38歳からの百姓志願~実践編。

霊峰・石鎚を仰ぎ、瀬戸内の陽光を望む愛媛県西条市、「有機菜園 藤田家族」無農薬・無化学肥料の野菜と暮らし。

大町校区を、歩く。

2008年01月26日 | 農と暮らしの日記
西条市街、川原町の旧国道。
うちの前の道も同じ旧国道で、途中、現在の国道11号線を横切って旧道のほうが下(しも=海側、北)を走っている。このまま前方(西)へ行くと加茂川に突き当たる。そこが僕の実家のある加茂町

写真に移る2つの屋根(アーケード)。
市内中心部の商店街とは異なり、ここは2軒の店の前(手前と奥と)だけにアーケードが架かっている。小学生時代(大町小学校)はここが通学路だから毎日通り、それ以降も街に出るときにはここを通ることが多かったので、その頃にはこの「店先だけアーケード」に何の疑問も感じなかったけれど、いま見ると、ちょっと不思議な感じだ。

余談ながら、この2軒の店の間にあるのが「矢野製材」(画面左手の薄緑色の建物)。
ここには幼い頃よく祖母と製材屑の木ぎれをもらいに来て、大きな乳母車の台車だけになったのに積んで帰り、それを祖母は家の裏の「おくどさん」で焚いて湯を沸かし、僕たち子どもはその狭い裏庭にたらいを出して、夏の夕べ、よく行水したものだ。なんだか“戦後”みたいな話だが。昭和40年代末ごろ。



土曜日、朝の出荷で市街に出たあとは、昨日に続いて机しごと。
別のあれこれをパソコンやら手書きやらでやって、そのほかの用事あれこれをこたつに座って昼まで。午後、明朝出荷分の野菜の収穫、調製、荷造り。夕方、バスに乗り市街へ。下車して上の写真のところを歩いて実家へ。妹と甥が帰省中なので「藤田家族」4人も合流して晩ごはん。うちの野菜もちょっと持っていく。

道すがら、渚にこの街並みを解説しながら歩く。
「ここは昔、散髪屋さんだった」「ここは刀の鍛冶屋さんだった」「この銭湯にお父さんは来てたんだゾー!」「この和菓子屋さんのある四つ角は江戸時代、西条一にぎやかだったらしいよ!」。……。「もう! 社会科の勉強してんじゃないんだから、もういい!」と逃げるように走っていく渚。……。
コメント
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