする。そうなるとこちらとしては失格になってしまう。

だから、筋トレ的なやり方も必要なんだけどこればっかりやってると「これも大事だと思うけどなかなか成果につながらないしそもそもこんなの面倒くさいよ」となってしまいこれも失格。特に外部の僕のような人がやるとなると現場で働いている人からの信頼を得ることが大事なんだけど筋トレ的なやり方ではなかなか信頼を得ることが出来ない。

だから僕のセオリーとしては、まず最初に小さな花火をあげておく。それでクライアントや現場の人々の信頼を少しだけ獲得する。その信頼が続いている間に筋トレをやってもらう。筋トレに飽きかけた頃にまた花火を上げる。そうしているうちに出来るだけ筋トレの成果が出るようにする。

こうすると結構巧く行く。

風邪かな、と思ったら

2011-11-01 22:33:01 | 日記
季節の変わり目なんで風邪流行ってますね。結構ゴホンゴホン言ってる人多い。

かくいう僕もどうも風邪っぽい。

月曜朝から鼻水と咳が出てた。花粉かなぁと思ってたけど風邪独特の鼻腔の熱っぽさとか額にツンと来る感じとかがあって、月曜夜の会議の時点では「ああ、こりゃ風邪かもなぁ」という感じだった。

風邪かな、と思った場合、僕の取る対策は2つ。

1つめ。「病院に行く」ということ。なんだかんだ言ってもそれが確実だよねぇ。結構病院言って薬もらったサクッと治るし。もし即効性が無かったとしてもとりあえず「インフルエンザじゃない」とかそういうことが分かっただけでも気が楽になる。

とは言えとは言え。

なかなか病院に行けるタイミングが無いときもあるよねぇ。病院ってさ、診療自体はサクッと2,3分で終わったりするくせに待ち時間がすごく長くて半日潰れたりするでしょ。

正に今の僕がそう。

今週は3ヶ月くらい追っかけてきた案件が全部花咲く週なので1時間もムダに出来ない。

さて。

そういうときはどうするか。

僕の場合は「風邪なんてひいてない!」と思い込む。病を気から治す作戦。

残念ながらだいたいにおいてこの作戦は功を奏さない。人間は無力だね。

ということで無理くり治す。

僕の治し方は「熱い風呂」「ニンニク」「ビタミンC」への圧倒的な信頼。

まずニンニクをビックリするくらい食べる。ベストは焼肉なんだけど、今回は時間も無かったので家系ラーメン。テーブルに備え付けられているニンニクのすりおろしをお代わりするくらいだっぷり入れる。その店はしょうがのすりおろしもあるのでこれもだっぷり。(たぶんしょうがって風邪にいいよね)

そして熱い風呂。信じられないくらい熱い風呂に我慢して入る。

風呂上りにビタミンC摂取のためオレンジジュースをがぶ飲み。

湯冷めしないうちに暖かくして寝る。

ベッドの中でだらだら汗をかいて起きたら結構楽になってるよ。