今までの常識が非常識だったと気づいて、
いよいよまさかのさかを見る。
随分と長い間眠らされていたようだが、虚空から見れば、
人の時間のわずか半世紀余り。
2032年、あるいは2040年、あるいは、2050年の間の瞬きの仕合わせである。
どうしようもなく閉じられる時間は、一切の感情の動かされることのない時間である。
宇宙は、ただ浄化の法則で動いているだけである。
生命がどうのこうのということなどお構いなしである。
非情といえば非情だが、
宇宙は不垢不浄、不増不減、不生不滅の絶対法則であるために、
変化することのないエネルギーである。このエネルギーの性質が円運動の自由である。ゼロの
絶対運動であるために、ゼロの為の浄化運動となっている。
一日が一旦ゼロになり、またつながっていく。人の一生も同じである。
この運動が生命の行為となって、一生の行為となっている。そのために、
生命は死を目的として、死ぬために生まれる。
死を目的とした死後の世界のために、死後の世界の浄化のために、
一生涯の行為となっている。生命に死がないと知ることによってわかることである。
この‘分かる‘が「知見」である。いわゆる悟りである。
何世代にもわたって生きてきた自分という意識を認識(覚った)ことにある。
エネルギーのある波長の刺激を受けて、反応した生命エネルギー。
その意識の称賛だけが存在の意味である。
この世界(宇宙)は、(受)の世界である。
いよいよまさかのさかを見る。
随分と長い間眠らされていたようだが、虚空から見れば、
人の時間のわずか半世紀余り。
2032年、あるいは2040年、あるいは、2050年の間の瞬きの仕合わせである。
どうしようもなく閉じられる時間は、一切の感情の動かされることのない時間である。
宇宙は、ただ浄化の法則で動いているだけである。
生命がどうのこうのということなどお構いなしである。
非情といえば非情だが、
宇宙は不垢不浄、不増不減、不生不滅の絶対法則であるために、
変化することのないエネルギーである。このエネルギーの性質が円運動の自由である。ゼロの
絶対運動であるために、ゼロの為の浄化運動となっている。
一日が一旦ゼロになり、またつながっていく。人の一生も同じである。
この運動が生命の行為となって、一生の行為となっている。そのために、
生命は死を目的として、死ぬために生まれる。
死を目的とした死後の世界のために、死後の世界の浄化のために、
一生涯の行為となっている。生命に死がないと知ることによってわかることである。
この‘分かる‘が「知見」である。いわゆる悟りである。
何世代にもわたって生きてきた自分という意識を認識(覚った)ことにある。
エネルギーのある波長の刺激を受けて、反応した生命エネルギー。
その意識の称賛だけが存在の意味である。
この世界(宇宙)は、(受)の世界である。