浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

サピエンス全史

2017-03-30 23:20:11 | 
あのね、とっても面白かったです。ずいぶん売れている本なようで色んな書店で平積みされている。


サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福

僕自身は世界史とか地理とかそんなに知識が無い。北京原人とクロマニヨン人がどう違ってて、それらがどう今の人類につながってるのか、というのも実はあまり良くわかっていない。(つくづく、ちゃんと勉強しとくべきだったよな)

特に、この本の最初のほうが興味深かったです。

この本によると、ホモ・サピエンス(つまり我々)の歴史には大きく3つの革命があったと。それは「認知革命」「農業革命」「産業革命」の3つ。農業革命と産業革命はなんとなく分かるけど、認知革命ってなんだよ、って話になるよね。その部分がたいそう面白かった。

言葉、あるいは言葉的なコミュニケーションを出来る動物は結構いる。(本当は「口頭言語」と書いてあるけどまぁ分かりやすく、「言葉」で) 例えばある種の猿は「気をつけろ、ワシだ!」という意味の鳴き声を出すことが出来るらしい。そして「気をつけろ、ライオンだ!」という鳴き声も出すことが出来る。「ワシだ!」「ライオンだ!」という鳴き声を録音しておいて、その猿の群れに聞かせると「ワシだ!」と言われた時は上を見上げ、「ライオンだ!」と言われたときには周囲を見回すらしい。

つまり「言葉自体」はホモ・サピエンスの専売特許ではない。では、ホモ・サピエンスしか出来ないことは何か。それはつまり「虚構」を組み立てられるということ、もっと簡単に言うと「嘘をつける」ということ。

つまり「気をつけろ!ライオンだ!(ライオンが実際にいる)」ということは猿でも言える。だけど「ライオンは我が部族の守り神だ」はホモ・サピエンスしか言えない。後者はある意味、「嘘」だから。で、更に言うとこの「虚構」のポイントは、「言ってる本人もそれを信じている」というところにある。

例えば先程のある種の猿は「気をつけろ!ライオンだ!」と嘘をつくことも出来る。その嘘をついて他の猿が逃げ出した後にそこにあったバナナを独り占めするために。この場合、嘘をついた猿は自分で「嘘だ」と分かっている。だけどホモ・サピエンス独特の「虚構」のポイントは「言っている本人もその嘘を信じている」という点。この本の中では「想像上の現実」と言っている。

空想上の現実とは、例えば、「天国と地獄」とか「神は実在する」とか。もっと言ってしまうと「お金」や「会社」というものだってある意味「想像上の現実」のひとつ。「小さな紙一枚に1万円の価値がある」というのは現実には嘘(実際の紙1枚の価値は印刷代含めても何十円程度)、「会社という組織」だって目に見える形では存在しない、目に見える例えば「社員」や「オフィス」自体は「会社」ではない。

ホモ・サピエンスが発明した大きなものの一つに「貨幣」があるのでそれを例に取るけど、「1万円札が実際には数十円程度の価値しか無い」というのは誰でも分かっている。だけど「これには1万円の価値がある」という虚構、つまりある意味「嘘」を全ての人が信じている。だって町で1万円払って相手が「ちょっとまってよ、これ数十円の価値しか無いでしょ。もっとちゃんと価値あるもん(なんだろ、リンゴとか貝殻とか?)ちょうだいよ」とか言い出したらもうなんか無茶苦茶になっちゃう。

こういう「想像上の現実」を作り、信じ、広げる力がホモ・サピエンスの特徴、、という話。

なるほどねぇ。


あと、この本の良いところをもう一つ、特筆しておきたいのだけど、翻訳が素晴らしいと思います。原文はもちろん読んでないから分からないのだけど、こういう系の本ってなんか難しかったり読みづらかったりするじゃん。だけどこの本はすごく読みやすい日本語でサクサク読み進められた。その点でもオススメです。

バターナイフ「Nulu」

2017-03-29 14:54:56 | 日記
昨日はドッピオさんといつも通り横浜飲み。

で、待ち合わせ前にちょっと時間があったので東急ハンズに寄りました。あのね、あれが欲しいの、トイレットペーパーホルダー。


こういうのね。今のうちのトイレのホルダーがちょっとヒビ入ってるし、上がちょっと平らになってて何かしら(えーっとなんだろ、観葉植物とか)置けるのにしたいなーと思ってて。

東急ハンズにはいいのが無かったので諦めましたけど。

ほんで、ぶらぶらキッチン用品見てたらすげー良さそうなの見つけました。


バターナイフ「Nulu」

バターナイフなんですけどね、先にギザギザというか小さい穴が並んでる。

つまりこういうことです。



あら便利ー。ほら、バターって硬いじゃん。パッと使いたい時にガッチガチになっててイライラすることがあってさー。

欲しいな、と思ったけどこれから飲みに行くし荷物になるしなー(と言ってもバターナイフだからポケットに入るくらいなんだけど、飲みに行って無くしたら嫌じゃん)と思って買わずにいた。

で、飲み終わっても東急ハンズやってる時間だったからプラッと寄って買ってきました。わーい、使うの楽しみー♪

適当日本語字幕問題

2017-03-24 20:16:32 | 日記
先日、映画「スーサイドスクワッド」の予告編があまりにも適当なんでぶーぶー言いました。

これね→「映画「スーサイド・スクワッド」の日本語版予告編について

で、更に「うわーこりゃ無いわ」と思ったのがあったのでそれについて書きます。

すいませんねぇ、いちいち文句言いまして。。僕だってそりゃ心穏やかに生きたいんだけど、仕方ない。

「嫌なら見るな」って話なのは重々承知。でも観ちゃったんだから仕方ない。



ポカリスエットのCMだそうです。

まず前提としてさ、映像も、ストーリー(朝礼でいきなり校長が歌いだして生徒が走り出す)も、校長はじめとした役者さんの演技も僕はいいと思う。

ただし、僕が許せないのはこの字幕。

(まず、申し訳ないけど、これ、CMなんだよね?誰かが勝手に作った映像じゃないんだよね?また字幕もこの字幕でテレビで流れたんだよね?もしそうでないなら、僕は即刻謝るのでその前提で)

音楽はQueenの名曲「We will Rock you」

まずのっけからのけぞって血圧一気に上がりましたよ。

元の歌詞はこうだし、このCMでもこう歌っている。
---
Buddy you're a boy make a big noise
Playin' in the street gonna be a big man some day
You got mud on yo' face
You big disgrace
Kickin' your can all over the place
Singin'
We will we will rock you
We will we will rock you
---

これを僕なりに訳してみる。

---
よう、でかい音出して騒いでるお前ら
今は道端にいるけど、いつかはでっかい奴になるんだろう
顔中泥だらけにして、情けない顔してるけど、
歌ってるもんな
「お前をロックしてやるぜ!」
---

この僕の訳が間違っているならそれももう速攻謝りますが。

それが、このCMについている字幕だとこうなってる。
---
情けない顔の生徒諸君
今は気づいてないけれど
大きな力が眠ってる
好きにやれよ
動かせ動かせ世界を動かせ
---

ぜんぜん違うじゃん!!!

「disgrace」で「情けない」なのはまだ分かる。でも「大きな力が眠ってる」なんて言ってないし、「好きにやれよ」とも言ってない。更には、「We will rock you」が「動かせ動かせ世界を動かせ」ってこれどういうこと??

いやあのね、「意訳」というにはちょっとレベルが違うよ。例えば「You」を「生徒諸君」にするとしたらそれはまだぎりぎりいいかも知れない。それでもさ、そもそも論、元の歌詞は相手に対して指示している歌詞じゃないから!

2番もこんな感じの字幕がついてる。

---
Buddy you're a young man hard man
Shouting in the street gonna take on the world some day
You got blood on yo' face
You big disgrace
Wavin' your banner all over the place
Singin'
We will we will rock you
We will we will rock you
---
何も出来ない君たちは
可能性だけがある君たちだ
自身のない顔はやめて、
自分という旗を立てろ
動かせ動かせ世界を動かせ
---

「you're a young man hard man」がどこをどう訳せば「何も出来ない君たちは」になるわけ??

「Shouting in the street gonna take on the world some day」がなんで「可能性だけがある君たちだ」になるわけ??

さっぱり分からない。

てかさ、こんだけ歌ってる歌詞と字幕が違うなら、そもそも

---
情けない顔の生徒諸君
今は気づいてないけれど
大きな力が眠ってる
好きにやれよ
動かせ動かせ世界を動かせ
---

という風に、「We will rock you」の曲に載せて日本語で歌えばいいじゃないですか。つまり「英語で歌っている映像に日本語の字幕を付ける」のではなくて、最初からオリジナル日本語歌詞作ってそれで歌えばいい。それなら僕は文句言わない。

というかそうなると、無理くり「We Will rock you」の曲を使う必然性がどこにあるのか?という話になるけど。オリジナルの歌作ってそれで歌えば僕はまったく異存無い。(一人のQueenファンとして「名曲にそんな歌詞付けられたらやだなぁ」とは思うかも知れないけど)

すごーく僕が嫌なのはね、「We Will rock you」という昔ながらの名曲で、誰もが聞いたことのあるメロディと歌詞(英語)を使って、それがキャッチーなのは分かる。でもさ、それに勝手に字幕を付けちゃうのはどうなのさ?

これってね、僕はすごく危険なことだと思うの。

例えばさ、これが許されるならなんでもありだよね。「We will rock you」のメロディと英語歌詞にぜんぜん違う、自分の主張の字幕を付けてもいい、ってことになっちゃうよ。

これは考え過ぎかもしれないけど、例えば「プロバガンダ」的に使われることだってあるかも知れない。まだ、この曲の作詞のブライアン・メイはご存命だから、あまりにもひどい訳だったら著作権者として異議を申し立てるかも知れない。でも、もし著作権者が亡くなってたら?「おい、俺、こんな歌詞書いてないよ」ということだって出来ないかも知れない。

だから、字幕はちゃんと付けようよ。

僭越ながら、この映像に、僕が字幕をつけるとすると、かなり意訳したとしてもこうすると思う。

---
Buddy you're a boy make a big noise
Playin' in the street gonna be a big man some day
You got mud on yo' face
You big disgrace
Kickin' your can all over the place
Singin'
We will we will rock you
We will we will rock you

Buddy you're a young man hard man
Shouting in the street gonna take on the world some day
You got blood on yo' face
You big disgrace
Wavin' your banner all over the place
Singin'
We will we will rock you
We will we will rock you
---
生徒諸君、今はノイズしか出せなくて、
道端で騒ぐしか出来ないけど、いつかは立派な人間になる
今はただ泥だらけで情けない顔して、
缶を蹴っ飛ばすしてるけど
声上げろ
「いつか世界をロックしようぜ」

生徒諸君、若くハードな君たちは、
道でシャウトしてるけど、いつかは世界を穫れる
今はただ血だらけで、情けない顔で、
自分の旗を振り回してるけど
歌おうぜ
「いつか世界をロックする」
---

「Singin'」は本来であれば「歌ってる」だろうけど、あえて「歌おうぜ」に意訳しました。

もうね、とにかくね「ちゃんとやろうよ」って事を言いたい。

カッコイイ映像に昔のヒット曲を流して、それに適当に、なんでもいいから自分の言いたいことを字幕に付ける、ということが許されるならもうなんだってアリじゃないですか。

僕が嫌なのはね、これ見た人の何人かが「ああ、この曲ってなんとなく聴いたことあったけど、こういう意味の歌詞だったのね」と思ってしまうことなの。違うんだもの。

「いやいや、何人かはこれで興味持って自分で調べて本当の歌詞の意味を知ったりするきっかけになるかも知れないじゃない」というかも知れない。うん、そういう人もいるかも知れない。だけどさ、「そもそもの英語にまったく違う意味の字幕を付ける」ってのはダメでしょ、だってそれ嘘じゃん。

ちゃんとやろうよ。

不機嫌な長男・長女

2017-03-21 16:40:19 | 
僕はあまり「血液型診断」ってものを信じてない。いくらなんでも数億人の人間たちが、血液の因子だけで4タイプに分けられる、ってのはどう考えても雑駁すぎないかい?と思うところがあるから。

ただ、「血液型による性格の違い」という点においては「刷り込み」はあるだろうな、と思っている。

A型の人が「君はA型だから几帳面だよねー」と言われ続けると、「そうか、自分はA型だから几帳面なのか」と思い込む、という点はあると思う。僕の知り合いで、物心つくまでずっと自分はA型だと思っていて、20歳近くなってちゃんと調べたら実O型で、分かった瞬間けっこうがさつになった、って人もいる。

「血液型占い」も同様。僕は蠍座なんだけど、蠍座がみな「ミステリアスな冒険家」って訳でもないだろうと思う。

ただ一方で「兄弟(姉妹)構成による性格の違い」ってのは結構あるかもな、と思っている。

例えば。

小中高大を通じてこの年になっても仲良く付き合っている同い年の男友達って僕も含めて長子(一番上っこ)が多い。また、同じく僕が仲良くしている同じく女友達って末っ子が多い。もちろん長子・末っ子じゃなきゃ友達になれない、ってわけではない。結果として、って意味ね。これまた例えば、僕の先輩(年上)で仲良くさせていただいている人って男性は末っ子が多く、女性は一番上っ子が多い。変な話になるけど、今まで付き合ってきた女性は、長子・中間子(上と下に兄弟・姉妹がいる人)・末っ子・一人っ子といたけど、それぞれ、うんまぁゴホンゴホン。ま、その話はいいか。

ちょっと正確なデータは忘れてしまったけど、「日本の公立学校の先生は長子の確率が高い」というのを聞いたことがある。子供の頃から下に誰かがいてある意味面倒を見なくてはいけなかったので、その結果、「人に教える」ということを好む、あるいはあまり苦にしないという傾向が高いのかもしれない。またある時のサッカー日本代表の選手の内、かなり高い確率で「兄がいた」というのも聞いたことがある。小さな頃から自分より身体の大きい兄を相手に練習したことにより技術が高まったのかもしれない。

とにもかくにもこの兄弟姉妹構成理論というのは何の科学的根拠も無いのでま、そのおつもりで聞いて欲しいのだけど。加えて海外の事情もよくわからないからあくまで日本の話としてね。

お酒飲んだ時なんかに僕はよくこの兄弟姉妹構成理論についてだらだら語ったりする。

僕の両親はふたりとも末っ子。我が親ながら「末っ子だなー」と感じることがある。僕には2人妹がいて、つまり彼女たちは「中間子と末っ子」ということになるけど、2人を見ていても「真ん中っ子だなー」とか「末っ子だなー」と思うことがある。上の妹が旦那(この人は末っ子)と結婚し娘が生まれて、僕にとっては初めての「姪っ子」ということになるわけだけど、その姪っ子がカワイイのはもちろん、「おお、やっと一番上っ子の仲間が出来た」とちょっと嬉しかったのを覚えている。その気持は特にその姪っ子に妹(僕にとっての二人目の姪っ子)が生まれた時に更に強くなった。それまで彼女は「一人っ子」だった訳だけどこれで完全に「長子」となり「やった!完全に仲間だ!」と思った。今は下の妹(旦那さんは末っ子)にも娘がいるけどそっちはなにせ「一人っ子」だからねぇ。

もちろん「男3人兄弟の」とか「女・男・女3人の」とか性別による違いもあるだろうけど、そこは一旦置いておいて。あくまで長子・中間子・末っ子・一人っ子で結構正確は違うものではないかと思っている。

あ、そうそう、これはまったく普遍性無いと思うし、あくまで僕の半径3mくらいで調べた結果だから一般論として取らないでほしいのだけど「パンチラ」ってあるでしょ?ほら、おパンツがチラッと見えるやつ。(なんだこの説明は?(笑))それに興味がある男性と「別にそんなの嬉しくないなぁ」という男性がいるんだけど、前者は「男性のみの兄弟の中で育った」って人が多い。あくまで僕調べね。ま、その話すると長くなるので割愛。もちろん、別にパンチラが好きだって構わないと思いますよ。それは個人の嗜好ですから。

兄弟(姉妹)構成で、僕がよく言うのは「長子」というのは人生のどこかのタイミングで大きなパラダイム(ものの見方)の転換を迎える。つまり、長子というのは最初は「一人っ子」として生まれ、その後、下に子供が生まれることで「長子」になる。それまで親や周囲の視線や愛を一身に浴びていたのが下に子供(弟/妹)が生まれたことでいきなり「兄・姉」である「長子」になる。「中間子」も同様。最初は「末っ子」として生まれその後「兄であり弟でもある/姉でもあり妹でもある」という「中間子」になる。この転換というのは人格形成に意外と大きな影響を与えているんじゃないかな、と思う。

一方、「末っ子」「一人っ子」は原則的に生まれてから死ぬまで転換はしない。

※念のため言うけど、どっちがいい悪いという話じゃないからね。あと戸籍上の話も別。戸籍上で言えば僕は今は一人っ子なんだから(妹二人が結婚して家の戸籍から出たので)。

こういうことを理解しておくとたまに「ああ、だからか」と思うときがあくまで僕の個人の印象としてある、ってだけ。

例えば以前「アナと雪の女王」という映画があったけど、あれは姉エルサと妹アナの話でしたよね。僕自身、子供の頃に二人姉妹(僕自身の妹2人)を見ていたから映画を見ててとても良くわかった。そうだそうだ、上の妹の娘2人も二人姉妹で、彼女たちのことを小さな頃から見ていた、ってこともある。エルサはまさに「姉」だったしアナはまさに「妹」、というか「末っ子」でした。あの話、もしエルサが妹でアナが姉だったらあんな話にはなってないと思う。

こういう話するたんびに人によっては結構面白がってくれて、「おお、いつか新書にでもまとめようかなー」と思っていたのだけど先を越された。(←妄想)


不機嫌な長男・長女 無責任な末っ子たち 「きょうだい型」性格分析&コミュニケーション

まさに僕が考えていたような「兄弟・姉妹構成による性格の違い」の話。

まぁ詳しくは読んでいただくとして、特に僕が「おお」と思ったのは長子・中間子・末っ子・一人っ子それぞれとの巧い付き合い方の項目がある。そこに「長子を誘う時に上手くいく言葉」というのがある。

長子を誘う時に上手く行く言葉、それは。。

「みんな待ってます」

そう!それなんだよ!長子が求めている言葉は!!(笑)

「なんだよー、結局オレが行かなきゃダメなのかよー。ちょっと面倒だけど、なに?みんな待ってるの?じゃあしょうがないかー」と長子は満面の笑みですぐ向かうね(笑)

福岡は意外と

2017-03-20 20:36:53 | 日記
東京と福岡を行ったり来たりしている。

だいたい月の3分の1は福岡。今月はぷらりと沖縄でも行ってみるかと思ってチケットも取ってたんだけどさすがLCC、機材繰りの影響により欠航。ま、全額払い戻してもらったのでいいけどね。来月行くことにしました。

福岡に部屋があって福岡にいるときにはそこに住んでいる。

もちろん自宅は東京にあるわけで、「部屋ふたつ、わーい♪」と思っていて楽しく生活しているけど、やっぱり面倒なことは多少ある。

まず、掃除ね。

「福岡の部屋なんてそんなにいつも居るわけじゃないんだし」と思っていたけど、それでもそれなりに生活していると汚れる。バスタブとかね。しょんでちょこっとスーパーに行って洗剤とか買ってきて掃除している。

あと、ゴミ捨て。

幸い福岡のマンションは一階にゴミ置き場があるのでそんなにゴミ出しに気を使わなくても(◯曜日の朝に必ず出さなきゃ!、ってわけでも無い)いいのでそれはそれでありがたいのだけど、やっぱりゴミ出しルールが東京の家とは違うからまだ良くわかってない。最近、なんとなく読めてきたんだけど、どうやらこっちでは「燃えるゴミ」「資源ごみ(ペットボトル・ビン)」「燃えないゴミ」の分類で、空き缶は燃えないゴミに入るようだ。しかもそれぞれ指定のゴミ袋に入れなくてはいけない。じゃあ指定のゴミ袋に入れないでおくと回収してもらえないのか、というとそういう訳でもなさそうだけど、それでも「これでやってください」と言われているんだったら極力従いますよ、ま、そのくらいはね。

それからね、福岡って意外と寒い。なんとなく「九州でしょ?南じゃん。暖かいんでしょ、そりゃ」と思っていたけど基本的には東京と変わらない、むしろ東京より寒い日もある。今日(3月20日)なんて雨が降っていたせいもあって結構寒くて、吐く息が白かったりしていた。どうやら今日なんて東京はポカポカ陽気だったんでしょ?

僕は「気温を聞いて想像して服装を決める」ってことが苦手で、だいたいどこにいても朝起きて「あ、ちょっと着ていかないと寒いかな」と思って服を決める。季節の変わり目に札幌に行くときなんかが一番間違えるね。昔、GWに札幌に短パンしか持たずに行ってしまって「そうだ!GWの札幌は寒かったんだー!忘れてたー!!」と思ってすぐ駅ビルでズボンを買ったことがある。

今回(3月13日から23日まで福岡にいます)も、「なんだかんだ言っても3月半ばだぜ?そろそろ桜も咲くのよ、いい加減あったかいでしょー」と思ってスプリングコートしか持ってこなかったらまぁ寒い寒い。

北海道だといくら寒くてもまぁ屋内に入ってしまえばなんとなる、ってところがあってさ。ほら、北海道の屋内って暖房がんがん効いてて暖かいじゃん。だけど、福岡はそうでもない。

で、自宅(東京の)にいるなら寒けりゃクローゼットの中からセーターだのコートだのマフラーを引っ張り出してくりゃ済む話だけど、福岡だとそうは行かない。持ってきてる服だけでなんとかするしかない。なんかサバイバルしてる感じだ(笑)。いや、サバイバル好きだからいんだけどさ。

理想はねー、とりあえずスーツケースひとつで全国、なんなら全世界どこにでも行ける、ってのなんだけど。個人的に「マルチ・ハウジング・ライフ」、つまり色んな所に自分の部屋がある生活にしてみようかな、と思っているんだけど、それはそれでなかなか面倒なことも多いですね。

とにかくね、いいですか、みなさん。福岡は意外と寒い。これだけは覚えて帰ってくださいねー。

いや、福岡はいいところなんですよ、もちろん。どこがいいか、って聞かれるとすぐには答えらんないですが。。次回は福岡の良いところを書きます、たぶんおそらく。

応援の力

2017-03-19 23:15:58 | スポーツ
土日に福岡にいるときはかなり暇。

知り合いもあんまりいないし、そもそも福岡の部屋には何もないので、DVD観て過ごすなんてことも出来ない。

最近ちょこちょこ行くのはサッカー観戦。

福岡のアビスパ福岡というチームは現在J2。ホームスタジアムまではドアtoドアで30分ほど。チケットも取りやすいしサッカー専用スタジアムなのでピッチが近くて観やすい。

最寄りのバス停で降りて、てくてく歩いて行くとスタジアムの屋根が見えて、ドンドンドドンと言う太鼓の音が聴こえてくる、ってのはやっぱり心踊る、それはどこのどんなスタジアムであれ。「ああ、もうすぐサッカーが始まるんだなぁ」とワクワクする。

もちろん僕は日本のサッカーチームで言えばアントラーズを贔屓にしてる訳だけど、J2においてはまぁ福岡ゆかりってことでアビスパも多少応援してる。熱狂的って訳では無くて「ま、せっかくホームで観てるんで出来れば勝ってほしいなぁ」くらいのゆるーい応援。

福岡にはもちろんソフトバンクホークスがあるのでやはり福岡の多くの人はサッカーより野球という感じ。

福岡の人と話していても「福岡はホークスがあるからですね、なかなかアビスパは人気が無いですねぇ。アビスパはJ1とJ2行ったり来たりですからね」なんて話をよく聞く。

(ちなみに「〜からですね、」ってのは福岡でよく聞く言い回し。福岡弁と言っても良いと思う)

そりゃ気持ちは分かるけど、でもまぁもう少し応援してあげてもいいかもなぁと思わなくも無い。せっかくの地元チームなんだしさ。

最近思うのだけど、とにかくスポーツにおいて「応援の力」というものは確実にある。

それはなんだか「気持ちは伝わる」とかいう精神的なものではなくて、非常に論理的な実利的なもの。

例えば、ちょっとボールがこぼれてタッチラインを割りそうになったとする。走って追いかけても追いつかなそう、という時。その時、目の前のサポーターが「がんばれー!」と言っていたら。いつもより少しだけ、追いかけるかも知れない。結局さ、そういう「少しだけ」の積み重ねでしょ、スポーツの勝ち負けって。

とにかく、絶対に、「応援」て無力じゃないから。それはスポーツに限らずね。

タイムカードは無駄だと思うよ。

2017-03-17 11:50:19 | 日記
なんか経団連とかが「残業上限100時間」とか言ってるらしいじゃないですか。

個人的に僕は残業代の出る仕事を今までの人生でした事が無い。もし僕が残業代出る仕事してたとしたら、家に帰らないけどねー。だって会社にいればいるほどお金貰えるんでしょ?(もちろんそういうシンプルな話じゃないことは分かってますよ、まぁある意味ジョークね)

いわゆる「過労死ライン」、これ以上働くと過労死のリスクが高まるってのが「残業80時間」なんでしょう?「月間100時間」って過労死ライン越えてるじゃん、アホか(笑)

残業月100時間というとさ、まあ月の出勤日数が20日、勤務時間が9時から6時(昼休憩1時間)の8時間勤務として、1日5時間の残業という計算になる。

9時に出社して帰りが23時!?

いや、そりゃ働きすぎでしょ。

通勤時間の平均がだいたい1時間程度らしいので、朝8時に家を出て帰ってくるの24時ってことになるじゃん?ウィークデイは毎日?え?いつご飯食べるの?いつ映画観るの?あー大変だわー。

僕自身、20代の頃はそういう働き方をしてた事があって、それは好きでやってたことだからまぁいい。だけど、好きでもない仕事をしているとしたらその勤務時間はツライだろうね。(ま、そもそも好きでもない仕事ならやらなきゃいいじゃん?とも思いますがそれはまた別の話)

というかさ、そもそも「残業」という考え方がもう時代に合っていないんだと思うよ。

例えば、僕のある時の働き方として、お客さんが朝早い業界に居て、朝6時とかに「急に必要になった!今日用意できる?」とか連絡来ることがあった。一方で、23時に「明日急に必要になった!」と連絡が来ることもあった。これってさ、じゃあどうやってタイムカード切るの?現実的に無理じゃん。あるいは「勤務時間中じゃないので」と電話に出ないの?それも申し訳ないよね。

基本的に僕は、裁量労働制というかつまり「自分の裁量で自由に働きなさい」ということがベストだと思っている、もうこの時代。

例えばお店の店員さんとか工場の労働者とかはもちろん別ね。そういう人達だと「この時間からこの時間まではここに居て」ということが必要だろうから、もちろん。

しかし、現代においてほとんどの労働者、
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僕はこういう言い方が好きではないんだけどいわゆる「知的労働者」(この言い方が好きじゃないのは、じゃあ知的じゃない労働者って誰だよ?と思うから。労働する限り全員、知的能力は必要でしょうさ)とか、いわゆる「ホワイトカラー」と呼ばれる人たちのことね。
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の働き方はもうそうじゃないでしょう?

例えばセールスで言えば、月間に1時間だけお客さんと会って契約が決まってそれで一ヶ月の売上目標を達成することだってある。
もちろん、そんなシンプルな話じゃ無いことは分かってるよ、1時間のそのお客さんとの面談のためには色んな準備があるだろう、それは分かる。あくまで例えの話ね。

例えば経理の仕事で言えば、一日中自宅でパソコンに向かっていれば済む、という仕事だってあるでしょう。

みんなで会社に集まって会議をする、ということも必要だろうけど、9時5時の間でそれがすべてか、というと僕はそうは思わない。

で、タイムカードの話をしたいんだけど、あるでしょ、タイムカード。朝来たら「がちゃん」とやって、帰る時にまた「がちゃん」とやるやつ。あれ、本当にムダですよね。

例えばタイムカードが無いとどういう問題が起る(起ると思っているか)というと、とある社員がいて本当は毎日9時5時で働いていたとする。だけど、本人が「いや、僕は毎日22時まで残業していた、証拠に自分の手帳に退社時間を書いてある。だから、この分の残業代をください」と言い出した時に、会社側に何かしらの「証拠」が無いと反論出来ない。だからそのために出勤退勤時間を会社で記録し保管しておく必要がある、から。

もちろんその必要性は僕も理解する。

だけどね、僕が言っているのは「タイムカードは要らないよね」という話。だってさ、毎日タイムカード(紙)にがちゃんがちゃんと記録して、それを結局誰かがエクセルなりなんなりのデータにするわけでしょ?だったら最初からデータで提出させればいいじゃないの。

タイムカードってさー、打刻忘れとかあって、月末にそれを手書きして、とかやってるんでしょ?ムダじゃん(笑)

「最初からデータだと改ざんの心配が…」、つまり社員が嘘の報告をするかも知れない、とかご心配されるじゃん?いやでもさ、最初からタイムカード一切打刻せず、月末に全部手書きしたって一緒でしょ(笑)

データで出させて上司が見てそれがあまりにも現実とかけ離れてたら「いや、君、これは無いんじゃないの?」って注意すればいいじゃん。「いや、それにしたって証拠が、、」?いやだから最初からタイムカードに一切打刻せず月末に全部手書きしたって一緒でしょ、ってばさ。

僕は「タイムカード(紙)をデータにする作業自体が無駄でしょ」って言いたいの。

で、もっと抜本的に言っちゃうと結局、裁量労働制でいいんだって。サービス残業とかおやめなさいな。お子さんを保育園に送る必要あるなら出勤時間1時間遅くしたっていいじゃない。その代わり、早朝にちょっとだけパソコンでメールしたりしてさ。有給休暇も取ればいいじゃない、パソコンさえ持ち歩いててWi-Fiつながればだいたいのことはなんとかなるんだしさー。

今の日本の労働システムって要は昔の、高度経済成長時代のシステムと根本的に変わってないと思う。

その時代なら、携帯電話もパソコンももちろん無かった。電話だってね、家の電話からガンガンお客さんに電話してたら電話代がバカにならなかったろう。コピーだって会社で無ければ取れなかったろう。つまり、そういう「機材」が会社にしか無いので出社する意味はあったろう。

でももう違うでしょ、今の時代はさ。繰り返しになるけど「会社に出勤しないと出来ないこと」ってもはやかなり少なくなっている。

つまりまぁ皆さんもっと自由に働けばいいと思うなぁってことですよ。

僕は今日の仕事はもう終わり。明日から三連休だ。

TGIF! (Thanks God, It's Friday!)

新聞読み比べ

2017-03-16 02:34:41 | 
9時の飛行機に乗ろうと思って空港に行ったら「機材整備のため12時に遅延」だってさ。

まぁ、仕方がない、LCCだからねー。

空港で3時間空いてしまった時、僕はラウンジに行く。どの空港も待合ラウンジみたいなのがあって、特定のクレジットカードを持ってたりすると入れたりする。そういうラウンジってだいたい飲み物が飲み放題で新聞雑誌が置いてある。

で、コーヒーを飲みながら新聞の読み比べをする。

新聞の読み比べの面白さってのはこの本を読めば面白さが分かる。


芸人式新聞の読み方

これは、東京ポッド許可局というラジオ番組をやっている人の一人であるプチ鹿島さんという芸人さんが出した本。このプチ鹿島さんという人は、各種新聞(主要新聞に加えて各種スポーツ新聞も)を全部読み、それらが何をどう語っているのか、ということを語ることを芸にしている。

と、言うとすげー堅苦しいように感じるかも知れないけどそうじゃない。

つまりこの人はある種の「野次馬」(褒めてます)であって、それを面白く語る、というのが芸になっている。そしてこの人のおかげでひとつの事件が立体的に「事実」となって浮かび上がってくる。

ほら、「群盲象を評す」って言葉があるじゃないですか。

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ある時、盲目の人たちが象を触った。ある人は足を触り「これは柱です」と言い、ある人は尾を触り「これは網です」と言い、ある人は腹を触り「これは壁です」と言い、鼻を触った人は「これは枝です」と言った。
--

つまり何が言いたいかと言うと、色々な人の意見その一つ一つは、もちろん間違ってはいないけど全体を表してはいない。その意見すべてを足したものが正しい、と。

もちろん我々も全ての新聞を読んで、それで判断するのが正しいのだろう。だけど現実的にそんなこと毎日は出来ないでしょう?僕だって今日、朝日・読売・産経・日経・日刊スポーツを読んだんだけどそれだけでなんだかんだ2時間くらいかかりましたよ。

そんなの遅延した飛行機待ちという特殊な時間でしか出来ない。

それをプチ鹿島さんは毎日6誌くらいを読み比べしてそれを語ってくれるわけでありがたい。

空港のラウンジって新聞はまぁたくさんあるから。こういう時にしか読み比べは出来ないからねー。

結果的に今日の飛行機は欠航。まーいいけどねー。

僕の、スーツ論

2017-03-14 20:25:21 | 日記
とある会社があって。その会社はセールスマン全員に年一回、会社のお金でオーダーのスーツを支給しているそう。見栄えが大事な業種なので福利厚生の一環として。なんだよ、羨ましいぞ(笑)

最近、とみに思うけども、身体にジャストフィットしている服というのはスーツに限らず見栄えが良い。特に年を重ねた人はそれが顕著になる。

僕自身、昔はダボダボの服を着ていたけども、年が経つにつれ、やっぱりダボダボなのはみっともない。パジャマかよ?って感じになるしね。

サイズの合ってない高級スーツよりは最近よくある安いオーダースーツ(そういうのがあるんです)の方が見栄えが良いね。

高級スーツかどうか、というのはよっぽどで無いと他人には分からない。それこそタグを見ないと分からないんだけど、「身体に合ってるかどうか」というのは意外とバレる。

さて。

その毎年、オーダースーツを社員に支給している会社の、その社員がパリッとしてるかというと残念ながらそうではない。

何故か?

簡単なこと。シャツがしわしわ、ズボンの折り目は消えてる、、つまりはまぁ「手入れ」がされてないから、ってことです。

これは僕の持論なんだけど、高級オーダースーツ(素材もいい、身体にもフィットしてる)をヨレヨレで着るよりは、いわゆる吊るしのスーツ、をきちんとクリーニングして着る方が見栄えが良い。

フィットと手入れをランキングで表すとこうなる。

よく手入れされたオーダースーツ

よく手入れされた吊るしのスーツ

手入れされてないオーダースーツ

手入れされてない吊るしのスーツ

もうすぐ4月で新入社員になる方も多いと思う。僕がオススメしたいことは2つある。

まず、高級スーツを一着買うなら安いスーツを二着買った方がいい。

スーツはある意味、消耗品なので、一着をずっと着てるより二着を着まわした方が、単純に「持つ」からね。

もっと言えば、十万のスーツを一着買うなら、吊るしのスーツを数着と、ズボンプレッサーを買った方がいい。


Corby ズボンプレッサー マホガニー 3300JAMG

こういうのね。

スーツのヨレヨレ感って多くは「ズボンの折り目が無くなってる」ってことだから小まめにプレスすればそれは避けられる。最近は「折り目が消えづらい」という加工したズボンもあるからそれもオススメ。

もう一つは、スーツ選びは誰かと行った方がいい、ということ。出来れば同世代の女性がいい。フィットしてるかどうか、というのはなかなか自分では分からない。店員さんももちろん良い店員さんもいるだろうけど中には「売りたいだけ」の人もいるからね。

男性に見てもらっても、フィットしてるかどうか、ということがパッと分かって指摘できる男性は少ない。そもそもさー、男性って服選び好きじゃないじゃん?←偏見。しかも人の服選びなら更に「どっちでもいーんじゃね?」とか言いそうだ。←偏見。

女性でも年代が違うとその人なりの流行りとかが考えの基になりそうだしさ。同年代がいいですよ。出来れば客観的に見てくれる方。恋愛関係はおろか肉体関係も無い人、いや逆だ、肉体関係はおろか恋愛関係も無い人。ん?逆か?ま、いいや。

スーツって面倒くさいと思うかも知れないけど、やっぱり着慣れてしまうと悪くないものです。柴門ふみが昔言っていた。「男性のもっともセクシーな服装は結局、スーツである」と。うん、僕もそう思うよ。

キャラメリゼ

2017-03-11 21:27:02 | 食べ物
「品川で飲もうか」ということが最近ちょこちょこある。

僕としても家から近いし。最近、東京にいる時は用事がない限り品川から先の、東京寄りにはあんまり行かない。人が多いんだもの、ぐっと疲れる。。

今週は水曜日に大井町で飲んで、木曜に品川で飲んだ。まぁ、大井町と品川は僕にとってはおんなじようなもんです。

品川で飲む時によく行くイタリアンがあって。駅からとても近いのだけどビルの最上階なので意外と空いていることが多い。とにもかくにも品川のお店の満席具合ってのはすごいもんでして、お店を決めずにぷらりと行くと30分くらい店を探す羽目になったりする。

という訳で特に希望がない場合はここのお店に電話してここでご飯を食べる。

景色がいいよ。


ここで僕が毎回頼むのは和牛の鉄板焼き。

もうさー、こんなの美味しくないわけが無いじゃないですか。イタリアの赤ワインと一緒にいただく。

今回特に「え!??これマジで!??」と思ったのが鶏レバーのパテ。

あのさ、鶏レバーのパテなんて(なんて、というと失礼だけど)まぁまぁそれなりによくあるメニューじゃないですか。前菜としていいでさーね。

でもね、ここのは鶏レバーのパテをキャラメリゼしてるの。つまり、砂糖を上にかけて炙ってある。ぐっとスプーンを入れて上がカリカリしていたのでびっくりしましたね。でねぇ、鶏レバーと砂糖の甘みって実は合うの、とっても。驚きました。

美味しくて美味しくて、店員さんに「とにかくこれ美味しいです、シェフに、美味しいです、と500回言っておいていただけますか」とむちゃなお願いをしてしまったくらい。

「美味しい美味しい♪」と大きな声で言いながら食べてたらシェフが「楽しんで頂いてありがとうございます。よろしければこれもどうぞ」と更に一皿頂いてしまった。

本マグロのトロと生海苔を和えたもの。メニューは無いそう。こんなのもさー、美味しいに決まってるじゃないですか。

こういう晩御飯を食べられると嬉しいなぁ。

「ずる」と「嘘」の功罪

2017-03-07 21:53:24 | 日記
僕はあんまりロジカル(論理的)な人間だとは思わないけど、プラグマティック(実利的)な人間だとは思う。

僕の基準に「得か、損か」「使えるか、使えないか」という二分論がある。もちろん「損だから駄目」という訳じゃ無いですよ。「損だけど好きだからいいんだい!」「そりゃ得だろうけどなんか嫌なんだい!」と選択をすることも多々ある(ほとんどそんなんばっかりだ)、とはいえその前に「どっちが得か」「実利的か」を考えているところは確かにある。

仕事柄、ってのもあるかも知れないけど。。


最近、思うのは「ずる」や「嘘」は得か損か、という話。

ほら、最近、国有地を異常に安く購入、とかそういう話あるでしょ?それ自体に関しては僕はよく分からないから何も言わない。

だけどね、それ関連のニュース(うちにはテレビが無いのでだいたいラジオかネット)を目にしているととみに思う。

例えば、国会でそれ関連のお役人さんが答弁してたりする。そして「記録がありません」とか言ってるじゃないですか。

はっきり言うと、仮にその土地を手に入れるのに誰かが「ずる」をしてたとする。じゃ、その「ずる」は損か得かというとそりゃ得だよね。すげー安く土地買えているんだもの、そりゃ得でしょう。でもね、長期的に見るとそれは絶対に損だと僕は思う。

仮に、そのお役人さんが「嘘」をついていたとする、仮ですよ。なんか偉い人から金をもらうという「ずる」をしてたとする、仮ですよ。

じゃ、その「嘘」と「ずる」は損なのか、得なのか。

うん、得なのかも知れない、得だと思わなきゃ嘘もつかないでしょう。

でもねー、はっきり言うけどその「ずる」や「嘘」は絶対に身体に悪いよ。

僕は声はラジオでしか聴いてないけど、もうね、声だけで分かる。そのお役人さんが答えている声を聴いてるだけで「いや、ほんと悪いこと言わない、ぜったい寿命縮めてるから正直に言ったほうがいいよ」と。もうそんなの声だけで分かるでしょ?

もうね、とにかく「ずる」とか「嘘」は身体に悪い、絶対に寿命を縮める。科学的根拠は無いけど断言してもいい。

つまり、長期的な視点で見ると「ずる」や「嘘」は「損」だと思う。本当にそう思うよ。

もう少し、ロジカルに説明しましょう。

まず、「ずる」について。

例えば、「ずる」をする役人がいるとする。「ちょっとこの金やるからこの件、うまくやってよ」と言われて受けちゃう役人さんね。役人になるくらいだから絶対にその人は馬鹿では無いんだろう。だとしたら、本人も絶対に分かってる。「もしこの国の役人が全員オレみたいだったらこの国ダメになるな」と。そりゃそうだよね、役人全員が金で転ぶ国が上手く行くはずない。もっと言うと「こういうのに乗るのは自分だけのほうがいいな」と。例えば役人全員、金で転ぶなら、金を受け取れるのは自分だけじゃない。ということは自分に入ってくる金は減る、そうでしょ?論理的に。

つまり、何が言いたいかというと、「金で転ぶ役人」本人は「この世界にこういう人間(端的に言うと、ずるい人間)は自分だけである」ことを望んでいる、好むと好まざると。

もっと言うと「自分みたいな人間は(自分以外に)世界に居ないほうがいい」と思ってる。

例えば土地を「ずる」して安く買った人はもっとわかりやすくて、絶対にその人は「こういう"ずる"をする人間は(自分以外に)世界に居てほしくない」と思っている、潜在的にね。だって自分みたいにずるい人間が自分以外にいたら、自分は土地を買えないじゃん。

これはねー、健康に悪いですよ、本当に。だって、「世界に自分みたいな人間は居ないで欲しい」と願ってる、ってことでしょ。つまり自分の存在を自分自身で否定しているんだもの。はっきり言ってしまうと「自分で自分を殺してる」ってことでしょ。「自分の存在価値を自分で否定する」ってのは最後の最後の生死の一線で絶対に変わってくる。

そして「嘘」について。

「嘘」は効く、それは認める。便利だよねー、こんな便利なものはない。

だけど長期的に見ると絶対に効率が悪い。「嘘」の一番の問題は「自分の嘘を覚えて無ければいけない」ということです。

例えば、とある人が、2017年3月7日に、本当はAさんに会っていたとしましょう。でも嘘ついて「いや、Aさんに会ったことはない、その日はBさんに会っていました」と嘘をつくとしましょうね。数年経ってその人が「2017年3月7日に誰に会っていたんですか?」と訊かれたとしたら、「自分はAさんに会ってないと言った、Bさんに会っていたと嘘をついた」ということを覚えて無ければ行けない。これはしんどいですよー。もし嘘をついてなければ(「私はその日、Aさんに会った」と正直に言っていれば)、「忘れました、すいません、調べてください、記録は残ってるはずです」とだけ言えばいい。だけど嘘をついていたとしたら、誰かに調べられたら嘘がバレてしまう。だから、調べられる前に「私はその日、Bさんに会ってました!」と言わなければいけない。つまり、嘘をつく人は「自分の言ったことを忘れる」という自由を奪われることになる。これってさ、めっちゃストレスじゃない?(笑)違うかな?僕が自分の言ったこと忘れる人間だからかな??すいませんね。

自分で自分の存在価値を否定し、忘れる自由さえ許されない、そんな人間が長生きできるわけでないでしょ?

損だよ、「ずる」と「嘘」って。少なくとも、効率は悪い。そして絶対に健康に悪い。なんだっけ、理財局ですか、寡聞にして僕はそういう部署があることを知らなかったけど、あの理財局のトップの人いるじゃん?もうね、僕は責めてるわけじゃなくて単純に「もうさー、体に悪いよそれ」と思ってるから言うんだけど早めに諦めたほうがいいよ、ほんとに。死んじゃうから。もうね、声だけ聴いてても分かる。僕は(繰り返しになるけど)責めてるんじゃないの、同情して、心配してるの。僕だってそりゃそれなりに、ずるくて嘘をつく人間だからね。

「ずる」と「嘘」は確かに儲かる。でもね、そりゃあ、お金はたっぷりもらえるかも知れないけど、寿命はお金じゃ買えないですからねぇ。(少なくとも現代科学ではね)

16oz

2017-03-06 22:56:59 | 食べ物
以前、シアトルに行った時にスターバックス一号店に行ってタンブラーを買ってきた。


これがスターバックス一号店。

スターバックスの一番最初のロゴの入ったもので一号店でしか売ってない(はず、たぶん)。


随分便利に使っていて「買ってよかったよな」と思っている。

たっぷり入るし本体と蓋しかないから洗うのも楽。その分、保温機能はあんまり無いけどまぁいいや。きちんと保温できるやつだと内蓋とかゴムパッキンとかあって洗うのが面倒なんだもの。16oz用と書いてあるのでだいたい450CCくらい?グランデサイズも入ると思う。

もちろんスタバに行ってこれに入れてもらうこともあるし、セブンイレブンでカップのコーヒーを買って紙カップからこれに移して持ち歩くこともある。ほら、セブンイレブンのコーヒーって鞄に入れられないでしょう?(入れてもいいけど鞄の中べちゃべちゃになるわね) これに入れて蓋をきちっと閉めておけば鞄に入れて持ち歩いても大丈夫。

ほんで、このタンブラーのメリットはもひとつあって。

スターバックスにこれ持って行ってこれに淹れてもらうとだいたい「いいタンブラーですね」と声をかけられる。店員さんによっては「一号店行かれたんですか?」とか聞かれる。「そうなんですよ、シアトルに行った時に買ったんです」なんて答えるとちょっとした優越感を得られる。


最近、スタバで仕事をすることもちょこちょこある。日本のカフェ産業ではスタバが苦戦しているらしい。まぁ、たしかにちょっとお高めだものねー。だけど、ドトールはちょっとテーブルが狭苦しい感じがするので仕事する時はスタバが僕はいい。コーヒーの味で言えば僕はタリーズが一番好みなんだけどあまり近くに無くて。。

スタバが高い、と言っても「いや、そんなこと無いんじゃないかな」と思っている。

もちろんフードメニューはちょっとお高めだよね。グランデサイズのラテとサンドウィッチなんか頼むと1,000円近くなったりするから。

でも、僕はいつもドリップコーヒーショートばっかり飲んでいる。あんまりフードメニューは食べない。

ドリップコーヒーショートだとタンブラー持ち込みの値引きがあって税込280円。ドトールのコーヒーSで220円なんでそんな変わらなくない?

しかも、スタバはワンモアコーヒーというサービスがあって、ドリップコーヒーのレシートがあればその日中なら同じサイズが税込108円。そうすると2杯で388円ってことじゃない?つまり一杯194円。僕は朝、スタバでコーヒーを買い、帰り道にスタバに寄ってまたもう一杯、ということをやるときがある。

意外と良いですよ。

「騎士団長殺し」が身体に来た個人的なみっつの事柄。

2017-03-05 19:57:59 | 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編


騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ時にも思ったけど、やっぱり、とんでもない小説だよな、と思う。話の筋だけを思い返せば「あのさ、貴方いったい何を言ってるの??」という話なんだけど、やっぱりぐいぐい「読ませる」、村上春樹の小説にそういうことを言うのも今更ながらほんとにに失礼な話だけど。とにかく、読ませる、脳というか身体に来る(気がする、僕はね)。

前に書いたとおり、かなり前からAmazonで予約注文をしていたのだけどしばらく家を留守にしていたせいで発売日には受取る事ができず、手に入れたのは3月2日だった。「まぁせっかくだからちょびちょび読もうかな」と思っていたんだけどやっぱり読み始めたら一気に読んでしまった。少し出かけるときがあったりすると「ああ、早く家に帰って続きが読みたいな」と思うくらい。(家でゆっくり読みたかったので外出するときには持ち歩かなかった)

小説の内容とはまったく関係無いけど、「身体に来たなぁ」と思うことがみっつあって、まずひとつ目。

僕は最近、家に居るときにはラジオばかり聴いている。ラジオだと普通に音楽を聴くのと違って人の喋り言葉が多いから、「ラジオ聴きながら本なんて読めないよ」という人もいる。でも、僕は大丈夫。ラジオかかっていても本は読める。だけど、この本のときには一切ラジオがダメだった。もちろん、ラジオが気になってしまうくらい本の内容が云々という訳じゃない。ただダメだっただけ。なので、ラジオをとめて音楽を聞こうとしたけどいわゆる「歌声のある曲」もダメだった。そしてインストゥルメンタルでもジャズはダメ。幾つかの種類の音楽を試してみて結局、交響楽がしっくり来たのでこの小説を読む時はずっとそれをかけていた。そんな種類の音楽、僕は日頃、ほとんど僕は聴かないのに。不思議なものです。

ふたつ目。とにかく読みながら、腹が減った。腹が減ったというより何かを口に入れたかった。最近、ほとんど間食をしないのだけれどそれでもこの小説を読んでいる間はとにかく何かを口に入れたくて、読み進めたいのに、何かを口に入れたいという欲求が高まって、開いた本を家のテーブルに置いたまま、スーパーに行ってスナックを買ってきて、家に戻り、スナックの封を開けてまた読み進める、ということをやっていた。

みっつ目。読みながらとにかく村上春樹の過去作を読み返したくなった。特に「ねじまき鳥クロニクル」と「ダンス・ダンス・ダンス」。読み返したいのだけど、待て待て、と。とりあえず今、この小説を読み進めようよ、と思ったけど、読み返したくて。耐えきれずちょっと寝る前に少しだけ読んでみたりした。改めて読み返してみると「ダンス・ダンス・ダンス」ははっきり言って「ギャグ小説」だよな、と思った。軽いとか馬鹿げてるという意味じゃなくて。思わず「プッ」と吹き出してしまうところばかり目についた。

というのがみっつ。とても個人的な感想でまったく他の人に同意してくれるとは思えないけど。

繰り返しになるけどやっぱりとんでもない小説だと思う。

非常に偉そうな言い方になるのでどうか許してほしいのだけど、「多崎つくる、」の時も思ったけど「この話をちゃんと理解出来るのは世界で僕だけなんじゃないか?」と思う。もちろんそんなことはない。むしろ僕はこの小説についてほとんど何も理解していないだろうと思う。でも「この小説はもしかしたら世界で僕だけのために書かれたんじゃないだろうか?」と思う。もちろんそんなことあるわけない。でもそう思う。数百万人がこの小説を読んで、たぶん同じように感じるんじゃないかな、と思う。

夢の国の夢見る夢子ちゃん

2017-03-01 15:35:57 | DVD、映画
もうね、予告編観た瞬間から「俺、この映画好きなんだろうなー」と思ってた。



とにかく観て損のない映画だと思いますからぜひどうぞ。

改めて思うけど「何も知らずに映画を観る」という体験は貴重だと思う。

もし僕が大富豪なら「題名の無い映画館」をやりたい。その日、どの映画が上映されるかを観客は知らないの。開始5分間は退出オッケー(観たことある映画かも知れないからね)、お代は見終わってからでいい。

さて、「ラ・ラ・ランド」。

僕は「ミュージカル」が好きなんですよ、そもそも。

ミュージカル苦手な人ってさ「いきなり歌い出すなんて不自然じゃん!」とかおっしゃるでしょう?でもね、嬉しかったり悲しかったり、なんでもいいけどとにかく歌い出したい時って無いですか?無いですか、ならいいですけど。

僕はある。嬉しかったり悲しかったり恋に落ちたりして、突然歌い出したくなるときってあるでしょう?誰にだって。でもさ、僕なんかが道端でいきなり歌い出したらたぶん色々問題あるでしょ?社会的に。面倒な社会だな、と思ってますが。

それがミュージカルの世界なら許されるんですよ、それだけで、良い世界だと思いませんか?思いませんか、ならいいですけど。

「ラ・ラ・ランド」の世界はそれだけで、みんなが歌って踊ってるだけでただただ僕は泣いていた。「いいなーー!!」と。

オープニングから大勢の人が歌って踊ってたんだけど、このオープニングだけで、もし「はい、この映画終わりです」って言われても僕は「あ、そすか、良いもん見してもらいました、あざーす」と言ったと思う。それくらい素晴らしかったから。

題名の「La La Land」、米俗語で「夢見状態」という意味があるらしい。日本語で言うとなんだろうね、「ラン♪ララン♫状態」くらいでしょうか、そんな日本語無いだろうけどニュアンスとしてさ。あと、個人的にニュアンスとしては「夢見る夢子ちゃん」が近いと思ってます。

この映画は確かに「夢見る夢子ちゃん」の話でしたね。夢見る夢子ちゃん役のエマ・ストーンが良かったじゃないですかー!良かったねぇ、ほんと。僕は前から好きでしたよ。なにせ出身がアリゾナ州スコッツデールというのがいい。僕、行ったことあるんですよ、素敵な町でした。

いや、ほんと今回「いい」しか言ってなくてまとまりませんがね。いいんですよ!

そして「LA」と言えばもちろんロスアンゼルスですねぇ。この映画、ロスアンゼルスがとても魅力的に描かれていた。夢の街、チャンスの街、これがロスアンゼルスですよ。いや、行ったこと無いけどさ。

「L.A.ストーリー/恋が降る街」って映画がありましてね。


L.A.ストーリー/恋が降る街 [DVD]

たぶん全然人気無いし、その証拠にウィキペディアのページすらないんだけど、僕は好きなの。これもロスアンゼルスを舞台にしたある意味、夢のような、不思議な話。それを思い出しました。

そして、もちろんロスアンゼルスは本当の意味で「夢の国」ではない。当たり前だ、この同じ地球上のひとつの町でしか無いんだから。6年頑張ってもオーディションに受かるとは限らないし、夢見ても必ず叶うとは限らない。そういう「現実」もしっかり描かれていて、少しのほろ苦さもあり、それでもひとときでも夢を見られたことの素晴らしさもあった。


加えて、ひとつ、この映画で特筆しておきたいところがある。それは、「ただやっただけ」の偉大さ。

例えば、こんなシーンがある、ヒロインがパーティに行く、パーティ会場にどんどん入って行くヒロインをカメラは追う、ヒロインはパーティ会場の真ん中のプールサイドに立ち止まる、でもカメラは止まらない、そのままプールに入り、飛び込む男性を水中から写し続ける、そして水中からプールサイドの人々を撮り続ける、、、

これね、最初観た時「え?どう撮ってるんだろう?」と思った。なんかすげーCG使ってるのかな、と思ってメイキングを観たら「ただやってるだけ」でした(笑)僕の好きなパターンです、「ただやっただけ」。つまり、ホントにカメラを水中にぶっこんでるんですよ。いいねぇ、こういうの。

高速道路で人々が踊り出す、という素晴らしいオープニングのダンスシーンも「うわ!どう撮ってるんだろう?」と思った。これね、ワンカットなんですよ。つまり、誰か一個でもミスしたら全部やり直し。これも「ただやってるだけ」、素晴らしい、夢のようなLAの夕暮れをバックにした二人のタップダンスシーンも「ただやってるだけ」、いいねぇ。。

CG全盛のこの時代に、ただ、普通に、みんなで頑張って、「やる」というのはそれだけで感動的ですね。

いいです、「ラ・ラ・ランド」。