地球の自転速度は、おおよそ時速1700㌔、驚くほどの速さで回転している。
私達が目を回さないのは、同化している為である。一緒に回っているために静止状態にある。
その回転に気がつかなくなってしまう。
内の中に入ってしまえば、「変」に気づかなくなってしまい、異常な状態も異常とは思わなくなってしまう。
‘どうかしてるよ奴は’と外の人から言われてわかる。そのとき、はっと気がついて、あらゆる今ある識を消して、
自然に思う。
自然はどうかと。
ただ回り、ただ繰り返す。それが狂いなくであるために、絶対となり正しいとなることを知る。
そこに、よいとかわるいとかはなく、たえず反復されることが正義となることを思う。
終わりなく確実な動きは、回ることでしか為しえない変化。その変化は常に戻るというゼロの動き。そのために、
あらゆるものの浄化の動き、浄化への変化、浄化の進化、そのかたちとなっている。
かたちあるものは、一連の混沌(醜さ)をたどり、整然(きれい)になっていく。
善いも悪いもないために、絶対善となっている。
これがこの世の正しい浄化である。
若いときは無知であり、そのために角が立ち、若気の至りで過ち生きる。
年老いて、賢く年老いて、角も取れて円くなる。整然の容となって敬われていく。
ただ年老いて、未だ刺々しく角があり、尊敬に値しなくなる。
一連の混沌さは努力であり苦しみである。それを経て調われ、端正となって敬われる。
誤りの浄化となれば、善悪顛倒、すべからく悪となり、苦があたりまえとなって、
苦が苦であることさえ気が付かなくなっていく。
今の世である。