浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

実在する「その街のこども」

2012-09-29 21:05:55 | DVD、映画
「北の国から」というドラマがあります。改めて言うまでもないけど。

僕は大好きなんでたまにこのドラマのことを考える。正確に言うと純君や蛍、正吉のことを考える。

「結局、純はゆいちゃんと結婚して富良野に戻ってきたんだろうか」とか「蛍は正吉とやりなおせたんだろうか」とか「いまはどこにいて何しているのかな」とか。

純君にしても蛍にしてもそう思わせる圧倒的な「実在感」がある。

ドラマとか映画でたまにキャラクターにこういう「実在感」があるときがある。別にキャラクターに実在感がなくてもいい映画はたくさんあるんだけど、映画「その街のこども」の実在感は半端無かった。



いろんなところで「いい!」と言われていたのは知っていたのだけどなんとなく見過ごしていていた。元々はNHKでドラマとして放送されて、あまりにも反響が大きいので再編集して劇場公開されたらしい。

話としては非常にこじんまりとしている。2010年の1月16日。登場人物はほとんど二人しか出てこない。ある青年がふとしたことから新神戸で新幹線を降りてしまう。そこである女性と出会う。

青年は森山未来、女性は佐藤江梨子。偶然出会った二人だけどある共通点があった。それは15年前、二人とも阪神淡路大震災で被災していること。

二人が出会ったその日は阪神淡路大震災の1月17日から15年後だった。

しかもこれはフィクションであり映画なんだけど、演じている二人とも神戸出身なので実際に被災している。つまりこの二人自身「その街のこども」なんです。

ここまでを事前情報で知っていたので僕は開始10分くらいからとにかく泣けて仕方がなかった。

二人ともさすがに神戸出身なだけあって関西弁が非常に自然なんだよね。方言がぴっとしていないとこういう実在感は出ない。しかも二人とも本当に被災しているので、台詞の一言一言が脚本によるものなのか、それとも演じてる二人の本当のことなのかがまったく分からない。そもそもどれが台詞でどれがアドリブなのかすら分からない。まるでドキュメンタリーを見ているような気持ちになった。

特に冒頭の居酒屋シーンね。すごかったなぁ。正に普通の人たちの会話を覗き見ている感じでひりひりした。たぶん、あの「すだれ」の効果が大きいんだよね。

そして、二人が新神戸駅を出てただ15年ぶりの街並みを観る後ろ姿だけで、彼らの15年前、そして神戸の15年前が思い起こされる。

二人はひょんなことから終電を乗り過ごし、真夜中の新神戸から御影までを歩くことになる。僕は仕事で実際に行ったことがあるけどたぶん10キロは無いくらいの距離だと思う。

ただただ歩きながらの二人の会話がすごかった。

この映画を阪神淡路大震災を抜きにして考えることは難しいけれど、もし無理やりそれを抜きにして考えて「男女の興味深い会話のやり取りの映画」として観ても非常に面白い。町を歩きながら男が真面目な話してても猫を見つけると女の子って突然「あ!ねこー!」っ言うよね。話聞けよ(笑) また佐藤江梨子が話聞かない感じなんですわ。こういう女の子っている。

森山未来という俳優の作品をあんまり観たこと無かったけど本当に素晴らしいですね。顔が(かっこいいという意味ではなく)非常にいい。あのね、僕は能面を思い出した。無表情という意味ではなくて光の加減やそういう微妙な感じで悪い人にも良い人にも見える。

つまり「実在感」ってそういうことだと思う。世の中に完全な善人も完全な悪人もいない。見方によって善にも悪にもなるのが我々人間だろうと思う。そこが巧く描かれたキャラクターに実在感を感じてしまう。

佐藤江梨子もたいそう素晴らしい。登場から終始一貫、自分の都合しか考えない、はっきり言ってしまってムカツク女ではあるんだけど、あるシーンで!手を振りながら叫ぶ彼女のセリフが、相手のことを思いやったセリフで。。。

たぶんこの映画で多くの人がグッと来るシーンなんだろうけど僕は声を上げて泣いた。ひーとかぐーとかうーとか言いながら泣いてしまった。家でDVDを見ながら泣くことは、ちょっとグッと来て涙がポロリと落ちることはよくあるけど声を上げて泣くことはなかなかない。たぶん「カシム・ザ・ドリーム」以来だと思う。

そして、そこからすぐの二人の別れのシーン。やっと涙を拭いて鼻をかんだところだったのにまた号泣ですよ。

これは言ってしまって構わないと思うけど、この二人の間に恋愛感情は生まれない。でもそんなことより二人の間には魂の繋がりというか何かプレシャスなものが生まれたと思う。はっきり言ってそれだけで、この世界は素晴らしい。大震災と言う理不尽な脅威に立ち向かえる我々の武器はこの「つながり」しかないんじゃないだろうか。

東日本大震災の前に作られた作品なので、今観ると更に重い。

とにかくめちゃくちゃいい映画です。


さて、二人は次の年の1月17日には出会えたんだろうか?そして、今年の1月17日をどんな気持ちで迎えたんだろうか。そして二人はいま何してるのかな。

クレープ

2012-09-28 23:29:52 | 食べ物
たまに作ります。

もちろんお店で売ってるようなやつじゃないんだけど。

「きのう何食べた?」って漫画にあったんだよね。

クレープって材料がそんなにいらないから楽でいい。

小麦粉と卵と牛乳で出来ちゃう。

薄いクレープだけど卵一個使えば7、8枚出来て結構食べ甲斐がある。

クレープは具が大事。

よく作るのはツナ。ツナ缶とタマネギのみじん切りとマヨネーズを混ぜたのに少しコショウ、あればマスタード。これをクレープでくるんで食べる。

あとベーコンエッグ。僕があんまりハムを買わないからベーコンエッグなだけでハムエッグでもまったく問題ない。

あと嬉しいのはバナナ。ホイップクリームがあったら最高。

何も無ければ溶かしバターに砂糖混ぜたのかけただけでも美味い。

理想を言えばさー、焼き上がって食べて、食べてまた焼く、ってのがいんだけどね。

99対1

2012-09-25 20:02:02 | 
アメリカ在住の映画評論家町山智浩の新刊が出ました。

この本が出るタイミングでレギュラー出演しているラジオ番組でのこの人の話がまぁーすごかった。20分ちょっとの話なんだけど、その短時間で「ロムニー対オバマの大統領選の背景」から「共和党と民主党は何を争っているのか?」までがスカッと解ってアメリカの現在が手に取るように理解できた。

とにかくこの人のアメリカに関する話はよく解るし面白くてたまらない。

この話の音声は番組の都合上、1週間で消えてしまうのでちょっと書いておきます。

今年、2012年はアメリカの大統領選があります。大統領候補は現職であるオバマと対抗馬であるロムニー。オバマは民主党でロムニーは共和党。言わずもがなアメリカはこの二大政党制です。

今回の大統領選の背景には99%対1%という対立がある。この数字は何かというと、今のアメリカは1%の超大金持ちがアメリカ全体のお金の40%を所有しているということ。逆に言うとアメリカの99%の人々で60%の富を分け合っているということになる。つまり単純に言うと今のアメリカは「1%の超大金持ちと99%の普通の人、あるいは貧しい人」の国ということになる。

共和党の大統領候補であるロムニーは明らかに1%の人らしい。この人は実業家なんだけどファンド会社(いわゆるハゲタカファンド。日本だとすかいらーくに投資したりしているらしいです)の設立者で年収は何と15億円。資産は200億円近く。

今回の大統領選の大きな争点は富裕層への増税。

オバマ大統領は「富裕層の所得税を増やす」と言っている。一方でロムニーは「それはダメだ」と言っている。この争い。

アメリカの所得税率というのは(日本人からすると)奇妙な感じになっている。

基本的には累進課税で所得が多いほど税率が高くなっている。たくさん稼ぐ人は35%とか。だけどここが奇妙でロムニーは15%しか税金を払っていない。なぜか?それはアメリカにおいては株式売買による所得は税金が安くなる仕組みだから。つまり、1%のお金持ちの人々の収入と言うのは株式売買が多いからお金持ちの1%の人々ほどあんまり税金を払っていないということになる。

オバマ大統領は「これはおかしいだろ」ということで所得税率を上げたい、と言っている。

で、これは税金云々の問題ではなくて民主党と共和党の「主義」の問題になっている。

ロムニーの共和党の基本的な考えは「自由」であるということ。とにかく自由であることが素晴らしいんだ、国は国民のやることに出来るだけ関わらないほうがいいのだ、という考え方。経済に関しても国はタッチせず自由競争をさせたほうが良い、という考え方。

一方の民主党の基本的な考えは「平等」。やはり国民は平等であるべき、ということ。たくさん稼ぐ人からは少し多めに税金を取りそれを国が貧しい人や恵まれない人のために、たとえば公共事業や福祉などに使うべきという考え方。

この2つの考え方、「自由」な共和党と「平等」の民主党で綱引きをしているのが大統領選ということになる。

この2つの考え方はどちらもよい面と悪い面がある。

たとえば「自由」が行き過ぎると悪いことをやってぼろ儲けする企業がどんどん出てくるし、所得の格差はどんどん広がってしまう。負けたヤツは自己責任だということになって一度失敗したらなかなか這い上がれない状態になってしまう。今のアメリカはまさにこれ。

でも「平等」が行き過ぎると共産主義化してしまい「どれだけ頑張っても税金に取られてしまうんだから意味ないよ」と働かなくなってしまう。色々なサービスを公共事業で安くやるわけだから新しい企業は生まれづらくなる。

この自由→行き過ぎて格差→平等→行き過ぎて共産主義化→それに対抗してまた自由、、の繰り返しが過去のアメリカの歴史ということになる。

例えば民主党の政策が功を奏したのはルーズベルト大統領の時代の「ニューディール政策」。ディールというのはカードゲームにおいての「カード配り直し」の意味で「新しく配り直し」という意味になる。富裕層から税金を取り国が公共事業を充実させた。それは一時期はよい面があったけども多くの事業を公共でやられしまうと新しい企業は出づらいし人々の勤労意欲が下がってしまった。それが70年代の不況の原因となった。

その後に出てきたのが共和党のレーガン大統領。彼は「新自由主義」というのを打ち出し規制を緩和し大企業への税金を減らした。それによりアメリカは80年代の未曾有の好景気に沸くことになる。

そしてブッシュ・シニアを経て、クリントンの民主党政権になる。ここでアメリカは史上最大の経済黒字を出すことになるけど、次のブッシュ(共和党)がそれを全部使い果たし最大の赤字を作った。

ブッシュは共和党なので「自由」を基本理念に経済に関してはほとんど手を打たなかった。それによってサブプライムローン問題、金融崩壊が起こった。結果、現在の1%対99%の状態になってしまった。

…というのが町山智浩がラジオで話していたロムニー対オバマ、1%対99%の話。はぁーすごいことだねぇ。

そりゃ自由と平等というのは大事なことだけど、どっちか極端に行き過ぎないでうまいこと中間くらいにしておけばいいんじゃないかと僕みたいな野次馬は思う。中道行き過ぎてダメになってるのが今の日本なのかもしれないけどさ。

アメリカの場合ここに更に「宗教」という軸が入ってくるのでもっとエライことになるんだよねー。

そのあたりのことがこの本に書かれています。

まぁーこの99%対1%の話のみならずスゴイことになってますよ。

オバマをアメリカ生まれと信じていない人がいるとか、貧乏人に医療保険を与える法案を通す奴は殺せと言っている人がいるとか。

ちなみにこぼれ話。

超お金持ちのロムニーをバットマンに例える支持者もいる。バットマンことブルース・ウェインはウェインエンタープライズの大株主と言う設定で莫大な資産を基に自ら街を守る活動をしている。
同じく大金持ちのロムニーは「金持ちがどんどん金持ちになることは事業を行い雇用を増やすことになるのでいいことなんだ」(トリクル・ダウンという考え方らしいです)と主張している。
だけど彼の会社名は「ベイン」!なんと「ダークナイト・ライジング」でのバットマンの敵役。偶然らしいけど面白いねー。

ちなみにベイン、ライジングではかっこよかったけど「バットマン&ロビン」では「ウガー」という台詞しかないです。


どうなることやらのアメリカ大統領選は来年1月に結果が出ます。

新大阪で考えていること

2012-09-24 01:16:00 | 食べ物
大阪で仕事を終えて東京に帰るため新大阪駅に向かう間、僕が考えていることはただ一つ。

晩御飯なに食べるか。

重要な問題です。東京に着くのは22時前になるので家に帰って何か作るというのも面倒くさい。

一つのナイスパターンは551の売店で豚まんと餃子を買い、新幹線の車内でビールというパラダイス。いいんだ、これ。名古屋までは一人宴会でそこからは寝ちゃってもいい。この問題は結構においがするので車内が混んでると申し訳ないこと。

無難なのは駅の売店で弁当。新幹線の改札過ぎると高くてあんまり美味しくない駅弁しかないので買うのは改札前がいい。僕の好みはおこわの弁当。注文を受けてからおこわをよそってくれんの。

そして、結構な反則技が名古屋で途中下車してホームのきしめん。

(あんまりきしめんぽくない写真だね。ほら、早く食べないといけないから)

東京着が少し遅くなるけど、用のない名古屋に降りてみるというのはなんか楽しい。
ということで新幹線ホームのきしめん、かき揚げと玉子550円。

思い返してみると名古屋で降りるのは久しぶりだ。もう三年は名古屋駅の改札を出ていないと思う。昔はよく来てて長い時は20連泊したこともあったけどね。

名古屋でいろいろきしめんを食べたけど結局新幹線ホームの立ち食いきしめんがいちばん美味い。そして名古屋でトンカツ食べるなら味噌カツがいちばん美味い。

イマドキの学生

2012-09-21 11:28:55 | 仕事
たまにだけど現役の大学生と話をすることがある。なんでか男子ばかり。まぁ女子大生だとなに話していいかわかんないからいいんだけど。

大学生と話してると「真っ当だなー」と思う。

僕が会う大学生はいろいろ考えてNPOとかやっている人なので真っ当なのも当然かも知れない。確実に僕が大学生だった頃よりいろいろ知ってるし考えてる。まぁ僕はひどすぎた。

「今の学生は弱々しい」なんてことをいう人もいるけど、そうとも言い切れないっすよ。

ただ全体的に将来に不安を持っている傾向はあるような気がする。

そりゃそうだよね、こんな時代だもん。「なんも不安ねーっす」って学生のほうが「大丈夫かよ、お前」って思っちゃうよね。

先日、学生と酒を飲んでたんだけど、僕がいい続けていたのは「やりたいことやったほうがいいよ」ということ。

なんかこんな時代だから安定を求めてなりたくもない公務員になったりするのもどうももったいない気がする。

もちろん子供の頃から公務員に憧れてそういう仕事したいんです、というなら問題ないけど。

今の時代、どこに行ってもマックと吉野家とユニクロはあるんだから生きていくことは出来る。一方で40年後も安泰な仕事なんてない。あのソニーですらエライ赤字なわけだし。

僕の大学の同期で安定を求めて地元の役場に勤めたものの御多分にもれずそこも財政赤字で毎日「このままの税収だったら町は何年持つか」というシミュレーションを毎日している人がいる。そういうのもどうかと思う。

だったら自分が真剣になれる仕事したほうがいいんじゃない?いい給料もらえるかどうかなんて結果論なところもあるんだし。

そういう話すると相手の学生の顔も少し明るくなる(ような気がする)

僕の話が正しいかどうかは僕にも分からない。でもこういう話もひとつの意見としてあってもいいんじゃないかなと思う。みんながみんな真面目な事ばっかり言っていたら学生も息苦しいだろう。

加えて言うことは「自分の仕事を楽しそうに話さない社会人のことはあんま信じなくていいよ」ということ。そういう人がダメというわけじゃないけど、少なくとも学生にとってある一人の人がある仕事をつまんないと言ってるからってその仕事がつまらないということにはならない。

僕はこう思う。

「つまらない仕事はない。仕事を楽しめない人がいるだけ」

この言葉はアレンジがきいていい。

「つまらない学校はない。学校を楽しめない人がいるだけ」
「つまらな人生はない。人生を楽しめない人がいるだけ」

あれ?今日なんの話だ?

こういう話する社会人は学生に嫌われそうだ。

ブルジョア

2012-09-19 23:26:02 | 食べ物
ジューシーとかと飲んでる時よくゲームをする。だいたい飲み終わるとルールも覚えてないようなゲーム。

いま覚えてるのはあだ名ゲームと注文しりとりゲーム。

あだ名ゲームは単に通行人のあだ名をつけて面白いほうが勝ちというゲーム。二人で花見の時期の円山公園で二時間くらいやってた。

注文しりとりゲームは串鳥で注文は前のしりとりでしか出来ないというもの。

その中で僕的には盛り上がると思ったのがブルジョアゲーム。

これは自分にとっての小さな贅沢を発表しあって一番贅沢だった人が勝ち、というゲームだったんだけど全然盛り上がらなくてすぐ終わった。面白いと思ったんだけどなー。

今日のブルジョアネタは王将の天津飯。

普通の天津飯に見えるけど中のご飯がチャーハン。これは実は知る人ぞ知る裏メニュー。値段が200円くらい高い。高いっても王将だから大したことないんだけどね。

ブルジョア~。

二足歩行じゃなくっても

2012-09-17 16:03:55 | 日記
大きなロボット好きのお友達のみんな、お元気ですか?

程度の差こそあれ男のコは巨大ロボット好きだよね(独断)

モノづくり大国日本からまたすごいのが出ましたよ。


なんと双腕重機。日立建機製「アスタコNEO」お値段2600万円也。

もうモビルスーツじゃん!というかパトレイバーじゃん!

名前がモビルスーツっぽいもんね。

腕のユニットを変えられるらしいですよ。なんで片手で鉄骨を片手で摑んでもう一方の手でちょん切るとか出来るらしい。ガトリングガンユニットとかあったら燃えるね。

これ見るとさ、もうガンタンクくらいなら出来るんじゃないかと思えるね。

個人的には巨大ロボットは二足歩行にこだわる必要ないと思ってます。

言葉が適切じゃない

2012-09-14 19:20:37 | 日記
大津の件がきっかけになって、いじめ問題が取りざたされてる。

あまりテレビを見ない僕でもテレビを見ると「いじめの話をしてない日はないな」と思ったくらいなのでよっぽど取り上げられているんだろうと思う。

「いじめが悪い」とか「学校どうにかしろ」とか言うのは簡単だけどそれでは解決にならない。

一つだけ、僕この件について言いたいことがあるんですが、いいですか?

あのですね「いじめ」という言葉ってあんまり適切ではないと思うんです。

先日、ある中学校の先生にこんな話を聞いた。

---
中学1年生の生徒が「学校で友達にいじめられた」と親に相談したらしい。親は心配して、相手の親に連絡した。そうすると相手の親も冷静ではいられないから少し親同士でもめた。学校側はその件についてまったく知らず、親同士がもめた結果、学校に相談しよう、と話を持ってきた。双方の親が「学校は認識していなかったのか」と学校を責めた。
学校側はもちろん認識していた。でも、そのいじめというのが「学外研修のためグループを作らなくてはいけないんだけどその生徒がグループに入れてもらえなかった」というものだった。こういうことはよくあることなので(特に中1の一学期だとまだクラスが慣れていないのでよくある)放置しておいた。
---

さて。

この出来事について、良かったのか悪かったのか、誰がどうすべきだったのか、と言いたいわけではない。

もしかすると生徒が過敏に反応しただけなのかも知れない。単に「私もグループに入れて」と言い出せば済んだ話かも知れない。いやいや、その生徒は何度もそう言ったのに他の生徒が完全に悪意を持ってグループから排除した、という話かもしれない。

それは誰にも分からない。

ただ僕は「やっぱり『いじめ』という言葉は適切ではないな」と思った。

あまりに示す範囲が広すぎませんか?

例えば、ある一人を悪意を持ってグループに入れない、ということもいじめだし、数人で殴る蹴るの暴行をすることもいじめと呼ばれる。

この二つを合わせて「いじめ」という言葉でくくってしまうのはあまりにも無理があるでしょう。

もちろん、「グループに入れてくれない」ということは人によっては殴られるよりも心に傷を負うことかも知れない。それでも「その行為自体で身体的に傷を負う」ということとそうでないことを同じ言葉でくくってしまうのは問題があると思う。

指し示す範囲の広い言葉ってのは往々にしてトラブルのもとになる。

保護者「そちらの学校ではいじめ(=集団で一人の生徒を殴ったり蹴ったり)があると聞いたんですが」

先生「そりゃ中一の最初はいじめ(=グループに入れてあげないとか)くらいありますよ」

保護者「なんでそんなのほっとくんですか!?」

ほらね。

まずは言葉を変えましょうよ。それだけで解決するとはまったく思ってないけど。

三日間クッキング

2012-09-13 06:14:08 | 食べ物
牛スジを一口大に切ります。

圧力鍋に牛スジ、ニンニクの薄切り、生姜の薄切り、ネギの青いとこを入れて加圧します。5分たったら火を止めます。

圧が抜けたら中身をザルにとりぬるま湯で流して脂を落とします。

再度、圧力鍋に入れます。昆布を一昼夜つけた水、酒、塩を入れます。

圧力鍋で25分加圧します。

この時点で美味しい牛スジ塩煮込が出来るので酒の肴に頂きます。

出来たものを冷蔵庫で寝かせます。

次の日にはダシのほとんどがコラーゲンなのでプルンプルンになってます。

それを再度温め、水で伸ばし白だしで味をつけ、長ネギと揚げ玉でうどんにして頂きます。

更に次の日、そこに茶色になるまで炒めたタマネギのみじん切りとカレールーを入れます。

ご飯を盛ります。

この時点で口の中のヨダレが止まらん。

桐島、二回観たってよ

2012-09-07 01:10:06 | DVD、映画
九州におります。今は鹿児島。

九州で食べる厚揚げはなぜどこも旨いのか、誰か教えてください。

長崎から鹿児島に向かって、着いたら21時だった。てくてく駅ビルを通っていたら「桐島、部活やめるってよ」のレイトショーがあることが分かった。

「桐島、」先週観てからずっとこの映画のことを考えています。こんなに引きずる映画も珍しい。

観たときはそんなに心動かされたわけではないので、この引きずりは本当なのかと思ってついもう一回観てしまいました。

観て思うけど、2回目のほうがいいよ。

話の筋を分かった状態で観るといろいろ気づく。

はっきり言って2回目のほうが涙腺決壊した。

DVDも多分買います。

観た人の感想聞きたいなー。それぞれバラバラなんだろうなー。特に女性の感想聞きたいなー。

大きな変化のために小さな手を打つこと

2012-09-04 23:10:29 | ニュースから
今日の話は長いし素人考えなので楽しみたい人はどうぞ「桐島、部活やめるってよ」でも見に行ってください。今週で終わっちゃうだろうけどやっぱいい映画よ。

大阪市が小学校と中学校の校長を50名募集しています。普通の転職サイトに載っていて結構びっくりした。

これも橋下市長のいろいろな改革の一環だろう。

僕が一市民として知りうる限りの情報からの判断なので「真相はもっと深いよ」という場合もあるかも知れない。だけど僕の印象としては火事を消そうとして家を土台からぶっ壊してる、ようなもんなんじゃないかと感じる。

教育の専門家でもないし子供もいない、ましてや大阪市民でもない30代独身男性の野次馬的意見として書いておきますのであんまり信用しないでください。

橋下市長は本当に公務員や教員を信用していないんだろう。この人が誰かを信用しているのか、という素朴な疑問はおいておいて。

「教育が悪い。学校が悪い。特に学校のトップである校長が悪い。それは競争にさらされてない公務員が校長をやっているからだ。じゃあ競争社会である民間から人を引っ張ってこよう」と思っているんだろう。

僕は何も「民間から校長を引っ張ってくることがダメだ」と言いたいんじゃない。民間出身で立派に校長をやっている人だっている。(一方で割合としては少なくない数の民間出身校長が自ら命を絶っている事実があるけども)

僕が言いたいのは「そんな乱暴なやり方じゃダメじゃないの?」ということ。

確かに今のほとんどの公立学校の校長には、組織運営に必要なマネジメント力やリーダーシップが無いかも知れない。だけどさ、それを「お前らが力が無い」というのはかわいそうだよ。だってほとんどの校長が「校長になりたくて教員になったわけじゃない」んだもの。

校長のなり方の一番大きなパターンは、教員が年数を経てなる場合が多い。でも、教員になるときに「将来僕は校長になるんだ」と思って教員になる人はほとんどいない。子供が好きで、教えることが好きで教員になる。そのうちに年数が経ち組織においてなんとなく部長や主任になっていき、そのうちに校長になる。本当は子供と触れていたいのにどんどんその時間が減っていく。そういうものです。

なりたくてなったんじゃなくてもなってしまったからには努力しろ、という意見もあるでしょう。その通り。多くの校長は一生懸命頑張っている。でも頑張るためにの知識・スキルを得る方法があまりにも世の中には無い。例えば企業の社長になったらそのために必要な知識・スキルを身に着ける方法は世の中にあふれている。企業経営の本はたくさんある。でも学校経営の本、校長としてどうすべきかの本はあまりにも少ない。

僕は今回の政策の深い所を知らないのだけど、もし今回募集した校長陣のバックアップ体制を市が全力を上げて整えているならまだいいと思う。

おそらく外部から来た校長に対して校内の教員の風当たりは冷たいだろう。それは教員が意地悪というわけではなくて、努力している人たちに対して「お前らじゃダメだからお上が他からお前らの上司連れてきてやるよ」って言っているようなものなんだもの。僕なら(ほら、僕、性格悪いから)「あー、そうですか。じゃあいいわ。お点前見せてもらおうじゃないの」と反発するだろう。いくら教員が僕ほど性格が悪くないとしてもうち何人かは僕と同じような気持ちを持つんじゃないかな。

そんな中で新任の校長はいろんな悩みや問題を抱えるだろう。それに対するケアを市は受け止め対応する体制を整えているんだろうか?
教員、生徒、保護者との関係においていろいろな誤解や確執が生まれるだろう。それが表面化したときにそれを受け止める体制を市は整えているんだろうか?「市が選んだ人なのでその人の問題の責任はすべて市にあります」と心から言ってくれるんだろうか?もしそうならば僕は言うことはない。

もしそうじゃないなら、あまりにも無責任な話じゃないですか?

「公務員の校長じゃダメだ、民間から引っ張ってこよう。その人が巧くやれるかどうかはその人の自己責任です、頑張ってください。もしダメならまた別な人を引っ張ってきます」

僕ならヤダよ、そんなの。

じゃあどうすればいいのか?と思うかも知れない。僕の話なんて単なる野次馬の印象論なので言いっぱなしでもいいんだけど「代案無しに批判するな」(嫌な言葉だ)とか言われても癪なので書いておきます。

一番の問題は、子供たちの人生を左右する重要な、学校と言う組織において、それを実際に運営していく先生たちを率いる「校長」という立場になるためのしっかりした教育方法が無いことだと思う。

どうも回りくどい文章だと思うので例えます。

船があるとします。乗客がいます。それを動かす船員もいます。でもその船の船長にどうやったらなれるのか、なった後、どうやったら船を行きたい場所に進められるのか、そのためにどうしたら船員に指示できるのか、それを学ぶ方法が無い、ということです。

だから、本当に教育を変えたかったら、校長、そしてそれを含む「学校経営者」を育成する方法を確立することが絶対大事だと思う。もちろんそれだけでは変わらない。でも学校経営者育成は確実に大事なことの一つ。

例えば大学の学科を作ってもいいでしょう。教育学部の中に作ってもいいし、経営学部の中に作ってもいい。経営学部企業経営学科があるんだから学校経営学科があってもいいでしょう。(筑波大にはあるみたいだけど)

そういう学部が採算が取れるか、という話は置いておく。僕はいまビジネスの話をしているんじゃない。

「教育に携わって生きる」という道は教員になること、文科省に入ること、いろいろあるけど、その一つに「校長になる」ということがある、ということを若い人に知ってもらうだけでも意味がある。今、子供が「校長になりたい」と思っても何をしてもいいか分からない。

「教員にはなりたくないけど校長にはなりたい」と言う言葉ってすごく奇異に聞こえるだろうけど、それが奇異に響くこと自体が問題なんです。だって「サラリーマンになりたくない、社長にはなりたい」って言葉ってそんなに変には聞こえないでしょう?そりゃ「そんなに甘くないよ」とは思うかも知れないけど。

教育を変えるためにはいろいろなことが必要だけど、校長を変えなくてはいけない、と思うなら民間から門外漢を引っ張ってくることだけじゃなくてしっかりとした校長を育てなくてはいけない。育てるために、校長になることとはどういうことなのか、どういう知識・スキルが必要なのか、それをどういうスケジュールで人に伝えていくのか。それを組み立ててやっていくしかない。細かいし地味だし面倒なことだよ。でも組織が巨大だからと言って乱暴な方法で変えられるとは限らない。大きな動物だって手術するときには小さなメスを使うでしょう。
大木を切り倒すには確かにチェーンソウが必要だと思う。でも今はそんな話じゃない。いわば、細いけど丈夫なワイヤが絡み合っている状態なんだと思う。それを解きほぐすのに必要なのはデリケートな手法と根気だ。

え?そんな悠長なことでは教育が変わるのは何十年後になるか分からない?

あれ?教育って1年や2年のそこらで簡単に変えられるもんなんでしたっけ?

靴を買って、公園に行こう

2012-09-03 17:38:58 | スポーツ
ちょこちょこと走っています。

改めて思うけど、本当に走ることは楽しい。そんなにたっぷりとした距離を走れるわけでもいいタイムなわけでもないんだけど、それでも走り終わった後に「ああ、気持ちいいなぁ」と思っている。走り終わった瞬間に「ああ、また走りたいなぁ」と思っている。アホみたいだけど。

先日、大通公園を走ってみて改めて「公園を走るのって楽しいな」と思った。

いつもは大体、隅田川沿いか皇居を走っているんだけどどちらも一本道なんです。皇居はぐるりと回るだけだし、隅田川沿いは端っこまで行って帰ってくるだけ。それって何に考えなくていい分、暇と言えば暇。

一方、公園は一本道ではないから、縦横無尽というか自由に走れる。ちょっと道に飽きてから曲がってみたりして。

そういうことを上野公園を走ってみて思ったので今度は木場公園に行ってみました。

木場公園はこないだ特撮展を観に行ったときに「走ったら気持ちよさそうだなー」と思っていたんだよね。走ってみたら案の定気持ちよかった。

上野公園よりも広さは無いんだけど道の自由度は高い。芝生の広場もあるからそこを突っ切ることも出来るし。

基本的な作りとして大きく二つに分かれた公園で、間を普通の道路が走っている。最初、そこを渡るとき信号で面倒だったんだけど、往復していたら大きな歩行者専用の橋があることに気づいた。この橋が札幌の人には「ミュンヘン大橋」と言えば通じると思う作り。渡っているとスカイツリーも見えるし非常に気持ちが良い。写真撮ろうかなと思ったけど走るのに一生懸命で忘れた。

今回、僕が実際に走ったコースはこういう感じ。

(iPhoneのアプリでこういうのが記録できる。便利)

赤い線が僕なんだけど、どれだけぐるぐる適当に走っているかが分かる。まっすぐな道走っていて飽きると曲がってみて、その道に飽きるとまた曲がってみる。ちょっと遠めに何か面白そうなものが見えると芝生を突っ切ってそっちに行ってみる。

自由に入れる小さな池があった。水はきれいで子供用のプールみたいなところ。走りながら「入りたいなぁ」と思ったけど大人なので我慢したけど。

バーベキューが出来るスペースもある。みんなでバーベキューに行って火をおこして(火をおこすの得意よ、僕)、「じゃあ俺ちょっと走ってくるんで」とジョギングして、走り終えたら即ビール、なんて出来たらそのあと1年はバーベキューしなくてもいいよ。

ジョギング始めるきっかけとして、僕は「まず靴とウェアを買ってみる」ということをお勧めしているんだけど「走れる恰好して公園に行ってみる」というのも同じくらいいいかも知れない。

桐島、部活やめるってよ

2012-09-02 19:09:00 | DVD、映画
土曜日が1日で映画が1000円の日だったので「桐島、部活やめるってよ」という映画を観てきました。



大変興味深い映画でした。万人に「面白かったよー」と言える映画ではないんだけど、何か感じるところがあった、という人と酒飲みながら話したらめちゃくちゃ楽しいだろうなぁという映画です。

もろ手を挙げて「面白い」という映画ではないし「ラストの解釈は人それぞれだよ」とかっこつけたことを言うつもりもないから「よくわかんない」という人も多い映画だと思う。僕だってわかんない。でも少なくとも僕にとっては非常に愛おしい映画です。高校時代の一番キラキラしたところと一番めんどうくさいところと一番痛いところをぐちゃっと煮込んだ映画です。

話としてはシンプル。タイトル通り、桐島が部活やめる話。高校2年生の桐島はバレー部のエースでキャプテン、成績もいい。更に彼女は学年一の美少女。その彼がある金曜、学校に来ない。そして彼の周りのクラスメイトなどが「部活やめるって」と話している映画です。はっきり言って桐島がどうなのかというのは話の本筋にはまったく関係ない。映画にも桐島は出てこないし、なぜ彼が部活をやめたのかは分からない。描かれるのは、普通の高校生の姿です。人も死なないし、大きな事件も起こらない。

この映画を「ゴドーを待ちながら」という戯曲に重ねる人もいる。(ゴドー≒ゴッド、キリシマ≒キリスト) でもまぁあんまり気にしなくていい。予告編では「日本映画史に残る圧巻のグランドフィナーレ」とか言っているけどそれもあんまり信用しなくていい。

とにかく何も知らずに観に行ったほうがいいと思います。


あとはなんとなく僕の感想を。ネタバレ無しです。

まず言っていいですか。

今の日本の映画で、AKBとジャニーズが出てないだけでプラス1億点つけたい!

もちろんAKBやジャニーズが映画に出ていたっていいんだけど、この映画に出さなかったのは本当に正解だと思う。この映画は普通の高校生が何人も出てきて彼ら彼女らの群像劇になっているんだけど、やっぱりそういうところにAKBとかジャニーズが出ていると「ああ、この人がメインなんだろうな、見せ場があるんだろうな」と思ってしまう。それが無かったのが素晴らしかった。僕がうといのかも知れないけど出ているキャストの9割9分、僕はどういう俳優さんなのか知らなかった。だから、誰に注目することもなく、逆に全員に注目して観られた。一番知名度があるのは神木隆之介という役者さんだろうけど、彼を地味な映画部の役にしたのも大正解ですね。朝礼の時に全校生徒の前に立つシーンで手をどうしたらいいか分からない、目立たない生徒の感じがとてもよかった。

あとはやっぱり役者さんたちが大層素晴らしい。どの生徒も「ああ、いたなぁこういうヤツ」と思える。高2という、子供ではないけど将来も見えないもやもや感が本当に痛くていいですよ。「必ずあなたのような生徒がいる」みたいなことを言われているけど、僕はそうは思わなかった。僕自身は高校の頃、ここに出てくるような部活のスター、帰宅部だけど女の子と充実してるやつ、完全オタク、などのどれでも無かったから。だから逆にどの登場人物の気持ちも少しずつわかる。だから「全部俺だ」とも思える。

完全に悪い人なんていない。でもみんな結局は自分のことを考えている。友達のことを思っていたりもするけど何気なく人を傷つけたりもしている。それが普通だよね。

それから学校の場所も素晴らしい。見ている間、まったくどこの学校なのか分からなかった。埼玉のようにも思えるし、九州のようにも思えるし京都や札幌だと言われても不思議じゃない。都心か大田舎ではないことは確実にわかる。途中「イオンの映画館で」という台詞が出てくるから。「どこにでもある学校のようでどこにもない学校」という感じがすごく良かった。

キャラクターと学校の感じが全部「自分のようでいて、完全には自分ではない。母校のようでいて、完全には母校ではない」という距離感が非常にいいです。

いわゆる「青春映画」はこの映画でもってちょっと変化したような感じがします。見るべき価値は確実にある。

一個だけ、どうしても言っておきたいことがあってそれは完全にネタバレなので別の所に書いておきます。僕が映画見ながら「うわぁああ」と頭をかきむしりたくなったシーンについて。あれはもう地獄絵図ですよ。おそらく多くの人に取って「あのシーンがもう!」という話だと思うので観終った後、読むことをお勧めします。


「桐島、部活やめるってよ」における地獄絵図について


【追記】

このブログをアップした後もずっとこの映画のことを考えていました。そうやって観た後もずっと考えてしまう映画っていい映画だよね。一つだけ言っておきたいなーということがあってそれは音楽。この映画、あるところまでは一切BGMが流れない。それが最後のほうですごく効果的になる。ああ、もうここだけでビール5杯くらい飲みながら喋りたい。

そしてエンドロールで流れる主題歌。これがすごい。


高橋優という人の「陽はまた昇る」

もし僕が高校時代にこれを聞いていたらズキューンと来ていただろう。いや、いま聞いてもいい歌だけど。すごくいい。

この人、札幌出身で狸小路でストリートライブとかしてたんだってさ。もうそれだけで5割増しだよね。

やっぱりこの映画、観られるなら観たほうがいいと思いますよ。