つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自由というあり方

2012-01-22 | Weblog
苦しみがあり楽がある。
苦しみがあるから楽が知れるものであるために、
苦しみがなければ楽もない。
楽がずーっと続くことはなく、すれば
苦となっていく。苦もまた、ずーっと続くことはないために、
楽となっていく。
苦しむことで楽が生まれるのなら、苦は善である。
楽することで苦が生まれるのなら、楽は悪である。・・と善悪が顛倒してしまう。

苦の種を蒔けば苦が生まれ苦が育ち苦の実が成る。その実を食べて苦い味がする。
楽の種を蒔けば楽が生まれ楽が育ち楽の実が成る。その実を食べて甘い味がする。

楽の種を蒔くには苦労をして蒔く。
苦の種を蒔かなければ楽である。
良薬口に苦し、甘い言葉と暗い道。
これが世の中である。不二の世界である。

苦の実は苦く甘美な味はしない。苦は苦しく悪である。
楽の実は甘く苦味はない。楽は楽しく善である。
天国と地獄の別である。
これがあの世である。而二の世界である。

不二の世界に生きて而二の世界を目指す。
而二の世界の為に不二の世界に生まれる。
その仕組みを知ったとき、誰に教わることもなく、
自ずと善悪を選り分けて、善を為して生きるものと成る。
般若の心のあり方を、智慧を持って、好く都合に選り分けてと如来の真意を受ける。
その時、不二の世界に生まれることもなく、地獄に落ちることもなくなる。

宇宙は而二不二である。
善悪もなく恐怖も無い。
そのために、絶対善の動きとなって、
すべての浄化の容となっている。
百千万劫難遭遇であり、故に唯一である。
自由というあり方、法則である。

法則によって人は生まれる。
何の目的があるわけではない。
心臓が意思を持って動いているのではないように、
法の勝手、自由によって動いているだけである。
コメント
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