つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

寂滅為楽

2012-01-21 | Weblog
真実というのは一つである。いくつもあるわけではない。いくつもあるわけではないと知りつつも、
知らないでいるために、まやかされてしまう。道が違えば行き先が違ってくる。
常に道は一本であり、行き着くところは一つである。
そのために、同じ道を通るものは、同じものを見、聞き、感じていくために、同じことを語るようになる。
来た道が違えば、同じことを見聞きしたものでも、違って感じられてしまう。そして、幾通りもの道に分かれて、いくつもの術が語られ、いくつもの帰着が現れる。
その人の真実が現れる。
今を見て、過去を想い、生滅を断る真実とする。
寂滅為楽である。
その道は、ただ八つの正しい行いである。が、凡人である私には劫の時を要するに等しい。
そのために、愚者こそ救われるようにと、その思いを
「心無罣礙、無罣礙、故無有恐怖、遠離一切顛倒夢想」とすることで、偉人の心もちの値に匹敵して、
即適うものであると知る。
智慧の功徳とでも言い表そうか!

最初の一歩がどこで芽生えるか。正しく思うことである。
そこらじゅうに紛らわしく情報はころがっているが、心根の正しい縁があれば、情報の選り分けができて、
間違いなく導かれていく。正しいものを見ても聞いても、正しく思わなければなんら手助けにもならない。
知識ではなく智慧を身につけて見つめることである。

荒唐無稽と思われることが迫っている。時は足早に過ぎ去り、地は揺れ天は乱れる。
あちこちで、世の中が救急と悲鳴を上げ軋めいてるのが知れる。気の乱れである。
予兆はいたるところで現れている。
肉体の苦しみが心の苦しみとならないように、肉体を離れて、死にゆく道理を観察して、
恐怖の判断をしないことである。命は生きているものであるから。智慧もなくならないものであるから。
コメント
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