つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

旋・律

2021-12-12 | Weblog
冬に至るとして冬至。
冬の後は春。
この道理が法則。
絶対法則であるために、必ず春となる。
冬が好きな人と春が好きな人といる。
栄枯盛衰のように、それぞれにある。
常夏のところにも季節はある。
常識が非常識であったと思わされる時が来る。
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円運動の自由ということは

2021-12-11 | Weblog
一旦ゼロになるまで、私たちに残されている時間は、1秒のまま。
1秒はおおよそ10年に匹敵する。
今のままでは、
2032年頃には地上は荒涼とした風景が広がることになる。
私達が得た科学技術も、オーパーツとして、新人類に発見されるだろう。
何十万年、あるいは何百万年後になるかもしれないが、地上は再び甦るが、
意識エネルギーには時間も空間もないために、ゼロに戻った時点から瞬時、
新たな地上の人となる。ただ、過去世をすっかり忘れて。
善意に満ちていた生命は、それゆえに、連綿を思い出し、すぐさまエネルギーの法則を理解する。
過去世においての統一された記憶によって、それぞれの分野で活躍する。
やがて意識は、全知全能を得た瞬間、すべてを忘れるふりをする。
そうしなければ、存在の意義をなくしてしまうためである。
それが法則の性質である。永遠ということに退屈をしないためである。

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オメガΩ

2021-12-10 | Weblog
今年もあと僅か、瞬く間に時は流れていく。
あまりの速さにめまいを起こしそうになるほど、目まぐるしく事が動いている。
急ぎ足で過ぎていくこの(急)という言葉が、にわかに際立ってきた。

冬に至る。

オメガという文字が急に浮かび上がってきた。
Ω(オメガ)最終の位置である。
誰が最終を迎えるのか。誰が、暗くて寒い冬に至るのか。

夜明け前が最も暗いと感じるように、
冬の後には暖かな春が待つように、
はたまた、
消えゆくろうそくの灯が激しく燃え盛る様子を、
私達は、どちらをみるのだろう?・・・
…いや、自分の心を見るなら、程度は知れる。

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三日見ぬ間の桜かな

2021-12-08 | Weblog
国を動かす人たちの目に余る行為が顕著となっている。
まぁ、どこもかしこも偽善、偽善、偽善、そんなニュースばかりが目に付く。

私達は、意識の存在である。意識は生命エネルギー、量子である。
そのエネルギーの法則は、円運動の自由となっているために、無くなることがない。
すべての存在がエネルギーの法則の下の存在である。
円運動となっているために、無くなることのない存在なのである。
円運動の変化が無くなることがなく常住であるために、その変化に対応した存在となっているのが
生命エネルギーであり、意識である。その意識は、物質的存在(肉体)を作り、そこに宿してのみ、意識の向上を図れる。
つまり、浄化することができる。だから、肉体が亡くなれば意識の向上は図れない。
意識は肉体が亡くなった時のままの記憶の現象世界となっていく。それがあの世である。
意識は、物質ではないために無くなるということがなく、変化しているだけである。
その変化は、すべて浄化への変化となっている。それは、法則が浄化の法則となっているためである。
ゼロから始まりゼロに戻る。すべてがきれいになるということの法則であるために、
人の行為もすべて浄化の行為となっている。
これを分からなければ、間違った浄化の行為となって、間違った世界が作られていく。
この間違った世界に気づいて、行為を改め、正しく法則に沿った浄化の行為としていくことが、生命エネルギー、
つまり意識の正しい意味である。
そのための人生である。この間違った世界を正すには、八つの正しい行いをしていくことである。
釈迦が説いた八正道である。簡単なことだが、一般にとても難しいことである。
自分の意識を正しく持つということは、簡単なようでとっても難しい。
だから、人生、自分を戒めて、みだらのことをしないことが修行となる。
やましいことを思わない、またしなければよいだけのことなのだが、欲を持つ自分の意識を正すことが最大の難関。
敵は我にあり、である。

私達は、長い間洗脳されて、それも苦しむことが当たり前として、
苦しみから喜びが生まれると体験して証明となって疑わない。そのような教育の中で生きてきた。
従うこと、何かに従属すること、隷属すること、ロボットのように感情を極力殺して、
奴隷のように働く事が幸せであるとされてきて、それを疑うことを恥じてきた。
そうして、長い間の年月が過ぎていった。苦しむことが地獄であることを忘れて、
世の中ががらりと変わることなど、奇跡に等しいと思わされて生きている。
まだ、命の長らえているとき、しばしのまどろみの中にいた時、
「世の中は三日見ぬ間の桜かな」を意識した。はて?
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直感

2021-12-07 | Weblog
愉快犯というのがいて、大勢の人があたふたするのを喜ぶ。
嘘をつくことに平気で、それによって相手を騙して、困らせることに喜びを感じる馬鹿がいるものである。
嘘をつくのが上手いために、嘘をつきすぎて、嘘に騙されたりする。
「嘘も方便」があることを知らなかった。
陰謀を陰謀だと返して、暴露と露呈が現れる。

自分は、いかがわし・い?
自分を信じられなければまよわされる。
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まだまだであるが希望がある

2021-12-05 | Weblog
人が憂えると書いて優しいと読む。
優しいという字は優れるとも読む。また、優るとも読まれる。
全てに優る(勝)という意味である。
だから、優しい人であれば、何ごとにも勝つ。
終には安住を得る。
生命は意識である。
そのために、意識が離れれば肉体はただの肉の塊。
直に異臭を放ち朽ちてしまう。
意識が生命エネルギーであるために、意識が大事である。
意識を正しく持つことである。
意識を正しく持つということは、エネルギーの法則を理解することである。
エネルギーの法則は、円運動の自由であるために、無くなることがない。
ずーっと繋がていくものである。つまり、意識には死がない。
法則はゼロに戻るということである。これを私達はいつも見ている。
一日という流れの中で、肉体経験をしている。
一旦ゼロになりそこからまた繋がっていく。
明日の来ない日はなかったということを経験しているはずである。
肉体は物質である。無常なものである。そのために、必ずなくなる。が、
そこに宿した意識は、肉体を離れて天空(虚空)のかなたに存在している。
意識の知るところの縁をもって、どこに宿るか?物質的か、精神的かに選り分かれる。
自分の肉体経験の幾多に渡る記憶の統一された世界に赴く。
意識の知るところの縁の現象世界。
物質的現世に生じるなら、意識の向上のためと知ることである。
それは、一切が苦であるが、希望を得ている。
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人間の心を忘れた社会

2021-12-04 | Weblog
お金が支配している社会では、お金には逆らえない。
どんなに立派なことを言っても、お金がないと言えばクズ人間として足蹴にされる。
お金があるとなると信用され頼りにされる。素行があまりよくなくとも、お金の力で悪の素性が消されてしまう。
何とも欲に絡んだ人間の集まりである社会は、偽善にあふれている。
どんなに良いものでも、経済的弱者にはその恩恵はない。
病気一つとっても、
お金さえあれば助かる命も助からない。助けられる技術があっても、あまりに高額では弱者にはないに等しい。
ここに偽善というまやかしを見る。
格差社会を作り、優位な立場からものを言う人は、実際にはあれこれと難癖付けて、後の祭りにしてしまう。
弱者救済、人間の本来の心である。お金に支配された社会には、人間はほぼいない。

愛は、すべてにおいて優る行為である。
そして、それは無償にて存在する。
そして、それは未来永劫とつながる。

金融支配で成り立っている社会は、愛にもお金がかかる。だから、
お金で支配されている社会には、本物の愛はない。
すべてがお金。そんな架空なものに命のやり取りをさせて、常識として疑わない。
そのために、ロボット(奴隷)となって、お金お金とお金を稼ぐことに執着する。
愛なんてきれいごとで世の中は渡れない、と当たり前を言う。
人間社会だけがお金がなければ何もできない。そのように洗脳されて100%悪魔な進化となってしまった偽善社会。

羽が折れて、飛べない鳥を治療し、飛べるようにしてあげた人がいる。
鳥はただ飛び立っていった。その人は、それを見て、ただ満足だった。
人は、自分の称賛で存在している。





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頓(整頓)=かたづける

2021-12-03 | Weblog
○○議員と称する人達の生活ぶりは豪華である。
国民の義務として徴収した税金でたべている。
彼らは騙すことに長けていて、
国の民(都、道、府、県、市、町、村)は、
それぞれに、あなた方の生活をよくするためにと嘯かれ、まんまと騙される。
だから、ほとんどの国民の生活は苦しくなる一方。
○○議員と称する人達は、上級国民として贅沢三昧。
格差是正と謳ってさへいれば、不平が起こってもその場はしのげると、国民を蔑む。
様々な歪な出来事で、国の民の気を紛らわしていく。
選挙の時だけは頭を下げて、なんどもお願いしますと訴えるのは、国民の生活改善の為ではなく、
自分たちの生活の安定のためだから、必死でお願いをする。
常識外れのいくつもの制度を作り、自分たちの役得とする。
だから、やめたくはない。やめたくないおいしい職業、政治家。と思われてもしようがないほど、
現実はそのようになっている。
国民の生活が良くならないのは、
気違いに権力を持たせたらどうなっていくか?という悲惨な結末にほくそ笑む、
人間の欲の皮が張るゲームにほかならない。

灰皿と金は、たまればたまるほど汚くなる。
凡そ人間というものは哀しい性にある。

示し申すと書いて神とする自然は、ただ浄化の法則で動いている。
そこに善も悪もない。無いために絶対善の動きとなっている。わかるだろうか?
善悪がないための絶対善の動きを!
これを踏まえて、
あなた方は間違えた。だから、あなたがたの常識は外れとなって、頓挫していく運命にある。
そのように命を運んできたために、頓死する。
・・・今のところ2032年という時間軸、八十数億の魂、意識が虚空に散らばると受している。
ウイルスは、ひょんなこと妙なことで頓する。
兆しが著しくある。
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受想行識 亦復如是

2021-12-02 | Weblog
今までの常識が非常識だったと気づいて、
いよいよまさかのさかを見る。
随分と長い間眠らされていたようだが、虚空から見れば、
人の時間のわずか半世紀余り。
2032年、あるいは2040年、あるいは、2050年の間の瞬きの仕合わせである。
どうしようもなく閉じられる時間は、一切の感情の動かされることのない時間である。
宇宙は、ただ浄化の法則で動いているだけである。
生命がどうのこうのということなどお構いなしである。
非情といえば非情だが、
宇宙は不垢不浄、不増不減、不生不滅の絶対法則であるために、
変化することのないエネルギーである。このエネルギーの性質が円運動の自由である。ゼロの
絶対運動であるために、ゼロの為の浄化運動となっている。
一日が一旦ゼロになり、またつながっていく。人の一生も同じである。
この運動が生命の行為となって、一生の行為となっている。そのために、
生命は死を目的として、死ぬために生まれる。
死を目的とした死後の世界のために、死後の世界の浄化のために、
一生涯の行為となっている。生命に死がないと知ることによってわかることである。
この‘分かる‘が「知見」である。いわゆる悟りである。
何世代にもわたって生きてきた自分という意識を認識(覚った)ことにある。

エネルギーのある波長の刺激を受けて、反応した生命エネルギー。
その意識の称賛だけが存在の意味である。
この世界(宇宙)は、(受)の世界である。




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分岐点

2021-12-01 | Weblog
冬至が暦通り大安となることを受ける。
夜明け前が最も暗いものである。
貴方が優しい人でありますように。

突然な出来事と思われても、粛々と準備されていたことだから起こること。
奇跡的と思うのは、貴方が知らなかった、見なかった、見て見ぬふりをしていた、
聞いていただけで馬耳東風と聞き流して、聴くことがなかったから。
偶然とするのは無知なだけ。すべてはあなたの魂に必然なことの現象。
それで何を自覚できるか。その自覚で選り傾く。
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