漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

令嬢クリスティナ

2017年12月17日 | 読書録
「令嬢クリスティナ」 ミルチャ・エリアーデ著  住谷春也訳 作品社刊

を読む。

 エリアーデの書いた最初の幻想小説。エリアーデの出身国ルーマニアにゆかりの深い吸血鬼を扱っている。それも、ストーカーの「ドラキュラ」以降の吸血鬼ではなく、例えばゴーチェの「死霊の恋」などのような、もっと土着的な、死後に蘇って男性の生気を吸い取る女の吸血鬼の方(ストーリー的にもちょっと近い)。その辺りは、民俗学者であったエリアーデの面目躍如といったところだろうか。
 しかしこの小説がそれだけでは終わらないのは、吸血鬼とされるクリスティナはとっくの昔に死んでいるのに、その影響が彼女の家全体を覆っている、一種の幽霊屋敷譚となっているところ。もともとクリスティナというのは、絶世の美貌を持つ女性だったのだが、かつて農民一揆があった際に農民たちの手によって惨殺されてしまったという。なぜそんな殺され方をしたのかというのは、まるで禁忌であるかのように、つまびらやかにされないのだが、どうやら生前のクリスティナは自分の美貌を利用し、村の男性全員と関係を持ったりすることで思うがままに振る舞うような女性であったらしく、村の人々は彼女のことをどこか恐れているようなふしもある。ただしそれも、はっきりとした事実とはされない。そして、そうして惨殺された彼女の死体は、行方がわからないままになっている。
 クリスティナの屋敷には現在、血縁にある三人の女性が住んでいて、旅行者などに部屋を貸す旅館のようなことをして生計を立てているようだが、その三人の女性というのが、揃って奇妙に病んでいる。クリスティナの妹であり、現在の屋敷の女主人であるモスク未亡人はいつでもどこか上の空で、目の前に食事が並べられると、周りのことを一切気にしないで不躾な食べ方をするし(それが何だか不気味)、主事項エゴールの恋人であるサンダは病弱で、いつも何かに怯え、母親のモスクの言うことには逆らえない。そして最も強烈なのは、わずか9歳の少女シミナだ。彼女はしょっちゅう謎の行動をとるばかりではなく、まだ子供だというのに、不気味なほど妖艶で、まるで手練の悪女のように、作中の男性たちを翻弄したりする。ぼくは読みながら、この三人の誰かにクリスティナの霊が憑依しているのだろうと考えながら読んだのだが、どう考えてもその最右翼にあるのがこのシミナであり、もしそうでなければ、念入りなミスリードを誘う伏線を張っているのだと思った。
 ところが、どうもそういうのとは少し違っていた。クリスティナは、誰かに憑依するという形ではなく、絵に描かれた美しい自らの姿で現れて主人公を誘惑する。つまりクリスティナは、実際には本当の意味で死んではおらず、浅ましくも吸血鬼のような存在となって、この世とあの世の合間に留まり、屋敷を支配しながら生き続けていたのだった。しかもクリスティナの生命は、屋敷と、そこに暮らす三人の女性と密接に結びついており、クリスティナの死とともに、屋敷は焼け落ち、女性たちも命を落とすことになる。
 偶然にも、この小説を読む前に読んだロザリンド・アッシュ「蛾」と似たような物語だったが、さすがにエリアーデだけあって、こちらの方がやや観念性が高く、エンターテイメント性はやや低いという印象はあった。とはいえ、「死してなお男性を追い求める、屋敷に憑いた幽霊」を扱ったゴシック・ロマンスという点で非常に似ており、ということは、「蛾」の方ももしかしたら一種の吸血鬼譚として発想されたと言えるのかもしれない。もっとも、「蛾」と大きく違うところは、この小説の最も印象的な部分が、わずか9歳の謎めいた少女シミナの存在にあるという点だろう。この小説が発表されたのが1936年だから、ナボコフの「ロリータ」(1955)よりも随分と早いことになる。シミナの持つ妖艶さは、怪奇性を持つとはいえ、明らかにロリータ性を持っており、それをこうしたゴシック小説の中に登場させたというのは、かなり先見の明があったというか、後のゴスロリ系作品の先駆者的作品であるというか、まあ、そんな風に言えるのではないかと思ったり。
 

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