つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

洗練する

2013-08-14 | Weblog
何度も言うようだが、
人は行為によってのみ善悪の縁が生じる。
その行為は心に基づきなされるために、
心を正しく保つことが大事である。
心を正しく保つのは、正しい経験による。
正しい経験は取りも直さず正しい教育である。
これをしてはならない、これはしてもよいという分別は、
本能として宿るが、
エネルギーの法則そのものには、善いとか悪いとかという別はない。
ただ同じことを何度も繰り返すということで絶対となり、正しいものとなっていく。
しかも、必ず元に戻るためにゼロになり、それは、増えもしないし減りもしないということであり、
何度も繰り返すということがいわゆる、浄化となっていることがわかる。
変化をきたすことができる一点、通過点つまり、特異な点ともいえる。
そこを境に繋がっていくために、
向上という進化なのか、低下という退化なのかに分かれる。
正しく浄化された点が本来の点となっている。浄化という文字であらわされている通りであるために。

ただ思っていたとしているだけでは業は現れては来ないが、
思いはきっかけとなるために軽んじてはならない。
くれぐれもそこで正しい分別を保ってほしいものだ。
その思い、行為としてよいものか、いけないものかと。
そこに、教育という正しいことを訓え導くことが必要となってくる。
法則に善悪は無い為に絶対善となって、本能も性善となっているが、
宝石の原石もみがかなければくすんでいるように、教育というみがきをかけなければ、
心は洗われてこない。洗練することは大切である。
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