浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

10個

2012-01-31 19:07:59 | 
「一ヶ月生活するとして選ぶ食材ベスト10」やってみましょうか。

こんなどうでもいい遊びはだいたい東京ポッド許可局から仕入れるんですが。

ルールとしてこんな感じでどうだろう。

・調味料はさしすせそ(砂糖、塩、酢、醤油、味噌)全部有り。
・油はサラダ油が有り。
・水は有り。
・小麦粉有り。
・缶詰、レトルトを選ぶのは無し。
・これ以外の食材10個選べる、量はいくらでも。
・これで一ヶ月、毎日三食食べる。

さて。

まずは米は必要。野菜は玉ねぎ、ジャガイモ。ニンニクも欲しい。

これであと六つ。

肉が欲しいところだね。豚バラブロック。ブロックなら角煮も出来るし薄く切れば豚バラスライスとして使える。たたけば挽肉にもなる。

あと玉子。

あと四つ。こっから悩むとこですな。

キャベツ。付け合わせにも出来るしスープも作れる、、、と思ったけどスープ作るなら出汁が必要か。。。粉末のコンソメとか鶏ガラスープ入れるのは惜しいなぁ。あ、味噌があるから味噌汁は出来るか。

あとシャケの切り身。やっぱ魚も食べたいもんね。

これだけあれば朝は焼き鮭と味噌汁とご飯、晩は豚バラでご飯いくらでも食えちゃうね。

あとはランチ方面考えてくか。

あと二つ。

よし、うどん、乾麺のやつ。これでかけうどんとか出来る。飽きたら焼うどんにしちゃえばいい。具は豚バラとキャベツあればいいしね。あ!ソースが無いのか。。。醤油味の焼うどんにってのもなぁ。。

よし、うどんやめてパスタ。塩あるし。

となるとパスタソースの材料欲しい。

トマトあると助かるんだけどここは牛乳。普通に飲んでもいいし、小麦粉使ってパンケーキもどきも作れる、カルボナーラもどきも作れる。

これでいいかな。まとめると、米、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンニク、豚バラブロック、玉子、キャベツ、シャケ、パスタ、牛乳。

これなら結構いろいろ作れる。

玉子と豚バラと玉ねぎで他人丼、シャケのクリームパスタ、マッシュドポテト、シャケと玉ねぎとキャベツのちゃんちゃん焼き、豚バラとタマネギを使った和風パスタ、スペイン風オムレツ、、、うん、十分十分。

願わくばオリーブオイルとかバターが欲しい。誰か貸して。

2秒で聞き流す

2012-01-30 20:54:50 | 日記
先日、とあるセミナーに参加してきました。

まぁはっきり言ってしまえば「付き合い」です。

昔お世話になった人がやってる会社が主催のセミナーでした。(ちなみに言っときますが個人の副業とかマ○チビジネスとかの話じゃない。一応、ちゃんとしたセミナー)

全体としてはまぁまぁ。いくつか参考になる点もあって思わずメモをした部分もある。でもま、付き合いじゃなかったら出ないな、と思うレベルだった。

特に、冒頭に登壇した人の話は聞き始めて2秒くらいで「あ、インチキだ」と思い始めた。

インチキな人にはいくつかパターンがあるけど、その一つとして、こういう言い方をする人は僕は2秒で「はいはい」と聞き流す。

そのパターンというのはこういうの。

「自由に生きたいですよね」→「そのためにはお金が必要ですよね」

もう本当にこの論理(とはいえない論理だけど)、色んなところでよく聞く。

変奏曲としては、「夢を叶えたいですよね」→「そのためには時間が必要ですよね」→「そのためにはお金が必要ですよね」ってのもある。

はっきり言ってこういうの僕は聞き飽きた。

もうね、こういう時代に結論が金だけの話ってそれだけで「あー、はいはい」って感じなんだよなぁ。

というかさぁ、もう金の話ばっかりするの止めません?

お金は大事ですよ、でもね、そればっかりの話ってなんつうか一言で言っちゃうと「ダサくない?」と思うんです。

この論理で話す人が大きく誤解をしているのは「お金はないけど自由に暮らしている人がたくさんいる」という事実。

これって決して負け惜しみで「お金は無いけどオレは自由だい!」と言い張ってる人のことじゃない。ほんとにお金が無くても心から、自由に、色んな意味で豊かに生きてる人たくさんいるよ。

「お金があれば自由に生きられる」って人はお金に囚われているわけだからお金があっても自由になんてなれないと思うけどね。

あとさ、こういう論理を言う人の根底にあるのは「仕事はやりたくないものだ」ということなのではないかと思う。「満員電車に乗って会社に行き、上司に怒られ、お客にぺこぺこ頭を下げ、疲れてまた電車で帰る、ほらね、仕事なんてやりたくないでしょ」と言ってるような気がする。

あのね、仕事ってそんなのばっかりじゃないよ、と僕は言いたい。

まぁー自由とはあまり言えない僕なんかがそんなこと言ったって誰も聞いてくれないだろうけどさ。

夢という名の呪い

2012-01-23 21:39:30 | DVD、映画
『呪いの時代』という本を読みました。
内田 樹
新潮社
発売日:2011-11

なんだか呪術だのオカルトのような本の印象を受けるけどそうじゃない。

「呪い」が言葉によって人に「悪しきこと」を起こさせるものなのであるならば、今ほど「呪いの言葉」が蔓延している時代はない。

嘘だと思うならちょっとTwitterとか2ちゃんねるとかを見てみてください。いくつもの「人に悪しきことが起こることを望んだ言葉」があふれている。実態を持たない(インクで印刷されたわけではない)、モニタ上の単なる光であるそれらの言葉は時に明確に人を傷つけるし、時には人を自殺に追いやる。相手が総理大臣だろうと学者だろうと、老若男女関係ない。キーボードの前に座った人間はいつでも誰にでも呪いの言葉を吐ける。

その呪いの時代をどう生きるべきか、というのがこの本の主旨。

呪いが「悪しきことが起こるように」願うことであるのに対して、その反対、「悪しきことが起こらないように」願うことが祝い。どちらも「悪しきことをコントロールする」ということで言えば共通点がある。


なんてことを考えているところで「アキレスと亀」という映画を観ました。
北野 武
バンダイビジュアル
発売日:2009-02-20

北野武監督作品。

絵を描くのが好きな子供が幼い頃から画家になることを望み、そのまま青年、中年と進んでしまった人の話。

なんだかプロモーションされているときには感動的な夫婦の話、みたいな感じだったけど、観てみて僕は「残酷な話だなぁ」と思ってしまった。

主人公、真知寿(まちす)は絵を描き画家になることしか考えていない。そして奇妙なことに、彼の周りには死があふれている。

大富豪だった父親は会社が倒産し自殺する、母は父を追い自殺、やっと出来た絵が好きな友人はバスに轢かれて死ぬ。

青年時代、共に芸術家を目指すことになった仲間たちは2人死ぬ。

中年になっても大事な人を失う。

はっきり言ってこの主人公は「死神」としか思えない。この人が周りを死に追いやっているわけでは決してないけど、それでも主人公の周りでどんどん人が死んでいく。

そして最も巻き込まれているのが常に寄り添う奥さん。

この映画においてはこの奥さんだけが主人公を「祝って」いる。

最終的にはこの奥さんの祝福だけが救いになるわけだけど、これだけ見て「大変だったけど夢を追って、奥さんがいるんだからいいじゃない」なんて僕は思えない。

これは「夢というきれいな言葉のダークサイド」を描いている話だと思う。

夢を持つことは素晴らしいと思う、そりゃ僕だって。でも夢には「一切報われない」という可能性だってある。

(たとえばこういうときによく言うんだけど漫画で『昴』というのがあります。高校生の昴がバレリーナになることを目指す。母親は「もしなれなかったらどうするの?」と訊く。昴の答えは単純。「なれなかったら私の人生終わり、それでいいの」 夢が大きければ大きいほど、これくらいの決意が必要なんだと思う。)

このあたりを北野武監督は非常に残酷に、ドライに描いていると思う。そういう意味で、夢には呪いの側面もあるのかも知れない。

そして奥さん。

奥さんは主人公と共に夢を追うことを選んだ。

でも、この映画の結論として「やっぱり夫婦愛っていいよねー」とはいえないっす、僕は。

なぜなら、この奥さんが主人公と共にいることって「本当に愛だけなの?」と思ってしまうから。うん、その見方はかなり性格が悪いかも知れないけど。けれどもそう思わせる監督がやはり僕は残酷であり、リアリストであるとも思う。

奥さんにとっては人生のすべてを賭けた主人公の夢。その夢をあきらめることは、主人公を選んだ時点から今までの人生の全てを否定することになってしまう。自らの選択と今までの人生を否定したくなかった、という気持ちが一つもなかったとは僕は思えない。主人公と一緒にいてたくさんの辛いことがあったからこそ、更にあきらめきれなくなったのかも知れない。ちょうどギャンブルに負け続けた人が「取り返すまでは止められない」と大金を賭け続けるのに似ている。

ああ、夢が呪いならば愛だって、、、いや、怖くてそれは言えない。

とにかくまぁ残酷な映画でした。

念のため言っておきますが、僕この映画嫌いではないです。

あとちょっとだけ。

言葉で主人公を「呪う」のは画商役の大森南朋。この役は良かった。主人公が持ち込む全ての絵を否定し主人公に対して「芸術はもっと狂わなきゃ駄目だ」と言う。「もっと狂え」という言葉は呪い以外のなんだと言うんだろう。

この映画で一つだけ(たぶん、一つだけだな)「救い」となるようなキラキラしたシーンは青年である主人公と、後に妻となる幸子が初めて心を通わすシーン。

幸子は同じ職場の主人公が気になっていて「次の休日なにやってるの?」と訊く。でも主人公は次の休日もその次の休日も絵を描く予定が入っている。

そんな主人公に業を煮やし幸子が訊く。

「私のこと、どう思ってるの?」

これへの主人公の返答、それを受けて更に幸子の返答が素晴らしかった。ここはグッと来た。「ああ、もうせめて二人は幸せになってくれ」と祈ったね。

このシーンは徹底的にリアリストでありながらロマンチストでもある北野武監督の真骨頂だと思う。

※ちなみに中年時代の主人公が大切な人を失った後に、火のついた納屋で絵を描き続けるエピソードは芥川龍之介の「地獄変」を連想させる。芸術のためにすべてを失った、という意味では相通じるものがあると思う。

帰り方を教わってない

2012-01-22 13:17:15 | 日記
先週金曜は会社の新年会でした。

他の会社はよく分からないけどうちの場合、結構いろいろ企画をしてやります。

単に集まって飲む、というだけではなくいくつかゲームをして、チームを分けて、という感じ。

幹事の数人で企画するんだけど持ち込む機材がプロジェクター、パソコン、スクリーン、というだけで雰囲気はご理解いただけるかと思います。

今回は僕も幹事の一員。

いつもだったら司会をやって裏方はお任せ、というところだけど僕も会社では中堅であるので、目立つところは若手に譲って裏方に徹しました。

あのね、僕こういう企画の進行だとか裏方けっこう巧いのよ。

こういうのになると会場を見渡せるから「あ、あそこが盛り上がってないな」「あ、次の余興の準備が間に合ってないな」「あ、司会が話しすぎて時間が押してるな」とか結構気づく。

おかげさまで結構好評な新年会が出来ました。

その後、二次会へ移動。幹事チームは新年会の運営でほとんど何も食べられてなかったので二次会でたっぷり飲んで食べる。

こういうときさ、時間が経つに連れて徐々に人が減っていくでしょう?

そういうこと僕出来ないんだよなぁ。

なんか途中で「じゃ、帰ります」と盛り下げちゃうような気もするし、何も言わずに帰ると後で探されたりするのも迷惑だろうし。お金足りなかったりしたら更に申し訳ないしさ。

ホントお酒の場は好きだけど帰り方が分からない。

ということで二次会の後、カラオケまで行って解散は朝5時。

みんな終電を逃してしまって始発待ちだったんだけど、僕なんて歩いてでも帰れたんだけどね。


ほんと誰か帰り方教えて欲しいですわ。

気持ちよかった週末

2012-01-20 00:44:36 | 日記
先週土曜日、ドッピオさんとあと二人、計4人で飲んでました。

始まる前から「きもちいい飲み会になるんだろうなー」と思ってましたが、いやーきもちよかった!4人とも好きなことを喋り、美味しいものを食べ、喋り、ボケて、乗り、突っ込み、笑い、飲む、の繰り返し。

いやーきもちよかった!

ああいう時間があるとそれだけ「いろいろあるけどまぁいーじゃん」と思えるね、人生。

飲み終えて、何となく話しているうちに「明日の日曜、箱根の温泉に行こう」という話になりました。

なにがどうなってるか皆目分からないけどいいね、こういう感じ。

ということで毎度毎度のドッピオさんに車を出してもらい(まいどわりーね)、箱根へ。

何故か分からないけど箱根の黒玉子を食べた。


昼飯はトロロ定食。

トロロが旨いのはもちろんついてたアジの干物がまー、うまかった。

こういうの毎朝出てくるような人生を過ごしたいと本気で思うね。

風呂もね、良かったよ。

ドッピオさんと風呂入りに行くとだいたい僕が先に出る。僕はあんまりじっとしてられないタチなので、サッと身体を洗ってサッとあったまってサッと出るから。

でも今回は何でか長風呂でした。

その後、ドッピオさんの地元に戻りまた飲む。

これもねー、まー気持ちよかった。

いいやね、こういう日常。

がんばれ受験生

2012-01-19 00:44:18 | 日記
センター試験がありました。

ニュースによるとかなりいろいろ不手際とかミスがあったみたいですね。

リスニングの機材が届かず2時間くらい遅れたところや、問題の配布ミスなんかがあったそう。

あのね、僕は正直に「この規模のテストってのが根本的に無理があるんじゃない?」と思う。

ちょっと調べてみたらなんと全国で55万人が受けている。(ちなみに英検の一番受験者が多い準二級で15万人)

こんな規模の人たちが全国各地で同じ問題で、同じ時刻にテストを受ける、というのはかなーり大変なことだと思いますよ。

もちろんミスは駄目なんだけどさ、こんな規模じゃあミスも起きても仕方ないんじゃないかと思う。

ミスがあった会場の受験生にはもちろん心から同情します。


僕は高校三年生のときにセンター試験を受けた。と、言っても既に大学は推薦で決まっていて、本当にたんなる記念受験。会場が水戸だったので旅行感覚で受けた。水戸いきたかったんだもの。水戸はミスドがあったからさ。僕の地元にミスドが出来たのは僕が大学に行ってしまってから。

いま考えると本気で受けに行ってた人には迷惑な話だったと思う。そんな気持ちで受けているから点数も良いはずが無い。今では何点取ったかすら忘れたよ。

センター試験の問題と解答は次の日の新聞に掲載されている。

ふと思って英語だけ解いてみました。

最初はぼけっと新聞読みながら頭の中で解答を考えてただけだったんだけど、「せっかくだからちゃんとやってみよう」と思って紙とペンを取り出し結構真剣にやってみた。

結果は159点(200点満点)。

これがいいほうなのか悪いほうなのかはよく分からない。(今年の平均点ってまだ出てなかったんじゃないかな)

例年だと110点くらいが平均みたいだからそれを上回っている、ということはいい点数のような気もするけど、東大だの京大だのを受ける人は190点くらい取るようなイメージもあるから「150点台なんて話にならんよ」と言われればそんな気もする。そもそも大学の英語学科を出たんだから満点取って当たり前だろ、といわれたら「ごめんなさい」と謝るしかない。

北大を受けるとすると(やっぱ北大でしょ)7科目で80%くらいは取らなきゃいけないみたい。僕は数学・理科はぜんぜん取れる自信が無いのでやっぱり英語で稼いでおかなければいけない。だとすると英語では出来ればほぼ満点を狙いたいところではある。

とまぁ、他人との比較では分からないんだけど、僕個人としては「思ってたよりも取れるじゃん」と思う。

もっとボロボロかと思ってた。

不正解が全部で11問あったんだけど、そのうち正解と照らし合わせても「いやー、これは分からんわ」と思ったのは2問。残りの9問は「ちゃんと考えれば分かったなー」という感じ。

「ちゃんと考えれば分かった」と言っても「だから簡単だった」とは思わない。

そもそも思うんだけど、「80分間、ちゃんと集中して問題に取り組める」というのも一つの能力だよね。

僕なんかはぼけっと、ちょこちょこ休憩もして解いていた。現役じゃない僕にとっては長文読解なんかが「ちょっとつらいなぁ」と思う。ぐっと集中して問題文を読む、ということってしんどいんだよね。

だから受験生の皆さんはえらいなぁと思いますよ。これが何科目もあるわけだから。

とはいえ、センター試験を解いてみるのはいい頭の体操になると思う。楽しいので解いてみるのはお勧めですよ。問題はネットでダウンロードも出来るし。

近々、国語も解いてみようかなと思ってます。

理系科目はなー、本当に自信ないなー。

なごや、おかやま

2012-01-13 19:08:47 | 日記
岡山に来ております。もう帰るけど。

昨日は東京を出て、静岡で仕事。そこから新幹線で岡山へ。

そのまま行ければいいんだけど、ちょうど会議の時間とかぶってしまったので名古屋で降りる。

会議はスカイプで参加するので、電車の中からでは参加しづらいから。

名古屋で降りたからって駅を出るどころか、更には新幹線の改札も出ない。普通だったら「面倒だなぁ」と思うだけなんだけど僕にとってはそれは名古屋限定でうれしいこと。

なぜなら名古屋駅の新幹線ホームのきしめんが食えるから。

一時期、名古屋によく来ていたことがあっていろいろなところできしめん食べたけど、結局ここのきしめんが一番好み。なんつうことは無いんだけどね。

会議を終えて岡山に着いたらもう24時前。

次の日起きて岡山で仕事。山陽・山陰はあまり縁のない土地だけど僕は好き。このあたりで一番好きなのは松江・出雲あたりだなとは思うけど。

岡山でいろいろ動いてて思うんだけど、店員さんがタメ口が多い。駅の売店でなにか買ったり、ちょっと道を尋ねたりするとタメ口で返される。

「すいません、トイレどっちですか?」「ここまっすぐよー」みたいな感じ。

もし東京でこういうことになったら僕とかドッピオさんならすぐカウンター越しのサービスカウンター、ってところだけど不思議と地方にいるとあまり気にならない。むしろ「まぁ普通の人間関係ってこんなもんだよなぁ」と思う。

だいたい自省を込めて思うけど東京ではお客と店員さんの関係がきっちりしすぎてるんだよね。

僕も含めて細かいことにいちゃもんをつける人が多いんだろう。なんとなく色んなことがギュッと凝り固まってる気がする。

岡山だとかそのあたりの中都市にいるとそういう凝り固まったものがほぐれる感じがしていいね。

つーことできしめんも食えたしなんかほぐれたし今日もすこぶる気分が良い。

Any problems? (何か問題でも?)

What is so bad about feeling good?(気分が良くて何が悪い?)

2012-01-11 19:26:24 | 日記
色々あった2011年が終わり2012年になりました。

今年のテーマだとか心がけ、ってのをあまり立てないんですが(すぐ忘れるから。まぁだから駄目なんです。どうもさーせんね)、今考えている言葉はこれです。

気分が良くて何が悪い? What is so bad about feeling good?

村上春樹が「文章についてほぼすべてを彼から学んだ」と評する作家、デレク・ハートフィールドの本のタイトルです。


最近、本当に思うんだけどなんだか最近「先に怒ったもの勝ち」という風潮がある気がしないですか?僕だけなのかな?あまり巧く説明出来ないんだけど。

例えば会社で会議をしていても、あるいは会社外で話をしていても、いきなりバンと怒る人がいると回りにいる人全員が「まずその人の怒りを静める」ということにエネルギーを使い出す。「まぁまぁ」とかね。すぐ怒る人とかちょっと不安定な人がいると、その人が怒る前からどうもみんなが「その人を怒らせないようにしよう」と気を使う。

先に怒った人に対してこっちとしては「何怒ってんだよ!オレだって怒りたいよ!」と言いたいんだけどなかなかそうも行かない。

そんなことしても水掛け論になるだけだし、そもそも見ている相手から「なんだよ、お前は反省してないのか!」と更に怒られそうでしょ。

怒ること、怒っているいる人に回りの人のエネルギーが使われること、こういうことって僕は概ねよろしくないことだと思っている。もっと言ってしまうと「正しくないこと」だと思っている。

そのあたりに使われるエネルギーってほんとうにムダだと思うんです。

もちろん怒るには怒るなりの理由があってそれは申し訳ないと思うよ。でもさ、それを飲み込むなりあるいは「これは僕は賛成できないんです、なぜかというと…」という議論を冷静にしていくべきじゃないですか。

怒りや気に食わないことって、全員みんな色々抱えているわけですよね。だけど多くの人はカチンと来てもまぁ飲み込むなり、やんわり伝えたりしているじゃないですか。

集団のエネルギーは突然怒り出すような「お子ちゃま」に対してではなくて、むしろ、人知れずちゃんと我慢をしている人に注がれるべきだと思う。「いつも我慢してもらって申し訳ないね」「みんなのこと考えてくれてありがとう」「あなたのそういう振る舞いには何かで報いるからね」という感じでさ。

なんだか最近、「色んな状況を知れば怒ることが知識人として当然なのだ」、という風潮がある気がする。

確かに色んなことが起こっているからね。

そりゃあ原発のことだの政府だの知れば知るほど怒りをあらわにしたくなる気持ちもよく分かる。でもその怒りって何かを生み出すのかね?

歴史上、「怒り」が何かを生み出したことがあるんだろうか?

もちろん心の内に秘めた大きな怒りが何かを生み出したことはあると思う。でも怒りを外に出した人が創造的だったことって無いと思うんですよ。

怒りを外に出した人がすることは「創造」ではなくて「破壊」なんじゃないだろうか。(ローマの創造的天才、カエサルは僕が想像するにあまり怒りを外に出さなかった感じがする。坂本龍馬も僕のイメージではあまり怒らない感じ。)

更に「変だなぁ」と思うのが、こういう時代だからこそせめて気分は中立に、出来れば機嫌よく安定させていよう、と思っていると「これで怒らないなんてお前は何も考えてないのか!」とすら言われてしまいそうな気さえすること。

僕ね、特にこれってほんとおかしいと思うんですよ。「なんだよ、気分が良くっちゃいけないのかよ」って思う。

つーかほんとに「これで怒らないなんてお前は何も考えてないのか!もっと怒れよ!」っていう人は僕ね、あんまり好きじゃない。そういう人ってだいたいペテン師でしょ。(すごいこと言ってるな、我ながら) 人を怒らせて判断力を鈍化させて自分の好きな方向に誘導しようとしているんじゃないの?

本当の知識人、そこまで行かなくてもささやかながら思慮深い人の振る舞いというのは、心の中には燃えるような情熱を持ちつつも、どんなことがあっても怒りを露にせず、静かに笑みをたたえながら、冷静に物事に対処していく、ってことだと思うんです。

だから僕もそこまでは出来なくてもせめて気分はよくしておこうと思っています。

あいだにネット

2012-01-08 16:30:51 | スポーツ
ちょっと関係ある学校が春高バレーに初出場してたので応援に行ってきました。



僕はバレーについてはまったく何も知らない。

知っていることと言えばあいだにネットがある、ボールを落としちゃだめ、最近リベロってポジションが出来た、くらいかなぁ。

春高バレーってのも春高なんだから春にやるもんだと思っていたんだけど最近変わったそうです。どうやら春にやると主力(つまり前の年の3年生)が卒業してしまっているから。

そもそも僕が好きなスポーツってあいだにネットがないものが多いんだよね。サッカーにせよラグビーにせよアイスホッケーにせよ。ボディコンタクトが観たいよね。

とか言いながら観に行ったらやっぱり良かった(笑)

何が良かったか。

まずねぇ、高校生が必死にボールを追いかけている姿はそれだけでいいね。こういうこと言うと年取ったみたいだけど。

タイムアウトのときにコートから選手がベンチに戻ってきて、回りにいる控え選手が献身的にドリンクを渡したり、選手の身体にタオルをかけてあげたりしている様子もいい。このへんはもうすぐウル(よく笑う人=ゲラ、すぐ涙ぐむ人=ウル)です。

あと良かったシーンが札幌山の手高校の選手たち。タイムアウトが終わりコートに戻るとき、コートに春前に必ず一列に並び礼をして入るの。「あー礼儀がちゃんとしているなぁ」と一発で応援しましたよ。

高校の部活においてはっきり言って勝敗よりこっちのほうが大事よね。

僕自身が高校生の頃は「スポーツなんだから勝敗が大事でしょ」と思っていたんだけど年取って考えが一気に変わった。

大事です、礼儀。高校スポーツは教育の一環なんですからね。


バレーというスポーツも今まで一切興味が無かったけど生で見たら面白かったよ。

これってさ、ポジション取りがとても大事なのね。相手のアタックに対してどうポジションを取っておくか、あるいはそのポジションを見越してどこにアタックするか、ということが。観客席から見ているとそのポジションの攻防が良く見えて興味深かった。

あと高校生とは言えけっこうすごいテクニックを使ってくる。

うまく説明できないんだけどトスに対してアタックするふりの人が一人飛び二人飛ぶその後ろをもう一人がターッと横切って端っこからアタックする、とか。

何を言っているのかわからねーと思うがおれも何をされたのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…

と、思わずポルナレフになったよ。

ポジティブ・サプライズ

2012-01-05 17:57:41 | 食べ物
先日、岩手の釜石にいる従姉妹とその息子(僕にとってはハトコ)が上京していた。

この従姉妹というのは僕にとってはお姉さんみたいな人で仲良し。ハトコも僕にとっては弟みたいな存在で仲良し。

従姉妹はシングルマザーで息子を育てている。

昨年の震災で彼は祖父、そして付き合っていた彼女を亡くした。今、高校3年なんだけど大変な年であったにも関わらず一応、第一志望に合格した。

来春家を出て仙台で一人暮らしを始めるので最後の親子の思い出作りということで韓国に旅行に行くらしい。

今回はその前泊で東京泊ということで一応僕もいいところを見せようと銀座でイタリアンをご馳走することにした。

僕は一人暮らしなので外食もまぁそれなりにするんだけど、最近はどうもヒットなお店ががないなぁと思っていた。

でもね、このお店はアタリ。

「銀座 バラババオ」

店の雰囲気(新しく、広いんだけど騒がしくない)、料理(ベネチア料理がメイン。普通のイタリアンとはちょっと毛色が違っていていい)、店員さんのサービス、どれも素晴らしい。

ちょうどハトコの誕生日が次の日だったので店員さんにこっそりと「誕生日なのでろうそく一本くらい立てて頂けませんか」と無茶振りをしたところ、ドルチェをこんな感じにしてくれた。


その上、店の電気を消し、バースディソングをうたってくれた。

(もちろんイタリア語で「Buon compleanno a te♪」とね)



被災し、大きな悲しみを抱えたまましばらく体育館で暮らし、その後も家の瓦礫の片付けなどを黙々とこなし、クリスマスプレゼントもねだらず我慢したんだもの、これくらいのサプライズがあってもいいよね。


つくづく思うんだけど、人生においてポジティブ・サプライズ(好意的な驚き)がある、っていうことはいいことだ。