つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

2012-01-19 | Weblog
般若心経を正しく読み解き、
身に具えた人は、不思議なこととなっていく。
一切の病から離れ、一切の不安から離れて、
一切恐怖とならない。
一切の行為が正しく浄化の行為となっていくために、
誰を師と仰ぐこともなくなる。
誰に言われなくとも、正しく分別となる。だから、自分を害うことがない。
般若心経こそ娑婆の人の救いの経典。最強の鎧である。
正しく身に纏うこと。
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欲欲・・

2012-01-17 | Weblog
年間三万人以上の自殺者が連続十四年という
悲しい記録更新の先進国日本。未遂者数はその十倍にも上るという
悲しみも先進である。
欲望に支配された国である。ある者は、私欲の為に
国民のためとほざく。十円ほどの価値を一万円として売り出して、
その値打ちを懇々と説きながら、自分をも騙してしまうものだから、
熱く正統を語ることとなり、金持ちになっていく。二束三文を高額にしてしまうのだから、
それは金持ちになって行くはずである。
国はもう金がないのだが、自分の取り分はしっかりと譲らない。そんな勝手を罷り通すために、
金はなくなり、もっともをすりかえて、さらに物申し述べる。国民のためにと。
過去にどれほど聞いたか私欲に満ちた人達の八百の嘘。
騙され続けて、悲しみの記録を続ける偽善の国。犠牲になった人達は、
金の為に追い詰められて、健康を害す。それもまた欲のため。
金がなければ生きられない時代。人工的弱肉強食、恋も愛も身体も金に食べられた。
心が浮かばれない。欲欲悪い時代になった。
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平成

2012-01-16 | Weblog
自分の前に現れている嫌なことも好いことも
観音様の現象と観て、改め受身ることである。
‘改め’である。
悲しみも喜びも足るを知るためのものであると知れば、
悲しみは優しさに、喜びは分かち合いと正しく振り分けられて、
起伏は現れず、平穏となっていく。
愛が足りなくなれば悲しみが現れて喜びを知り、
喜びに浸されて愛を忘れ、悲しみを見る。
刺激を受けて想いが創られ、想いによって行為がされ、
記憶となり世界が創られていく。
正しく振り分けられた行為は、平成である。
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道理

2012-01-15 | Weblog
見えないが
なにやら揺らいで陽炎となり、廻り廻り膨らんで空ろとなった。
外にあるものは中に入り込み、入り込んでは外となって、そのように揺らいでうつろな容となっている。
揺らぎは次第に勢い益して次へ次へと移っていく。ここにあったものはもうここにはなく、かといって無くなってしまったというのでもなく、
絶え間ない川の流れのようである。「・・しかももとの水に非ず」のように。
ゼロという姿であり、無いという姿をとり、元の容をとどめて、あるという無いに在る。
僅かに歪んでいる間は楕円である為に、その揺らぎの惰性でしょうめつとなっていくが、
歪みが消滅となれば、絶対な円となって、揺らぎも揺らぎでなくなり無変化となっていく。
絶対世界となって不二の世界となっている。

川の流れの水は見て取って、元の水のようで元の水ではないために、いつもきれいになっている。
揺らいでいる(廻り動いている)ために、
きれいもよごれてしまい、よごれもまたきれいになっていく変化が絶えず繰り返されていく為に、
そこに、きれいもきたないもなく、きれいとなっている。ゼロという在り方で、これが法則の容である。
これが絶対善となっているために、すべてが浄化されるものとなっている。

生命はゆらぎである。ゆらぎはエネルギーである。
生命エネルギーがその変化に対応し、適応していくために、
個々の種が生まれてくる。完全に適応してしまえば浄化されたものとなって、
動く必要がなくなっていくが、完全となるまでは動くことによってその変化に対応し、
完全存在となるまで生滅を繰り返す。
生命の動きはすべて法の動きと同じとなっている。浄化であるために、
浄化していくことが人生となっている。そこには善いも悪いもないために、
善いことをしていくことが理に適うことである。
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若し

2012-01-14 | Weblog
若いという字は苦いという字に似て、
若し、若くして苦い思いをして過ごしたものは、老いては楽しい。
若いときは、苦は買ってでもしろといわれるように、
苦あれば楽ありとして、楽あれば苦ありとなる。
苦は楽であり、楽は苦である。
而二不二。
老若に苦の順序を正しく当てはめて、老い楽に恋する。
無駄に老いるな!



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青い鳥

2012-01-13 | Weblog
素朴であることは素適なことである。
純朴に生きることは、
だから
素晴らしい!
ものの豊かさと便利さは、
人の心を置き去りにして、ただ
独り歩きして、
懐かしい色合いを失いつつ輝いた。
セピア色に染まった記憶に憧れながら、
未だ帰る術を知らない。
ものの豊かさに心の貧しさは比例して、
夢想は皆、貧乏である。
青い鳥は架空の鳥に・・・。
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馬鹿者

2012-01-12 | Weblog
正しく生きたか?
その答えは死後にわかる。
誰が盾となることもできない。
自業自得として必ず業の報いは受ける。
自分の為したことに忠実に。
怖いもの知らずというのは、馬鹿の一言に尽きる。
死後が真実であることを馬鹿は知らない。
馬鹿者にはなるな!
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様々

2012-01-10 | Weblog
格の違い。
雲泥の差をもって同じ人である。
糞掃衣を身に纏いながら
遥かに足るを知る。
煌びやかさは吸い込まれ、質素にして後光が放たれる。
倹しくて慎ましくてしなやかで人懐こい。
最強な人がいるものだ。同じ人の姿をしながら。
そんな人に会う。
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自愛

2012-01-07 | Weblog
よい子を育てようと思ってもよい子は育たない。
よいわるいを気にしないで、人の間で生きていれば、
善い悪いが自然に身についていく。
人は誰でも自分が一番可愛い。この単純なことを素直に
相手に向けていればいい。
美味しいものは誰もが美味しい。一人で食べていても相手には伝わらない。
何とか相手に伝えてこそ自分が満足する。それには二人で食べればいい。三人で食べたらいい。四人で食べたらいい。
・・・多くの人が食べたらいい。そうして、自分が最も満足していくように、みんなも満足となっていく。みんなの満足顔を見て
さらに自分が満足する。
これが、人は一番自分が可愛いというただしいありかたである。
もし、自分を一番愛しているというのであれば、愛するものとならなければならない。
愛するものというのは、愛するものが愛するものに為す行為を
自らに為しているということになるからである。だから、人は自分が一番愛しいと思うならば、
他を損ねることはしない。それが自分を一番愛しているという正しいあり方である。
他を損ねながら、自分が一番愛しいと思っても、そのような道理はない。
他を損ねるものは、その数倍自分を損ねてしまう。これが道理である。
他を愛しむ者こそ一番自分を愛しんでいる者である。
愛するものという義を間違えるな!
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一を知って

2012-01-06 | Weblog
肉体が大事なのではない。
生命が大事なのである。
生命が大事であるために、肉体が大切なのである。
生命あっての肉体である。
生命が離れた後の肉体は、ただの肉の塊である。
肉体を介して得られた経験によって、生命がかたち創られていく。
生命は心である。心はエネルギーである。エネルギーは自由をもって存在している。
その自由が衆縁和合となって性質となっていく。
どれひとつとっても
これと確定して言えるものはなく、集まって束の間としてあるかたちに過ぎない。
唯一つの統一されたものである。
統一されたものである為に、一を知れば十が知れてきて、十が知れて一がわかる。
連なる一つのものであるために。
誰に教わるものでもなく、
自然に観て訓えられるものである。


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