漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

卒業

2014年03月12日 | 近景から遠景へ

 昨日、3月11日は、娘の高校の卒業式だった。
 気温は低く、寒かったけれども、よく晴れた日で、旅立ちにはまずまずの一日だった。
 娘が高校に入学したのは、東日本大震災からまだひと月も経たない時のことだった。入学式が、高校の体育館が地震のせいで点検の必要があり、使用できず、やむを得ず別の会場を借りて行ったのだ。考えてみれば、娘の生まれたのは阪神・淡路大震災のあった(そして地下鉄サリン事件のあった)年だった。1995年が、一つの大きな歴史のターニングポイントだったと考える人は多い。今、こうやって当たり前のように利用しているインターネットが、ウィンドウズ95とともに、急速に広まったのも同じ年だ。だから、節目節目が、大きな転換期に当たる宿命を持った生まれ年なのかもしれない。
 そう、卒業式が奇しくも大震災からちょうど三年という日だった。あれから三年。震災の直後に皆が望んでいたはずの未来は、どうなっただろう。いつの間にか曖昧になって、少なくとも表面的には、震災前とさほど変わらない日々の中に消えてしまった気がする。だが、本当にそうだろうか。むしろ、水面下で蠢く、不穏な音が聞こえては来ないだろうか。卒業式で、歴史のターニングポイントの先頭に立って進む娘や、同級生たちの背中を見つめながら、ふとそんな心配が頭をよぎったりした。そしてその音が、ただの空耳であればいいと思った。
 娘の高校の卒業式を、中学の卒業式の時とはまったく違う気持ちで見ていた。ここから先は、大人の領域に入ってゆかなければならない。濃密な、小さな世界には別れを告げて。子育ても、ここで一つの節目を迎えたのだろう。まだ、さほど実感はないけれども。僕は自分の卒業式のことを思い出して、感無量な気分になった。娘もいつか、この日のことを懐かしく思うのだろう。
 2014年3月11日。快晴。娘にとっても、二度と戻ってこない濃密な日々が、一つ終わった。

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