つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

無は有 (ないではない)

2024-07-05 | Weblog
英国、14年ぶりに政権逆転、
さて、日本&フランス、洗脳にある中にも、やはり逆転、受けて解散、解体を辿る。年内に現れる。
「是諸法空想」である。そのため、全てが浄化にある。宇宙で唯一変化することが無いのがエネルギー、このエネルギーの性質が円運動の自由にある。故に絶対性質となって、すべて0の絶対運動となり、ゼロ(0)の為の浄化となっている。生命エネルギーもゼロの為の浄化の行為となっている。この行為が人生、一生涯の行為となって、死を目的として、死後の世界の為の行為となっている。魂に死が無いために、生(肉体)は死を絶対条件として受ける。
魂という生命エネルギーに死が無いために、物理にある肉体(物質)をもって、
肉体経験をすることに由って魂を磨く。魂は、肉体(物質)に宿ってのみ磨くことができるためである。エネルギーは熱を発し、その浄化は行為に転換して為される。次から次へと転換され止まることが無い。止まれば死となる。腐敗してこれ以上の浄化、向上は見込めないと判断され、魂は肉体を放棄する。これが肉体の死である。肉体が亡くなれば、魂である生命エネルギーの向上は無くなる。つまり、浄化はできなくなる。
肉体は物質にあるために、物理の制限を受ける。およそ120年の寿命を持つとされ、進化しても150年が限界である。大半は、正しく浄化されないために、生命エネルギーの欠陥となり、半分ほどの寿命である。
肉体経験の記憶が生命エネルギーの記憶となって、積み重なっていく。
魂に死が無いために、何度も生まれ変わる。あの人生この人生として、その記憶の積み重ねが現在の自身の生命エネルギーである。つまり、性格である。
とある人生の中で、法則である(是)を悟り、エネルギーが無くなることの無い円運動の法則、その自由を覚れば、もう輪廻の海を渡る事はない。
「度一切苦厄」となる。「度一切苦厄」とは、「一切の苦厄からの解放」である。つまり、四苦八苦から解き放たれるのである。
般若心経で説かれる「無」の解釈を「無い」と訳すために、何もかも誤解してしまう。心経で説かれる「無」は「無い」ではなく「無くならない」とする「無」である。まず、そこの洗脳から解放されることである。
法則は円運動であるのだから。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 落書き(楽書) | トップ | 心の罠 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事