38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

慈雨上がり、広島原爆の日。

2011年08月06日 | 農と暮らしの日記
昨夜の雷雨と、おそらく今日は未明から朝方にかけての雨。
webで気象台の記録を見ると、観測地点「西条」では昨日24時間だけで(=夜半までの雷雨だけで)約15mm。梅雨が明けて以降、7/18~19頃の台風6号以来のまとまった雨で畑は瑞々しさを取り戻した。写真の茄子も里芋も、約1週間前の姿と比べて葉が大きく広がり、葉色も濃くなっている。なんとなく梅雨の時期の写真のように見える。里芋は依然として約ひと月遅れの生育だけれど、とにもかくにも生育の速度を増している様子でひと安心。



土曜、雨は10時頃までパラパラと降り、その後は曇りのち晴れ。
朝:ごはんのあと、渚は午前中のみ部活動、薫は真のバレーの試合の当番で丹原小へ。
午前:7時前から1時間ほど収穫、戻って荷作り。
8時半から援農で市内のMさん来訪。今日は臨時の野菜セットを取りに来てくださるついでに1時間半ほどの作業。久しぶりだし、雨上がりで本格的な作業はできないから畑の見学がてら、大豆の畝にちょこちょこと目立ってきた大きな草を二人で1時間弱むしって歩き、10時半過ぎ解散。

Mさんはお子さんが今春、進学された。
それがなんと学部まで僕の“後輩”だということで、「その頃からキャンパスはもうあそこに移ってました?」と尋ねられたから、内心で「当然でしょ」と思いながら「はい」と答え、だけれど頭の中で計算したらそれがもう四半世紀以上も前で、むしろ移転後わずか「十年かそこいら」のことであるのに気づいた。Mさんのは「当然」の問いだったわけだ。



昼前まで机しごと(あれこれ提出する書類など)。
正午前後に市街に出て、種屋さんなど買い物、用事あれこれ。戻って渚と二人で昼ごはん。

午後:秋冬野菜の育苗の種播き開始。
今日は冬どりのキャベツとブロッコリィ、最終の胡瓜をセルトレイに計14箱。



携帯ラジオは66年目の広島原爆の日、そして高校野球の開幕。
やはり今年は原発震災のことがあり、だからこそ放射能被爆の悲惨さを強く伝えたい側面と、一方ではことさらに被爆に対する恐怖心を煽ることは避けたい心情とが入り混じった空気を感じる。その割り切れなさこそが逃れ得ない現実だ。

甲子園、愛媛代表の今治西は開会式直後の第一試合で健大高崎(群馬)に“再逆転”負け。
今治は西条の隣市(合併後)だからだろうか、僕にとっては松山商や済美、新田などより今治西のほうが親近感があり、今夏の活躍も期待していたので、思いのほか早い敗退はとても残念だ。

今治といえば、高校野球の県予選で何度か球場にも行ったことがある。
もちろん西条高校の応援で、小学生の頃だろう、父に連れられて国鉄の急行に乗り、駅から球場へはタクシーだったと思う。先日、母から聞いたのだけれど、その何度かの今治行のうちの一度、いまはない今治大丸で父は僕に鰻を食べさせてくれたそうだ。全く覚えていない。おいしいものを食べたのにその記憶がないというのは残念だ。いや、繰り返すけど今治西の初戦敗退は本当に残念です。
コメント
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