浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:プロローグ『残りし名』

2011-03-30 00:12:57 | ローマ人列伝
紀元前264年に始まった、ローマと強国カルタゴの戦い、ポエニ戦役。この戦争は両国の地中海における覇権を争い100年の長きにわたるものでした。

その始まりとなった第一次ポエニ戦争にてカルタゴ軍の誇る象兵に果敢に立ち向かった一人の兵士がいたと伝えられています。

残念ながら彼の名は残ってはいません。

しかし、古代ローマ語で「象」を意味する彼の仇名は以後、彼の家族名となり残ることになります。

そしてその名は一族が生んだ一人の天才により、後の世にも、現代にまで残っています。




「象」、古代ローマ語でカエサル。



…to be continued...

やんでくれ、涙の雨よ

2011-03-26 22:03:10 | 
ちょっと前の話になるけど桑田のニューアルバムが出ました。

MUSICMAN(初回生産限定 “MUSICMAN” Perfect Box)(DVD付)
MUSICMAN(初回生産限定 “MUSICMAN” Perfect Box)(DVD付)

いや~いいアルバムだわ!!

ほんと聞きながら「あードッピオとマドモアゼル唯先生とドライブしたいなぁ」と思った。

昔、大学の頃、マドモアゼル唯先生の車で男3人で羽幌から札幌まで車で走った。その間、BGMはサザンのアルバム「Young love」で、とにかくずっとそれをかけながら都度都度「あ、ここの歌詞いいよねぇ」とか「ここ、『マヌーサかけた』って言ってない??」とかくだらない話をしてた。話が尽きるとただCDに合わせて歌ってたりね。

とにかく今回の桑田のアルバムもそういう感じ友達と(ビールでも飲みながら)語ったり、「ここ、いいよね~」と感心したりただただ声合わせて歌ったりして聞きたい。

桑田圭佑は昨年、食道がんで入院した。結果的にはご存知のとおり復活したわけだけどその時点では「万が一、もしかすると…」という可能性だってあっただろう。

曲の中には一聴して明らかに「死後の世界」を歌っているものもあって(『銀河の星屑』)、それなんかは「あ、もしかして入院したときに少しそういうことを考えたのかな」とも考えてしまう。

でも、今回のCDの初回限定版では桑田自身による各曲のセルフライナーノーツがついている。そこでそれぞれの曲に対して「この曲は入院前に作った」とか書いてあるのでそれぞれの歌詞がどういう状態で書かれたか、ということがわかる。ちなみに『銀河の星屑』は病気発覚前に作ったとのこと。

とは言え今この状態で聞く僕としては「いや、この歌詞は何かしら思いや予兆があって書いたのではないか」と思わずにいられない。

その中でも去年の紅白で桑田が歌った「それ行けベイビー!」ははっきり言って僕は3回に一回くらい泣きそうになる。

特に多くの人が大事な人と別れざるを得なかった、多くの人が傷ついた直後のこのタイミングではね。

偶然とは言えこのようなタイミングでこのような歌を作る、というのがやっぱり桑田圭佑が超一流ソングメーカーである所以だよね。

僕はこの曲をとても自分勝手に、現代における『上を向いて歩こう』だと思っている。

先人がこういう曲を歌ってくれているからその後に続く我々はその曲を口ずさみつつ前へ進める。

もう歌詞がいちいちいちいち良いんだよなぁ。

歩みをとめたきゃ言いな

歩みをとめたい時は言ってもいい、言う相手がいる、と思うだけでずいぶん楽になる。「歩みをとめるな」でも「歩みをとめたければとめればいい」でも無い。歩み続けなければいけない、でも立ち止まりたいときも有るだろう、その時にただただ聞いてくれる人がいる、ってだけで立ち止まらなくても済むんだよ。

命をありがとネ いろいろあるけどネ それなのに明日も知らぬそぶりで

ここの部分は今こそグッと来る。命が大事、そんなことは言われなくてもわかる過ぎるくらいわかってる。でも僕たちはいつもはそれを知らぬそぶりで生きている。

涙の雨はもうやんだ

少し前、どれだけの涙の雨が降ったんだろう。まだやんではいないだろうけど、せめてやんでくれ。

-------------------------------------------
適当に手を抜いて行こうな
真面目に好きなようにやんな
我れ行く旅の途中は予期せぬことばかり

歩みをとめたきゃ言いな
悩み多い時こそ笑いな
我が胸の奥の葛藤や身を切るような絶望も Oh, yeah!

すべてを背負いながら 生きるは重たかろう!?
吹く風に押され身体を預けて

それ行け!! Going Going
追い風 Blowing Blowing
それ行け!! Baby!(男の子)!!
ファイト!!

涙の雨はやんだ
時間がわずかにまた動いた
鏡に映る臆病な瞳で未来を探せ

あてなき旅こそ浪漫
時折道に迷うのは冗談
誰かが路地裏で大きな咳をした Oh, yeah!

神様、願わくば 私を責めないで

まだ世の中を悟る気になれない

それ行け!! Going Going
飛び出せ!! Blowing Blowing
それ行け!! Baby!(女の子)!!
スマイル!!

適当に手を抜いて行こうな
ボチボチ好きなようにやんな

終わりなき旅の道中は予期せぬことばかり Oh, yeah!

命をありがとネ いろいろあるけどネ
それなのに明日も知らぬそぶりで

それ行け!! Going Going
追い風 Blowing Blowing
それ行け!! ボク!!
ファイト!! 
-------------------------------------------

Youなんとかtubeには上がってないので、ぜひ皆様どうにかしてこの曲聴いてみてください。言ってくれればCD貸すしGooナントカさんで調べてみると動画が出るとか出ないとか。

1派2派3派

2011-03-24 21:15:59 | DVD、映画
ちなみにタイトルの読み方は「ワンハ、ツーハ、スリーハ」。

続編がある映画は多くてそうなると人それぞれ「何派?」ということになる。

たとえばトイ・ストーリーはだんぜん3派、フロム・ダスク・ティル・ドーンは1派、裸の銃を持つ男は2(正しくは2と1/2)派。

ゴッド・ファーザーはいろいろあるだろうけど、僕は3派。なんたって最後の階段でのシーンね。元々僕はアル・パチーノ好きだけどこのシーンはパチーノの中でも最高の一つに挙げていいと思う。ただそっと黒いベールを被る妹(女優の名前忘れた)もいい。
アンディ・ガルシアのやんちゃぶりもいいし、僕の好きなブリジット・フォンダがちょい役で出てるのもいい。マイケルの息子がギターで愛のテーマを歌い、マイケルが昔のことを思い出すとこなんていいじゃない。バチカンでマイケルが発作起こしてオレンジジュース飲むとこの真似したいんだよな。

ゴッドファーザーの1~3までを一本の映画としてみると上記のとおり3がいいんだけど、1、2、3と別々の映画、として考えるなら2が傑作な理由もわかるんだよね。デ・ニーロ演じる父ヴィトーが何も無い移民の状態から「仲間を作る」ことでトップに登って行くのと対照的に、息子マイケルは仲間を消していくことでトップに登りつめ最後に孤独になる。。。というシナリオはそりゃ最高だよね。

バットマンの新シリーズ(ビギンズ、ダークナイト)で言うと100対1でダークナイトで、旧シリーズ4作(無印、リターンズ、フォーエバー、&ロビン)で言うと案外僕はバットマン&ロビン嫌いじゃないよ。世間的には超駄作と言われていて主演のジョージ・クルーニーですら「キャリアから消したい」と言ってるらしいけど。何せ僕、J・キャリー好きなんだもの。ユマ・サーマンも出てるしね。

スター・ウォーズは(6まである映画の話しちゃうけど)エピソード4・5・6で言うと僕は5派。最後が「え!?ハン・ソロがこんな状態で!?」って終わるところはいいよね。この話さ、ドッピオさんとも散々したんだけど、今の時代の我々はもちろんスターウォーズという映画が1~6まであって、見ようと思えばレンタルででも見られる環境にいる。でもね、当時(80年代)の人々は4を見て、かなり待たされて5を見て「え、これで!?」ってびっくりしたと思うんですよ。6が絶対に作られる、とも当時はわからなかっただろうし。5を見てから6の公開まで日常生活を送りつつも、ふとしたときに「あ、そういえばハン・ソロどうなるのかな。。」って思ってたんじゃないだろうか。そういう言わば「映画体験」として大変素晴らしいよね。
ヨーダもボバ・フェットも出てくるし。

1・2・3のうちで言うと2派。最後の水辺でさー、アナキンとアミダラが二人だけの結婚式を上げているところに不吉に響く帝国のテーマ、なんてグッと来たなぁ。エピソード1が公開される、って決まってから公開されるまでのドッキドキ感もよかったけどね。たぶん、あの頃ってまだそんなにネットが一般的ではなかった(…気がするけどどうだろ?1999年)ので、新作映画の情報なんかはテレビとか雑誌でじわじわと広がる状態だったはず。だからダース・モール見て「あ、これが悪役なんだ!」とかアナキン見て「あ、これがアナキンか!」みたいにちょっとずつ期待感が高まってって楽しかったんだよなぁ。

先日の連休にふと思い立って「パイレーツ・オブ・カリビアン」を一気見したんだけど、こっちはなんと言っても3だね。スパロウの父親役をキース・リチャーズってだけで10点差し上げる。

というわけでこういうのを考えてるとすぐ時間が経っちゃう。こないだドッピオさんともがっつり話したもん。

で、最近、「アイアンマン2」見ました。

ジョン・ファヴロー
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
発売日:
2010-10-22


このあたりのヒーローものって「ハルク」「アイアンマン」「キャプテン・アメリカ」「マイティ・ソー」あたりがそれぞれ単品で映画になって最後にみんな集まって「アベンジャーズ」っていう映画にまとまるんだって。別に元々のアメコミファンってわけじゃないけどなんとなく「みとかないと」と思ってみてます。

「アイアンマン1」はずいぶん評価が高いんだけど僕はそんなでも無かった。「うーんなんつーか単純な話だなぁ」と思ってた。友達役のテレンス・ハワードは好きなんで良かったけど。「クラッシュ」でのこの人は良かったよなぁ。と、思ったら2はドン・チードルにキャスト変更。テレンス・ハワードがウォーマシンに変身するの見たかったのに…。

で、こないだ大阪までの高速バスに乗ったらモニターつきでアイアンマン2が見られた。

見て思ったけど僕はアイアンマンはだんぜん2派ですね。

何せまず敵役がミッキー・ロークというのがね、いいですよ。昨今、僕は彼が出てるだけで映画が一段階上がります。(レスラーは言わずもがな、シンシティ、エクスペンダブルズ) レース場で背中の服が焼けていく登場シーンだけでもう興奮しまくり。

加えてスカーレット・ヨハンソン演じるブラック・ウィドウ。僕もマドモアゼル唯先生も昔っから女性が体術で強い、という設定に否応無く惹かれちゃうタチなもんだからね。この人良かったなぁ。

そしてコメディリリーフ的に登場するジョン・ファブロウ演じるハッピー。アイアンマンの運転手。今回は美味しい役どころだった。この人さ、ドラマ「フレンズ」でモニカの彼氏役やってたよね、名前が思い出せないけど大富豪役で。

つーかんじでいいキャラが立ってて面白かったなぁ。

え?トニー・スターク?あー、出てたねぇ。。

善きもの

2011-03-17 11:23:02 | 
クリント・イーストウッド監督の「インビクタス」と言う映画があるじゃないですか。

アパルトヘイトのあった南アフリカのラグビーチームが奇跡的な勝利を勝ち取る、と言う実話に基づいた映画。

この映画の中でモーガン・フリーマン演じるマンデラ大統領がラグビーチームメンバーに一編の詩を贈る。その詩はマンデラ自身が投獄中に心の支えにしていたもの。

「善きもの」、例えば映画だったり音楽だったり、そんな大仰なもので無くても例えば恋愛だったり、日頃の何気ない優しい言葉だったり、と言うのはすごいパワーを持っていて、時にそれは奇跡に近い偉業を成し遂げる原動力になる、、、ということがこの映画でイーストウッドが伝えたかったテーマの一つなんだろうと思う。

(このあたりはライムスター宇多丸が素晴らしい評論をしている。→ザ・シネマ・ハスラー「インビクタスー負けざる者たちー」)

奇跡を起こす、とまで行かなくてもそういうことで少しでも癒されるところは確実にあるしね。

つーことで最近、寝る前にちまちまこの本読んでます。



よく知らずぱっと買った本なんだけど、初版は1968年、ということは約40年前か。著者のことはよく知らないけど、どうやら声楽家でパリにいた女性らしい。

オムレツだのポトフだのいろいろな料理に関するエッセイ。

さすがに40年前の本だけあって時々表現が古くて、それがまたノスタルジックでいいんです。

バターを「バタ」なんて言っていたりね。

もちろんパスタは「パスタ」はパスタじゃなく「スパゲティ」。

「湯気の立つ熱いスパゲティを深めの皿に盛り、上に大サジですくったバタを3個あちこちにのせて、そのまま食卓に出す。食卓に用意してあった粉チーズをふりかけ、大きなスプーンとフォークを使ってスパゲティをもち上げるようにしてパタとチーズをよくまぜあわせ、すきなだけ各自のお皿によそってたべる。」

なんて、今はパスタの種類なんてそりゃもうたっぷりあるけど、改めてそう言われると「あ、それはそれで美味しそうだな」と思う。

いつでも美味しいものは「善きもの」だと思うなぁ。

このち

2011-03-14 23:51:51 | 日記
釜石の親類とまだ連絡が取れないので盛岡に住む叔父(父の兄)と従兄弟(父の姉の長男)が車で向かう、と言う連絡が母から今日の朝来た。

その結果を今日の夜半に聞いた。

釜石の親類は叔父が亡くなり、叔母と従姉妹とハトコ(従姉妹の長男)は無事、とのこと。

そうか。。。

もちろん叔母たちには連絡がつかないので、現地まで行ってくれた叔父に連絡をした。

義兄を亡くしたというのに「そっちは大丈夫か?」と言うのが叔父の第一声だった。こっちはまったく問題ないんだけど。叔父の声は落ち着いていた。状況を話してくれた後、最後に「ごめんな、何も出来なくて」と言った。

そこで僕の涙腺が崩壊した。

何も出来なくなんてないよ!3日間、釜石と連絡が取れなくて、もちろん叔父さんが亡くなったのは悲しいけどそれでも最悪の事態として全員亡くなってるんじゃないかと思ってたから、情報を知れただけでもありがたいよ!と僕は号泣しながら言った。



その後、従兄弟に連絡した。

従兄弟もまた第一声は「そっちは大丈夫か?」だった。

ああ、これがうちの「血」なんだなぁと改めて思った。

自分はどうあれ相手のことを心配する、この「血」が僕に流れているんだな、と思った。

従兄弟からはもう少し詳しい話を聞いた。

釜石の親類は時計店をやってるんだけど、地震の後、叔父は店の戸締りをしていたらしい。叔母や従姉妹が「早く」と言っているのに。それで逃げ遅れたらしい。

なんで、、、と今なら思う。でも身一つで小さな修理屋から始まり3階建てのビルを建て30年かけた時計店。守りたかったんだろう。

叔母は叔父のために逃げ遅れそうになり、腰まで津波の泥水に浸かり、ハトコ(高校2年)が引っ張り出したらしい。

ハトコは高校2年なのに避難後もちゃんと「男の子」をしているらしい、と従兄弟は言った。

そして従兄弟が僕に言った。

「小さい頃からお前が鍛えたからだ」

そこでまた僕の涙腺が号泣した。

俺だったらそんなこと出来ないよ!と号泣しながら携帯に向かって言った。




まず、人のことを心配すること、困った人がいたら助けること、それが僕の家の血なんだろう。

この血が僕に流れていることを誇らしく思う。



まだ、安否の確認が取れない人がたくさんいる。それらの人がすべて無事であることを心から願います。

そして、無事である我々はしっかり食べてしっかり寝て、しっかり働く、それが我々が出来ることだと思います。




不幸にも今回の地震で命を失ったすべての人の魂が安らかであることを願って。

思うこと

2011-03-13 21:27:48 | 日記
地震が起こったとき、僕は会社でちょうどお客さんと面談していた。

かなり揺れたけどまぁ社内は一階だったこともあり、大きな混乱はなかった。

東北、茨城が震度が大きかったということなので茨城の実家と岩手の親類(父方の実家)のことをまず思った。電話はつながらなかったけど僕が持ってるEmobileはつながった。これがつながるとiPhoneでWifi接続が出来、ネットが見られる。

しばらく茨城も岩手もつながらなかった。

チームメンバーが外出していたので彼らに連絡するととりあえず無事なことはわかった。

しばらく会社に待機してると固定電話で実家につながった。父母も妹夫婦も茨城の親類もとりあえず無事なことがわかった。停電や断水はしているみたいだったけど。

夜になり地下鉄が動き出したのでとりあえず帰宅。僕はまだ地下鉄が動いている場所だったのでよかったけど遠方の人は会社に泊まるしかなかったみたい。

家に帰ってもまぁ何も出来ることはないな、と思ってベッドに入った。寝ようと思うとなんだか緊張していたのか左側の首筋がバキバキになってるのに気づいた。

それから2日が経ったけど、岩手県釜石の親類とはまだ連絡が取れていない。釜石は子供の頃から毎年のように行っていた。釜石に住む従姉妹とは1月に東京で酒を飲んだし、高2になるはとことはついこないだメールしたばかり。

茨城の実家は断水が続いており近所の祖母の家に行き井戸水をもらっているとのこと。

本当に大変な事態になってしまったけど、とりあえず無事な人は明日から普通どおりに過ごすべきだと思う。もちろん出来ること(義援金とか節電とか)はやるべきだと思うけど。

ネットを見ているとたとえばくだらない話をしている人に対して「不謹慎だ」とかいう風潮もあるけど、僕は悪意によるものでない限りそういうのは人それぞれでいいんじゃないかと思う。

圧倒的な悲しみに対してどう反応するかは人それぞれ。無理にでも笑ってないと、馬鹿なことを言ってないと何かに持っていかれてしまう、という人だっているだろう。

今、一番ダメなことは怒りとか不安とか絶望に心を任せちゃうことなんじゃないだろうか。

怒りや不安や絶望は人の体を硬直させ、視野を狭くさせる。体が硬直し視野が狭窄すると動きが鈍くなる。

こういうときだからこそ歌える人は歌うべきだし、笑わすことが仕事な人は笑わせるべきだと思う。食べれる人は食べ、眠れる人は眠れるときに寝ておくべきだと思う。

テレビは地震番組ばかり。もちろんそれも大事だけど、たとえば何もわからない幼児にずっとこの光景を見せてしまうとトラウマになっちゃわないかな?

釜石市や隣の大船渡は瓦礫ばかりの映像が流れてる。これだけ見ると知らない人はひどい町だと思っちゃわないかな?

本当の釜石は魚がめちゃくちゃ旨くて旨い地酒もあって海も綺麗でやさしい人ばかり住んでるいい町です。

もし今回のことで釜石を知った人がいたら、日常生活に戻ったらぜひ訪ねてみてください。

とりあえず僕はやせ我慢してでも"日常"に戻ります。

不幸にも命を失った人の魂がくれぐれも安らかであること、
不幸にも大事な人を失った人の悲しみが少しでも癒されること、
そして、一刻でも早くすべての人が温かく眠れて美味しいものが食べられることを願って。

2011-03-07 23:10:57 | 食べ物
僕の地元は利根川に近いところだった。で、子供のころからよく鰻を食べていた。

あれなんなんだろうなぁ。

天然なわけではないと思うんだけど、家の近所の川沿いに「川魚店」という看板を掲げているところがあってそこでよく母が鰻を買ってた。

その店に入ると生きた鰻がたくさんいて母が「白焼き3人前」みたいな感じで注文する。その店では「あいよ」って感じで生きた鰻をさばいて、焼いてくれて1時間後くらいに引き取りに行く。

母親は「じゃあとで取りに来ますから」みたいな感じで別の買い物してたりね。

僕は鰻さばくのを見るのが好きだったから結構興味津々で見てた。

ということで鰻は子供のころからよく食べた。地元ではめちゃくちゃ安い、ってわけじゃないけど「高級品」って感じでもない。うちの母が料理面倒になったりすると「今日は簡単に鰻」みたいな感じで出てきてね。

僕は子供のころから好きだったけど妹たちはあんまり好きじゃないようで、いつも「たれかけご飯」と言って鰻の蒲焼のたれだけご飯にかけて食べてた。

あのね、うちの地元の鰻うまいんだよ。

大人になっていろいろなところで鰻を食べるけど残念ながら「うーん、地元の鰻のほうがうまいなぁ」と思う。

だからと言って地元以外で鰻を食べないか、というとそんなこともなくてたまに食べる。

「どうせ地元のほうがうまいんだから」と失礼な感じで考えてるからどこで食べてもがっかりすることはない。

元の期待水準が低いってのは悪いことでもないね。

で、こないだ大阪でふらっと入った鰻屋がよかった。

チェーン店で東京でも見たことある店だったけど、ここだけなのか居酒屋仕様になってる。500円程度で鰻丼も食べられるけど、おでんやつまみなんかもあるし酒も出している。

ここでよかったのはまず肝焼き200円。

鰻の肝はいい、やっぱり日本酒ですな。

それと鰻串150円。

白焼きをわさびで。子供のころは白焼きなんてなんのこっちゃと思ってタレでしか食べなかったけど酒のつまみには白焼きですな。

ちょっとお酒を飲んでじゃあ鰻丼で〆るかとも思ったけどお腹もいっぱいになってきたので、「うな串たれ一本とライス少な目」という鰻丼小より更に少ないオリジナル鰻丼で〆。