(今回の話は映画「13日の金曜日」についてばっつりネタバレしてます。これから観るつもりの
方はご覧になってからどうぞ)
前も考えたことがあるんだけど、「恐怖」ってことについて考えています。
納涼ということもあって勝手に「恐怖映画週間」ということでバババっと恐怖映画を観てみたんです。
「エクソシスト」、「13日の金曜日(リメイク版)」、「ハロウィン(リメイク版)」、「悪魔のいけにえ」、「13日の金曜日(オリジナル版)」、「パーフェクトブルー」、、、
この中で「ああ、怖いな」と思ったのは「13日の金曜日(オリジナル)」と「パーフェクトブルー」、そして「まぁみんなが怖いというのも分かるな」と思ったのは「エクソシスト」。その他は「別に怖くないなぁ」という感じだった。
念のため言っておくけど僕は決して恐怖に強い、というわけでは無くて、むしろ怖がりだと思う。出来れば怖いものは見たくないし、怖い話も聞きたくない。
でも何でこんなに恐怖映画を観たのか、というと「自分は何を怖いと思うんだろう?」という疑問があったから。
そしてその結果「僕が怖いと思うもの」が分かった。それについては後述します。
これらの映画を観ながらまず「恐怖」というものについて考えた。
おそらく恐怖をテーマにした作品、つまりそれは映画でも小説でも、もっと言えばちょっとした怪談話でもいいんだけど、そういうのには2種類あると思う。
一つは「生理的嫌悪感を与えるもの」。これは例えばグロテスクな表現(血がドバーッとか)やビックリさせることとか。扉を開けたら怪物がドン!とかってのはビックリさせるもの。
はっきり言ってしまうとこういうタイプの映画は映画館で観るならともかく家で観ているかぎりそんなに怖くない。しかも一回驚いてしまうと二回目以降は怖くないしね。だってビックリ箱みたいなものでしょ。
もう一つのタイプは「現実と地続きのメタファー」が描かれているもの。
これはちょっと面倒なのでいくつか例を挙げます。
例えば「エクソシスト」。観た方はご存知だと思いますがこれは思春期を迎えた娘が悪魔にとりつかれて様々な超常現象を起こす、というもの。悪魔にとりつかれた以降の娘はそもそも顔がグロテスクになるし口汚く母親をののしる。
これを観て「悪魔がとりつかれたら怖いなぁ」と思う人はおそらくあまりいないんではないかと思う。
ただ、もし自分が思春期を迎える前の娘を持っている親だとしたら恐怖を感じると思う。だってね、どの親だって深層心理的に「もし今は可愛い娘がこの後、荒れたらどうしよう?」という気持ちは持っているはずだと思う。その状態でこの映画を観ると悪魔憑きは別として「娘がこんな状態になったら怖いなぁ」と思うと思う。
これがつまり「現実と地続き」ということ。
「こんなの絶対自分の身には起きない」と思っていたらそれはまったく怖くない。でも「状況は違えどこういう状態に自分もなるかも知れない…」と思えるかどうか、が恐怖映画の「怖さ」のポイントだと思う。
例えばね、「Idiocracy」というコメディ映画があるんです。ちょっと邦題が「26世紀青年」とひどいので原題で書くことを許して欲しいけど。
Idiocracy、というのはもちろん造語で「バカ、まぬけ」という意味の「idiot」と「民主主義」の「democracy」を足したもの。簡単に言うと「バカ主主義」ということですね。
どういう映画かというと主人公が500年の冷凍睡眠から目覚めてみると世界はバカに支配されていた、というもの。
なぜかというと(僕の意見じゃないですよ、映画の冒頭で説明される)、IQの高い人はIQの高い人と結婚する。そして二人とも仕事を一生懸命やっていて「子供はまだいいわ」とか言ってる、そのうち片方が死んでしまい子供を作らない。一方、IQの低いもの同士は避妊もしないし浮気もするのでどんどん子供を作る。そしてそうやって生まれた子供はまともな教育も受けられないので同じことを繰り返す。(何度も言うけど僕の意見じゃない、そういう映画なんです)
それを500年繰り返すとIQの高い人は子孫を残さず、低い人の子孫ばかり増える。結果、全員がバカになる、、というSF的ストーリー。
バカに支配された500年後の世界の描写が最高に面白い。新聞や本は誰も読まないので無くなり、まともなテレビ番組も誰も見なくなるから、流れるのは下劣な番組ばかり。アカデミー賞を取る映画は90分間ずっとオナラをする尻を写したもの。アメリカ大統領は政治のことなど何も分からない元レスラー。。。
このあたりの描写が最高で笑うわけだけど、笑った後でうすら寒くなる。
つまり「え?これって現代とそんなに変わらないんじゃないの?」と。
このようにコメディでも現実の恐怖と地続きであれば、やっぱり恐怖が生まれる。
もっと例を言うと例えば「グレムリン」。ご存じない人のために言っとくとギズモという可愛い生物がグレムリンという怪物に化けてしまい人を襲う、というもの。
これを僕がまだ子供の頃観たときにはよく分からなかったけど、なぜあれだけ受けたか、という一考察を聞いてなるほど、と思った。
グレムリンは群れで動く、言葉は通じない(グレムリンは群れ同士でよく分からないことを喋っている)、そしてちょっとした機械の使い方をすぐマスターしてしまいそれを武器に襲ってくる。
公開は1984年。このときの多くのアメリカ人の深層心理にあった恐怖とはつまり「日本人に国を則られるんじゃないか」というもの。つまりグレムリンを日本人に見立てていたので観客の現実の恐怖と地続きになった、ので受けた。(僕の意見ではないですよ、あくまで考察の一つ)
もう一つだけ例を挙げるとゾンビ映画。ホラー映画の中で人気のある分野だから玉石混交たくさんあるけど本主本流といえるのはジョージ・A・ロメロという人のもの。この人のゾンビ映画は毎回、ゾンビを題材として現実的な社会問題とリンクしている。だから観終わった後に、怖い。
結構最近の「ランド・オブ・ザ・デッド」なんて正にそう。
どういう話かというとゾンビが大量発生した世界で金持ちは高級ホテルを封鎖しその中で毎日パーティをしている。そして金の無い人々を金で雇いゾンビを殺させゾンビのいる外界に残された食料や宝石を採りに行かせている。貧乏な人はそのためにゾンビのいる外界に戦いに行きどんどん死んでいく。でもその人たちはそうやって金を稼ぐしかない。
これはね、明らかにイラク戦争のメタファーです。つまり金と権力を持った人々(政治家とか)は自分の身を削らず、金のために軍隊に入るしか無い人を戦場に送る。更に言うと今までのこの人のゾンビ映画ではゾンビはゾンビ同士コミュニケーションをとることはなかったけど、この作品だけ、ゾンビはゾンビとしてコミュニティを作り立派に(ってのもおかしな話だけど)生活していることが少し描かれる。これは正にアメリカが普通の人々を「テロリストだ」と断定し勝手に戦争していることへの皮肉。
これに気づいたとき、この映画はゾンビとかそんな非現実的な話ではなくて現実と地続きになり、怖くなる。
このように、恐怖映画というのはフィクションの世界でありながら、根本に流れるのが観客が根源的に持っている現実の恐怖に一部分をリンクさせることで怖がらせる、というものであるべきだと思う。
逆に言うと現実と地続きじゃない恐怖映画はまったく怖くない。
さて、僕の感じる「現実と地続きの恐怖」とは何か?
今回見た映画の中で「ああ、これは怖い」と思ったのは「13日の金曜日(オリジナル)」と「パーフェクト・ブルー」。両作品の何に僕は恐怖を感じたのか。
誤解を恐れず言うけど、両方とも「おかしくなった女性」の描写に心から恐怖を感じた。
(ここから「13日の金曜日(オリジナル)」の超ネタバレ)
「13日の金曜日」は昔、ジェイソンという少年が溺れ死んだ湖で連続殺人事件が起る。ジェイソンの呪いかと思っていると実はジェイソンの死を逆恨みした母親の犯行であったことがラストで描かれる。この母親が怖い。話はまったく通じないし、恨みからおかしくなっている。
(ネタバレ終わり)
「パーフェクト・ブルー」もそうで終盤に明らかにおかしくなってしまった女性が出てくる。「パーフェクト・ブルー」はそれ以外にも怖いところがあるからぜひ観て頂きたいので詳細は割愛します。
この2つの映画を観て「ああ、自分はこういうの怖いなぁ」と心底思った。
もちろん僕は普通の女性への恐怖感を持っているわけではない(と思う)。むしろ好き。
ただ、非常にささやかな回数の恋愛経験において相手の女性と「ああ、完全に話が通じない…」と途方にくれた経験は何度かある。男性ならありますよね?
もちろん僕に落ち度がないと思っているわけではなくて大体において僕が悪いんだけど、それでも相手の女性が怒っている理由が見当つかない。何に対して腹を立てているかが分からないので当然僕が言うことも見当違いなので話は更に悪化してく…。。喧嘩になってそういう状態になることがあった。
とうぜん相手の女性は映画のように包丁やナタを取り出すわけではない(当たり前だ)けど、まったく話が噛み合わずしかも自分の何が悪かったのか分からない、ということって男性ならたまにあるでしょう?
大げさに言うと「この目の前にいる女性とはこのまま永遠に意見が平行線のまま交わらないんじゃないか…」と途方にくれるような状態。
そういうときに僕は不条理な、いや僕が悪いのに不条理と思うのも申し訳ないんだけど、気持ちになる。
その不条理が映画において増幅して描かれているときに、僕は心底「怖いなぁ」と思うんです。
不思議なことに「話の通じない男」が出てくる映画ってあまり無い。男の殺人鬼ってだいたいにおいて「寡黙」で一言も発せず、無言で人を殺していく。僕はこういうのはあんまり怖くない。
この対比は面白いなぁ、と思うんだけどね。
で、考えてみると僕が恐怖を覚えるのってとにかく「話が通じない」ということなのかもしれない。
たとえば「潜水士は蝶の夢を見る」という映画がある。これは普通の生活を送っていたある男性が全身麻痺になりまぶたしか動かせなくなる、というもの。
たとえば「ミッドナイト・エクスプレス」。とあるアメリカ人がトルコの刑務所に入れられ話が通じないまま刑務所内で悲惨な目に合う、というもの。
どちらも僕は「うわー、こんな目にあったら自分だったらおかしくなっちゃうなぁ」と心底思うくらい怖いんです。
と、まぁ長々書いてきたけど「自分が何を恐れているか」ということを知るのは興味深いものです。何の役に立つかはまったく分からないけれど。
方はご覧になってからどうぞ)
前も考えたことがあるんだけど、「恐怖」ってことについて考えています。
納涼ということもあって勝手に「恐怖映画週間」ということでバババっと恐怖映画を観てみたんです。
「エクソシスト」、「13日の金曜日(リメイク版)」、「ハロウィン(リメイク版)」、「悪魔のいけにえ」、「13日の金曜日(オリジナル版)」、「パーフェクトブルー」、、、
この中で「ああ、怖いな」と思ったのは「13日の金曜日(オリジナル)」と「パーフェクトブルー」、そして「まぁみんなが怖いというのも分かるな」と思ったのは「エクソシスト」。その他は「別に怖くないなぁ」という感じだった。
念のため言っておくけど僕は決して恐怖に強い、というわけでは無くて、むしろ怖がりだと思う。出来れば怖いものは見たくないし、怖い話も聞きたくない。
でも何でこんなに恐怖映画を観たのか、というと「自分は何を怖いと思うんだろう?」という疑問があったから。
そしてその結果「僕が怖いと思うもの」が分かった。それについては後述します。
これらの映画を観ながらまず「恐怖」というものについて考えた。
おそらく恐怖をテーマにした作品、つまりそれは映画でも小説でも、もっと言えばちょっとした怪談話でもいいんだけど、そういうのには2種類あると思う。
一つは「生理的嫌悪感を与えるもの」。これは例えばグロテスクな表現(血がドバーッとか)やビックリさせることとか。扉を開けたら怪物がドン!とかってのはビックリさせるもの。
はっきり言ってしまうとこういうタイプの映画は映画館で観るならともかく家で観ているかぎりそんなに怖くない。しかも一回驚いてしまうと二回目以降は怖くないしね。だってビックリ箱みたいなものでしょ。
もう一つのタイプは「現実と地続きのメタファー」が描かれているもの。
これはちょっと面倒なのでいくつか例を挙げます。
例えば「エクソシスト」。観た方はご存知だと思いますがこれは思春期を迎えた娘が悪魔にとりつかれて様々な超常現象を起こす、というもの。悪魔にとりつかれた以降の娘はそもそも顔がグロテスクになるし口汚く母親をののしる。
これを観て「悪魔がとりつかれたら怖いなぁ」と思う人はおそらくあまりいないんではないかと思う。
ただ、もし自分が思春期を迎える前の娘を持っている親だとしたら恐怖を感じると思う。だってね、どの親だって深層心理的に「もし今は可愛い娘がこの後、荒れたらどうしよう?」という気持ちは持っているはずだと思う。その状態でこの映画を観ると悪魔憑きは別として「娘がこんな状態になったら怖いなぁ」と思うと思う。
これがつまり「現実と地続き」ということ。
「こんなの絶対自分の身には起きない」と思っていたらそれはまったく怖くない。でも「状況は違えどこういう状態に自分もなるかも知れない…」と思えるかどうか、が恐怖映画の「怖さ」のポイントだと思う。
例えばね、「Idiocracy」というコメディ映画があるんです。ちょっと邦題が「26世紀青年」とひどいので原題で書くことを許して欲しいけど。
Idiocracy、というのはもちろん造語で「バカ、まぬけ」という意味の「idiot」と「民主主義」の「democracy」を足したもの。簡単に言うと「バカ主主義」ということですね。
どういう映画かというと主人公が500年の冷凍睡眠から目覚めてみると世界はバカに支配されていた、というもの。
なぜかというと(僕の意見じゃないですよ、映画の冒頭で説明される)、IQの高い人はIQの高い人と結婚する。そして二人とも仕事を一生懸命やっていて「子供はまだいいわ」とか言ってる、そのうち片方が死んでしまい子供を作らない。一方、IQの低いもの同士は避妊もしないし浮気もするのでどんどん子供を作る。そしてそうやって生まれた子供はまともな教育も受けられないので同じことを繰り返す。(何度も言うけど僕の意見じゃない、そういう映画なんです)
それを500年繰り返すとIQの高い人は子孫を残さず、低い人の子孫ばかり増える。結果、全員がバカになる、、というSF的ストーリー。
バカに支配された500年後の世界の描写が最高に面白い。新聞や本は誰も読まないので無くなり、まともなテレビ番組も誰も見なくなるから、流れるのは下劣な番組ばかり。アカデミー賞を取る映画は90分間ずっとオナラをする尻を写したもの。アメリカ大統領は政治のことなど何も分からない元レスラー。。。
このあたりの描写が最高で笑うわけだけど、笑った後でうすら寒くなる。
つまり「え?これって現代とそんなに変わらないんじゃないの?」と。
このようにコメディでも現実の恐怖と地続きであれば、やっぱり恐怖が生まれる。
もっと例を言うと例えば「グレムリン」。ご存じない人のために言っとくとギズモという可愛い生物がグレムリンという怪物に化けてしまい人を襲う、というもの。
これを僕がまだ子供の頃観たときにはよく分からなかったけど、なぜあれだけ受けたか、という一考察を聞いてなるほど、と思った。
グレムリンは群れで動く、言葉は通じない(グレムリンは群れ同士でよく分からないことを喋っている)、そしてちょっとした機械の使い方をすぐマスターしてしまいそれを武器に襲ってくる。
公開は1984年。このときの多くのアメリカ人の深層心理にあった恐怖とはつまり「日本人に国を則られるんじゃないか」というもの。つまりグレムリンを日本人に見立てていたので観客の現実の恐怖と地続きになった、ので受けた。(僕の意見ではないですよ、あくまで考察の一つ)
もう一つだけ例を挙げるとゾンビ映画。ホラー映画の中で人気のある分野だから玉石混交たくさんあるけど本主本流といえるのはジョージ・A・ロメロという人のもの。この人のゾンビ映画は毎回、ゾンビを題材として現実的な社会問題とリンクしている。だから観終わった後に、怖い。
結構最近の「ランド・オブ・ザ・デッド」なんて正にそう。
どういう話かというとゾンビが大量発生した世界で金持ちは高級ホテルを封鎖しその中で毎日パーティをしている。そして金の無い人々を金で雇いゾンビを殺させゾンビのいる外界に残された食料や宝石を採りに行かせている。貧乏な人はそのためにゾンビのいる外界に戦いに行きどんどん死んでいく。でもその人たちはそうやって金を稼ぐしかない。
これはね、明らかにイラク戦争のメタファーです。つまり金と権力を持った人々(政治家とか)は自分の身を削らず、金のために軍隊に入るしか無い人を戦場に送る。更に言うと今までのこの人のゾンビ映画ではゾンビはゾンビ同士コミュニケーションをとることはなかったけど、この作品だけ、ゾンビはゾンビとしてコミュニティを作り立派に(ってのもおかしな話だけど)生活していることが少し描かれる。これは正にアメリカが普通の人々を「テロリストだ」と断定し勝手に戦争していることへの皮肉。
これに気づいたとき、この映画はゾンビとかそんな非現実的な話ではなくて現実と地続きになり、怖くなる。
このように、恐怖映画というのはフィクションの世界でありながら、根本に流れるのが観客が根源的に持っている現実の恐怖に一部分をリンクさせることで怖がらせる、というものであるべきだと思う。
逆に言うと現実と地続きじゃない恐怖映画はまったく怖くない。
さて、僕の感じる「現実と地続きの恐怖」とは何か?
今回見た映画の中で「ああ、これは怖い」と思ったのは「13日の金曜日(オリジナル)」と「パーフェクト・ブルー」。両作品の何に僕は恐怖を感じたのか。
誤解を恐れず言うけど、両方とも「おかしくなった女性」の描写に心から恐怖を感じた。
(ここから「13日の金曜日(オリジナル)」の超ネタバレ)
「13日の金曜日」は昔、ジェイソンという少年が溺れ死んだ湖で連続殺人事件が起る。ジェイソンの呪いかと思っていると実はジェイソンの死を逆恨みした母親の犯行であったことがラストで描かれる。この母親が怖い。話はまったく通じないし、恨みからおかしくなっている。
(ネタバレ終わり)
「パーフェクト・ブルー」もそうで終盤に明らかにおかしくなってしまった女性が出てくる。「パーフェクト・ブルー」はそれ以外にも怖いところがあるからぜひ観て頂きたいので詳細は割愛します。
この2つの映画を観て「ああ、自分はこういうの怖いなぁ」と心底思った。
もちろん僕は普通の女性への恐怖感を持っているわけではない(と思う)。むしろ好き。
ただ、非常にささやかな回数の恋愛経験において相手の女性と「ああ、完全に話が通じない…」と途方にくれた経験は何度かある。男性ならありますよね?
もちろん僕に落ち度がないと思っているわけではなくて大体において僕が悪いんだけど、それでも相手の女性が怒っている理由が見当つかない。何に対して腹を立てているかが分からないので当然僕が言うことも見当違いなので話は更に悪化してく…。。喧嘩になってそういう状態になることがあった。
とうぜん相手の女性は映画のように包丁やナタを取り出すわけではない(当たり前だ)けど、まったく話が噛み合わずしかも自分の何が悪かったのか分からない、ということって男性ならたまにあるでしょう?
大げさに言うと「この目の前にいる女性とはこのまま永遠に意見が平行線のまま交わらないんじゃないか…」と途方にくれるような状態。
そういうときに僕は不条理な、いや僕が悪いのに不条理と思うのも申し訳ないんだけど、気持ちになる。
その不条理が映画において増幅して描かれているときに、僕は心底「怖いなぁ」と思うんです。
不思議なことに「話の通じない男」が出てくる映画ってあまり無い。男の殺人鬼ってだいたいにおいて「寡黙」で一言も発せず、無言で人を殺していく。僕はこういうのはあんまり怖くない。
この対比は面白いなぁ、と思うんだけどね。
で、考えてみると僕が恐怖を覚えるのってとにかく「話が通じない」ということなのかもしれない。
たとえば「潜水士は蝶の夢を見る」という映画がある。これは普通の生活を送っていたある男性が全身麻痺になりまぶたしか動かせなくなる、というもの。
たとえば「ミッドナイト・エクスプレス」。とあるアメリカ人がトルコの刑務所に入れられ話が通じないまま刑務所内で悲惨な目に合う、というもの。
どちらも僕は「うわー、こんな目にあったら自分だったらおかしくなっちゃうなぁ」と心底思うくらい怖いんです。
と、まぁ長々書いてきたけど「自分が何を恐れているか」ということを知るのは興味深いものです。何の役に立つかはまったく分からないけれど。