つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

受想行識 亦復如是

2021-12-02 | Weblog
今までの常識が非常識だったと気づいて、
いよいよまさかのさかを見る。
随分と長い間眠らされていたようだが、虚空から見れば、
人の時間のわずか半世紀余り。
2032年、あるいは2040年、あるいは、2050年の間の瞬きの仕合わせである。
どうしようもなく閉じられる時間は、一切の感情の動かされることのない時間である。
宇宙は、ただ浄化の法則で動いているだけである。
生命がどうのこうのということなどお構いなしである。
非情といえば非情だが、
宇宙は不垢不浄、不増不減、不生不滅の絶対法則であるために、
変化することのないエネルギーである。このエネルギーの性質が円運動の自由である。ゼロの
絶対運動であるために、ゼロの為の浄化運動となっている。
一日が一旦ゼロになり、またつながっていく。人の一生も同じである。
この運動が生命の行為となって、一生の行為となっている。そのために、
生命は死を目的として、死ぬために生まれる。
死を目的とした死後の世界のために、死後の世界の浄化のために、
一生涯の行為となっている。生命に死がないと知ることによってわかることである。
この‘分かる‘が「知見」である。いわゆる悟りである。
何世代にもわたって生きてきた自分という意識を認識(覚った)ことにある。

エネルギーのある波長の刺激を受けて、反応した生命エネルギー。
その意識の称賛だけが存在の意味である。
この世界(宇宙)は、(受)の世界である。




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