つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

般若菩薩

2018-07-20 | Weblog
需要と供給の世の中である。
経済制度の確立された社会構造であるために、私たちの生活は
商売で成り立ち、互いに持っているものの交換、悪い言葉で言えば、
奪い合いで生きている。どうしようもない隷属社会構造が確立されているために
経世済民という言い方のなかの虚構で操られていては、商売という方便でしか生活は成り立たない。
だから、その中でも薄利多売が商売繫盛の基本となる。
本来、経済というものは存在させてはいけないシステムである。
宇宙広しと言えども、互いのものを奪い合い生きている知的生命体は、地球という星だけである。
他の惑星には、その惑星上の種にして、互いを害いあうこと、
奪い合うという生き方は初歩にして本能で超えている。

自由がエネルギーの本質であり、その自由が正義であり、善悪などないための絶対善での
道理となっているために、そこから生じている生命エネルギーは、
本能としてそれを理解でき、それに沿っての存在であることを必然得る。
これが純粋な生命エネルギーの現れ(誕生)なのであるが、エネルギーは動きであるために、
安定という静の状態へ向かう。-
{安定という静にして円満となる存在である。それがエネルギーの自由、
つまり、エネルギーは自由が本体である。動いているのだが、完璧な円、
円満であるために動いていることすらないに等しい状態の存在である。}
ーだから、安定するまで動くことによる変化に対応しているもので、その対応が
正しく行われるのが本来であるが、自由であるために、無知にある間は、
間違った対応となるエネルギーがある。それが悪という存在エネルギーである。
本質とは違った対応エネルギーであるために、円滑にいかず、常にざらついて、これが苦という
感覚となるエネルギーである。間違った対応エネルギーのまま正義となるために、
誤った方法をもって他の生命への対応となる。奪い合い害いあい、自分だけが、自分たちだけがよければとして
生きていく。これが回るために、一生その回り(場)から離れられなくなっていく。
すべてにおいて無知であるために、知的にしても徳を得らなければ、
「知」だけが進み、彼らの善となり完成されたエネルギーとなってしまう。
徳を持たないエネルギー、その知だけが進んだエネルギー生命体が、私達から見て悪神である。
頭脳明晰であるが、エネルギーの本質である自由を、徳をなくして理解した生命エネルギー体。
私たちはエイリアンと呼び、神とも呼ぶ。
遠い遠い昔の時間に地球を偶然発見し、その技術において探索し、有効なる鉱物資源があることを知る。
地球の未だ低能にある生物を遺伝子改良、自分たちに似せて「人」という生物を作り、資源発掘の労働力として
操った。
宇宙は、ご存知のように相対的にあり、すべての生命にも同様である。神と呼ばれる生命エネルギーも同様である。
だから、地上の生命体から見て、悪玉とする神的生命体と、善玉とする神的生命体がいるもので、
善は、エネルギーの法則に添って善を為し、悪は、反して善からぬことをする。
ただ、エネルギーの自由は如何なる力をもってしても変えることはできないのが道理であるために、
知的生命体エネルギーは、地球人の自由を損なわないように操りながら、
互いに善悪の対立でしのぎを削っている。
いま、世界的天候不順、異常に見るのは、これから起こる兆候と思える人は、
多少なりとも安心を得るが、驕りにある人は無理である。
地上の悪なる心のエネルギーが78%とを超えていったとき、天変地異が起こされ、
ほとんどは死に絶える。悪なる心のエネルギーは、地獄という心のイメージの中に葬られる。
僅かな心の善なるものだけが、次元の上昇を迎える。
その数、地上にして80億ほどの人口となった時と重なると、エネルギーの道理は訓える。
感受は縁である。般若の・。

私たちは、日和見にあるのがほとんどで、その分配は、これからの一人一人の心に寄り添う。
急務と伝わってくる。
今の安心は、自分は「愛する者」であるかにある。
誰にでもよろしからず心はあれども、取るに足らないものであれば、
それより、
恕にあるなら、案ずるより産むが易しである。
自分を信じられるか??
自分が一番知ることであり、人に嘘はつけても、
自分に嘘はつけないものである。


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