今の世に見る転倒社会。
検察という法を順守する組織が、歪にもその権力に溺れ、有ってはならないことをした。一種、組織に入ればそのしきたり、慣行に従い長い間染まれば、長いものに巻かれて、悪いしきたりでもよしとしてしまう。初心貫徹とはいかず、当初の志も、出る杭は打たれて、やがて太刀打つことさへ出来なくなる。
世論の常識とかけ離れて、悪びれもない組織となってしまう。つまり、驕り高ぶり横柄な態度となる。そこに、プライド(誇り、自尊心)などを下手に持っているために、さらなる横柄な態度をとる。まさに、極悪非道をひた走る。善いも悪いも見えなくなって結局過つ。裸の王様状態。
この宇宙の法則は、善意識に由って回っている。本来、この意識の回りには、善悪はなく、人の判断による善悪となって回っている世の中となっている。そのため、人の善悪が転倒していれば、すべてが悪となって回る。だから、いままで、大きな組織体は正しいとして疑う余地さえなかった。疑えば、陰謀だと言われ八分にされた。小は悪いと一蹴りにされた。
もし世の中が正しければ、いわゆる秩序正しく回っていれば、苦しい理由は無い。歪に回っているために世の中は苦しい。苦しみを乗り越えてこそ真の喜びが芽生えるとされ、証明となっているために、この世は正しいとされている。
この回りの歪さに気が付かないのは、すっかり同化しているためである。
同化してしまうと、何もかもわからなくなってしまう。分別がつかなくなってしまうのである。しかしながら、歪な回りは、歪なだけにやがて急速に弾かれて砕け散り終える。それは、正しく回らなくなった独楽に似ている。
今地上の変化が、目まぐるしくあるのはその兆候、天候不順を成し、歪なものを排除しようとする、地球そのものの生命体の仕業による。浄化の法は、
一日の繰り返しを見てもわかるように、一旦として、改まって回り返す。
これが今という時制、時勢である。変わりゆくものである。